武村正義さん死去 元新党さきがけ代表、非自民連立政権で官房長官

 1993年の非自民連立による細川政権誕生の立役者で、新党さきがけ代表として官房長官や蔵相を歴任し、滋賀県知事も務めた武村正義(たけむら・まさよし)さんが9月28日、死去した。88歳だった。

 東大卒業後の62年、旧自治省に入省。郷里の滋賀県八日市市長を経て、74年に滋賀県知事に就任。全国で初めて自ら資産公開を実施。「環境主義」を掲げ、有リン合成洗剤の使用禁止などを定めた「琵琶湖富栄養化防止条例」を制定するなど、先駆的な政策を打ち出して注目を集めた。

 86年の衆院選で滋賀全県区から初当選。後藤田正晴氏らに師事し、自民党政治改革本部事務局長を務めるなど政治改革論議を主導。93年に自民党を離党し、鳩山由紀夫氏らと新党さきがけを結成した。知事仲間で親交が深かった日本新党細川護熙代表を首班とする非自民連立政権に加わり、官房長官に就任。小選挙区比例代表並立制の導入などの改革実現に努めた。

 しかし、細川政権では小沢一郎新生党代表幹事と政権運営をめぐって対立。政権崩壊後の94年6月には自民、社会、さきがけ3党連立にかじを切り、村山内閣の蔵相に就いた。

 「小さくともキラリと光る国」というキャッチフレーズを掲げ、当時、小沢氏が唱えた「普通の国」に対抗。少数政党を率い、当選回数が少ない割に有力ポストを相次いで務めたことから「バルカン政治家」との批判も浴びた。風貌(ふうぼう)から「ムーミンパパ」とも呼ばれた。

 96年の旧民主党結党時には、鳩山氏から入党を拒まれ、「排除の論理」という流行語を生んだ。2000年の衆院選で落選し、01年に政界引退を表明した。

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    前田直人
    (朝日新聞コンテンツ戦略ディレクター)
    2022年10月1日13時43分 投稿
    【視点】

    政治改革、自民党分裂、政界再編、細川連立政権樹立……。日本が大きく揺れた「激動の時代」を思い出します。あのときの政治はダイナミズムがありました。力のある政治家が激しく討論し、新しい価値に基づいて構想を描き、大胆に行動し、連合した。自民一強、

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