女優・常盤貴子が語る‥「ドラマ女優」と「映画女優」の違いって何だろう

女優人生32年目の実感

連ドラは、主演俳優を中心に動くもの

撮影/Takuya Uchiyama

連ドラの主演俳優には、演じることのほかに、大切な役割があると私は感じています。それは「現場を作る」ことです。

たとえば、監督からよく、「あなたはどうしたいの?」と意見を求められます。それに答えられないと立派な主役とは見なされません。

連ドラは主演俳優を中心に動く風潮があります。視聴率も気にしなければいけません。主演俳優はさまざまなプレッシャーと向き合うものなのです。

 

私はデビュー2年後の1993年、『悪魔のKISS』で初めて連ドラの主役のひとりに起用されました。以降、ほぼ途切れることなくドラマに出演し、連ドラの主演を7連投したこともあります。

通例では1回主演したらワンクール空けるものなのですが、若かったからでしょうか、私は限界まで走り続けてしまいました。

とりわけ、『愛していると言ってくれ』(1995年)のときは忙しかった。

早朝から夜中まで撮影があり、私は聴覚に障がいのある画家(豊川悦司)の恋人役だったので手話を覚えなければならず、夜中に家に帰ってから手話の練習をして、そのあとお風呂に浸かりながら夜食を食べたり、セリフを覚えて演技プランを練ったり、という日々でした。

そのようにドラマに出続け、疲れ切った私を目覚めさせてくれたのが映画でした。

香港映画『もういちど逢いたくて~星月童話』(1999年)で香港のトップスター、レスリー・チャンの相手役を演じてから、映画出演の機会が増えていきました。

撮影/Takuya Uchiyama

これはあとになって腑に落ちたことですが、映画というのは監督のもので、俳優はコマに徹します。主演俳優が現場を動かすことはありません。じゃあ俳優のプライドは? と思った時期もあります。

でも、あるとき、はっきりわかりました。監督から想定外の演出を告げられたり、現場が不測の事態に見舞われたとき、どのように対応できるか。それが俳優の腕の見せどころではないのかな、と。

大林宣彦監督の最後の作品になった『海辺の映画館—キネマの玉手箱』(2020年)に出演したときのことです。

大勢で歌って踊るシーンがありました。台本に沿ってみんなで練習を重ね、本番の前日に大林監督に見てもらいました。監督は「ま、基本はそんなところだね」と言ったのですが、本番で監督から出た指示は、曲も踊りもそのフォーメーションもまったく違うものでした。

さすが大林監督。常識になどとらわれない人です。

私たちも覚悟を決めて、監督の演出のもとでコマになり、なんとか対応できたときの嬉しさは格別でした。

コマに徹しても輝くのが俳優。それがデビューして32年目を迎えたいま、私が感じていることです。

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