晴耕雨読に猫とめし
自己肯定感の話 ⑲

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「やはり必要だったでしょう?」 そんなティムの声が聞こえてきた気がして、私は心の中で「それははそうなんだけど……!」と返事をしました。 彼のアドバイスで、出発の3日前、航空会社に「可能であれば、祖母のために車椅子を1台お借りしたい」とお願いの電話をしておいたのです。 疲れきった祖母にとって、空港内でも快適に移動することができる車椅子。 本来ならば諸手を挙げて「借りられてよかったー!」と言うべきところなのですが、先方が気を使ってチェックインカウンターに用意しておいてくださったのが、まさかの電動車椅子。 私が押さずとも、祖母が手元のレバーで操縦できてしまう優れものです。 だからこそ! 困る! いくら疲労困憊していても、買い物に対する情熱の炎だけは消えない祖母です。 思いのままに車椅子を動かせると知るが早いか、空港ターミナル内に並ぶ店を自ら巡り始めたではありませんか。 ティム~! 確かに車椅子は必要だけど、祖母に翼を授けてしまうと、なかなか大変よ! 私は心の中でささやかな恨み言を言いつつも、最後のショッピングツアーを楽しむ祖母を追いかけました。 といっても、祖母は特に大きな買い物をしたわけではありません。 「余分のお土産が必要になったときのため」に、お菓子や紅茶、あとはちょっとしたコスメをいくつか買い込んだだけです。 たぶん、特に何かがほしいというわけではなく、「店頭で、自分で何かを選んで買う」という行為そのものを楽しみたかったのではないでしょうか。 そのときに祖母が繰り返し言った「心残りがないようにしないとね」という言葉が、今、私の胸にじんわりと甦ります。 朝から幾度となく繰り返した「もう疲れたわ、早く帰りたい」と言うのはガチの本音だったのでしょうが、一方、同じ胸の中には、「体力と気力と財力さえ許すなら、この旅を終えたくない。もっと色々なものを見て、食べて、買い物をして、楽しみたい」という気持ちもきっとあったのだと思います。 祖父が亡くなってからは身軽な独り身を満喫していた祖母も、当時、少しずつあちこちの具合が悪くなり、お稽古ごとも思うようにできず、出掛ける機会も目に見えて減ってきていました。 そんな祖母にとって、ロンドン旅行は、思いきり(私に)我が儘を言い、やりたいこと、行きたいところをがんがんリクエストして、姫として無邪気に野放図に楽しめる最高のチャンス、そしておそらくは最後のチャンスだとわかっていたのだろうなあ、と今は思います。 「あんたも何か買いなさい。買ってあげるから」 祖母はそう言ってくれたのですが、私のほうは、とにかく祖母を無事に、少しでも元気な状態で家に帰さないと、こんなに至れり尽くせりな旅を準備してくれた伯父たちに合わせる顔がない! という必死の思いでした。 ゆえに買い物にまったく気持ちが向かず、ヤケクソの勢いで買ってもらったのは、よりにもよって当時、イギリスのあらゆるところにあった"SOCKSHOP"という靴下やスカーフの専門店(しかも比較的安価でユニークなデザインの商品が揃っていました)の靴下。 「こんなものでいいの?」 私が買った三足セットの靴下を見て、祖母はいかにも残念そうにしていました。 もっといいものを買ってもらえばよかったな。祖母が「買ってやった」と胸を張れるような、美しくて素敵なものを。 エッセイを綴るために記憶をたぐり寄せれば、反省しなくてはならないこと、祖母に謝りたいことばかりです。 でも、当時の自分の余裕のなさや視野の狭さや生真面目ぶり、何に対しても一生懸命な姿勢は、今の私には眩しく、自分のことながら、愛おしくも感じられます。 とにかく、ひととおりの買い物を済ませて気が済んだ祖母を、私は航空会社のラウンジに連れていきました。 そこならば、仮眠スペースがあるので祖母を休ませることができますし、私もしばしひとりの時間を持てます。 何より、出発ロビーへいちばんいいタイミングで移動できるよう、スタッフさんが知らせてくれるので安心なのです。 祖母が横になってくつろいでいるあいだ、私もラウンジで飲み物と軽食をいただきました。 日本の航空会社なので、ラウンジ内の食事は、イギリスでも日本のバイキング風。 しばらくぶりに口にしたビーフカレーが、とてつもなく美味しかったです。 ただ、ゆったり過ごすというわけにはいきませんでした。 ラウンジには、私ともう1グループしかいなかったのですが、その1グループというのが、超有名バンドのメンバーさんたち! 今でも現役でいらっしゃるので名前を出すことはできませんが、プライベートでも華やかに装い、とても楽しそうに歓談されていました。 一方の私はといえば、祖母が仮眠室に行ってしまって、ラウンジに場違いな若い地味女がぽつーん、という状態。 居心地が、悪い! あちらのほうも、「お願いですから気にしないでください私は別の世界に生きています」という必死のオーラを放つ女に声をかけるわけにもいかず、かわりばんこにチラチラと視線を飛ばしてくるだけ。 それがいたたまれなさに拍車をかけて、なかなかの苦行タイムでした。 今ならば、スマホに集中するという手がありますが、当時はそんなものはなく。持参の本を読むには、ラウンジのムーディーな照明はあまり向いていませんでした。 小一時間の後、 「まだ十分に余裕はありますが、そろそろゆっくりお支度を始めていただいたほうが」 とスタッフの方が声をかけてくださったとき、心底安堵したものです。 祖母のほうはもう少し寝ていたかったようで、仮眠室から出てきても、まだポヤンとしていました。 それでも、「飛行機で行くより、ここでお手洗いに行ったほうがいいわね」と冴えた発言をして、ラウンジ内のトイレへ。 勿論、私もついていきます。 用を足した後、祖母は手を洗い、鏡に向かって、白粉をはたき、口紅を塗り直しました。 「ちゃんとしてるね~」 私は感心して、ついそう言いました。 「ちゃんとって?」 「旅行中、毎朝ちゃんとお化粧して髪の毛もセットして、そんで今みたいに、トイレに行くたびにお化粧直してたでしょ。前にも言ったけど、改めて凄いなって。私はそういうの、やっぱり無理だと思うわ」 私の言葉に、祖母は顔をしかめつつ、ペーパータオルを1枚取って、唇に挟みました。余分な口紅をそうやって拭き取ってから、彼女は鏡越しに私を見て、とてもシンプルな一言を口にしました。 「必要がないと思うんなら、せんでよろし」 「そうなの? だってちょっと前に、自信を持てとか、オシャレとかお化粧もしなさいとか、言ってたやん!」 意外なコメントに、私は目を白黒させて抗議しました。 あんなにいいことを言っておいて、もう忘れちゃったのかよ~という、祖母に対する失望が大いにあったのです。 でも祖母は、真顔で続けました。 「私がお化粧をするのは、いつも綺麗でいたいからよ。みすぼらしいお婆さんと思われるより、なんて綺麗なお婆さんだろうって思われたほうが、気持ちがいいでしょう」 そりゃそうだ。 「いつも最高の自分を他人様に見てもらいたいから、こうしてお化粧を直すの。だって、いつどこで誰に会うかわからないでしょう。運命の出会いを、後悔するような姿で果たしたくないわね」 うおおー。目に見えない刃がグサグサと我が身に刺さるのを感じつつ、私は祖母の抜けるように白い肌と、赤い赤い口紅を、やはり鏡越しに見ていました。 「あんたは賢いし、英語もペラペラに喋れる。お医者さんになって、男の人とも対等に渡りあえるでしょう。自信を持つには十分よ。お化粧もオシャレもしたくない、というんなら、しなくてよろしいわ」 「えええ……!?」 「あんたは決して美人ではないけれど見られない顔ではないんだし、そもそも男の人はお化粧なんかしないんだから、素顔が見苦しいなんてことはないのよ」 祖母はそこで言葉を切って、「でもねえ」と、振り返り、今度は直に私を見て言いました。 「前にも言ったけど、あんたに足りないのは、自信です。見ていたら、自信がないだけじゃなくて、自分の値打ちを低く見積もってるわね」 ウッ。 思ってもいない方向から刺し貫かれた思いでしたが、言われてみれば、それは確かに、私の小ずるい行動原理のようなものでした。 私自身が気づいていなかったそれを、祖母は見事なまでに言葉で指摘してみせたのです。 「謙虚と卑下は違うものなの。自信がないから、自分のことをつまらないものみたいに言って、相手に見くびってもらって楽をしようとするのはやめなさい。それは卑下。とてもみっともないものよ」 待って待ってお祖母ちゃん。 私のライフは一瞬でゼロどころかマイナスよ。 この旅の間、若い私が傲慢にも「お世話してあげている」と思っていた祖母は、とてつもなく冷徹に私を観察し続けていたようです。 突然後頭部を全力で殴られたような気持ちで、私は早くも半泣きでした。 でも祖母は、これが最後のチャンスだと思ったのか、攻撃の手を緩めてはくれませんでした。 「いつも、そのときの自分の最高で、他人様のお相手をしなさいよ。オシャレもお化粧も、そのために必要だと思ったらしなさい。胸を張って堂々と、でも相手のことも尊敬してお相手をする。それが謙虚です」 祖母はそう言って、口紅を私に差し出しました。 「塗ってごらん。背筋がシャンと伸びるから」 いや、そんな赤い口紅無理無理。 なんてことは言わせない迫力が、そのときの祖母にはありました。 私は祖母の手からそっと口紅を受け取って、鏡に向かって自分の唇に塗ってみました。 黒い容器は、私ですら知っているシャネル。 唇に塗ると、けっこう強い匂いがして、吸い込む空気が石鹸みたいな味になりました。 そして、鏡の中の私は……。 オバケのQ太郎。それ以上でもそれ以下でもありません。 あははは、これは無理だよ。 泣き笑いでそう言いながらも、何だか少しだけ、強くなれた気がしました。 祖母は、私が返した口紅をハンドバッグにしまいながら、澄ました顔で、「そのうち、似合う顔になります」と断言しました。 残念ながら、祖母の予言は未だ当たっていません。 あんなに赤い口紅が似合う顔には、未だになれていないようです。 でもあれから、私はオシャレにちょっぴり興味を持ち、お化粧も人前に出るときには軽くするようになりました。 どちらも仕方なくではなく、他人様にお会いするときに、気持ちのいい自分でいられるように、楽しんでやっています。 たぶんあのときの祖母の言葉がなければ、「スッピンはみっともないから」とか「それが礼儀・常識だから」なんてつまらない考えで、当たり障りのないよそ行きの服を買い、渋々化粧道具を揃えていたことでしょう。 正直言って、こんなに素敵なアドバイスを貰っていたことを、私はこのエッセイを書くまでコロッと忘れていました。 でも、あのときの衝撃は、どんな長いお説教よりも激しく、私の卑屈な性根を叩き直してくれたようです。 以来、少しずつではありますが、私は「祖母が認めてくれた私」をみずからもまた認められるようになりました。 いつか、祖母のような姫……には逆立ちしてもなれないと思いますが、あんな風に誇り高く生きてみたいものだ、と願います。 この長い長い旅の記録は、これでおしまいです。 帰りの飛行機、祖母はたまに起きて何か飲んで、一口二口つまむくらいで、あとはずっと眠り続けていました。 私は道中は一睡もできず、関空に出迎えに来てくれていた伯父たちに祖母を託し、両親と自宅に帰ってから、ぷつりと糸が切れたように寝こんだ記憶があります。 祖母の晩年は、多くの認知症の患者さんがそうであるように、怒りと混乱と悲しみの日々でした。 母たちの苦労もさることながら、自分が自分でなくなっていく過程は、プライドの高い、美意識の塊のようだった祖母にとって、どれほどつらかっただろう、と思います。 私が晩年の祖母にあまり会おうとしなかったのは、共に旅をしたときの祖母の姿だけを、ずっと記憶に留めていたかったからかもしれません。 祖母ならば、衰えた自分を見てほしくないと願うのではないか……という思いもありました。 今でも正直、最晩年の祖母と疎遠になったことを反省する気持ちと、それでよかったのだと思う気持ちがごちゃ混ぜのままで胸の中にあります。 でも。 この世で私だけが知っている、ロンドンで本物の姫さながらに過ごした祖母の姿は、そうした最後の暗い日々を隅々まで照らすほど、明るく、眩しく、朗らかに輝き続けています。 一緒に旅ができてよかった。 ううん、一緒に旅をさせてもらえて光栄でした。 本来なら、いつの日か私と一緒に消え去るはずだったささやかな記憶を、こうして綴ることで色んな方と共有できたのも、なんだか不思議で、とても嬉しい経験でした。 読者の方から「自分の祖父母を思い出しました」とか、「急に会いたくなりました」とか、本当に嬉しいコメントをいただき、私の胸もじんわりと温まりました。 読んでくださった方に心から感謝して、記憶の箱に、再び静かに蓋をしようと思います。 またね、お祖母ちゃん。

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ステキユーザー 2022/10/05 03:46

いつも、その時の自分の最高で人と接する.....自分を卑下するでなく自信を持って話せるよう、そんな風になりたいと思いました。素敵なお祖母様との旅の話、ありがとうございました。