青学大共産同叛旗派。
セクトであった事を隠さない人だっ
た。共産同叛旗派はマル戦派と並
ぶブント(共産同)内の右派であり、
東大安田攻防の後に登場したブン
ト赤軍派、執行部中央を握るさら
ぎ、戦旗派と対立していた。
三上さん、神津さんとこの叛旗派
は73年に自主解散。
川上さん、嵯峨さん、成島さんの
マル戦派は86年に自主解散。
マル戦、叛旗、情況は、ブント内
の良心とも呼ばれていた派だった
が、現在は全て存在しない。
自ら存在させていないという時点
で、良心の一端を見せている。
セクトが居残りでカルトに変質し
たら最悪で、人を平気で殺し出す。
今残ってる旧「新」左翼がほぼそれ。
圓楽は学生時代の事を「シンパじゃ
ない。セクトだ」と自分の事をイ
ンタビューで答えていた。
1968年4月青学入学。東大安田砦も
神田カルチェラタンもよく知って
いる。
早稲田の叛旗や他のブント系は、
早大から青解が消えてからの革マ
ル独裁体制により青学に亡命政権
を作るのが常だった。また、他の
各私大に逃れ散って活動せざるを
得なかった。私の時代でさえ、
革マルに拉致されたら千枚通しで
ブスブスだったのは事実だ。
仏式ならば、あの世は天国ではな
く極楽だろう。
投石をやめて、笑いで人を幸せに
しようとした。学生ウンドやめて
からはその道に圓楽さんは生きた。
おつかれさま。
こうかいなどせずに、まだまだ、
おいらくの続きが見たかったよ。
一足先に向こうで一席やってくれ。
そのうち、みんなそちらに行く。
そっちに行けない地の獄の奴らも
いるだろうが。