トップバッターであるサンドイッチがこのボリューム。 ならば、スコーンとケーキも、そんなに可愛らしいことにはならないのでは……? そんな私の不吉な予想は、数十分後に適中しました。 みんながサンドイッチを十分に堪能した頃、ウェイターたちが大きなバスケットと銀のトングを持って、再びテーブルを巡り始めます。 しばらく待つうちに、私たちのテーブルにも、担当のウェイター氏が快活な笑顔で戻ってきました。 「さあ、焼きたてのスコーンをお持ち致しましたよ!」 軽く身を屈めてバスケットを低い位置に保ち、恭しく保温用の布を取りのけて見せてくれたスコーンは、むくむくに膨らんで中央がぱっくり割れ、表面は淡いきつね色に焼けた、円筒形の正統派。 粉とバターの素朴な香りが、ふわっと鼻をくすぐります。 間違いなく、美味しい。 香りと見た目だけでそう確信できる、素晴らしい焼け具合です。 これ。これだよ。イギリスに来て食べたい本場のスコーンは、まさにこういうのなんだよ! 普段なら、そう言って歓喜したことでしょう。 しかし、その瞬間の私のテンションときたら、人生指折りの低さでした。 もう、喜びよりも絶望が少しだけ勝っていたと言っても過言ではありません。 だって、ただごとでなく大きいんですもの。 一つ一つが、手のひらより一回り大きな見事なサイズなのです。 御座候より、確実にでかい。 思わず、地元の回転焼きと大きさを比較してしまい、私の絶望はさらに深くなりました。 祖母も、そわっとした眼差しを私に向けてきます。 だからー! だから止めようとしたんですよ、サンドイッチのおかわりを。 後悔先に立たずとは、まさにこのことです。 しかも、スコーンにはプレーン、全粒粉、レーズン入りと3種類あって、それを丁寧に説明してから、ウェイター氏、「まずは、お1つずつどうぞ」とまさかの発言です。 無理ですってば。 そんなことをしたら、胃袋がはち切れて、死んじゃうから。 たとえ空腹時でも、このスコーンを3個平らげるのはかなり難しいでしょう。 さっきまで、「アフタヌーン・ティーというのは、とっても優雅なものねえ」などと言いつつ音楽に耳を傾け、美味しそうに紅茶を啜っていた祖母も、ようやく「今そこにある危機」を実感したらしく、真顔でこんなことを言い出しました。 「ねえ、パンの次に、パンのようなものが来るって、コースとしてはおかしいんじゃないかしら」 祖母とはあまり意見が合わない私ですが、今に限っては完全同意です。 しかもその「パンのようなもの」は、実際はパンより遥かにパサパサしていて、大量のお茶と同時に摂取しなくてはなりません。 サンドイッチで早くも六割ほど満たされた胃袋を追い詰めるのに、あまりにも最適な食べ物、それがスコーン。 幸い、祖母は高齢であるため、ウェイター氏も強くは勧めず、少し残念そうな面持ちではあるものの、祖母が指さしたレーズン入りのスコーンを1つだけ、お皿に置いてくれました。 しかし、若い私にそんな弱腰は許されず。 静かな、にこやかな、されどタフな交渉の末、私が勝ち取れたのは、スコーン3つを2つに減らしてもらう温情だけでした。 それも、「召し上がれそうでしたら、すぐまたお持ち致しますからね」という念押しつきで。 ウェイター氏が次のテーブルへと移動したあと、私のお皿の上には、銀のトングでうやうやしくサービスされたレーズン入りと、全粒粉のスコーンが残されました。 ウェイター氏、特にお勧めの2種です。 もう、こうなったら食べるしかありません。 しかも、まだ温かくて美味しいうちに! ときにスコーンはそのまま食してもよいですが、真ん中の割れた辺りで上下二つに分け、断面にジャムとクロテッドクリームをどっさり載せて食べるのが一般的です。 そう、どっさりがキーワード。 日本で供されるアフタヌーン・ティーでもっとも不満なのは、ここかもしれません。 スコーンが驚くほど小振りなのはまあいいとして、クロテッドクリームもジャムも、ほんのちょっぴり。 なんなんでしょう、あのけちくさい量は。 いいか、ジャムもクロテッドクリームも、「塗る」もんじゃねえんだ、「載せる」もんなんだよ! それぞれ5倍量持ってこーい! いつも心の中で怒りながら食べている私ですが、このときのスコーンには、小瓶入りの色々なフレーバーのジャムと、小さなお茶碗くらいの容器に山盛りのクロテッドクリームが添えられていました。 さすが本場、言うことなしです。 ジャムが先かクリームが先かについては地域差があり、個人の好みもあり、常にティータイムの議題のひとつですが、私はジャムが先派です。 まずは、苺ジャムか、ブラックカラントジャムをたっぷり。 その上にクロテッドクリームをこんもり、夏の入道雲のように載せて、大きな口で齧り付く。 まずは祖母のスコーンを割り、好みを聞いて苺ジャムとクロテッドクリームを載せ、さあどうぞ、と薦めると、祖母はようやく再びの笑顔に戻りました。 「これが本場のスコーンなのね。博物館で食べたときは、バターしかついていなかったわよ」 「ああ、ああいうところではそうやね。自宅で食べるときも、ちょっと温めて、バターだけつけて食べてたよ、私」 「あら、そうなの」 そんな会話をしながら、祖母はいそいそとワンピースの襟元を直し、髪を片手で軽く撫でつけ、そして気取った手つきでスコーンを顎の下くらいまで持ち上げました。 背筋が、不自然なまでにピーンと伸びているのを見て、私は察しました。 記念撮影ターイム! 3段トレイと共に写真におさまるのは無理でしたが、ジャムとクリームつきのスコーンを手にパチリ、というのは、いかにも英国! という感じだし、実にフォトジェニック。 当時はそんな言葉は存在していませんでしたが、いかにも「バエる」構図です。 祖母、帰国してからお友達に、「焼きたてのスコーンをいただきました!」という自慢をすることにしたようです。 いいねいいね、それでいこう。 「じゃ、撮るね」 私がデジタルカメラを構えると、祖母は威厳たっぷりの笑みを浮かべて、でも注文をつけてきました。 「背景はちゃんと綺麗かしら?」 「……金色の何かと、謎の柱っぽいものと、ゴージャスな壁紙が見えます」 「よろしい。じゃあ、念のため、3枚ほど撮っておいてちょうだい」 「かしこまりました~。じゃ、いきまーす」 ご機嫌の祖母をパシャパシャと撮影していたら、スコーンを配る手をわざわざ休め、ウェイター氏がシュッと滑るように戻ってきたではありませんか。 「お写真でしたら、お申し付けください。さ、ご一緒にお撮り致しましょう!」 忙しい中、細やかな心遣いは嬉しいですが、私、あまり写真を撮られるのが得意ではなくて。 今は、人前に出るお仕事が増えたせいで少しだけ慣れましたが、当時はカメラを向けられただけで顔どころか全身が強張ってしまい、どうにも駄目だったのです。 己のルックスに対する劣等感がもたらす自意識過剰という奴であり、過去に写真撮影で幾度か嫌な思いをしたこともあり、極力、撮られることを避けていた時代でした。 ですが、断ろうとした私に、ウェイター氏はやんわりきっぱり、「1枚だけでも。当ホテルを記憶に留めていただくよすがに」と言いつつ、視線で「あなたもスコーンを持って一緒に」と促してきます。 祖母もまた、「せっかくなんだから撮っていただきなさい」と言ったあと、真顔でこう付け加えました。 「いつ、遺影が必要になるかわからないんだから」 おいおい。 優雅なアフタヌーン・ティーの真っ最中に、どんな切り口で説得してくるねんな。 っていうか、スコーンを持って笑ってる遺影ってどないやの。 食いしん坊万歳すぎん……? ビックリして、「えっ、お祖母ちゃんの!?」と問い返してしまった私も私ですが、「何言ってるの、あんたのですよ!」と言い返してきた祖母も祖母だと思います。 しかしまあ、このくだらないやり取りのおかげで少しだけ緊張が解れ、私はしぶしぶではありますが、祖母と同じようにスコーンを持ち、ギギギ……と音がしそうな不自然な笑顔で、祖母と寄り添って写真を撮ってもらいました。 あの写真は、いったいどこに行ったやら。 私はおそらく、自分の分を現像すらせず、ネガごと祖母に渡してしまったのだろうと思います。 そして、祖母の死後、しゃかりきになって遺品整理に励んでいた母や伯母たちの手で、処分されてしまったんだろうな……。 本当に、惜しいことをしました。 あの頃、「思い出」というものをあまりにも軽視していた自分に、今、改めて腹が立つのですが、こればかりは仕方がないですね。 ある程度、年を経ないとわからないことが、人間にはたくさんあるのです。 何はともあれ、我々は既に敗北を確信しつつ、スコーンとの格闘を開始しました。 一口齧ると、やはり、伝統と信頼のパサパサ! ジャムの水分とクリームの油分、そして唾液が束になっても補い切れない、鉄壁のドライネス! 咀嚼しても咀嚼してもスコーンは口の中で滑らかにはならず、嚥下するにはかなりの量の紅茶が必要です。 スコーン、紅茶、スコーン、紅茶、スコーン、紅茶、胃袋たっぷたぷ。 美味しいけれど厳しいというのは、実に贅沢な悩みです。 ですが、切実な悩みでもあります。 考えてみれば、スコーンは半割にしてジャムとクリームを載せるわけですから、実質、スコーン1つでスイーツ2つを食べることになるわけです。 薄々そうなるのではないかと予想していましたが、祖母は半分食べたところで音を上げました。 「もう、噛むのに疲れたわ」 お腹いっぱいになってしまったと言わないところが、祖母の矜恃なのでしょう。 平たくいえば、意地っ張り、ですね。 そして彼女は、当たり前のように、残り半分のスコーンを私のお皿に移動させました。 「若いんだから、たくさん食べなさい」 出た。年寄りが食べたくないものを押しつけてくるときのお決まりの台詞。 しかし、私もようやく巨大スコーン1つを平らげたところです。 お断りしたい気持ちでいっぱいでしたが、彼女の孫である私もまた、違うベクトルで意地っ張りなのでした。 つまり、自分の皿に置かれたものは、絶対に残したくない。 しかも、いやいやではなく、嬉しく食べ切りたい。 せっかく色々な人の手を経て、最高に美味しい状態で提供されたものを、苦しみながら食べるなど、言語道断。 大食いチャレンジの番組の何が嫌かって、料理人が美味しく作った料理を、挑戦者たちが苦痛に顔を歪めながら苦行のように食べるシーンです。 あれを嫌ったからには、同じことを自分がしてはいけない。 よし。意地でも美味しく食べる。 幸い、時間はたっぷりあります。 お茶も、わんこそばのように入れ換えてもらえます。 「はあ、本場のスコーンは迫力があったわね。でも、美味しかったわ」 喉元過ぎれば何とやらで、そんなことを嘯きながら、ゆったり椅子にもたれて音楽を楽しむ祖母を恨めしく睨みながらも、私は色々なジャムと、濃厚で美味しいクロテッドクリームと、たっぷりの紅茶の力を借りて、どうにかこうにか、スコーンを完食しました。 「おかわりは?」と言いたげなウェイター氏の視線には、ハッキリと首を横に振ってお断りの意を伝えることも忘れませんでした。 でも、戦いはこれで終わりではない。 恐るべきラスボス、ケーキのターンです。 祖母は余裕の微笑みで、「ケーキひとつ分くらいの余裕は残してありますよ」と言い放ちました。 うん、その余裕、私の胃袋を犠牲にしてゲットしたやつね……と思いつつも、もはや突っ込む元気もありません。 そんな我々のもとに、今度は大きな銀のトレイを捧げ持ったウェイター氏がやってきました。 「さあ、フレッシュなケーキですよ! いくつでもどうぞ!」 ヴァー!!! 心の中で、私は絶叫しました。 実際に口から出たのは、「わあ」とかいう可愛い驚きの声ですが。 ピカピカのトレイの上には、色とりどりの美しいケーキが、おそらく十種類ほども並んでいたでしょうか。 チョコレートやピスタチオのケーキ、フルーツタルト、巨大なメレンゲ、パイ、エクレア……どれもとても美味しそうです。 が! またしても。またしても、すべてが大きい。 おそらく、日本のケーキ屋さんで見かけるものの1.5倍か、ものによっては2倍くらいのサイズです。 祖母を見ると、さっきの言葉はどこへやら、「思ってたんと違う」と、顔じゅうで雄弁に訴えてきます。 しかし、「さあ、どれになさいますか!」と誇らしげな笑みで薦めてくるウェイター氏に、「いや、もう要らないです」とはとても言えません。 そんなことを言ったら、間違いなくこの世の終わりみたいな悲しい顔をされる。我々には、そんな確信がありました。 せっかく誇りと共に、作りたてのケーキを持ってきてくれた彼に、残念な思いをさせたくない。 我々もまた、アフタヌーン・ティーを中途でリタイヤするような無様な真似をしたくない。 会話はありませんでしたが、それが私と祖母に共通する強い強い意思でした。 祖母は、ウェイター氏に厳かに告げました。 「いちばん小さくて軽いケーキをちょうだい」 私が通訳すると、ウェイター氏は、「オゥ」と呟きました。 あるいは、祖母が全身から強烈に放っていた「そろそろ限界なのよ」というオーラを感じとったのでしょうか。 「かしこまりました。しばしお待ちを」 彼はいったんバックヤードに引っ込むと、すぐに戻ってきて、祖母のお皿に本当に可愛いサイズの苺のタルトをひとつ、トングで挟んでそっと置きました。 「今日はプライベートパーティのご予約がありまして。そのためにちょうど厨房で作っておりました、フィンガーフードのタルトです。このようなものでは物足りないのではないかと心配ですが、よろしかったら、2つでも3つでもお持ち致しますよ。苺はお好きでしょう?」 なんと、余所様のパーティフードの上前をはねてしまったようです。 しかし、祖母にとっては、指でちょいとつまんで食べられるタルトが、まさに適正なサイズ。 「まあ、気が利くわね」とご満悦の彼女を見ながら、「私もそれを……」と言いたいところでしたが、ウェイター氏、何故か私にはまったく手心を加えてくれません。 「さあ、ヤングレイディ、どれになさいますか? 僕のおすすめはエクレアですが」 「……じゃあ、エクレアで」 ちょっとした菓子パンサイズのエクレアには、つやっつやのチョコレートがたっぷりかかっていて、それはもう美味しそうです。 しかし、ウェイター氏はまだ次のテーブルへ行く気配を見せません。 ケーキ1つなんて、そんな遠慮しないで、という顔で、私の鼻先にトレイを支え持ったまま、次のオーダーをじっと待っています。 チラと他のテーブルを見れば、皆さん、ニコニコしながら、お皿にいくつもケーキを取り、美味しそうに召し上がっているではありませんか。 なるほど、最低数が2つなのか。ならば、挑まねばなるまい! 最後まで美味しく! 食べる! 「じゃあ、レモンパイを」 お馴染みの"Very good!"という言葉と共に、こんがり焼けたメレンゲが美しい大きな大きなレモンパイが、エクレアの隣に置かれました。 これは絶対に美味しい。でも、ひときわでっかい。 別の日に食べたら、きっと今の10倍は美味しく感じるに違いないのに。 そう思ってしまった時点で、いくら美味しく完食しても、これは負け戦です。 それでも、最後までやり遂げたい。 順位など関係無い、とにかく完走するのだ。 マラソンランナーのような心持ちで、私はフォークを手にしました。 うん、美味しい。ちゃんと美味しいぞ。 「パンのあとにパンのようなものが来たと思ったけれど、ジャムとケーキを載せたら、あれはケーキのようなものよね」 一口でぱくりとタルトを平らげ、さあ私はアフタヌーン・ティーを完全攻略しましたよ、という得意顔の祖母は、一口ずつケーキを噛みしめて食べている私に、呑気に話しかけてきます。 「……そうですね」 「そうして、ケーキのようなもののあとに、本物のケーキが来るのね。アフタヌーン・ティーというのは、おかしなものねえ」 「そうですねえ!」 「美しき青きドナウ」が流れる優雅な空間で、我々……いや、私は苦い敗北を噛みしめつつ、それでも不思議なほど大きな達成感を味わっていたのでした……。
「遺影」というパワーワード! ここで爆笑でした しかもご自分のことではなく先生のことだなんて おかしくておかしくて 久しぶりに声を出して笑ってしまいました ところで、本場のスコーンはとても大きいのですね 知りませんでした 何もかもが日本とは比べて倍くらい大きいのでしょうね 確かに人間もイギリスでは大きいですもんね 日本人は小ぶりですね〜 「もっと行けるでしょう」という無言の圧を感じながらスコーンやケーキを選ぶ先生の姿を想像すると、またまた笑ってしまいました 楽しいはずのアフタヌーンティーが地獄の様相をていして、他人事では笑い話になるんですね 今回は本当に笑わせていただきました
毎週、楽しみにしております。今日は自宅で読んでよかったです。声出して笑ってしまいました。電車の中でなくてよかった… エッセイが本になるとお聞きしました。こちらも今から楽しみです!
毎週楽しみにしています。 レモンパイ食べたいな。なぜか最近日本ではレモンパイが見当たらなくて、通販で食べようとするとレモンタルトという名前に変わっていました。 今は無き銀座のジャーマンベーカリーのレモンパイがとても好きだったので羨ましいです! 空腹ならば(笑)
やはり大きい!しかも特大!ドーン! そう来ると思ってはいても、にんまりしてしまいます。 姫様は姫様らしいやり方でデスマッチをすり抜け、従者は真っ向勝負で達成感を味わったのですね。私は夕飯の前に読んだのでお腹が鳴りました。 しばらくは、スコーンを食べるたびにこのお話を思い出しそうです。一人でニヤニヤして怪しまれないようにしなくては! 来週はどんなお話でしょうか?楽しみにしています。