渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

『井戸の茶碗』(五代目 古今亭志ん生)

2020年06月03日 | open

5代目古今亭志ん生『井戸の茶碗』-rakugo-


はしょりバージョンだが、この高座の
志ん生の「井戸の茶碗」が古今東西
最高だ。
これが武士。これが侍。
だが、武士の真正直で一直線な心根が
いろいろと行き違いを起こす。

稀代の名人五代目古今亭志ん生は
本名美濃部といい、江戸幕府の槍術
指南番の家柄だった。
維新後、家は零落し苦労をしたようで、
幼いころから丁稚に出されたりして
いた。

破天荒を絵にかいたような人生だった
が、晩年は脳梗塞で倒れた影響もあり、
呂律がよく回っていなかった。
この昭和30年代初期の「井戸の茶碗」
でもやや語りにその障がいはみられ
るし、途中で金額計算を間違ったりも
している。
だが、この高座の「井戸の茶碗」が
最高だ。
ここまで登場人物のキャラクタを明確
に演じている余人の落語は聞いたことが
ない。
特に、息子の古今亭志ん朝の『井戸の
茶碗』などは最悪で、浪人千代田卜斎
の性格を「懇願する」ように演じてし
まい、浪々の身となれども高潔さを
失わない武士の心を消失させるような
そんな演じ方をしており、あれはいけ
ない。


※ この高座の「井戸の茶碗」において
志ん生が「にしんにしている」と聞こ
えるように言っているのは、これ

「身、貧にしている=生活に困って

いる」という意味の表現を正調江戸弁
言っている。
現代ではなかなか通じない為か、息子
の志ん朝においても、別表現に言い換え
いる。

※ 「天保」とは天保百文銭のこと。
4000文が1両となる。1両は現在レート
で化政文化期に約12万円。幕末には
約3万円。1文は30円。二八蕎麦が
16文だとすると、かけそば1杯が480円
となり、現在の立ち食い蕎麦とそう
変わらない。ちなみに新作刀は15両が
平均的相場であり、現在価格にすると
180万円となる。こちらもあまり現在
とは変わらない。中には50両もする
刀もあったりして、それは前述の600
万円となり、これまた現代新作刀の
最高金額とほぼ同額となる。
幕末期を描いた司馬遼太郎の小説
『新選組血風録』では、京都の刀屋
が沖田総司に進呈した御番鍛冶の
鎌倉古刀を近藤が世間の体面上
「買い受けるゆえ値を申せ」と刀屋
を屯所に呼びつけて申し渡すシーン
がある。
そこで刀屋は「されば一万両」と
言う。幕末は1両が約3万円。1万両
は現在の3億円に相当する。
「な!」と近藤と土方は気色ばむが、
現在国宝の日本刀が1口5億円で取引
されているので、1口3億円の刀は
非現実的で荒唐無稽な文学表現とは
ならない。
刀屋は「てまえは沖田様のお人柄
に惹かれて心置きなくお使いくだ
さいと申したまで。お売りするする
つもりはございません」と斬られる
ことを覚悟で近藤と土方に言上する。
あきんどにしては大した覚悟と、
近藤と土方は感心するというくだり。


※ 「セイショウコウ」とは、現在の
東京都港区白金の明治学院大学付近の
清正公のことで、加藤清正の位牌が
置かれている覚林寺のこと。
『井戸の茶碗』に出てくる細川家
中屋敷の武家長屋も、明学大のすぐ
そばにあった。現住所は港区高輪西台町
1番地。
細川家とは肥後国54万石細川
越中守家のことであり、昭和時代に
内閣総理大臣を務めた細川護熙氏の家
のことである。

肥後細川家の武家屋敷長屋。ベアト
撮影。まさにこの建物と道端において
細川藩士高木とくず屋の清兵衛の
やりとりがなされた。この格子窓の
二階からザルかごを紐に着けて道に
下ろし、仏像をカゴに入れて引き上げ
て格子から部屋に入れたことになる。


この細川家中屋敷の侍長屋の実物写真
を見ると、落語『井戸の茶碗』で出て
くる仏像はかなり小ぶりな仏像の設定
であったことがわかる。観音像のよう
な物であったか、大仏さんのような
座像であったかは志ん生の落語では
不明だ。
50両となると切り餅2個が仏像の中に
入っていたのであろう。
時代劇で一番多く舞台設定とされる
化政文化期とすれば1両約12万円計算
で600万円程に該当する。細川の殿様
が茶碗を召し上げて下しおかれた金子
は300両。落語の井戸の茶碗は3,600万円
ということになる。
現在、実在する細川家の井戸の茶碗は
重要文化財であり、3,600万円でも買え
ない。第一市場には出ない。
ただし、重要文化財の細川の井戸の茶碗
は、戦国時代末期に細川三斎が所有し、
後に仙台伊達家、江戸の豪商冬木喜平次、
松平不昧が歴代の所持者で、現在は畠山
記念館が所蔵している。
落語『井戸の茶碗』は江戸期すでに
こうした数奇な来歴のある細川と銘
された名器の井戸茶碗をモデルにして
いることは容易に想像できるが、江戸期
の演目であるとすると、武家文化や歴史
に精通した人物が原作を書いたと思われ
る。教養なくばこの噺は作れない。火炎
太鼓や饅頭怖いや時蕎麦とはかなり違う
噺となっている。かなりできる仕掛人
たるライターが江戸期に書いたことに
なる。(登場が江戸期であるならば)
演目の登場が明治以降であるとすると、
これはもう民間においても知性涵養の
時代であるので、文学はじめ文芸等は
大いに隆盛をみているので、裾野は
広がっている。それでも名作を書ける
人間はそうそういない。

重要文化財。茶碗「大井戸 細川」。
「天下三井戸」のうちの一つである。


国宝。「大井戸 喜左衛門」。李朝。

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