「AV出演強要」は存在するのか? 多くの人が見落としている「本当の実態」

成人年齢引き下げで議論が盛んだが…
河合 幹雄 プロフィール

認識のズレの第二の理由を説明しておこう。

適正AV内の女優については、全ての始まりは、売れてしまうことが条件となる。売れないと消えるから何事も起こらない。

売れたせいで、親バレや身バレと呼ばれるように周囲に知られてしまう。そこでよくあると推察されるのは、女優が、親や周辺に、自分から望んで出演したとは言えず、おなじみの断れなかったストーリーで言い訳する。

ここで、運動団体は、「被害者」本人を信じること前提で聞くのは、対応方法としては当然であろう。親は、それならと訴訟することもあるが、民事訴訟では、メーカーが負けた判例はひとつもない。

それもそのはずで、撮影日の、休憩も含めた全てのプロセスは、作品撮影自体とは別の固定ビデオカメラで証拠として記録されており、楽しそうに出演していたことが証明されてしまう。この記録は、訴訟対策だけでなく、現場のチェックのためであることは言うまでもない。

ところが、運動団体は、断れずに出演してしまった「被害者」がいるとマスコミ・政治家に言う。すると、マスコミは、運動団体によれば、断れずに出演してしまった「被害者」がいるというふうに報道する。

事実確認はできていないのだが、ウソ報道でもない、このような報道によって、あたかも、出演強要があったかのような雰囲気を作り、それを事実でもあるかのように、運動を進めていく。これが出演強要騒動の真相の一部を示している。

私の理解では、運動団体は、AVをポルノと規定し、ポルノは社会悪で全面禁止にしたいと考えている。私や、AV人権倫理機構は、AV業界をベターな状況にするための現実的な自主規制を推進していくが、結果としてAV業界の存続を容認している。

運動団体の活動は、運動論的には理解できるのだが、事実に対しての誠実さを大切にした、もう少し洗練された運動であってほしいと願う。現在紹介されている被害事例は、どうも、かなり古い事例のように感じる。時代をさかのぼれば、酷い事例があったことには、私も全く同意する。

 

どのように対策をしたらいいのか

対策については、立法するなら自主規制の範囲内に留めていただきたい。さもなければ、ハードルが上がって、ついてこれない業者は、ドロップアウトし、かえって乱暴な業者となる。

AV人権倫理機構の自主規制導入でさえ、このような事例をいくつか起こした懸念を持っている。極端な例になるが、ストレートにAV自体を禁止してしまえばどうなるか予想すれば、わかりやすい。

国内のAV業者は、海外に逃げて配信するか、会社をいくつも作っておいて、摘発されれば、廃業させて、別会社で活動継続となる。3000億の産業がなくなるわけはない。儲けが大きい以上、なんとしてでも継続する意思は固いと考えている。

犯罪学者の私からみれば、禁止立法で実態が変えられると思うこと自体が完全な間違いである。刑法は殺人を厳しく禁じ、強力な警察組織、刑務所がありながら、既遂事件だけで年間600人の犠牲者を生んでいる。犯罪を最も減らしてくれるのは、失業率の低下である。

殺人でさえこれだが、性が関係する犯罪は、さらに減らすことが困難なことが知られている。日本に戦後、1958年に売春防止法が完全に施行されたとき、もちろん売春のない素晴らしい社会を実現しようと「善意」の塊で立法されたのであろうが、結果は悲惨であった。

強制性交罪(当時は強姦事件)は、前年度の約4000件から、一挙に6000件となり、この責任から逃れるために、国会答弁以外の記録は消され犯罪学者が研究するすべがない状態である。

私は、いわゆる性風俗が、風営法により許可され、売春は表向き禁止されながら、実際にはあることが見逃されている、道徳的には、けしからん状況がそのままであるのは、この逆効果のせいと考えている。禁止してなくなってくれるなら、とっくにそうしているということである。

これは、世界中で同じような状況にあり、ドイツのように2002年に売春を明確に合法化した国を除けば、どこもグレーゾーンを活用した運用である。理性的に考えれば、合法業者によって雇われる女性と、非合法組織に雇われる女性とで、前者の方が、まだましであることは明らかであろう。

結論は、今回の立法は、AV人権倫理機構の自主規制内に留めることが、逆効果を回避できるため望ましいということになる。なお、運動団体が示す事例は、適正AVの自主規制に参加していないものがほとんどであり、刑事罰で臨むべきと考える。

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