激しさを増す北条親子による主導権争い。北条時政(坂東彌十郎)とりく(宮沢りえ)は、三浦義村(山本耕史)に命じて源実朝(柿澤勇人)を屋敷へと連れ込み、鎌倉殿の座を娘婿・平賀朝雅(山中崇)へ譲るように迫る。対する義時(小栗旬)は、泰時(坂口健太郎)、時房(瀬戸康史)、八田知家(市原隼人)らを引き連れ、時政の屋敷を包囲。攻め込む機会を慎重に見定めていた。張り詰めた空気が鎌倉を覆う中、政子(小池栄子)は……
2022年10月2日(日)
- 午後8時~
- 午後6時~
再放送
2022年10月8日(土)午後1時05分~
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これまでの放送をご紹介します
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する“前説”
【監修】時代考証・木下 竜馬
逆転の一手! 平賀朝雅の擁立
『吾妻鏡』元久2年(1205)閏7月19日条によると、牧の方(りく)が悪だくみを考え、三代鎌倉殿である源実朝を廃し、自身の娘婿である平賀朝雅を新たな鎌倉殿に擁立しようとしているというウワサが、鎌倉に流れたと記されています。
平賀朝雅は、源氏一門である平賀義信の子で、母は頼朝の乳母・比企尼の娘です。父・義信は源頼朝から重用され、朝雅は頼朝の猶子でもありました。北条と比企との対立が深まり、建仁3年(1203)9月2日に比企能員の乱が起こりますが、前年に母が亡くなっていた朝雅は北条に付き、討伐軍にも加わっています。その後、京都守護として上洛した朝雅は後鳥羽上皇から重用され、藤原定家の日記『明月記』によると、後鳥羽上皇から伊賀国の知行国主に任じられています。
劣勢となった時政・りく夫妻にとって、朝廷とも良好な関係を築いていた平賀朝雅は勝負の切り札となりえる人物でした。