今回は、サントリーウイスキーの定番の一つ、サントリーオールドを採り上げます。
1940年には、日本でなじみ深かったスコッチウイスキー「オールドパー」から肖った「サントリーオールド」を開発しました。
しかし日本は日中戦争の最中で、政府が販売を許可できず、しばらくお蔵入りになってしまいました。
更に不幸なことに、かつて壽屋がウイスキー作りのために招聘した竹鶴政孝の技術を受け継いでいた吉太郎が31歳の若さで亡くなってしまいました。
その後壽屋は軍需工場としてウイスキーの製造を行いましたが、それによって莫大な利益を得て、壽屋の経営をも立て直すこととなりました。
終戦後、バクダン、カストリと言った密造酒の横行と、その飲酒による事故が起こる中で、壽屋は安価で良質なお酒としてトリスウイスキーを発売し、庶民にも知れ渡るようになりました。
その間、次男で佐治家の養子になっていた敬三を壽屋に入社させ、信治郎自らがウイスキー作りを伝授していきました。
そして1950年、ついに当時の最上位ウイスキーとして、サントリーオールドが発売されました。
1970年代になると、料亭や割烹などと言った和食料理店へオールドを普及させようと「二本箸作戦」というプロモーションを行いました。
名前の由来は、和食で使われる「箸」と、当時サントリーの東京支社のあった日本橋を掛けたものでした。
その際に、一般的なグラスに氷を入れてウイスキーを注ぎ、1:2.5の割合で水を注いで作る「水割り」を生み出し、スモーキーさを抑えながらオールドの持つ甘い香り、味わいを堪能できるようにして、和食の繊細な味を壊さない工夫を提唱しました。
その結果、現在でも和食の料理店でオールドが置かれるようになったと言われています。
1970年代からは積極的にテレビCMも制作、放送されました。そのテーマ曲として、小林亜星が手がけた「夜が来る~人類皆兄弟~」は、2000年代になっても使われ続けました。
そして1981年には、年間出荷数は1億3千万ケース以上を記録するほどの人気に至りました。
その状況の中で、新たなる蒸溜所である白州蒸溜所のモルトが熟成されていくと、オールドのブレンドも幾度か変更が加えられるようになりました。
1988年には白州モルトを加えて香りを豊かにしたブレンドに変わり、後にリッチ&メローという名前で売られるようになりました。
1994年にはアルコール度数を引き下げ、甘い香り、味わいをメインにしたマイルド&スムーズが登場し、しばらくはリッチ&メローと併売されました。
そして2006年には、シェリー樽原酒からの香り、甘味を強調する形で、「ザ・サントリーオールド」としてリニューアルしました。
しかしこうした努力もむなしく、角ハイボールブームが訪れるまで、ウイスキーの消費は戻りませんでした。
現行ボトルは2008年にリニューアルされた物になります。
アルコール度数は43度に戻され、どちらかと言えば淡麗な香り、味わいに変更されました。
昔のオールドを飲んだことのある年配の人ほど、今のオールドに違和感を持たれても何ら不思議ではないでしょう。
酒屋さんだけでなく、スーパー、コンビニでも比較的入手しやすく、価格も1000円台後半であるため、比較的手の届くウイスキーと言っても過言ではないでしょう。
味わいは、アルコールからの辛みがそこそこあるものの、あとから軽い苦み、酸味、甘味と続きます。
味わいはほろ苦さがあるものの、甘さがメインになります。
味わいは、多少の辛みがあるものの、軽い酸味の後に甘味が広がっていきます。
味わいは、苦みの方が前に来て甘味はあまり感じられません。
それでもトリスや角瓶に比べれば香りや味わい、そしてまろやかさも一段以上も上で、ロックや水割りで飲んでも満足が出来る仕上がりになっています。
ただしハイボールだと苦みが目立つので、スッキリ飲むにはあまり適さないかも知れません。
ハイボールからウイスキーを知った人たちを次のステップに導いてくれるボトルとも言えるでしょう。
長男の死を乗り越えて開発
1937年に、日本人向けの香り、味わいにブレンドしたサントリーウヰスキー12年(後の角瓶)が成功し、更なるまろやかなウイスキーを目指そうと、壽屋(現:サントリー)創業者の鳥井信治郎は、長男でウイスキーの製造技術を身につけた吉太郎とともに開発を進めていきました。1940年には、日本でなじみ深かったスコッチウイスキー「オールドパー」から肖った「サントリーオールド」を開発しました。
しかし日本は日中戦争の最中で、政府が販売を許可できず、しばらくお蔵入りになってしまいました。
更に不幸なことに、かつて壽屋がウイスキー作りのために招聘した竹鶴政孝の技術を受け継いでいた吉太郎が31歳の若さで亡くなってしまいました。
その後壽屋は軍需工場としてウイスキーの製造を行いましたが、それによって莫大な利益を得て、壽屋の経営をも立て直すこととなりました。
終戦後、バクダン、カストリと言った密造酒の横行と、その飲酒による事故が起こる中で、壽屋は安価で良質なお酒としてトリスウイスキーを発売し、庶民にも知れ渡るようになりました。
その間、次男で佐治家の養子になっていた敬三を壽屋に入社させ、信治郎自らがウイスキー作りを伝授していきました。
そして1950年、ついに当時の最上位ウイスキーとして、サントリーオールドが発売されました。
国民的ウイスキーへ
当初は高嶺の花であったサントリーオールドですが、日本が高度経済成長によって豊かになる毎に、サントリーオールドも相対的に人々の手に渡りやすい値段となっていき、バーやスナックなどでのボトルキープなどで、莫大な利益を得るほどになりました。1970年代になると、料亭や割烹などと言った和食料理店へオールドを普及させようと「二本箸作戦」というプロモーションを行いました。
名前の由来は、和食で使われる「箸」と、当時サントリーの東京支社のあった日本橋を掛けたものでした。
その際に、一般的なグラスに氷を入れてウイスキーを注ぎ、1:2.5の割合で水を注いで作る「水割り」を生み出し、スモーキーさを抑えながらオールドの持つ甘い香り、味わいを堪能できるようにして、和食の繊細な味を壊さない工夫を提唱しました。
その結果、現在でも和食の料理店でオールドが置かれるようになったと言われています。
1970年代からは積極的にテレビCMも制作、放送されました。そのテーマ曲として、小林亜星が手がけた「夜が来る~人類皆兄弟~」は、2000年代になっても使われ続けました。
そして1981年には、年間出荷数は1億3千万ケース以上を記録するほどの人気に至りました。
低迷、そしてブレンドの変更
しかしサントリーオールドは、スコッチウイスキーなどの関税の引き下げなどによって海外のウイスキーとも戦わざるを得なくなり、販売も低迷しはじめて行きました。その状況の中で、新たなる蒸溜所である白州蒸溜所のモルトが熟成されていくと、オールドのブレンドも幾度か変更が加えられるようになりました。
1988年には白州モルトを加えて香りを豊かにしたブレンドに変わり、後にリッチ&メローという名前で売られるようになりました。
1994年にはアルコール度数を引き下げ、甘い香り、味わいをメインにしたマイルド&スムーズが登場し、しばらくはリッチ&メローと併売されました。
そして2006年には、シェリー樽原酒からの香り、甘味を強調する形で、「ザ・サントリーオールド」としてリニューアルしました。
しかしこうした努力もむなしく、角ハイボールブームが訪れるまで、ウイスキーの消費は戻りませんでした。
現行ボトルについて
アルコール度数は43度に戻され、どちらかと言えば淡麗な香り、味わいに変更されました。
昔のオールドを飲んだことのある年配の人ほど、今のオールドに違和感を持たれても何ら不思議ではないでしょう。
酒屋さんだけでなく、スーパー、コンビニでも比較的入手しやすく、価格も1000円台後半であるため、比較的手の届くウイスキーと言っても過言ではないでしょう。
テイスティング
ストレート
ブドウ、柿、リンゴ、バニラの香りが次々にやってきます。味わいは、アルコールからの辛みがそこそこあるものの、あとから軽い苦み、酸味、甘味と続きます。
ロック
レーズン、リンゴの香りが先に訪れ、カラメル、バニラの甘い香りが広がります。奥からはカカオの香ばしさも感じられます。味わいはほろ苦さがあるものの、甘さがメインになります。
水割り
レーズンの香りから始まり、バニラ、リンゴ、カラメルの香りが続きます。味わいは、多少の辛みがあるものの、軽い酸味の後に甘味が広がっていきます。
ハイボール
リンゴ、ブドウの香りが半々にやってきた後、スモーキーさと樽香がほのかに続きます。味わいは、苦みの方が前に来て甘味はあまり感じられません。
ロック、水割りでもいけるスタンダードなウイスキー
このブログにおいて、過去のボトルも飲んでいきましたが、現行ボトルはシェリー樽原酒由来のレーズンの香りは抑えめになっていて、バーボン樽原酒からのバニラ香が多少目立っていて、比較的バランスの取れたブレンドになっていると思います。それでもトリスや角瓶に比べれば香りや味わい、そしてまろやかさも一段以上も上で、ロックや水割りで飲んでも満足が出来る仕上がりになっています。
ただしハイボールだと苦みが目立つので、スッキリ飲むにはあまり適さないかも知れません。
ハイボールからウイスキーを知った人たちを次のステップに導いてくれるボトルとも言えるでしょう。