「戦争になる!?」
優莉達は、ついに目指していた賢者の山の麓の国にたどり着いた。しかし、そこでは麓の国々に関する良からぬ噂が広まっていた。
4人はお店の中で軽食をとりながら話す。
「睨み合いだけで実際の武力行使は到底行われないって言われてたんだけど…」
「報道や町の人の話を聞くに、近日中に開戦するかもしれません」
「どうしてそんな事になってるの…」
「賢者様の山の周りの国々は、昔から山の所在を巡って対立しているんです。そりゃ賢者様の御山ですし信仰上の重要な場所でもありますから、皆自分の土地だと言い張りたいでしょう」
「最初は口喧嘩程度だったらしいんだけど、悲しい事件が起きちゃったり、緊張に煽られた軍拡が進んだせいで、僕達が生まれた時にはもうこんな感じ」
「うわぁ…」
優莉はフレーとアリーの話を聞いて、賢者の山は元居た世界のエルサレムのような場所になっているんだなと思った。ユキが呆れた表情で言う。
「自分達の領土にしたところで、山の中には悪天候と結界で入れないし、賢者様も現れてくださるわけじゃないのに。まったくバカな人達です」
「・・・」
「ユーリ…」
「…大丈夫かな」
「この国は武力行使に消極的で今回も乗り気ではないみたいですが、例の国々と近い以上、戦火が飛び火してくる可能性はあります」
「でも、入山の手続きは今日中に完了しますし、さすがに今日明日開戦する事は無いでしょう。きっとユーリが山を登り始めるまでは大丈夫ですよ」
「そうかな…」
「もし危なくなったら、入山許可なんて無視して登山を強行しましょう?」
「え」
「戦争が始まったら許可とか手続きとか言ってられないですよ」
「別の世界から来たユーリをこの世界のいざこざに巻き込むわけにはいかないし」
「そっか… ありがとう」
「あとは御山の気分次第か~」
「結界、薄まってくれるかな」
「ユーリさんはきっと運命で定められた者ですから、たぶん山も通してくれますよ。そんなに心配しないでください」
「うん」
優莉はユキの顔を見て頷いた。切迫した状況の中、他に知人が居ない、魔法も使えない、1人ではほぼ何もできない彼にとって、フレー達の存在は非常に心強かった。
入山の許可が下りるまでの間に寄りたい所があるとフレー達が言うので、優莉は3人と共にお店を出てその場所へ向かった。
やってきたのは、この国で一番大きい学園だ。賢者の山周辺の国々の中で最大の規模を誇る。主に貴族や魔導師の家系の子供と、一般家庭の中から才能・素質を見いだされた子供達が通い、人文学、科学、魔術など、あらゆる分野の学問に励んでいた。
4人は校門で入場許可証をもらい、首に掛ける。優莉は元々掛けていた翻訳魔術書の上にさらに許可証を掛けたため、不格好になってしまった。
「ベルリスやブックヴァレットを作ったヒメル嬢の事は覚えていますか」
フレーが優莉に話しかける。
「あの… なんかすごい人だよね。広い分野で活躍する」
「彼女はここで研究されているんです」
「へぇ~」
「彼女の作ったベルリスのおかげで良い体験ができましたから、ぜひその報告をしたいと思いまして。最後にお会いしてから1年ほど経ちますし」
「そうなんだ」
「それに、彼女は聡明な方です。ユーリの事情を説明すれば、何か別世界の事や世界間の移動について新しい知見が得られるかもしれません」
思えば、元の世界に帰るのに最初から賢者を頼りにしていたため、転移した時の謎の光は何だったのか、なぜ異世界に転移したのかは分からないままだった。それらの一端を垣間見ることができるかもしれないと、優莉は彼女との対面に僅かな期待を寄せた。
見事に造られた玄関庭園を抜け、校舎の中に入っていく。
休み時間なのか、教室に限らず廊下や中庭などあちこちに生徒が居た。人数は廊下の先を見通せない程度に多い。皆、雑談したり本を読んだりくつろいだりと、元の世界の学生達と同じように過ごしていて、優莉は懐かしい居心地を覚えた。
一方優莉は、真っ黒な冬学生服に翻訳魔術書と許可証を重ねて掛けた姿が目立ち、すれ違う生徒達から見世物を見るような視線を浴びていた。そしてそんな事は気にもせず、フレー達は廊下を進む。
ふと、何かを感じた優莉はその場で立ち尽くした。
右手に見える渡り廊下から男女の集団が近づいてくる。呆然と眺めているうちに、彼らはある1人の女子とその取り巻き連中だと分かった。取り巻きを従える彼女は、他の生徒と同じような身なりをしながらも、明らかに異なる風格を纏っていた。
彼女と目が合う。彼女は、優莉を認識すると立ち止まって驚く様子を見せた。
(えっなに)
「どうされたんですか? ヒメル様」
「ヒメル…」
「君は…」
「ヒメルお姉ちゃーん!!」
駆けてきたユキが彼女に抱きついた。遅れてフレーとアリーもやってくる。
「ああユキちゃん! 久しぶり」
「ヒメル嬢、お久しぶりです」
「どうもどうも」
「フレー君と弟君も久しぶりだね。魔導師の仕事は順調?」
「一つひとつしっかり地道にこなしているつもりです」
「君らしいね」
「ヒメル嬢。彼は、今私達と共に旅をしているユーリです」
「は、はじめまして…」
「この方がヒメル・ダイナレスト嬢だよ」
「うん」
彼女こそ、優莉達の会おうとしていたヒメルだった。ユキが"お姉ちゃん"と呼んでいる事とこの学園に居るという事から察してはいたが、目覚ましい活躍に対し彼女はまだ若く、フレーと同じくらいの年齢をしていた。フレー達もそうだが、この世界の若者は優秀すぎる。
「彼と、あなたが作られたという楽器・ベルリスの縁で、非常に愉快な体験ができました。今日はそのお礼を申し上げたく参上した次第です」
「ふ~ん…」
「また、彼の遭遇した特殊な事象について――」
フレーがそこまで言いかけると、ヒメルは急に優莉に話し始めた。
「ねえユーリ君、私とちょっと遊ばない?」
「えっ」
校舎に囲まれた中庭は、中央が構造物も植物も無い汎用的な場所になっていた。ヒメルに声を掛けられた生徒達によって、瞬く間に置かれていた机やベンチが隅へ寄せられる。彼女は再び姿を現すと2冊の魔術書を地面に置いた。魔術書は地面に長方形の枠を描き、それを半分に区切るように光の柵を形成する。
「はい。これ持って向こう側行って」
「何ですかこれ・・・」
優莉が渡されたのは、大きなしゃもじのような形をした木の板だった。
言われるがままに、優莉はヒメルが飛ばしてくる球を木の板で打ち返す。彼女も優莉の飛ばす球を打ち返した。2人は、光の柵を挟んで球の打ち合いを続ける。
「打ち返すまでに1回は跳ねさせてもいいよ!」
「はい~…」
(テニスかな…)
優莉は運動が得意ではない。運動音痴なみっともない動きをする優莉を、フレー達は生暖かな目で見守った。校舎から学園の生徒達も見物する。
(僕はなんでこんな事させられてるんだろ…)
「えい!」
「うあっ!?」
強烈な球が枠内ギリギリをバウンドしていった。
「相手が球を返せないか打ち損ねたら、自分の勝ち! どう?このルールは」
「新しいスポーツの開発なら僕よりフレーやアリーの方が良い相手できますよ!」
ヒメルは飛ばした球を魔法で操り、手元に戻す。
「君に遊んだ感想を訊きたいんだけどな~」
「ええ~…」
「ユーリ! 頑張ってー!」
「ヒメルお姉ちゃんの相手をしてあげてくださーい!」
「ええ…」
結局、休み時間の終わりが来るまでヒメルの遊びは続いた。優莉は彼女の機嫌を損ねないよう、翻訳魔術書を外し、上の制服を脱いでまで必死に球に喰らいついた。それでも傍から見れば役者不足のまま終わったが、ヒメルは満足そうにしていた。
「僕が… やる意味… あったんですかね…」
「君の頑張る姿、見てて楽しかったよ」
「はぁ・・・」
優莉はベンチの背もたれに手をつきながら、呼吸を整える。
「これ、なんて言う遊びなんですか?」
「名前はまだ考えてないんだ。…ユーリ君は良い名前思いつかない?」
「へ…」
「…"ジュドポーム"とか」
ジュ・ド・ポームとは、テニスの原型になったとされるスポーツだ。まだ今後どう変化するか分からないこの遊びに"テニス"と名付けるのは良くないと思った優莉は、歴史の教科書で見たこの名前を代わりに答えた。
「ジュドポーム、かぁ…。うん、分かった、候補に入れておくね」
見物していた生徒達は、始業に備えてそれぞれの場所へ去っていった。
ユキが、ヒメルに渡された魔術書を首に掛ける。魔術書は吹奏楽の時と同じ開発用の物で、首に掛けるには少し大きかった。ユキが手のひらを出して念じると、その上に光の砂時計がみるみる形成される。
「すごーい!!」
ユキは嬉しそうに驚くと、今度は光の翼を出して体を浮かせた。
あの後、優莉たち4人はヒメルの自室に案内され、研究資料や過去に彼女が発明した物を見せてもらっていた。中にはベルリスの試作品もあった。整頓されながらも並ぶ品々に統一感の無い部屋は、彼女の多才さと好奇心を感じさせる。
「あれはブックヴァレットに使った技術の応用で、魔力は持ってるけど魔法が使えないって人でも魔力に乗った意思を読み取らせて間接的に魔術を使用できるの」
ユキは部屋を飛び回りながら遠隔で人形を動かす。それを眺めながら、優莉は疑問に思った事をヒメルに尋ねた。
「普通に魔術書を使うのとは違うんですか?」
「君も魔法使えないんだね」
「あ、はい」
「普通の魔術書だと、使う時はちゃんと手に取って魔術を選択しないといけない。あれは身に着けるだけで、所持してるだけで望む魔術が使えるのが利点かな」
「へぇ~」
「ユキ、そろそろユーリにも魔術書を貸してあげて」
そう言うフレーは、先程からなぜか複雑な表情をしていた。
ユキはゆっくり着地すると魔術書を優莉に渡す。優莉は許可証を一度ポケットにしまい、翻訳魔術書の上に渡された魔術書を掛けた。
魔法の出し方が分からず4人に目線で助けを求める。
「…使いたい魔術をイメージして振る舞えば発動できるはずです」
「最初は何か光で作ってみるといいかも」
「よぉし・・・」
優莉は右手を掲げ念じる。すると、手元からだんだん光が伸びていき、絵に描いたような両刃の剣が形成された。
「おおおおおおお!!すごいいい!!」
優莉はアリーとユキの助言を受けながら魔法を試していく。それを見てヒメルはフレーに話しかけた。
「ねえフレー君、彼が遊んでる間に学長に挨拶してきたらどう? 彼の事は私が見てるから」
「ええ?」
「ユキちゃんはいずれここに入る。せっかく来たついでに顔を出しておくべきだよ」
「しかし、ユーリについてお話ししたい事が…」
フレーが再び優莉の方を見ると、彼は形成した光の剣同士に無人チャンバラをさせており、はしゃいでいた。
「…分かりました。彼の事はまた後ほどお話ししましょう」
フレー、アリー、ユキの3人は、学園の長に会うために部屋から出て行った。優莉は彼らが戻ってくるまでの間、今しか使えない魔法を存分に楽しむことにする。
「あ、あれ…?」
ヒメルに延焼を防いでもらいながら火炎を放っていると、炎の勢いがどんどん弱まり思うように出せなくなってしまった。
「魔力切れかな。これ以上やると疲れるよ」
「そうなんですね」
「座って休もう」
優莉はヒメルに促されて椅子に腰掛ける。彼女も他の椅子に座る。
「魔法を使うのは楽しかった?」
「はい! やっぱり自分で出せるのは気持ち良いです」
「よかったよかった…」
「今日はありがとうございます。ヒメルさんのおかげで、使えないままだと思ってた魔法を使うことができました。嬉しかったです! 一生の思い出にします!」
「・・・ユーリ君」
「はい」
「円周率の値っていくつ?」
「はい?」
「急に何訊くんですか」
「いいから答えて」
突然の意味不明な質問に、優莉はこれでいいのかと恐る恐る答えた。
「3.14… 1…592…」
「…この世界の円周率は6.28、半径基準なの」
「・・・」
「流石に分かりますよね… この世界の人間じゃないって」
「私もπ=3.14の世界から来たの」
「えっ!?」
「いや、来たと言うより輪廻転生したのかな…」
「君はそのまま移動してきたみたいだけど。で、帰れないから賢者様を頼りにここまで来た」
「…その通りです」
「私はね… 友達が車に轢かれそうになったんだよ。それを助けようとしたら、気付いたら自分が代わりに死んでた。そしたら神様みたいな人が現れて、『かわいそうだから』って記憶をそのままに転生させてくれたんだ」
(本物の異世界転生者じゃん…)
「じゃあさっきのテニスとかベルリスは…」
「やっぱりテニスだよね! 違う名前言うから心配しちゃった」
「あはは…」
「そう、前居た世界のを再現しただけ。あでも、その魔術書とかブックヴァレットとか、正真正銘私の発明もたくさんあるよ!」
「へぇ~…。天才なのは本当なんですね」
「あ~・・・」
「転生する時、神様みたいな人が好きな能力を1つだけ授けてくれたの。全知全能はお願いしてもダメだったから、それぐらい便利な能力を考えて、授けてもらった」
「なんでも望むモノをくっつけたり、引き離したりできる能力を」
「・・・曖昧ですね」
「そこが便利なんだよ。この能力で、転生した最初の両親を引き離して良い家を呼び寄せたらダイナレスト家の養子になれた。しかも実子と同じくらいの厚待遇」
「ええ…」
「今の私の頭の良さも、顔も、体も、運動神経も魔術センスも、人脈も好き勝手できる環境も全部この能力で手に入れた物だよ」
「チートじゃないっすか…。なんか涼○ハ○ヒや○カーレット○ィッチみたいですね」
「え?」
「似たような能力持ってましたよね?」
「いやごめん… その2つが分からない」
「あれ? MA○VELとかアベ○ジャーズとか聞いた事ないですか?」
「たぶん、私達の居た世界は似てるけど微妙に違うのかも」
「そっか…」
「…私ね、能力のおかげで充実した生活を送れてた。けど、ふと何か物足りなく感じちゃって、普段とは違う事、何か特別な事が起きないか、私がビックリするようなモノがやってこないか願ってたの」
「」
「そしたら… 君が現れた」
「…え?! 僕がこの世界に来たのあなたのせいですか!?」
「いや違う! それは私のせいじゃない」
「私の能力が効く対象かどうかはなんとなく分かるんだよ。で、ユーリ君を君の元居た世界にくっつけようとしても、この世界から離そうとしてもできないって分かる。だから、私の能力でも君を世界を跨いで移動させることはできない。君をこの世界に移動させたのは、私の能力じゃない」
「・・・」
「でも、この世界に来てしまった君が今ここに居るのは、私の能力かな」
「…賢者様に会ったら僕帰れるんですかね? ヒメルさんの能力で無理なら賢者様でも無理じゃないですか?」
「いや、それは分からない。会ってみるべきだよ。賢者とか言って実は私が会った神様みたいな人かもしれないし」
「私も君達が賢者様に会えるよう願ってるからさ」
部屋の扉が開き、挨拶を終えたフレー達が入ってくる。ヒメルは、優莉の事情は全て聞いたとフレーに伝えた。
4人は学園を後にして、入山の手続きを行った役場へ向かう。その道中、優莉は元の世界に帰ることができるのかずっと気にしていた。元の世界で待つ人達の為に、帰れるなら帰りたい。
でも、もし帰れなかったとしても…。
― 第5話 終わり ―