394話 保留
「ボンビーノ卿に出来る御子が男児であったなら、是非とも当家の娘を婚約者としていただきたいと思っておりましてよ」
「ふむ、レーテシュ伯ともあろうお人が、いきなり会話に割り込むとは、少々品がないのではありませんか?」
「あら、東部の重鎮たるフバーレク伯が、当家を通さずに南部の貴族へ声を掛けるのは、品が有るのかしら」
レーテシュ伯が、フバーレク伯とボンビーノ子爵との間に割り込む。
会話の内容が、今後生まれてくるであろうボンビーノ家の子供についてだったからだ。
しかも、最初っから喧嘩腰。威圧感バリバリである。
やりあう二人の会話を翻訳するなら、「黙ってうちのナワバリ荒らしてんじゃねえぞコラ!!」「あぁ、こっちでナシつける時に出しゃばってくんじゃねえボケ!!」である。
貴族的に優雅に振舞っているように見えても、やっていることはただの喧嘩。言葉を使った殴り合いであり、社交の仮面を被ったメンチのきり合いである。
「我々は、共に王に仕える貴族同士。親睦を深めるのに、レーテシュ伯の許可など必要なかったと思うのだが?」
「辺境伯とも思えないご意見ね。フバーレク家は、いつから伝統と常識を無視されるようになったのかしら」
おほほほ、あはははと、互いに顔は笑っているが、目だけは笑っていない。
社交の場で舌戦が繰り広げられることは別に珍しいことでは無いのだが、こうもあからさまに高位貴族同士がやり合うことは珍しい。
レーテシュ伯が指摘した通り、そもそも貴族の外交というのは根回しが重要。普通の常識ならば。
何の事前情報も与えていない相手に、いきなり面と向かって要求をぶつけたところで、そもそも交渉にならないことも多いからだ。
考えても見て欲しい。決断一つで、領地や家の浮沈が決まるのが貴族の当主同士の交渉というもの。
今突然にセールスマンがやってきて、絶対お得だから買いましょうと、何百万もする車を売っていたとして、どういう反応をするだろうか。普通は、どれだけいい条件に思えたとしても、ちょっと考えさせてください、となるのではないだろうか。
フバーレク伯のように、ほぼ出会い頭に要求をストレートにぶつけるのは、中々あり得ない話だ。
しかし、フバーレク伯にはフバーレク伯の思惑というものが有る。
彼が言うように、そもそも貴族同士の社交の場でどんな会話を交わそうと、それは会話を交わしたもの同士の責任。第三者には関係のないことだ。
立場が上の人間にはいきなり話しかけてはいけないという、不文律もある。
辺境伯に対して、伯爵が声を掛けてくるのは、いささか品がない。
例え、レーテシュ伯が声を掛けたのはボンビーノ子爵に対してだった、などと言い訳が出来る状況だったとしても、はしたないと眉を顰められる行為であるのは間違いないのだ。
また、フバーレク家には婚姻外交について、一つの成功体験が有る。
それが、ペイスとリコリスの婚約。
これなどは、カドレチェク公爵家とフバーレク家の婚約披露の場にて、半ば強引に話をまとめている。
モルテールン家とフバーレク家の婚姻外交がどれほどフバーレク家にとってプラスであったか。これを成功と言わずして、何を成功と呼ぶのかという話だ。
先代の素晴らしい成功体験をなぞり、いきなり婚姻の話をゴリゴリ進めようとしたフバーレク伯の考え方は、フバーレク家だけを見ればそれ相応に道理の通った考え方になる。
つまり、レーテシュ伯もフバーレク伯も、自分は別に間違ったことを言っていないと確信している。
喧嘩腰になるのも当然と言えば当然。
たまらないのは、挟まれる形になったウランタだ。
何とか場を和ませようと会話に口を挟む。
「そういえば、レーテシュ家には姫君が居ましたね」
あからさまな話題転換ではあったが、話の流れとしては不自然ではない。
ボンビーノ家の子供の話から、レーテシュ家の子供の話につなげた格好。
「流石はボンビーノ卿ね。よくご存じだわ」
「私でなくとも、今更でしょう。レーテシュ家の三姉妹がとても愛らしいとの噂は、神王国貴族の誰もが知るところです」
レーテシュ家の娘は三人姉妹。
それも、三つ子である。
難産の末に魔法の力も借りて生まれた子供であり、レーテシュ伯にとっては目に入れても痛くないほどに可愛い我が子。
自分の結婚に大層な苦労があった分、娘にはそんな苦労はさせたくないという親心を持っており、他の貴族と比しても少々タガが外れていると感じるほどの真剣さで、娘の伴侶を探している。
勿論、まだ幼児と言える娘だ。既に成人しているような相手は流石に年が離れすぎている。
かといって、年齢の釣り合う相手となれば、当然同じような年頃。つまり、幼児だ。
まだ言葉もまともに喋れないうちから、人品や品格の良し悪しが分かるはずも無い。
年齢一桁で才能を感じさせる働きをするような子供など、余程の天才児か、或いは頭のおかしい菓子職人かのどちらか。
普通は、婚約者を決めるというのには早すぎる年齢である。
「あら、噂ではありませんのよ」
「噂ではない?」
「事実ですの。うちの子たちは皆、とても愛らしいですもの。おほほほ」
レーテシュ伯は、胸を張る。そして、自分の娘を自慢する。
これは、ただの親馬鹿なのかと言えば、そうではない。モルテールン家のカセロールなどは天然の親馬鹿であるが、レーテシュ伯のそれは計算尽くの親馬鹿だ。
そもそも、情報伝達が一部の例外を除いて口伝が主流の社会では、人の噂ほど重要な情報源は無い。
そして、貴族社会では結婚相手を決めるというのはお家の一大決心でもある。
どの家も、出来るだけ良い相手を結婚相手として探してきて、最良の選択をしようと模索するもの。婚姻政策を決める時にも、やはり噂というものは気にしてしまう。
あそこの娘は器量よしで評判だそうだ、どこそこの息子は見どころの有る若者だ、誰それの娘は癇癪もちで性格がキツいらしい、何がしの息子はどうしようもない放蕩息子だそうだ、といった具合だ。
また、実際に当人を深く理解していない限りは、噂話というものも馬鹿にならない。誰だって最良を選ぼうとしているのだから、悪い噂の有る相手をわざわざ選ぶかという話である。
レーテシュ伯は、娘を売り込まねばならない。婚姻外交については現当主のトラウマが有るだけに、危機感は人一倍だ。万が一“売れ残った”場合の辛さは、誰よりもレーテシュ伯が知っている。
絶対に、自分と同じ思いはさせない。親としての決意は固い。
ならば、意識して娘たちの“良い噂”を振りまく必要がある。
誰彼構わず息子や娘を自慢していたカセロールとは、ここが違う。相手を選んで、内容もしっかり吟味して自慢しているのだ。
「そうですか。愛らしいというのなら、きっと伯に似たのでしょうね」
「おほほほ、そういっていただけるのは親として嬉しいですわ。それに、三者三様に個性が出てきていますの。顔立ちは三つ子ですからよく似ているのですけど、三人の誰とも性格が合わないということは無いはずでしてよ」
「なるほど」
レーテシュ伯の売り込みは露骨である。
ボンビーノ家は、形式上は政略結婚でモルテールン家から嫁を貰っているわけだが、内実は限りなく恋愛結婚に近い。レーテシュ伯は、勿論その情報を確定させている。然程力を入れて情報収集するまでも無く、ウランタがジョゼにベタ惚れだったことは明らかだったのだから。
つまり、ボンビーノ家当主は恋愛結婚賛成派と見るべきだ。
また、ボンビーノ子爵夫人も、モルテールン家の出身。あそこの家は当代当主が駆け落ちで結婚している、貴族家の中の異端だ。夫人も恋愛結婚賛成派とみて良いだろう。
ボンビーノ家で新たに生まれてくる子供の結婚について、強く決定権を持つであろう両親が、揃って恋愛結婚賛成派。
政略的に最善を選ぶのではなく、惚れた相手が政略的に問題が無ければ許可するスタイルと考えて間違いない。
レーテシュ伯は、自分の娘が三つ子である利点を最大限活かそうという戦略を取る。
三つ子と言えども個性は有り、それぞれに性格が違う。それが事実かどうかは脇においても、納得しやすい理屈だろう。
だから、容姿に問題が無いようであれば、三つ子のうちの誰かと恋愛に発展する可能性は高いという主張だ。
大人しい子が好みなのか、引っ張ってくれる子が好みなのか、愛嬌のある子が好みなのか。生まれてくる子供の好みは今から知る術は無い。しかし、たった一人との相性を心配することに比べれば、三人の誰かと相性が合えばいいと考えることの方が遥かに良い。
単純に、確率の問題だ。
「今を時めくボンビーノ家の御嫡男ともなれば、寄ってくるものは多いでしょう。既に相手を決めてあると言い張れるのは御家にも損は無いでしょう? その上で、当家であれば御嫡男にとってより好ましい相手となる可能性が高いとは思いません?」
「確かに、ご尤もかと思います」
ウランタはまだ若い。
それに、恋愛については経験を積んでいるとも言い難い。
レーテシュ伯の説得に、心がぐらついたのは誰の目にも明らかだった。
流石の交渉上手である。
しかし、それに割って入ったのはフバーレク伯だ。
「少し待ってもらいたい」
「はい?」
このままではボンビーノ家を生まれてくる子供ごと囲い込まれてしまう。
フバーレク伯の危機感は高い。
「当家に見合う格式の家柄というのはさほど多くない。こうは言いたくはないが、レーテシュ家は伯爵家。辺境伯家である当家は上役であろうと思う。ここは一旦譲っていただきたい」
「爵位を盾にごり押しというのはいただけませんわ。それに、格式とおっしゃるのであればボンビーノ子爵家は伝統と格式を重んじる家柄。伝統から言っても、志を同じくして領地の安寧を守る者で結束するのが常道でしょう」
喧々囂々、言い合いを始めるレーテシュ伯とフバーレク伯。周囲の好奇の目は、嫌が応にも集まる。
いざ、決裂の果てに衝突かという雰囲気も漂い始める。
なかなか物騒な雰囲気になり始めた時。
角を付き合わせた高位貴族の間に割って入った者がいた。
「ご両者とも、ここは僕の顔を立てて、この話は後日にということにしていただけませんか?」
一触即発の雰囲気を収めたのは、モルテールン家の銀髪の若者だった。