国葬当日はフジ「めざまし8」に出演 語ったことは従来の繰り返し、プロセスの重要性だ(立岩陽一郎)
立岩陽一郎【ファクトチェック・ニッポン!】
「国葬評価せず」朝日59%・読売54%、“終わってもよかったと思わない!”国民が過半数超
9月26日の昼前、国葬の前日にフジテレビ系の「めざまし8」の担当者から電話が入った。翌日の番組に出演してほしいとの話だった。私は木曜日の出演なので緊急出演ということになる。
当日の火曜日は、三浦瑠麗さんが総合解説、元栄太一郎さんがコメンテーターということで、世間的には安倍元首相に近いと見られている識者だ。あえて詮索はしなかったが、元首相に批判的な私を出すことで番組のバランスを考えたのだろう。趣旨を理解して急きょ、上京となった。
ただ当日、私が番組で語ったことは、小欄で書いていることの繰り返しだった。それは、プロセスの重要さだ。日刊ゲンダイの読者は納得しないだろうが、私は安倍氏の国葬だから反対という考えではない。安倍氏を批判する人は国葬を認めないし、反対に安倍氏を支持する人は賛成する。
私が首相としての安倍氏に対して高く評価していないことは小論でも書いてきた。岸田首相は国葬で、安倍氏によって「我が国の安全は一層保てるようになった」「歴史は(政権の)長さよりも、達成した事績によって記憶する」と述べたが、私は同意しない。それでも、同意する人がいることも事実だ。だから、プロセスが大事になる。
そもそも民主主義とは、得られる結果を評価する言葉ではなく、プロセスの重要性を指す言葉だ。決定への人々の参加、それが民主主義だ。それをするのが国会だ。選挙で選ばれた代表が、有権者の負託に応えて決定に参加する。
自公が過半数だから国会決議の結果は同じだと言う人はいる。繰り返すが、民主主義とは結果ではなく、プロセスだ。良い政治といった抽象論を語っているわけではない。もちろん、憲法に違反するような議決は認められない。あくまで憲法の枠内で、国会の決議をもって物事を進めるべきだ。
国葬を支持する人で法的に問題ないと主張する人は多い。しかしそもそも、国葬に関する明確な法律があるわけではない。それは、国葬を是とするための理屈にしか思えない。
今回は弔問外交が話題となった。それは岸田政権にとっては苦肉の策だろう。平たく言えば「硬いこと言うな、外交の役に立っている」ということか。同時に、G7の首脳が一人として来なかったこともニュースで取り上げられている。それは安倍元首相との関係で語られるケースが多いが、私は正直、違和感を覚える。外交はそこまでナイーブではない。G7首脳が来日するか、しないかの判断は、安倍氏への思いではなく、あくまで日本に来る意味があるか、ないかだろう。この時期に他の何かを差し置いて日本に首脳が行く意味があるのか? それだけだ。ハリス米副大統領が訪日の後に朝鮮半島の非武装地帯に向かったという事実が、それを物語っている。外交経験の浅い副大統領に東アジアを知ってもらう意味があるとの判断だろう。
「のど元過ぎれば」ではなく、国会で検証と国葬のための規則作りをするべきだ。併せて、国葬の遠因となった旧統一教会についても国会で検証する。当然のことだ。
(立岩陽一郎/ジャーナリスト)