春を導くは偉大な赤いアイツ   作:ヒヒーン

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偉大な赤いアイツ、呼び出しされる

 トレセン学園の教師というのはとても大変な仕事である。

 

 たとえ日本一を誇るトレセン学園といえど学校は学校。在籍するウマ娘達にはレースに関することだけでなく世間一般的な基礎知識も教えなければならないのだが、超マンモス校であるトレセン学園の生徒数は半端ではないほどに多い。

 

 そのため、教科ごとにある程度は分かれているがそれでも教師に対して受け持つクラス数が多く、クラス毎で授業計画を立てたりプリントの準備などで毎日が大忙しなのだ。

 

 それに加え、クラスの担任教師ともなると更に別の仕事も発生する……クラスの運営である。

 

「うぅ……しんどい〜……」

 

 職員室にて割りあてられた作業机の上に突っ伏し、1人の女教師が苦しげな声を上げており、それを近くで見ていた他の教師達は可哀想なものを見るような目を向けるも誰も声をかけようとはしなかった。

 

 一見すると薄情と思われるかもしれないが、しかしそれも彼女を苦しめている原因を聞けば誰しもが答えに詰まるため、今では話しかける人物が誰も居なくなってしまっていたのだ。

 

「セクレタリアトさんが来てからというもの、クラスの空気がずっと重いぃ……!」

 

 少し前に留学してきたアメリカの三冠ウマ娘、セクレタリアト。そんな大スターが在籍するクラスを受け持ってしまった彼女はセクレタリアトが来てからというものずっとクラスの空気が冷えきっていることに頭を悩ませ続けていた。

 

 原因は言わずもがな、セクレタリアトが自己紹介の時に話した内容が切っ掛けだ。あれ以来クラスは常に緊張感でピリッとしており、誰もがセクレタリアトに対する闘争心を胸に抱いているせいかクラスで和気藹々とした空気が生まれようとしないのだ。

 

 ナリタブライアンやヒシアマゾンなどの一部のウマ娘はたまにセクレタリアトと話したりすることもあるらしいが、それでも大多数のウマ娘はセクレタリアトに対して話しかけたりするようなことがほぼ無い。

 

 そりゃ初対面で自分のことを格下に見てくるような気に入らない相手に話しかけるつもりなんてよっぽどのことがない限り起きないのは重々承知だが、担任教師としてそんなクラスの状況を見過ごせる訳もなく、彼女は何とかしてクラスの空気を良くしようと努力してきたのだが結果は尽く失敗。

 

 どうやったらクラスの雰囲気が良くなるのか同僚や先輩教師に聞いても笑顔で「頑張れ!」と励まされるだけ。そんな応援よりも的確なアドバイスをくれ! と何度キレ散らかそうと思ったか分からないぐらいに彼女は疲れきっていた。

 

「セクレタリアトさんも悪い子では無いんですけどねぇ……ちょっと天然な所はあるけども」

 

 あの自己紹介の後、セクレタリアトと個人面談をしてみれば意外と気さくで話しやすいし、アメリカで仕事をしていたからなのか目上の人間と話す時のマナーもしっかりしているし、発言自体も本当に裏の意図などはなくただ額面通りにそう思ってるだけということがすぐに判明したことから、セクレタリアト自身は特に悪い人物では無いことを彼女はすぐに理解していた。

 

 それをクラスの皆にも分かってほしいと頑張ってきたものの、年頃で多感な時期の少女達の誤解を解くことは出来ずに今に至ってしまう。

 

「胃が痛い……薬飲も……」

 

 どうすれば皆にもセクレタリアトのことを理解してもらえるのか。その解決策が全然分からず、胃痛で苦しむ毎日を何とか胃薬で我慢しながら彼女は今日も仕事を頑張っていた。

 

 ……そんな彼女の所に、1人のウマ娘が近付く。

 

「あ、居た居た。先生おはようございます」

 

「へぁっ!? セ、セクレタリアトさん!?」

 

 悩みの種の元凶ことセクレタリアトが始業前だというのに朝からやって来たことで、完全に油断しきっていた彼女は驚きのあまりガタッと大きな音を立てながら机から身体を起こして立ち上がった。

 

「こ、こんな朝早くからどうしました? ま、まさかクラスで何か起きたとか!?」

 

「クラス? いや、別に何も無かったですよ?」

 

「そ、そうですか……では、何の用でここに?」

 

 クラスで何か問題が起きた訳じゃないことに彼女はホッとため息をつくが、しかしそれならセクレタリアトが何の用で職員室に来たのか疑問に思いそう聞いてみれば───

 

「あぁ、実は俺とキングヘイローとハルウララの3人でチーム作ることになったんで、申請用紙が欲しいんですけど何処で受け取れるのか聞きたいんですけど……先生がその用紙持ってたりします?」

 

「……アッハイ、モッテマス」

 

「お、本当ですか! それならちょうど良かったです!」

 

 あのセクレタリアトがチームを作るというとんでもない爆弾を投げ返されて、今日はいつもよりも多く胃薬を飲むことにしようと彼女はチームを作成するために必要な申請用紙を手渡しながら決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は進み放課後。ほとんどの生徒達が帰宅するかトレーニングに励む頃、セクレタリアトとそのトレーナーであるクリストファーは2人以外誰もいない夕焼け色に染まる廊下を歩いていた。

 

【……チームを作るってだけでなんで俺達は生徒会に呼び出しされてんだろうな】

 

【……お前がもう既に引退している身なのにチームを作ろうとしているからじゃないか?】

 

【いや、それはそうなんだろうけど……一応事前に確認はしたんだぜ? 引退したウマ娘でも条件によってはチーム登録可能かって】

 

 そう言って心底不思議そうに首を傾げるセクレタリアト。そもそもどうしてこうなったかというと、事の発端は早朝に担任教師からチームの申請用紙を受け取ってからクラスで記入欄を書いている時のことだった。

 

『……ん? セクレタリアト。その用紙は何だ?』

 

『あぁ、おはようブライアン。チームを作ることにしたから今は申請用紙に記入してる最中だぞー』

 

『なに……!? ちょっと待て!』

 

 たまに話し合う程度には仲良くなれたナリタブライアンにセクレタリアトがチームを作るということを語るとストップがかかり、すぐさま何処かへと連絡を取ると『今、会長と話した。チームの事で話し合いたいことがあるからトレーナーを連れて放課後に生徒会室へ来い。ここだと人目が多すぎる』と言われ、その有無を言わさない気迫に負けてあれよあれよと流されている内に気付けば放課後に生徒会室へ呼び出されていたのだ。

 

【ん〜……まぁでも、引退したウマ娘がチーム作ろうってしてんだから普通に考えたらそりゃ止めるよなぁ。チーム作るってなったらレースで走りたいんだろうなって誰でも思う訳だろうし】

 

【……アメリカではカムバック制度がしっかりしてるおかげで1度引退しても実力さえあれば現役復帰出来るが、日本ではそういう事例が無いからな】

 

 海外と日本においてウマ娘に関することは幾つか違いがあるが、その中の大きな1つとして引退したウマ娘の現役復帰に関するルールがある。

 

 海外においては故障などで引退したウマ娘であっても、身体が完治すれば現役復帰してGⅠレースに出走することが出来るのだが、日本においては1度引退してしまうと地方のレースならともかく、中央のレースでは現役復帰することが出来なくなってしまうのだ。

 

 これは昔現役を引退してから復帰したウマ娘が中央のレースに出るためのトレーニングに身体が耐えきれず故障を起こしてしまったことが原因であり、その事件があって以来日本では引退したウマ娘が中央のレースに出ることは出来なくなってしまった。

 

 そのこともあって引退したウマ娘に関しては日本はかなり厳しいのだが、セクレタリアトはあくまで海外で活躍して引退したウマ娘。

 

 それが日本においてどのような裁定をされるのかは非常に曖昧な所であり、気になったセクレタリアトが事前に確認を取った所『中央レースには出走できないが、身体能力に対する試験と診査を受けレースにいつでも出られる程の能力を有していると学園から判断されればチーム登録自体は可能』という回答を受け取った。

 

 引退はしたものの、身体を鈍らせない為にもトレーニング自体は現役時代と比べるとかなり減らしてるとはいえある程度は続けているし、そのこともあって全然ピンピンしているセクレタリアトからしてみればその条件は受けるのがめんどいものの余裕で合格できるような物でしかなかった。

 

 だから気楽にチームを作ろうと考えていた訳なのだが……。

 

【俺、レースに出る気はサラサラ無いんだけど……もしかしてそこら辺勘違いされてんのかなぁ】

 

【……かもしれんな。ましてやお前はアメリカの三冠ウマ娘。それがチームを作るってなれば誰だってお前が日本で現役復帰をするつもりだと思って話も大きくなる】

 

【やっぱりか……もう俺はレースで走るつもりなんて無いんだけどなぁ……はぁ……】

 

 ガクッと肩を落としてため息をつきながらセクレタリアトはとぼとぼと歩き続けようとしたが、隣で歩いていたクリストファーが突然足を止めたのを見て自然と足を止めてクリストファーの方へと身体を向けた。

 

【トレーナー? 急に立ち止まってどうし───【ねぇ、セク】】

 

 急に足を止めたクリストファーを不審に思い声をかけると、言葉を遮ってセクと呼び掛けられたことでセクレタリアトは眉を顰めた。

 

 クリストファーがセクレタリアトを愛称で呼んだ。それは決まってトレーナーとその愛弟子としてではなく、家族として話したい時だけだ。

 

【もう一度だけでいい。レースに復帰してみないかい?】

 

 先程までの無表情で威圧感を纏っていた姿から一転し、クリストファーは物悲しげな表情を浮かべながらセクレタリアトに優しい口調でそう語りかけた。

 

【……その話はもうずっと前から何度もしただろ、クリスおじさん。俺はもうレースには復帰しないって2人で話し合って決めたはずだ】

 

【あぁ、けど僕はその選択を受け入れた訳じゃない。僕はトレーナーとして、1人の叔父として、そして1人のファンとして君が走る所をもっともっと見ていたいんだよ】

 

【……どうして今になって急にその話をしたんだ?】

 

 クリストファーの話を静かに聞いていたセクレタリアトは視線を鋭くしながら問いかける。もう話し終わったはずの話をぶり返してきた切っ掛けはなんなのかと。

 

【昨日の模擬レースを見て思ったんだ。キングは素晴らしい素質を持っている。状況を常に把握できる冷静な判断力。大抵のウマ娘ならば最後の直線で必ず差し切れる末脚。そして何よりもどんなトレーニングだろうと絶対に逃げ出さない根性。特別な才能は無くとも、彼女の走りならこれからも沢山のレースで勝つことが出来るだろう。だが、彼女は───絶対に越えられない壁(・・・・・・・・・・)という物を知らない】

 

 キングヘイローは幼少期から母親に憧れ、一流のウマ娘となるべく様々な『障害』を乗り越えてきた根性のあるウマ娘だ。

 

 だが、キングヘイローはまだデビューさえしていない新人。故に、彼女はまだ本当の意味での『障害』という物に出会った事がないとクリストファーは語った。

 

【どれだけ練習を積んでも、どれだけ作戦を練ったとしても、絶対に勝てないウマ娘が世の中には居る。ウララもキングもこれから先もっと強くするのなら、戦う場所は自然と日本ではなく世界になる。そんな時……彼女達が本当の意味での『障害』とぶつかってしまった時に、その心が折れないかどうか……】

 

【……なるほどな。だから事前に俺が2人に対するその『障害』になれってことか?】

 

 セクレタリアトがそう問うと、クリストファーは首を縦に振った。

 

【確かにおじさんの話には一理ある。だが、それなら別に俺がレースに復帰しなくても2人と併走トレーニングでもすりゃいい話じゃねぇか?】

 

【いいや、それじゃあダメだ。セクも分かっているだろう? トレーニングとレースじゃ全然違う。絶対に負けられないからと全力を出し、汗の一滴まで燃やし尽くして勝利を目指して走るレースと、本番に近いとはいえあくまで練習の一環でしかないトレーニングとでは実感が違いすぎる】

 

【……俺じゃなくてもいいじゃないか。日本にだって強いウマ娘は沢山居るだろ】

 

【あぁ、確かに居るね。だが、キング達なら努力すれば勝てる程度の実力(・・・・・・・・・・・・・)だ。それでは『障害』とは言えない】

 

 クリストファーは日本に来てからというもの、ずっと日本のウマ娘達のことを調べていた。トレーナーとしての見る目も一流である彼がそう語る以上、その言葉は決して間違っていないのだろう。

 

【セク、君だ。君だけなんだ。彼女達の『障害』として立ち塞がれる"世界最強"は君しか居ないんだ】

 

【ッ……!】

 

 自分だけしか居ないと言われ、セクレタリアトは何かを言おうと一瞬だけ口を開くもすぐに閉じ、苦しげな表情をしながら拳を強く握り締めた。

 

【……俺はッ、レースに出ない】

 

【セクッ!】

 

【来んなッ!】

 

 まるで何かを吐き出すかのようにそう呟き、背を向けて歩き出したセクレタリアトにクリストファーが手を伸ばそうとすると、強い拒絶の言葉をぶつけられ思わず動きを止めた。

 

【……生徒会室には俺一人で行く。おじさんには悪いがもう帰ってくれ】

 

【セク、僕は……】

 

 立ち去ろうとするセクレタリアトになんと声を掛けるべきか、口に出す言葉が思い浮かばず迷うクリストファーに対しセクレタリアトは背を向けたまま歩き───

 

【おじさん、俺はもう……誰も壊したくねぇんだよ……】

 

【───】

 

 その囁くような小さな言葉にクリストファーは遂にかける言葉を無くし、セクレタリアトはそのまま歩き去っていった。

 

 後に残されたクリストファーは暫くそのまま立ち尽くしたままだった……伸ばした手は何も掴むことは無かった。


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