「そんなもの、あるわけがない」
では、町としては「田布施システム」をどう考えているのか。役場を訪ねた。
応対してくれたのは総務企画課係長の井上信哉さん。
──「田布施システム」って知ってますか?
井上さんもまた、曖昧に頷く。そして困惑の表情を浮かべる。
「どうお答えしてよいのか、わからないのですよ。ええ、困惑するしかありません」
井上さんによれば、ごくごくたまに、田布施システムについて聞きたいという問い合わせがあるという。
そのたびに「本町としてはわかりかねます」と繰り返してきた。
そりゃあ、そうだろう。観光資源として利用できるような話でもない。
たとえば同じ山口県内の長門市などは、中国の楊貴妃が難を逃れて小舟に乗り、長門に漂着したという伝説を積極的に町おこしの材料として用いているが、「田布施システム」には、そこまでのロマンがない。
いや、政治や皇室が絡む以上、どうしても話が生々しくなる。
「むしろ、そんなデマを町として放置してもよいのかという、お叱りの声も町内からいただいているくらいです」
当然、ユダヤ資本だの朝鮮人支配などについては、苦笑するしかないという。
ちなみに田布施の外国人登録者数は非公表ではあるが、「およそ60人程度」だという。
そのほとんどは中国やベトナムからの技能実習生。在日コリアンもごく少数で、「支配」に必要な人数には程遠い。
「高齢化と過疎化に対してどのように取り組むべきか。多くの地方都市同様、私たちもそのことで頭がいっぱいです」と井上さんは深刻な表情を見せる。
言外に「そんなシステムがあるのならば、なんとかしてくれよ」という嘆きが込められているようにも感じた。
宗教団体が多い不思議
静かな農村でしかなかった田布施が町制に移行したのは1955年。
その2年後に同町出身の岸信介が総理大臣に就任、さらに実弟の佐藤栄作が69年に総理となる。
世間的には「総理を二人出した町」として脚光を浴びるも、それは必ずしも町の飛躍を促すものではなかったようだ。
近隣工業都市のベッドタウンとしての住宅建設、企業誘致なども一定の功を奏したが、それでもいまは高齢化に拍車がかかっている。「権力の中枢」には何のマグマも動いていない。
ただし──と井上さんが続けた。
「こんな小さな町でありながら、宗教団体が多いんですよね。そこに何らかの意味を感じると話す人も少なくありません」
田布施に本部を抱えている宗教団体は、天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)と神道天行居(しんどうてんこうきょ)の2団体。
さらに金光教も町内に西日本最大規模と言われる施設を持っている。
なかでも天照皇大神宮教は信者約50万人を抱え、その名は海外でも知られた存在だ。
いや、戦後まもなくに「踊る宗教」として注目されたといえば、はたと膝を打つ人も少なくないだろう。
開祖の北村サヨは隣町の柳井で生まれたが、結婚を機に田布施へ移り、同地で天照皇大神宮教を立ち上げた。
「本町に"神がかった"イメージを持たれることが多い理由の一つかもしれません」(井上さん)
ところで北村サヨの孫にあたるのが、自民党の北村経夫参院議員だ。
一応"田布施人脈"ということにもなるのだろうが、1年生議員でもあるせいか、全国的な知名度は高くない。
さらに現代における田布施出身の有名人として町民の多くが名を挙げたのは、タレントの松村邦洋だった。
松村が成功者であることに異存はない。
しかし、皇室をも自在に操る「田布施システム」が存在するならば、芸能界で活躍するのが松村ひとりというのも、ちと寂しい。