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2018年6月18日 (月)

2018年5月18日(金)

2018年5月18日(金) 東京でも「タクシー運転手」がヒットする中、光州事件38周年の5・18。東京 曇り、午後以降ところにより、にわか雨。予想最高気温きのうより1度高い29度、湿度も最小で60パーセントと蒸し暑い。明日雨は朝まで。

内海 信彦氏投稿『1980年5月の韓国・光州事件は、私にとって1989年天安門事件と並んで、民主化闘争を闘う韓国民衆、そして中国民衆に心を寄せ、日韓中民衆連帯を進めてきた最大の契機でした。…』【5.18。何かが起こっているらしい、と外報面のちいさな記事が出始めても、情報遮断でよくわからなかった。1973年の東京からの拉致事件が「政治決着」したままだった金大中氏が軍事裁判で「暴動の首謀者」とされた。これに対し大学2年生当時の仲間と「死刑執行しないでほしい」という手紙を、大統領になった全斗煥将軍宛てに出したのは秋も深まってのことだったが、ドイツ語のクラス全員が署名してくれた。】【無謀な戦争に敗北したあと、占領軍の「民主化と武装解除の憲法案を、自分たちの案として提案すれば、支配層にとどまることを安堵する」と言われて受け入れた、戦前からの無反省な支配層とその直系の後継者たちの支配する立憲君主国・ニッポンに住むぼくとしては、旧宗主国の無責任な逃走の後、激しい内戦、アメリカの後ろ盾の下にある軍事政権による長い支配と戦い続けて、自らの手で民主政治を手にした韓国の人々に心からの敬意と、若干の嫉妬を感じる。】▼(経済気象台)アメリカが身勝手な理由  基軸通貨ドル▼(社説)エネルギー基本計画 めざす姿がずれている【今のやり方は、役所が恣意的に人選した「私的諮問機関」を隠れミノに、勝手な計画を立てて国会、国民に押しつけるものだ。エネルギー基本計画についての法律を改め、防衛計画の大綱などについても法律を制定し、「国権の最高機関」としての国会が主導権を取り戻し「国民主権」を実態が伴うものにしなければならない。】▼(ニュースQ3)エンゲル係数上昇、生活苦しくなってない?▼女性初のCIA長官就任へ▼【告知】日米合同委員会の情報公開をめぐる現状―日米比較から 日時:2018年5月28日(月)19:30~21:00 場所: 専修大学神田キャンパス1号館1階103教室▼.野党5党「与党側の強引な国会運営は容認できず」▼TPP 野党5党が茂木経済再生相の不信任決議案を提出▼北朝鮮 中央軍事委で新たな軍事政策か 米に対決姿勢示さず▼「消費増税、確実に実施を」全国市長会研究会が提言(日経) 井手 英策氏『全国市長会が「協働地域社会税」を打ち出した。全国の自治体が一斉に増税する新しい仕組みだ。使いみちはコミュニティ機能の強化。地域交通やソーシャルワーカーの雇用などにあてられる。これは僕の提案した「地方連帯税」構想をもとに盛り込まれたもの。』▼手塚 仁雄代議士『(茂木大臣)不信任決議案提出。』▼神津里季生連合会長「高プロ」反対を自粛!? 菅義偉官房長官と面会

【ソウルでの講演で、長い経験に根ざす北の非核化についての熱弁で河野洋平元衆院議長に感銘を与えたペーリー元米国防長官90歳。先日の朝日夕刊で、ルーツ沖縄と日本のあり方について説得力のある見方を披瀝した川平朝清さん、やはり90歳。講演集を読んで感銘受けた仏文学者の鈴木道彦さん89歳。▽ここ数日、90歳の方々の声に耳を傾けたいと思うことが続く。いやいや、野党を率いて、マレーシア史上初の「政権交代」を実現して首相に就任し、次々に施策を打ち出しているマハティールさんは92歳か!】

『半分、青い。』より。マハリ~ク(笑)。あの頃、少なからぬマハラジャたちがムスリムだったなんてこと知らなかったなあ。あ、マジャラハか(笑)

2018年6月 2日 (土)

NHK人間講座『朝鮮通信使』(2001年)の録画ディスク発見

昨年、朝鮮通信使に関する記録がユネスコの世界記憶遺産に登録された。江戸時代の通信使は、徳川家康が秀吉の侵略後の国交正常化交渉に真摯に取り組み、拉致していた人々の送還などとともに「対等な関係」を結ぶことで将軍交代毎に派遣されるようになった。

2001年に、NHK教育テレビで9回の30分番組として、この朝鮮通信使についての講義が放送された。当時、放送時間が遅いこともあり、また仲尾先生のお話ぶりがぼくの眠りの波長と合ってしまい、ほぼ毎回途中で寝てしまったのですが、探していた録画ディスクがでてきました!

もともとはVHSテープに3倍速で録画し、ダビングを重ねたもので画質は良くないですが、日本と韓国、朝鮮の関係を考える上で役に立つ講義ですから、遠からず見る会を企画したいと思います。ご関心持っていただける方はメッセージいただけると幸いです。

品切れのテキストは持っていませんでしたが、古書で入手できました。

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2018年5月23日 (水)

米朝首脳会談は各論としては「北の非核化」と「アメリカによる北の体制保障」の取引だが、より本質的には「朝鮮戦争を終わらせる」ことにテーマがある。

米朝首脳会談は各論としては「北の非核化」と「アメリカによる北の体制保障」の取引だが、より本質的には「朝鮮戦争を終わらせる」ことにテーマがある。

https://www.facebook.com/yanada.takayuki/posts/1672547849491754

「朝鮮戦争が終わる」ということは、本来、日本の安全保障政策、近隣諸国外交について、根底から捉え直し、構想を新たにすることを要求する。
◆確認事項(時系列)  戦後日本の国際社会への復帰、自衛隊の前身の創設、平時における米軍駐留という基本線は、朝鮮戦争の最中に進められた。
 
1947年 日本国憲法施行(戦力不保持)  
1950年 朝鮮戦争はじまる  
1950年 警察予備隊創設(1952年保安隊、1954年自衛隊)   
1951年 サンフランシスコ平和条約締結。
      同日に、日米安保条約締結  
1953年 朝鮮戦争休戦
***
(動く朝鮮半島)
朝鮮戦争、苦難の歩み  休戦から65年 
来月、米朝会談 朝日新聞 2018年5月23日05時00分 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13506299.html
 
6月12日に予定される米朝首脳会談では、朝鮮戦争で戦火を交えた米朝のトップが初めて顔を合わせる。東西冷戦で生まれた分断国家のうち、ベトナムとドイツは統一を果たし、南北朝鮮のみが残った。休戦から65年近くという長い分断の歴史に、終止符を打てるのか。大国の対立の渦に巻き込まれ続け、多くの悲劇に見舞われた朝鮮半島の歩みを振り返る。
 
■分断 38度線で分割管理、米提案
 
昭和天皇の1945年8月15日の玉音放送は、日本にとっては平和の始まりだったが、朝鮮半島にとってはさらなる動乱の幕開けだった。  米軍には、日本の植民地だった朝鮮を独立させること以外、具体的なプランは白紙だった。
 
だが、急を要した。自由主義と共産主義。戦後の世界を二分する争いは始まっていた。8月8日にソ連が日本に宣戦し、朝鮮半島を南下しつつあった。米国は北緯38度線を境にソ連が北、米国が南という分割管理を提案。ソ連が受け入れた。
 
38度線に大した根拠はなかった。分割案の作成を命じられた米軍将校は半島の地図を広げ、真ん中にくびれを見つけた。38度線だった。(デビッド・ハルバースタム「ザ・フィフティーズ」)  半島の南では、米国が後ろ盾となって李承晩(イスンマン)大統領を中心とする大韓民国(韓国)が生まれた。北ではソ連の支援を受け、金日成(キムイルソン)が中心となって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を樹立した。
 48年、分断国家の並立が決まった。当時、米国の世界戦略での朝鮮半島の位置づけは小さかった。関心事は、分断国家となりベルリン封鎖で緊迫するドイツの行く末だった。

 アジアでは、中国共産党が49年に中華人民共和国を樹立。国民党政権に長年肩入れしていた米外交の失敗は歴然としていた。
 50年1月、アチソン国務長官はアジアに関する演説を行う。「西太平洋における米国の防衛線はアリューシャン列島、日本、沖縄、フィリピンを結ぶ線だ」。そこでは韓国と台湾が除外されていた。韓国防衛に米国は消極的だと、内外に表明したようなものだった。(神谷不二「朝鮮戦争」)

 金日成は武力による朝鮮の統一を目指し、極秘にソ連のスターリン、中国の毛沢東の両最高指導者を訪ね、南側への侵攻の同意を取り付けた。米国は介入してこないだろうと踏んだのである。
 50年6月25日未明、北朝鮮軍は38度線沿いに一斉に攻撃を開始した。ソ連製の最新鋭戦車も投入された。米軍は前年にすでに撤兵し、韓国軍には侵攻に対処する備えはなかった。
 
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■開戦 米中参戦、焦土と化す半島
 不意打ちをくらったトルーマン米大統領は、こう記した。「共産主義はヒトラーや日本とまさに同じことをやっている」(「トルーマン回顧録」)

 世界でドミノ倒しのように共産陣営の侵略が広がることを恐れたトルーマンは6月27日、朝鮮半島への米軍の派遣を命じる。

 国連安全保障理事会では、中国の国連代表権をめぐってソ連が審議をボイコットしていた。ソ連の拒否権行使がないまま、米国による朝鮮半島への軍事措置は承認された。北朝鮮と戦う米国中心の16カ国が「国連軍」のお墨付きを得た。
 南北の勢力図は、細長い半島に何度もローラーをかけるように塗り変わった。開戦から3日でソウルが陥落。北朝鮮軍は進撃を続け、米韓両軍は8月、南端の釜山周辺に包囲された。
 戦局を逆転させたのは、日本占領軍トップの米国のマッカーサー元帥。9月、ソウルに近い仁川に上陸し、南進する北朝鮮軍を後ろから挟み撃ちにした。勢いに乗り、38度線を越えて北へ進撃。10月下旬には中朝国境に迫った。
 そこで中国の人民義勇軍が鴨緑江を越えて進軍。毛沢東主席は指示した。「出兵しなければ、敵は鴨緑江周辺まで制圧し、われわれは各方面で不利になる」(朱建栄「毛沢東の朝鮮戦争」)  半島北部の冬は厳しい。米軍は酷寒と中国軍の猛攻に苦しんだ。マッカーサー元帥は原爆投下を大統領に進言し、司令官を更迭された。
 戦線は38度線周辺で止まった。52年11月、戦争終結が公約のアイゼンハワーが米大統領に当選。53年3月にスターリンが病死し、潮目が変わった。7月に南北朝鮮と国連軍、中国の4者は停戦に合意し、国連軍を代表する米国と北朝鮮、中国の3者が休戦協定を結んだ。不満の残る韓国は署名しなかったが、協定実施は拒まないと約束した。
 朝鮮戦争は、欧州の冷戦をグローバルな軍事対立に広げ、長く続く米中対立の構図もつくり出した。一方で日本の国際社会への復帰を早め、戦争特需が経済復興を助けた。戦後のアジアを形づくる戦争だった。
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 ■休戦 東西の対立、挫折する和平
 朝鮮戦争を終わらせるため、休戦協定を平和協定に換える。その試みは、挫折の歴史をたどる。  54年4月から約2カ月間、スイスのジュネーブで国連軍15カ国と韓国、中国、北朝鮮、ソ連が会談し、平和協定について話し合った。
 6月11日。中国の周恩来外相が国連軍を非難する。「討議打ち切りの計画に断固反対する。米代表は朝鮮問題ばかりでなく、インドシナの平和問題も妨害したいのだ」  会談は、戦争終結後の朝鮮半島に統一国家をつくる際の選挙のあり方をめぐって紛糾した。国連軍側は国連による監視を、中朝ソ側は中立国の監視を主張。軍を撤退させる手順でも双方譲らず、国連軍側は討議打ち切りを模索していた。
 インドシナとは、のちに冷戦が「熱戦」となるベトナム戦争の舞台だ。東西対立の構造のなかで、ジュネーブの議論は決裂した。
 「戦争状態」のままの朝鮮半島では、その後も軍事的な衝突が相次いだ。  しかし、やがて世界史的な出来事が半島を揺らす。89年、ベルリンの壁が崩壊。冷戦の終結だ。雪解けの流れをうまく利用したのが韓国だった。
 90年5月31日。韓国は初の韓ソ首脳会談を開くと突然発表。4日後には米サンフランシスコで、盧泰愚(ノテウ)韓国大統領がゴルバチョフ・ソ連大統領と向き合い、国交樹立で原則合意した。
 韓国は92年、中国とも国交を結ぶ。ソ連と中国は朝鮮戦争の休戦後も、北朝鮮を軍事的にも経済的にも支えてきた。北朝鮮にとってみれば、後ろ盾が突然、「敵」と手を組んだと映ったはずだ。  残る北朝鮮が米国や、米国と同盟関係の日本と国交を結ぶことができれば、休戦協定を平和協定に換える環境が整い、冷戦構造がなくなる――。しかし、歴史の歯車はそのように回らなかった。
 孤立を深めた北朝鮮は、核とミサイルの開発を加速する。核開発をめぐる多国間協議が行われ、その度に平和体制についての文言が合意に盛り込まれた。  だが、合意は破られた。
 ■転換 非核化、平和協定の道筋は  
 平和協定をめぐる合意と破綻(はたん)の悪循環を、今度は断ち切ることができるのか。

 文在寅(ムンジェイン)韓国大統領と金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長は、4月27日の首脳会談で板門店宣言に合意した。そこで、「今年に終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換」するとうたった。
 宣言は、平和協定に道筋をつける具体的な枠組みにも触れた。「南・北・米3者または南・北・米・中4者会談の開催を積極的に推進していく」
 この「3者」会談にかかわる動きが南北首脳会談の翌日にあった。米朝首脳会談の開催地をめぐるやりとりだ。文氏はトランプ米大統領との電話会談で、米朝首脳会談を板門店で開くように勧めた。米韓朝による3者会談も併せて開き、平和体制も話し合いたいという狙いがあったようだ。

 「4者」の思惑も動き始めた。文氏は今月4日、中国の習近平(シーチンピン)国家主席と電話会談。両氏は平和協定について協力することで一致する。
 その後、習氏は7、8日、中国・大連で正恩氏とも会談。「中国は地域の安定を実現するため積極的な役割を果たしたい」と述べた。平和協定に中国も積極的に関わるとの強い意思表示だった。
 ただ、朝鮮戦争を終結させて平和協定を導くには、関係国が北朝鮮の核問題を解く必要がある。
 トランプ政権は来月の米朝首脳会談で、北朝鮮が「完全」かつ「検証可能」で「不可逆的」な非核化に応じれば、見返りに北朝鮮の体制保証を考えている。平和協定につながる道筋でもある。
 ただ、和平の手続きをめぐり、在韓米軍を警戒する中国がその撤退を求めれば、関係国がかかわる「方程式」は複雑になる。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議にかかわった日本と北朝鮮の間には、日本人拉致問題が未解決で残っている。ロシアも朝鮮半島への関与をうかがう。この半島が大国の角逐の舞台という構図は、朝鮮戦争の当時から変わっていない。
 軍事境界線上にある板門店では、今も水色の国連軍の旗がはためいている。降ろされる日は、いつ訪れるのだろうか。  
◇この特集記事は三浦俊章、牧野愛博、平井良和、グラフィックは田中和が担当しました。

2018年5月20日 (日)

韓国映画『タクシー運転手』(2017年)を新宿ピカデリーで見る。

韓国映画『タクシー運転手』(2017年)を新宿ピカデリーで見る。【5/20】

日曜の午後、客席の半分は若い人々。シネマートの「年配の韓国と縁の深そうな人々と韓国映画を見に来た」という雰囲気も良いが、こちらはこちらで良い。

ゆったりした椅子、大きめのスクリーンで見ていると、観客は映像表現のマジックで「バック・トゥー・ザ・フューチャー」や「ミッド・ナイト・イン・パリ」の観客が1950年代の米地方都市や、1920年代のパリに急に連れて行かれて「わあーっ」と思うのと同じ感覚に巻き込まれる。

ただし、連れて行かれるのは1980年5月21日(かな)の戒厳軍に封鎖された韓国光州市、全羅南道の道庁前に集まる群衆の中なのだ。そこであなたは何を体験するか。とにかく劇場に足を運んでほしいと思います。これを若い人に見てもらう意味は大きいし、ぼくの連れ合いなども「私がのほほんと大学生だったときに…」と。

少しひっかかりを感じたのは、軍が設けた検問所のリーダーである若い将校がトランクにソウルのナンバープレートが隠されているのを見つけたときに、わざと見逃すところがハッキリわかるように描かれていたことだ。

民主化運動に、軍など体制内の理性ある人々の暗黙の協力があったことを表現しているのか、それが大事というメッセージか。ぼくなども脱藩してしまうより、もっと中で辛抱した方がよかったか、いやいやそれは健康に良くないなどと思う場面だった。

全羅道の温かく親切な人柄も強調されていたと思う。地域対立を超えていこうというメッセージかしら。

2018年5月19日 (土)

植民地支配の歴史への反省が民族のアイデンティティーに組み込まれているべき。

米軍基地の負担は沖縄の人々に押しつけて平気でいる。広島・長崎の話はメジャーなわれわれには関係ない。核のカサに頼るのが楽だから核兵器禁止条約なんかには入らないのがフツー。在日韓国人、在日朝鮮人差別や侵略の歴史?韓国を併合したり、中国を侵略したのは、ぼくや私ではないし、そもそも生まれてないのだから関係ない。

そういう日本人にはぼくはなりたくないし、そういう日本人が「日本すごい」とか、「国家の誇り」「民族の名誉」などというと虫唾が走る。

最近、鈴木道彦さんの議論を読んで、強く共感したのは「民族責任」ということば。仮に日本人とか、日本民族としての生き方ということを考えるなら、こうした問題についての「反省」ということがしっかりと「民族のアイデンティティーの一部」に組み込まれているのでなければ、、恥ずかしいし、危なっかしい。

第11回「戦争経験を聴く会・語る会」から 村上啓子さんのお話

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戦争が終わって2年。東京出張の広島市役所勤務のお父さんに連れられて、小学5年生の村上啓子さんは学校を休んで初めて上京した。

皇居を望んでお父さんが話したのは「お父さんは、あそこに住んでいる方のためにと、全力で務めを果たしたんだよ。それが『おかしい』と言った人もいたけれど、そういう人たちはみんな獄につながれたんだ。いまは、お父さんは復興のために全力を尽くすけれど、新しい時代に魂を吹き込むのは啓子ちゃんたちだからね」という趣旨の話だったそうだ。

1947年8月6日、初めての原爆忌式典で広島市長の平和宣言の草稿を書いた村上敏夫・広島市復興本部事務局長(=お父さん)は、GHQのプレスコード下、逮捕覚悟で「原子爆弾」の語を書き込んだ。

今日の平和も、数多の人々の思い、行動の上に築かれ、またそれらの人々の「継承してほしい」という思いと行動の上に、伝えられているということを思い出させるお話でした。

(2018年5月19日、下北沢の東京都民教会(代田5丁目)で開催された第11回「戦争経験を聴く会・語る会」から。きむらけんさんら北沢川文化遺産保存の会主催)

2018年5月18日 (金)

元気な90歳

ソウルでの講演で、長い経験に根ざす北の非核化についての熱弁で河野洋平元衆院議長に感銘を与えたペーリー元米国防長官90歳。先日の朝日夕刊で、ルーツ沖縄と日本のあり方について説得力のある見方を披瀝した川平朝清さん、やはり90歳。講演集を読んで感銘受けた仏文学者の鈴木道彦さん89歳。

ここ数日、90歳の方々の声に耳を傾けたいと思うことが続く。いやいや、野党を率いて、マレーシア史上初の「政権交代」を実現して首相に就任し、次々に施策を打ち出しているマハティールさんは92歳か!

自らの手で民主政治を手にした韓国の人々に心からの敬意と、若干の嫉妬を感じる。

5.18。何かが起こっているらしい、と外報面のちいさな記事が出始めても、情報遮断でよくわからなかった。1973年の東京からの拉致事件が「政治決着」したままだった金大中氏が軍事裁判で「暴動の首謀者」とされた。これに対し大学2年生当時の仲間と「死刑執行しないでほしい」という手紙を、大統領になった全斗煥将軍宛てに出したのは秋も深まってのことだったが、ドイツ語のクラス全員が署名してくれた。

無謀な戦争に敗北したあと、占領軍の「民主化と武装解除の憲法案を、自分たちの案として提案すれば、支配層にとどまることを安堵する」と言われて受け入れた、戦前からの無反省な支配層とその直系の後継者たちの支配する立憲君主国・ニッポンに住むぼくとしては、旧宗主国の無責任な逃走の後、激しい内戦、アメリカの後ろ盾の下にある軍事政権による長い支配と戦い続けて、自らの手で民主政治を手にした韓国の人々に心からの敬意と、若干の嫉妬を感じる。

2018年5月17日 (木)

2018年5月17日(木)

2018年5月17日(木) 東京 曇ったり晴れたり、予想最高気温きのうより1度低い28度だが湿度高く蒸し暑い。

https://www.facebook.com/yanada.takayuki/posts/1666903170056222

朝日1面  候補者男女均等法、成立 全会一致 政党に目標設定促す【これで日本も少しはましな社会になっていくだろう。俳人の長谷川櫂さんも先日の下北沢での憲法記念日講演会で「軍備を放棄した憲法を持っているというのは、コトバで戦っていくということ。言語能力は一般的に女性の方が優れている」と話していた。まったくだ。口げんかで歯が立ったためしがない。▽フランスの県議会選挙は前回から男女ペア立候補制を導入し、制度的に男女「同数」を一挙に実現した。ぼくは、わが国も参議院が「3年ごとに半数改選」であることを利用して制度を工夫すれば「参議院男女同数」は一気に可能であると思っている。】▼(社説)男女均等法 多様な政治へ一歩を▼米追随の移転、限定的 グアテマラ大使館はエルサレムに▼【告知】第11回 「戦争経験を聴く会・語る会」北沢川文化遺産保存の会▼与野党対決の新潟県知事選、大接戦か。原発再稼働反対は7割超|リサーチコム緊急世論調査▼「米朝首脳会談の焦点」(キャッチ!ワールドアイ)出石直▼代沢9条の会・チラシ▼立民 枝野代表 IR法案廃案へ「内閣不信任案提出も」▼素粒子『まやかし、ばっかりだわ。××原発重視を続けるのに、必要な新増設を明記しない第5次エネルギー基本計画素案。××加計学園の車なのに、出張記録に「官用車利用」と書いた特区担当の内閣府次長。××愛媛県知事の参考人招致を「当事者じゃない」と拒む与党。特区選定と無関係だった前知事は何度も呼んだのに。

【自民県議のひき逃げ嫌疑とか、「クォーターバック壊してこい」のアメフト監督とか。国政のトップが羞恥心も道徳心もなく、何やっても開き直って恬として恥じないのに習って、国の隅々までが乱れていく。】

【2014年5月16日の投稿。沈みつつある船から子どもたちを救えるように憲法の「戦争せず」の原則を変えるというが、日本の子どもたちを乗せた船がアメリカの潜水艦の攻撃で沈められたのは、あなたの祖父が対米開戦の詔書に商工大臣として副署し、戦争を始めたからだ。▽子どもたちの生命を守るためにするべきことは、戦争しないという憲法の原則を変えることではなく、戦争を防ぐためにできることをすべてやることだ。】

石崎 大望氏『「立憲的改憲」なるものを唱える人の口から、心を揺さぶるほどの平和への思いを聞いたことは一度もない。日本国憲法の前文や9条を凌駕する、高邁な理想を聞いたこともない。▽むしろそれは、護憲派の人(の一部)から聞いてきた。言葉にならなくても、思いとしてひしひしと、伝わってきた。▽理屈抜きにその点で、「立憲的改憲」なるものは胡散臭く、なんとも言いようのない軽さを感じて、正直到底賛同できない。▽非武装中立論は非現実的かもしれない。でも将来的な重武装対米自立とか、それなり武装中立とかが現実的とも思えない。そんな簡単ではない。▽複雑で多因性の、ダイナミックに流動する国際社会の中で、日本がどんな風に身を処していくのかについては、まず理念や価値観が問われていると思う。そこが現行憲法よりも低次元なまま、憲法変えようということの危うさは、個人的にはすごく強調したいところ。』

【あるきっかけがあって、鈴木道彦という老フランス文学者がここ10年あまりに行った6回の講演をまとめた本を読んだ。(『余白の声 文学・サルトル・在日ー鈴木道彦講演集』閏月社、1800円+税 https://www.amazon.co.jp/%E4%BD%99%E7%99%BD%E3%81%AE%E5%A3%B0-%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E5%9C%A8%E6%97%A5-%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%81%93%E5%BD%A6%E8%AC%9B%E6%BC%94%E9%9B%86-%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%81%93%E5%BD%A6/dp/4904194055  ) たいへん読みやすく穏やかな語りで楽しい読書だったが、しかし、内容には深く刺激を受けた。▽鈴木氏自身も語っているように、わが国では思想家も流行として消費される傾向が強く、いまはサルトルのサの字も耳にしないぐらいだが、なにしろ若手の研究者だった時代にサルトルやボーボワールと交流があり、来日時には知識人との面談の通訳として駆り出されたぐらいの人なので、時代の空気のようなものを伝えてくれている。▽しかも、最初の講演はかつてそこの館長を務めた獨協大の新図書館の落成記念講演、ふたつめは短歌の会「潮音」で行った「散文は歩行、詩はダンス」というヴァレリーのことばに象徴される、いわば本とか、文学をめぐるなるほどという平易な話が語られる。もっとも、ヴァレリーなどと気安くここに書いたぼくは文学にはまったく不案内な人間だけれど、ボードレール、ラマルメ、ランボーからプルーストといった詩人、作家たちに簡潔で見通しの良い記述があって、なんだか少しフランス文学に近づけたような気分。▽そしてサルトル。肩のこらない講演でエピソードを語っているけれども、読み終わると、彼の課題は「マルクス主義」と「実存主義」の統合だったのだということがはっきりわかり、「ネコをネコと書くのが文学者の仕事」という半世紀前の彼のことばが、わが国の現在の政治・行政、あるいはジャーナリズムの現状に対するストレートかつ本質的な批判になっていることに感じ入らずにはいられない。▽鈴木氏が在日朝鮮人に対する差別の問題に深く関わるようになったのは、ご推察の通りフランスでの研究の中でアルジェリア独立戦争に同時代において関わり、そのような中でサルトルたちがはじめは全く少数者だったにもかかわらず「私はアルジェリア独立運動の側に立つ」という態度を示していたことの影響が大きいだろう。▽ぼくにとっては名前しか知らなかった小松川事件や、子ども時代に意味はよくわからなかったけれどインパクトを感じた金嬉老事件が紹介されるが、講演の限られた時間の制約で、極めて簡潔な紹介になっているのが読者にとっては好都合で、優れたサマリーを提供されることになる。▽このことについての鈴木氏の結論は明快で、シュレーダー独首相(当時)がドイツ人について語ったのと同様、日本人が日本人として生きていくためには、そのアイデンティティーに前の世代の侵略や植民地支配への反省がしっかり組み込まれていなければならないというものだ。▽鈴木氏の平易な落ち着いた語りで展開される講演録を読み進めることで、そのことに大いに納得した。 】

『半分、青い。』より。ネームってなんだ?

2018年5月14日 (月)

2018年5月14日(月)

2018年5月14日(月) 東京 晴れ、予想最高気温きのうより7度高い28度。


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オバマ大統領の核廃絶政策に対し日本外務省が「核戦力維持」を強く申し入れていた/「ウソにはウソで対抗する。真実なんてどうでもいい」(「半分、青い。」) /一人あたりのGDP国際ランキング(古賀茂明)/国民民主党の支持率(TBS世論調査)/対北朝鮮、米追従安倍外交寸評(想田和宏)/村本大輔・茂木健一郎イベント(B&B)

«子どもたちが、これから安全で豊かな人生を送るために、実際に役立つ科学的な知識を与え、また、それに関わる様々な場面に適切な判断力をもって対処できる知恵と経験を学ぶ機会を与える。学校の役割はそんなところではないか。