晴耕雨読に猫とめし
自己肯定感の話 ②

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すげえなファーストクラス! 語彙が最低限になる空間、それが旅客機のファーストクラスの座席でした。 もっとも、何十年も前の話です。 今みたいに完全に横になれる個室のようなゴージャス空間では、当時はありませんでした。 せいぜい、大きくて座り心地のいい座席がフルフラットになるよ、という程度。それでも、当時はずいぶんと贅沢なことでした。 何より凄かったのは、機内食です。 私はアレです、あの四角いトレイに四角い器が細々と並べられ、バッサバサのパンとか、温め直しのときに縁のあたりでソースがガビガビに乾き、かたや添えられたご飯のほうはソースでブヨブヨになったメイン料理とか、クルクル巻かれた状態で固まっている茶蕎麦とか、小さくて四角くて甘すぎるねとねとしたケーキとか、密封されたちょっぴりの水とか、そういうエコノミー席の機内食を心から愛しているのですが、ファーストクラスの食事は、簡潔に言えば、ただの一流レストランでした。 だって、そもそもテーブルが大きい。 そして、CAさんがそこにパリッとした真っ白のテーブルクロスを敷き、バラの花を一輪置いていくところから、食事が始まるんですもの……(当時の話です。今どんな感じかは、知る由もないので)。 え、なに、貴族なの? 食器は金彩が施された陶磁器、グラスは脚付きの縁が薄い上等なもの、カトラリーもかなり重量がある立派なものでした。 料理も一品ずつ運ばれるコース仕立てで、「和洋ご用意がございます、なんでしたら両方どうぞ」みたいな太っ腹仕様。 ソースは別に温め、仕上げにかけるそうで、全然カピカピしてない! パンもあったかくてふっかふか。 えっ、ソースのカピカピはともかく、パンのパッサパサは、その気になったら回避できるんやんけ……! せえよ! という気持ちがこみ上げましたが、全員のパンをふっかふかのほかほかにするのは、きっと当時の機内設備では難しかったんだと思います。知らんけど。 「お姫様」である祖母は、早食いの私にすれば気が遠くなるほどゆっくりと時間をかけてフレンチのフルコースを楽しみ、飽きたら片っ端から「美味しいから食べてみなさい」と言って私に押しや……下賜なされ(既に同じものを食べています)、CAさんのそれはそれは上手なエスコートでトイレに行き、座席を倒してもらい、枕と毛布までご用意いただいて、大満足で就寝しました。 なるほど。このプロフェッショナルのサービスを、私も極力ご提供せねばならぬのだ。 いや、現状の私では無理なのでは? 何とかしないと、旅の最中に、祖母、私の至らなさに憤死するのでは? 祖母が寝てしまって、私が退屈したと思ったのか、CAさんが「何かお持ちしましょうか? 映画でもご覧になりますか?」とやたら世話を焼いてくださいました。 そこでこの機を逃すまいと、私は勇気を出して、CAさんに、「もしお時間があるようなら、私のためにホスピタリティ教室を開いてくださいませんか?」とお願いしてみました。 これからロンドンで、たったひとりで祖母の世話をしなくてはならないので、どうにも心細くて、と正直に打ち明けて。 「わたくしはロンドン到着まで、お二方のお世話が務めでございますので、喜んで」と、もう、返答と笑顔からしてホスピタリティの権化のようなCAさんは、それから数時間、空いている座席を使って、惜しげもなくプロの技を分けてくださいました。 高齢の乗客に対して、注意して目配り気配りするポイント、サポートを申し出るタイミング、具体的にすべき介助。緊張やストレスをほぐすための話し方。 色んなことを教えてくださったあと、CAさんは、締め括りにこう仰いました。 「大切なのは、お祖母様が、何ができないかではなく、何がご自分でできるのかを見極めることだと思います。できないことを数え上げたり、時間をかければできるのにできないと早急に決めつけて手を出したりするのは、結局、お相手の誇りを傷つけることに繋がりますから」 これは、旅の間だけでなく、医師として高齢の方々に接するときにも、今、自分の老親と付き合う上でも、いつも心に特大の額にして掲げている、私にとって大切な金言になりました。 「たくさんお勉強したので、お疲れでしょう」とアイスクリームなどいただいて甘やかされ、私にとって、人生最初でおそらく最後であろうファーストクラス搭乗は、とても実り多く、興味深く、快適なものとなりました。 今も、あのCAさんには感謝しかなく、彼女を雇用していたというその一点で、私はこの先ずっと、日本航空への愛着と敬意を失うことはないと思います。 ずっと、彼女は私の尊敬する師のひとりです。 祖母は結局、十二時間のほとんどをぐっすり寝て過ごしたため(食事のときになると何故かぱっちり目覚め、もりもりと食べていましたが)、ロンドンに到着したときは、元気いっぱいの気分爽快。 ホッと胸を撫で下ろし、親切なCAさんに懇ろにお礼を言って飛行機を降りたのも束の間、我々を次の試練が待ち受けていました。 そう、入国審査です。 たとえ列に一緒に並んだところで、ブースには空いた順にひとりずつ移動せねばならないのです。 当然、私と祖母も、かなり離れたブースへそれぞれ行くよう指示されました。 早く終わらせて、せめて祖母の近くで待機せねば……と気が焦るせいで、係官には、私の姿がなんだか落ち着きのない、怪しげなアジア人に映ったのでしょう。 しかもパスポートには、イギリスのスタンプばかり。中には長期滞在もあって、まあ客観的に見ても怪しい怪しい。 案の定、「今回は何しに来た?」「以前長期滞在していたときには何を?」「今回はどこに何日滞在?」「帰りの飛行機のチケットは持っているか?」と質問が次から次へと飛んできます。 果ては、「観光といったって、前にイギリスに住んでたんなら、もう十分しただろう」みたいなことまで言われ始めて、私のソワソワは募るばかりです。 背後を振り返ると、英語はほぼわからない祖母のこと、鬼瓦のような形相で、黙りこくって係員を睨みつけているではありませんか。 あああー。あかーん。 慌てる私に、ますます疑念を強めるこっちの係官。 「ちょっと君、別室に……」 と表情を険しくしたところで、たまりかねた私が「あの! あそこに祖母がいて、彼女は英語がまったくわからないので、あちらの係員が何を言っているのかわからず困っているのです」と言った瞬間、係官の顔色が変わりました。 「は!? 祖母!?」 「はい、あそこに。一瞬でいいんで行かせてもらえませんか?」 「どこ!」 腰を浮かせて、仁王立ちの祖母と、両手を上げて「おーい参ったね」という仕草のあちらの係官を見た係官は、突然、口うるさいおじさんのような口調で、ツケツケと小言を言い始めました。 「お祖母さんと一緒だって最初に言えばよかったんだよ! どうして言わないの。言葉もわからないお祖母さんをひとりにするなんて、悪い子だ。行きなさい早く行きなさい行ってあげなさい!」 スタンプをバンバーン! と凄い勢いでついて、パスポートを私に突き出しながら、祖母のほうを指さす係官。 さすが、お年寄りにやたら優しい国、イギリスだなあ……と思いつつ、ありがたくパスポートを受け取り、私は祖母のもとへ駆けつけました。 すると祖母、私を見て安心するどころか、もはや姫を通り越して女王様のような態度で言うではないですか。 「空港の職員なのに、なってない! 遠い国から来たお客様なんだから、きちんとわかるように話しなさいって伝えて頂戴!」 嗚呼……強い。この人、めちゃくちゃ強い。 自分が明らかに継承し損ねたつよつよのDNAを痛感しつつ、私は仏頂面のこちらの係官に、「申し訳ありませんでした!」と平謝りしたのでした……。 (まだまだ続きます)

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ステキユーザー 2022/06/09 03:42

お祖母様お強い! お姫様から女王様に成長されて ますます強さが磨かれていくようです それと比例して先生のお姫様につく侍女またはばあやのスキルも磨かれていくのでしょう😁 CAさんの教えは私にも染みました これから高齢の両親を世話していく上でいつも心に刻んでおきたいと思います

SAY 2022/06/08 10:00

CAさんの金言は私の心にも彫り込んでおかなければ案件です。 しかしおばあ様お強い‼️女王様!!続きがとてもとても気になります先生!!!来週も楽しみにしております✨

あさば 2022/06/08 05:19

あの問答無用で置かれたチキンを前に落ち込んだ少女が、ソース後がけのお料理とふっかふかのパンをバラの花とともにっ!これはもう間違いなく貴族。 そしてCAさんからの教えは私にとっても金言になりました。ありがとうございます。ついつい時間や手間ばかりに気をとられ、相手を軽んじてしまわないように気をつけます。 つよつよの姫君はあのファビュラス姉妹の祖であられるのでは? 次回も楽しみにしています♪

ステキユーザー 2022/06/08 03:24

実の親でも持て余していた身には、80代を無事に帰国させる迄が旅程のミッションをこなされた先生にはもう尊敬しかありません!