晴耕雨読に猫とめし
自己肯定感の話 ⑬

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「もうお寿司のことは忘れてね?」 「わかってます!」 ムスッとした顔で言い放ちつつも、明らかにまだお寿司への未練を引きずっている祖母。 しかし、アフタヌーン・ティーが楽しみでないわけではないらしく、お買い物ツアーを終え、ホテルのお部屋でひと寝入りしたあとは、私に促されるまでもなく着替え始めました。 この旅最後の華やかなイベントのために祖母が選んだのは、淡い紫色の、柔らかな布地のワンピースでした。 どこかアール・デコ風の、ドラマ「名探偵ポワロ」に登場する女性たちが身につけているような、シンプルなデザインの素敵な服です。 歳を取ったら派手な色合いの服がいい、とはよく言われることですが、祖母はとことん綺麗な色の服が好きで、どんなときも服に負けず、堂々と着こなす人でした。 そして、服に合わせたアクセサリーも、ちゃんと持参していました。 そういうマメさ、見習いたいと思ったものの、未だ真似すらできずにいます。 iPadは必ず鞄に突っ込むくせに、アクセサリーや化粧道具は簡単に忘れて旅に出てしまう私を、祖母は空の上から苦々しく見下ろしているに違いありません。 「たいていの服には、これが合うのよ。たくさんの色が入っているから。旅行にピッタリなの」 そう言って祖母が薄い皮膚の上を滑らせ、節くれだった指に嵌めたのは、繊細なオパールのリングだったのを覚えています。 こんもりした半球型のオパールが、花びらのような細かい細工を施したプラチナの台に固定されていて、花びら部分には小さな小さなダイヤモンドが幾粒か輝いていました。 半透明の、薄めたミルクのようなオパールの中には、なるほど、赤、オレンジ、緑と共に、けぶるような紫の光が封じ込められています。いつまでも見ていたいような美しさ。 「すんごく綺麗やね、欲しいな~」 思わず、半ば冗談、半ば本気でそう言ってみたら、見事にスルーされました。 父方も母方も、祖母というのは、勝手なときだけ地獄耳になったり、耳が遠くなったりする生き物だったような気がします。聴力調整自由自在。 「さあ、お顔を作りましょ」 祖母がすました顔でお化粧をするあいだに、私は祖母の髪をドライヤーでふんわりさせ、赤い口紅を引くのを手伝いました。 それから、自分も愛想のない地味色、もといアースカラーのワンピースに着替え、ほんのお愛想程度のお化粧をします。 「さて、行きますか!」 身支度が整うと、さすがの祖母もいつまでも不機嫌ではいられず、笑顔になって「行きましょう」と立ち上がりました。 扉を開けてみると、なんと部屋の外では、ティムが車椅子を用意して待っていてくれました。 部屋に戻ってきたときの祖母の疲れた顔を見て、気を利かせてくれたに違いありません。 バトラーという職業の洞察力と気配り、本当に頭が下がります。 「あら、下まで行くだけよ。歩けるわ。車椅子なんて、皆さんにジロジロ見られてしまうじゃないの」 祖母はちょっと、いえかなり心外そうな顔をしましたが、 「せっかくのアフタヌーン・ティーです。行き道で転んだりなさると大変ですからね。マダムがお歩きになれることはじゅうじゅう承知しておりますが、是非、車椅子をお使いになって、僕を安心させてください」 というティムの言葉を伝えると、たちまち満面の笑みに。 「そう、確かに、ご心配をかけてはいけないわね。あなたが押してくださるのなら、いいわ」 えええー。孫の車椅子の操縦、そんなにご不安でした? いや、違いますね。 同じ「ジロジロ見られる」でも、正装のイケメンにエスコートされて車椅子で登場するなら、それは堂々たる姫の佇まい。誇りは、少しも傷つかない。 祖母はそう考えたのだと思います。 敢えて通訳せずとも、祖母の表情から意図するところを読み取ったティムは、胸に片手を当てて、「喜んで、マダム」と言ってくれました。 以心伝心すぎて、秘書孫はもはや出番なしです。 なるほど、相手の自尊心を傷つけずにサポートの手を差し伸べるって、そういう風にやればいいのか。 でもそれって、サポート側の人間的魅力が大きくないと、失敗する可能性が高そうだなあ……。 祖母が珍しく口にするカタコトの英語と、それにゆっくりした綺麗な英語で応じるティムの声を聞きながら、私は二人の後から、薄暗い廊下をとぼとぼとついていったのでした。 アフタヌーン・ティーが供される「パーム・コート」というウルトラゴージャスなお部屋は、すでに満杯でした。 ドレスコードがあるので、皆さんそれなりに着飾っていて、これから始まるアフタヌーン・ティーへの期待で、華やいだ雰囲気が室内には満ちています。 ティムは、「無理矢理ねじ込みました」と片腕で力こぶを作るアクションでウインクして、「ゆえに、少々隅っこなのはお許しいただきたく」と、本当に、入り口近くの壁際の丸いテーブルに私たちを案内してくれました。 窓際でなかったのは確かに少し残念ですが、おそらく、かなりギチギチにテーブルが詰め込まれた室内で祖母がつまずいて怪我をしないよう、車椅子で容易くアクセスできる席を敢えて確保してくれたのではないかと、今は思います。 「後ほど、お迎えに上がりますからね。ゆっくりお楽しみください」 祖母に手を貸して椅子に座らせると、ティムはそう囁いて、空っぽの車椅子を押して去っていきました。 その真っ直ぐ伸びた背中を見送っていると、祖母がやけにソワッとして囁いてきました。 「皆さん、私が足を怪我したんじゃないかとご心配かしら。立って、大丈夫ですよってお辞儀をしたほうがいいかもしれないわね?」 その発想、まさに姫。民のことをちゃんと考えていて、ある意味偉い。 ブレがなくて天晴れと讃えるべきかもしれません。 しかし、私とティムはともかく、周囲の縁もゆかりもない方々を、祖母のロールプレイに巻き込むわけには……。 「いや……そのままで」 「そう?」 「うん、立ち上がろうとしてよろめいたりしたら、余計に心配させちゃうでしょ。座って元気にしていてくれるほうが、みんな安心よ」 「それもそうね!」 祖母、すんなり納得。 旅の始まりの頃に比べれば、まったくのノースキルだった不肖の秘書も、色んな人を見て学んで、少しだけ成長したのです。ほんの少しだけ、ですけれど。 ほどなく、特に開始の合図などはなく、ごく自然にアフタヌーン・ティーが始まりました。 それぞれのテーブルをウェイターが巡回し、お茶のリクエストを訊いていきます。 常に視界のどこかに金色の何かが存在するゴージャスな空間に流れるのは、さざめきのようなお喋りと、こちらも美しくドレスアップしたミュージシャンの方々が奏でるクラシック音楽。 開始早々、優雅すぎて別世界です。 先日のオリエント急行と同じく、大好きな第1次世界大戦前後のロンドンにタイムスリップしたような気分になれて、私はひとり、ニコニコしてしまいました。 メニューにはたくさんの種類のお茶がリストアップされており、中には緑茶やジャスミンティーなどもありました。 祖母は老眼鏡をかけ、じっくりとすべてをチェックしたあと、「全然わからないわ」とあっさり投げ出してしまいましたが、幸い、我々のテーブル担当は、そういうお茶に興味のない客に慣れっこのようでした。 「毎朝お飲みになってるようなものがお好みですか? それとも、もっと軽いものを? あるいは、渋みのあるものを? 香り高いものもよいと思います」 ソムリエが、お酒に詳しくない人にワインの好みを訊ねるときのように、銘柄ではなく味で探りを入れてくれたので、祖母も「いちばん、このホテルらしいものが飲みたいわ」と、素直な希望を伝えることができました。 それを聞いた彼のお勧めは、やはりハウスブレンド。 せっかくですから、私も同じものに……というか、テーブルがわりに小さいので、ティーポットが二つ来ると、どうにも狭苦しいな、と思ったこともあり。 さて、無事に飲み物が決まれば、あとは食べ物ですが、ここからが真剣勝負、いえ、もはやデスマッチと呼びたい戦いの始まりでした。 現在、このホテルのアフタヌーン・ティーは、我々が滞在した当時のものとはかなり違っているようです。ですから、これはあくまでも「昔の話」として聞いていただきたいのですが、最初に各テーブルに運ばれてきたのは、サンドイッチでした。 あら、サンドイッチだけ? 素敵な3段のティースタンドに、小さくてかわいい様々なスイーツやスコーン、上品なサイズのサンドイッチが盛りつけられて出てくるものなのでは? 由緒ただしきイギリスの一流ホテル、さぞクラシックで美しい盛り付けが楽しめるのでは? おそらく、意外に思われた方が多いのではないかと思います。 祖母もそうだったようです。 「あらっ」 短い一言に、驚きと落胆がみちみちに詰まっていましたから。 祖母的には、この素晴らしい空間で、美しいアフタヌーン・ティーのスタンドを横に、姫君然とした写真などを撮り、帰ってからお友達に披露したかったに違いありません。 わかる。その気持ち、めちゃくちゃわかる。 しかし、我等の前に置かれたのは、サンドイッチのみ。 しかも、フィリングこそいわゆるティーサンドイッチらしい、薄切りのキュウリ、レバーペースト、スモークサーモンといった厚みの出ないものばかりですが、問題はサイズです。 美しいお皿に盛りつけられたそれは、フィンガーサンドイッチ、つまり一口でつまめるような小さなサイズではありませんでした。 いわゆる喫茶店で出てくるような、食べきるのに二口か三口かかる細長い切り方、そしてしっかり一人前の量なのです。 ドーン! と、効果線つきのジョジョ的な擬音を入れたいような迫力。 ティムが「朝食以降は何も食べないように」と言った理由、そしてロンドン三越の店員さんが、このホテルのアフタヌーン・ティーを「手強い」と表現した理由が、やんわりとわかってきました。 「スタンドは使わないんですか?」 祖母にせっつかれて、お茶を運んできてくれたウェイター氏に訊ねてみると、彼は「やれやれ」といった顔つきで、それでも丁寧に答えてくれました。 「スタンドを使うと、見た目は華やかでいいですが、いっぺんに何もかもをお出しすることになってしまい、召し上がっているうちに、サンドイッチは乾き、スコーンは冷め、ケーキはクリームやフルーツが生ぬるくなってしまいます。わたしたちは、すべての食べ物を、フレッシュな状態で召し上がっていただくことにしております。ゆえに、最初はサンドイッチ、次にスコーン、そしてケーキと続きます」 説明が立て板に水の滑らかさだったので、きっと、これまでにもたくさんの人に同じ質問を受けてきたのでしょう。 「まずはサンドイッチをお楽しみください。お代わりもどうぞご遠慮なく」 彼の言葉を祖母に通訳しつつ、私の心には「嫌な予感」という言葉が、特大のフォントで明滅しながら横切っていきました。 確かに彼の言うとおりで、スタンドで提供されるアフタヌーン・ティーのいちばんの弱点は、「食べているうちに、色々なものが食べ頃を過ぎてしまう」ことです。 急いで食べたいという気持ちと、ゆっくりしたいという気持ちがせめぎ合って、いつも心の中がややこしいことになります。 そういう意味では、順番に供されるというのはなかなかに正しい、心のこもったもてなしと言えるでしょう。 スタンドを使わない理由を知った祖母も、「それは道理だわ」と納得の表情になりました。 しかーし。 いざ食べ始めてみると、やはりサンドイッチ、十分にたっぷりしたランチくらいのボリュームがあるのです。 美味しい。確かにとても美味しい。 よくこんなに薄くスライスできたなあと感心するほど柔らかなパン、惜しげなく分厚く塗られたとびきり美味しいバター、フィリングの上にぱらりと振りかけられた塩のつぶつぶ。たまに噛み当てるピリッとした粗挽きの胡椒。 何一つ目新しくはないけれど、地に足の着いた、上品でしみじみとした味わいです。 でも、量が、多い。 全部食べきらなくてもいいんだよ、と祖母に言おうとしたのですが、こんなときに限って、祖母はサンドイッチが大いに気に入ってしまったようです。 「食べやすいし、どれもおいしいし、これはいいわね。サンドイッチは、分厚ければいいわけじゃないのよ。さすがイギリス、わかってるわ。ああ、この国でもっとサンドイッチを食べればよかった。特にスモークサーモンは、もう少しいただきたいわ」 いや、やめておいたほうが! このあとのことを考えると、あまり飛ばさず、もっと食べたいくらいのところでやめておいたほうが……と言おうと思いましたが、考えてみれば、美味しいと感じられるうちに、好きなものを心ゆくまで食べたほうがいい、とも言えます。 それにウェイター氏、祖母が顔じゅうで「おいしい!」と表現しながらスモークサーモンのサンドイッチを頬張っているのを見ると、疾風のようなスピードで、「マダム、おかわりは如何ですか」とやってきてしまいました。 ああ、そうでした。 呼ばれるのを待つのではなく、目配り気配りして先手を打つのが、一流のサービスというものなのです。 これは、勝てない。 勝負などではないはずなのに、そんな言葉が思わず漏れそうになります。 「スモークサーモン、ベリーグッド!」 祖母の英語はまさにカタカナそのまんまの発音で、「文法など知らぬ」というブロークンです。 でも、迷いなく発せられる言葉には素直な力強さがあって、ウェイター氏はとても嬉しそうにお礼を言い、止める間もなく祖母のお皿にスモークサーモンサンドイッチのお代わりを3切れも置いてしまいました。 「そんなに食べちゃって、大丈夫?」 一応、訊ねてみると、祖母は涼しい顔でサンドイッチを頬張り、言い返してきました。 「だって、あとはスコーンとケーキを一つずついただけばいいだけでしょう? お昼を我慢したんですもの、このくらい平気よ」 「あー……そうなら、いいんだけど」 曖昧に応じる私の胸には、もやもやと黒雲のような不安がわき上がっています。 そして、こういうときの「嫌な予感」は、100パーセント当たるのが私。 このあと、私たちは夢のゴージャス空間で、情けない苦悶の声を上げることになるのです……。 (次週、アフタヌーン・ティーという名のデスマッチ、後編に続く)

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ステキユーザー 2022/08/24 13:38

おしゃれに一切の手抜きをされないお祖母様 さすがです! なるほどオパールは色んな色が入ってるのでどんな服にも合いそうです 旅先では重宝しそうですね さてさて本題のアフタヌーンティーの始まりですね たっぷりバターということは直ぐにお腹がふくれてきますよね 1人前以上を召し上がられたと そして、この先出されるものに対して苦悶の様子、想像つきますがきっと私の思っている以上に苦悶なのでしょうね また来週楽しみにしています

あさば 2022/08/24 10:56

姫はバトラーを安心させるために車椅子を使われるし、民の心配をはらうために立ち上がろうとなさる。天晴でございます。 デスマッチは開始早々、わんこそばのお姉さんより素早いのではないかと思われるサンドイッチのお代わり。しかも3切れ。 「すべての食べ物をフレッシュな状態で」はごもっともで嬉しい話ですが、全貌がつかめないから計画が立てられないのが難点なんですよね。 もやもやとわいた黒雲から、ピシっパリっと細かい稲光が見えるような気がします。姫は最後まで姫を通せるのか?(通してほしい!)ワクワク♪

ステキユーザー 2022/08/24 03:01

どーん!....ジョジョ的な擬音 からの「スタンドは....」に思わず、スタンド使えるの!オラオラオラ.....?ってなった私。すいません。そのスタンドじゃないですよね。 アフタヌーンティーという名のデスマッチ!続きを楽しみにしています。