[4b-30] 猫の上のネゴ
トウカグラの街は半壊状態だが、その壊れ方……もとい、壊し方は非常に計画的だった。
街を囲う堅牢な街壁(ウィズダム商会が技術力を誇示するデモンストレーションとして、過剰なまでに最新技術とデザイン性を詰め込んだものだ)は、ほぼ無傷。
壁上では銀色の骨格標本みたいなゴーレムたちが、本来は魔物対策である防衛兵器の操座に着いている。もし強硬手段を取れば全ての最新技術が火を噴くのだろう。
今のところ、そうなってはいなかったが。
「はいはい、皆さん! 焦らず順番に進んで下さいねー。
あちら、警察の方がお迎えに出ておりますのでね、はい」
街門からは憔悴した様子の人々が吐き出されていく。
まだ恐怖に怯えている者もあり、何が起きているかまだ分かっていないという様子の者もあり。
ジャレーに助けられた人々が、ここで解放されているのだ。
巨大植物の蔦に巻き取られていた彼らは、腹部や背中などから出血が見られる。どうも、牙のように鋭い棘を突き立てられ、そこから血を吸われていたらしい。
それはほとんどの人にとって問題無いレベルの出血だったが、身体の弱い者や老人などは、門を出るなり倒れてしまう者もあった。
「こちら、
吸血痕を治療し、血と体力を補います。一人一本ずつお取りくださーい」
門前では、興行師らしい派手な燕尾服を着て、交通整理をするエルフが居た。
彼は机に並べたポーションを配っていたが、受け取る人は半分ほど。何が入っているやも知れぬと警戒しているのだ。
「ポーションを受け取らなかった方の治療はそちらでお願いしますよ」
「手配しましょう。おそらく軍に取り次ぐ形になりますが……」
アドルフ・ノーマンは、門前でエルフと話し続けていた。
アドルフは共和国警察の『交渉人』である。人質立てこもり事件などで、犯人との交渉を担当し、穏便に投降させることが役目だ。そうして彼は、過去八つの事件を解決に導いた。
……とは言え、『交渉人』それ自体がまだ実験的段階にある構想で、アドルフという天才の技術は果たして一般化可能なのか、それは警察が手札にするほど価値があるのか、未だ暗中模索の段階ではあった。
此度、シエル=テイラ亡国は、いかにも高額の身代金が取れそうな金持ちを集めていた。と言うか彼らの方から餌に釣られて集まったと言うべきなのだが、ともあれ、そんな有様なので、人質事件への発展を警戒し、備えとしてアドルフも待機していたのだ。
結果として事件は斜め上に展開し、当初の想定とは別の形でアドルフの出番が来た。
犯行グループからの要求は、特になし。
しかし対話の窓口があるならば、そこが解決の端緒になる。
差し当たっては、解放者の送り出しを担当している門前のエルフ。『ジャスミン・レイ一行』は人数が少なく、今宵の余興とやらもほとんどゴーレムによって動かしている状態だ。このエルフも決して、命令されて従うだけの雑兵ではあり得ない。
「アフターケアも万全ですね」
「それはもう。無益な殺生は
交渉は、相手との信頼関係を築くことから始まる。
それが上っ面のものであれ、和気藹々と雑談をするところから始まるのだ。
……アドルフはこれまでもそうやってきた。少なくとも端緒は掴んだ。だが、その先が無い。
「これは批判でなく、私の個人的興味による質問として聞いていただきたいのですが……
殺さずに傷付けるのは平気、という事で?」
「うーん、別にそれが良い事とは言いませんよ」
なるべく反発させぬよう、軽く友人に語るように問うたアドルフに、エルフの男は真面目くさった調子で渋面を作った。
「だとしても仕事です。
気の進まない仕事でも、その必要性を理解し、完璧に遂行する。
それが
「お互い下っ端は辛いもんですな」
「いや全く」
共感は、人の心という砦を崩す破城鎚だ。だが、全く手応えを感じない。
自分の手管が何もかも対策されている。
そんな不気味さをアドルフは感じていた。
――堅牢だ。雑談には応じるけれどラインを引いてる。自分個人の話をしない。
『対・交渉』の教育でも受けてるってのか?
まるで……己らは棍棒の有用性を知った猿でしかなく、ミスリルを打ち鍛えて剣と鎧を作った騎士に、無謀にも殴りかかっているのではないかという……自分自身の技量を知っているアドルフだからこそ理解できる、それは恐怖だった。
エルフの男は、真っ黒な角砂糖みたいな奇妙な物体をティーカップに入れ、水筒の水を注いだ。
たちまちそれはコーヒーとなる。未知の技術だった。
「コーヒーいかがです?
……ああ、共和国では冷たいお茶を飲まないんでしたっけ。必要なら魔法で温めますよ」
「お気持ちのみ頂戴します。
職務中に外部からの差し入れは受け取れない規定でしてね」
「それは残念」
アドルフが断ると、エルフの男は自分でコーヒーを一口飲んで、冗談めかしてウインクした。
「毒は入っていませんよ」
「あっはははは!」
アドルフは笑った。
おかしみよりも恐ろしさを感じながら。
このエルフが、本来どういう性格なのか、まだよく見えない。
「エルフもコーヒーを飲みますか」
「郷に入ってはなんとやら。
我々も森に居た頃は、徹夜で儀式をするために、眠気覚ましの薬草茶なんか作ってましたよ。
でも共和国では手に入りませんし、コーヒーは間違い無く薬草茶より美味しい」
「徹夜はキツいなあ。二十代の頃は平気でやってたんですが……」
「タイムテーブル、見ます?」
余りにも何気なく言われて、アドルフの心臓が弾んだ。
エルフは実に気軽に、何かが印刷された紙を渡してきた。
パーティーの開場時間、余興の開始時間、後援者を募るチェックポイント等々が、一列に並べて書かれていた。
そして終了予定時間は、およそ一時間後。
時間だけではなく進行に関するメモ書きもされていて、警察や軍の突入、あるいはジャレーが死んだ場合などは、予定を切り上げてあらためて指示があるとのことだった。
「こういうのは長すぎても客が飽きるんで、締まったスケジュールにしていくという方針だそうです」
印刷物を手にしてアドルフは唖然としていた。
重要な情報を得たが、自分が引き出した譲歩だとは考えなかった。
おそらくこれは最初から、警察側に渡すべき情報か、あるいは渡しても構わない情報か。そのつもりでやっているのだろう。
「……ジャレー・ウィズダムが失敗した場合、捕まっている人々はどうなるのか……
それは説明されていないし、ここにも書いてありませんね?」
拙速な質問と思いつつ、アドルフは思わずそう聞いた。
「それハッキリ言っちゃったら、皆さんドキドキしてくれないじゃないですか。
だから救助対象の扱いに関しては最後まで明言しないわけです」
役所の広報と同じ口調で、そのエルフは愉快犯みたいなことを言った。
* * *
入り乱れ絡み合う蔦の合間を縫って、おぞましき血閃が迸る。
視界不良ながら、その射撃は地下室内の全てを把握しているかのように正確だった。気配と予測で回避するしかない。
加えて、血閃を回避した隙を突くように、高所から矢が飛んでくる。
マドリャとスティーブは、這い回る虫のように逃げ惑った。
もちろん、やられる一方ではない。
蔦の影に逃げ隠れしながら、スティーブがカードを投じる。するとそれはたちまち、炎や雷の魔法弾となり、血閃を放つ花を焼き潰した。
さらに。
びょう、と恐ろしいほどの唸りを上げて、回転しながら
蔦から蔦へと跳躍したエルフの着地点を正確に狙い、マドリャが投じたものだ。
そのまま斧がエルフの細い身体をへし折る……かと思われたが、エルフの戦士はさっと横合いに手を伸ばす。
その手から細い蔦が急成長して伸び飛んで、別の蔦に絡み付き、跳躍の軌跡を変えた。
トマホークは壊れた天井を穿ち、小石と共に降ってきた。
マドリャは収納アイテムを利用したホルダーを用意していたのだ。
防具を留めるベルトにはポーチ状の収納が鈴生りになっていて、そこにはトマホークが収めてある。
接近し、射線が通る場所で一撃を狙う。エルフの弓のように鋭く狙うことも連射もできないが、当たれば一撃必殺だ。
エルフの動きが、遮蔽物を意識したものになった。
当たらずとも警戒させればそれで事足りる。
高所に陣取っているエルフの戦士を動きにくくさせれば、その間にスティーブが動けるのだ。
「札の残りは?」
「六割あります。充分ですね」
「やりなさい」
再び背中合わせになった一瞬。
二人は言葉を交わし、スティーブは頷く。
「起爆」
スティーブが起爆用の札を破り捨てると、巨大植物のものとは違う、炎の花が咲き乱れた。
カードによる魔法攻撃と、マドリャによる攻撃を目眩ましに、スティーブが仕掛けていたもの。
巨大な蔦をぐるりと囲むように貼り付けられた
複雑に絡み合っていた大蔦が、二人のすぐ近くで二本同時に断ち切られ、その断面から赤黒い液体を大量にぶちまけながら、張力に引かれて吹き飛んでいった。
おそらくこれは血なのだろう。二人は頭から血の雨を被り、足下には大きな血溜まりができた。
「なに?」
小さく、驚きの声が降ってきた。
ここでまず植物の方から狙うとは思っていなかったか、それとも単純に意表を突けたか。
「……そのつもりか。なら……」
ぴちゃり、と。
水面に小石が落ちるような音だけを立てて、エルフの戦士は血溜まりの中に飛び降りた。
――降りてきたか!
マドリャからはまだ、大蔦一本隔てた場所。
だが距離としては、一足飛び込めば斧で切り裂けるような至近だ。
「ここで殺す」
男の目に冷たい戦意が光った。
途端。新たに生えてきた蔦が固く結び合って、部屋の入り口を封じた。
これまで律儀にも入り口は開けてあって、マドリャとスティーブは逃げようと思えばいくらでも逃げ出せたのだ。
戦いの前に彼が言った通り、パーティー会場に戻るなら良し、それなら今からでも本当に客として遇するつもりだったのだろう。
それもここまで。彼は二人を、確実に始末しなければならない敵と認識した。逃がしたところで心は折れぬ、態勢を整えて戻って来るだけだと。
ザザザ、と。細波のような音が重なり合って響く。
巨大植物の全体に、葉が茂っていた。みるみるうちに葉が育ち、大人の手ほどもあるような、立派で艶やかなものとなり……散る。
葉が散る。
また散る。
瑞々しい緑色のまま散った無数の落ち葉が、宙に舞った。
「広さは!?」
嵐の如く舞う落ち葉の『葉擦れ』が騒々しい中で、スティーブは声を上げる。
「充分。あっちこっち崩落してるから、タネも充分」
マドリャは歯茎を見せて獰猛な笑い方をしていた。
破られて崩落した『金庫室』の天井や、剥離した壁……そうして生まれた瓦礫が無数の蔦の間に、あるいは下に、転がっている。
それらが、かたり、と動いた。
磁石に引かれる砂鉄のように、瓦礫たちが勝手に動いて、集まり始めた。
大蔦を爆破して生まれた空間に……
その中に立つ、マドリャの所に。
浮かび上がり、渦巻き、オーガすら挽肉に変える暴力の嵐として。
「……【
瓦礫の竜巻が生み出され、マドリャの刃を纏った。