前回『部外者の立場からColaboデマを検証する』を公開し、大きな反響をいただきました。部外者が出しゃばって書いた記事でしたが、「平均的な読解力を有する」読者からの反応はおおむね好意的で安心しました。
とはいえ、「平均的な読解力を有しない」読者からの反応は、当然ながら最悪です。読めてないからね。もっとも多い反応は、当該記事がColaboに対する「疑惑()」における重要な要素を無視しているという点です。
それは、Colaboの「政治活動」に関するものです。前回の記事には入れなかったところなので、今回はこれを検証(というほどのものではないけど)していきましょう。
(「疑惑()」という表現が鬱陶しいかもしれませんがご了承ください。デマゴーグの狙いは合理的で妥当な疑いから生じる疑惑と、自分たちが作り出したデマによる「疑惑()」を言葉の上で混同させあたかも自分たちにも一定の妥当性があるかのように見せかけることです。そのため、一般的な意味での疑惑と彼らが作り出した「疑惑()」は明確に区別する必要があります)
といっても話は簡単で、これは本件の中心的デマゴーグである暇な空白のnoteを見れば即座にわかることです。彼のColabo関連のデマ記事で最初に公開されたのは『仁藤夢乃さんとColaboの支援事業について調べてみました』であり、資金関連のデマを書き立てたものです。その後公開された記事は7本ありますが、そのうち政治活動「疑惑()」を中心に扱っているのは、タイトルからもわかるように2本に過ぎません。Colaboデマは最初から資金関連のデマを中心的に流布するものでした。
暇な空白のデマを信じながら資金関連のデマを粉砕されたミソジニストたちは、自分たちが「論破」されておらず未だに自分の側に分があるかのように振る舞うがために、私の記事が言及しなかった(というか、言及する価値なしと判断した)部分を持ち出したのでしょう。いわば、「ゴールポストを動かす」というやつです。
仮に政治活動「疑惑()」が残っていたとしても、大きな割合を占める部分で悪意あるデマを流布したことには変わりありません。であれば、政治活動「疑惑()」を論じる前に、そうしたデマを信じ込み、また拡散したことを素直に詫びるのが筋というものです。それが出来ないのは、彼らが真摯に疑惑の解明をしたいと思っていない証左です。
彼らが私(正確には、私ではなくColabo関係者)に対し第一に発言できるのは、常識で考えればあり得ないとわかるはずのデマを信じ込み、また拡散したことに対する謝罪だけです。それをすることなく、Colaboに対し(あるいは私に対してもですが)新たな「疑惑()」の説明を求める権利は一切ありません。無礼にもほどがあります。
もう少し詳しく説明しましょう。Colaboが助成を受けている『都の若年被害女性支援事業』の要綱には『政治活動を主として行う団体は除く』という文言があるようです。で、暇な空白の認識ではColaboは政治活動を行っているのでこれに反しているということですね。
結論から言えば、Colaboが『政治活動を主として行う団体』であるという主張は明らかに無理があるでしょう。仮に暇な空白の主張を丸のみにしたとしても、Colaboがかかわった「政治活動」は「代表が時々政党とかかわる活動をする」と「被支援者を時々色々なところに連れていく」程度であり、毎週レベルで実施しているバスカフェやその他の支援活動に比べて明らかに低頻度です。
おそらくですが、『政治活動を主として行う団体』として想定されているのは「安倍晋三後援会」みたいな直接具体的な政治家や政党を支援する団体、あるいは「選択的夫婦別姓を実現する会」みたいな具体的な政策の実現を目指すような団体でしょう。要綱の中に『主として』というある種の逃げがあるのは、何をもって政治活動と見なせるのかが困難であると同時に、広く社会に影響する支援活動をしていれば政治家への陳情や、逆に政治家が視察すると言った活動を行うことはあり得、これらを一切禁じることが非現実的だという事情があるのだと思われます。要するに、誰の目にも政治活動団体であることが明らかなら流石に制度の趣旨から外れるので対象外、くらいの規定です。
もちろん、何をもって『政治活動を主として行う団体』と見なすかは曖昧です。私は団体が割いている労力や活動頻度からColaboが『政治活動を主として行う団体』ではないと指摘しましたが、「いいやそれ以外の基準があるんだい!」と強弁されれば「そうかもしれないねぇ」としか言えません。
ちなみにですが、「共産党と強い繋がりがある」程度では『政治活動を主として行う団体』と認められることはないでしょう。重要なのは団体が「何をやっているか」であり、どういうイデオロギーを持っているか、どういう人たちと仲がいいかは関係がないからです(そもそも『行う団体』って書いてありますしね)。例えば日本ミャンマー協会の最高顧問は麻生太郎であり、「自民党と強い繋がりがある」団体ですが、だからといって日本ミャンマー協会が『政治活動を主として行う団体』かどうかは活動内容によるとしか言えません。
もっとも、Colaboの活動はこうした「政治活動」を含めて公然となっており、東京都が知らないはずはありません。それでもなお助成が受けられていることから、都の判断内容は自明でしょう。それが不当だと主張するのは自由ですが、よほどの根拠がなければ難しく、また現状そのよほどの根拠が存在しているようには見えません。
この点に関しては、厳密にいえば公選法に反するかもしれないが、セーフの範疇とも言えるし、少ないとも目くじらを立てるほどではないのではと言わざるを得ません。というのも、公選法はとにかくややこしいうえに不合理な規制が無数にあるためです。(このことから、私が妥当性を論じれるか微妙だったので前回の記事では触れなかったという側面があります。もちろん、それは暇な空白レベルでは猶更到底扱いきれない論点だという意味でもありますが)
特に「疑惑()」のうち後者は『セーフの範疇とも言える』ものです。公選法は期間外の選挙運動を禁じていますが、一般論としてある人に国会に行ってほしいという希望を述べることは選挙運動ではないからです。(なんか卑怯だなと思うかもしれませんが、文句は法律に言ってください。これこそが公選法の不合理さです)
前者に関しては、公選法の観点から好ましくない発言であることは確かでしょう。とはいえ、一市民がぽろっと漏らした一言に目くじらを立てることが妥当かは疑問ですし、仮にこのような発言をいちいち取り締まっていてはそれこそ言論の自由が崩壊します。専門用語でいえば、可罰的違法性があるか疑問、ということです。
もちろん、この発言を公選法違反だと主張するのは自由です。しかし、そんなに公選法が大事ならもっと批判すべき集団がいます。お金を配った某与党とか。それへの言及無しにちまちまとこうした「疑惑()」を言い立てれば、その目的はおのずと明らかだと言えましょう。
一つ目、仁藤氏の著書である『難民高校生』を彼はわざわざ読んだようですが、その感想が酷いいちゃもん、妄想レベルです。
そもそも、10年以上前の出来事を正確に記憶している人は少なく、経験した年齢を数年混同するのは不自然でもありません。誘拐未遂という衝撃的な出来事でそんなこと起こるのかと疑問に思うかもしれませんが、別に不思議ではありませんし、むしろ衝撃的だからこそ正確に記憶できないということもあるでしょう。『抑圧された記憶の神話』などを参照するとよくわかることです。
また、被害の内容についても違うのだと主張したいようですが、表現による誤差にすぎない範疇です。例えば『夜道で突然車に連れ込まれそうになった』と『夜道で突然手と口を押さえられ車に連れ込まれそうになった』はそれぞれ別に矛盾するものではありませんし、『大声を出したら男が逃げていって遠くに停めていた車で走り去った』も同様です。
そして、ミソジニストが絶対に思いつかないことでしょうが、15歳と17歳でそれぞれ別の被害に遭っている可能性も、高くないながら否定もできません。この仁藤氏の証言を年齢の食い違いだけで疑うのは、「安全な日本で何度も被害にあうわけがない」という無根拠の思い込みに過ぎません。
第一、この証言で仁藤氏が言いたいことは(内容はそれぞれの文脈によりけりですが)ほかにあり、年齢や手口の小さな差異でその主張が否定されるものではありません。枝葉末節に拘るのは、それによって氏の主張がいい加減であると印象操作したいがための、ためにする無意味な議論に過ぎません。
同様のいちゃもんは『「共産党に繋がることができますよ」Colaboと仁藤夢乃さんの闇を調べてみました』でも行われています。彼がいちゃもんをつけている証言は「あゆみ」という女性のものです。(証言自体は『私たちは『買われた』展』の内容であり、画像を掲載していいのか判断がつかなかったのでここでは引用しません)
いちゃもんの内容としては、仁藤氏の新著『当たり前の日常を手に入れるために』で紹介された内容と、『私たちは『買われた』展』で紹介された内容が違う、というものです。後者では『教員向けの乱○パーティーに騙されて参加させられて買春被害にあった』となっているのに、前者では友人に誘われて参加したことになっている、おかしい!というものです。
もちろん、これも解釈や表現の範疇に過ぎないでしょう。誘った友人も一緒に騙されたのか、あるいは友人が騙す側だったのかはさておき、誘われたことと騙されたことは背反するものではありません。時系列的には『私たちは『買われた』展』の証言のほうが先であると思われますが、時間が経つにつれて当初は「騙された」と認められなかった出来事の解釈が変わったということもあり得るでしょう。何より、そもそもこの2つの証言に出てくる『乱○パーティー』が同一のものであるという証拠もありません。違うパーティーを指しているなら証言内容が違うのは当然にすぎないということになります。
また、この証言で重要なのは「あゆみ」が継続的な買春被害に遭っていたこと、その内容が『乱○パーティー』という多数の男性が少数の女性を道具的に扱うものだったことであって、そこに参加したきっかけはあまり重要ではありません。別にこの証言で誰かを告発しようというものではなしに、入り口の小さな差異をもとに証言を疑うことに意味があるものではないでしょう。
ここまででわかったように、暇な空白および彼のデマを信じ込む人々は、女性の被害の証言のうち全く重要ではない些末を指摘することで全体を否定しようと試みています。この手口をみたとき、私は戦時性暴力(いわゆる従軍慰安婦)の問題を否定する歴史修正主義者を思い出しました。彼らも被害者の証言で年齢が違うなどという細かい点をあげつらうことで、被害そのものを否定しようとしていました(戦時性暴力はより昔の話なので、細かい点をあげつらうのはなおさら酷いいちゃもんでしょう)。
先ほど、私は性暴力被害の証言について『別にこの証言で誰かを告発しようというものではなしに』と書きましたが、実のところこれは正確ではありません。性暴力被害の証言が告発しているのは、性暴力を平然と振るう男とそれを放置する社会そのものです。それは必ずしも男全体を告発するものではないのですが、ミソジニストは自身の暴力性と差別性を男という生物に自明のものと思っているので、あたかも自分が攻撃されたかのように思い込み、何としてでも証言を否定して身を守らなければならないと思うのでしょう。
いや、実際には証言が告発しているのはこうしたミソジニストなので、その反応は的外れでもないかもしれません。しかし、正確に言えば、攻撃されているのは性暴力や女性蔑視という「外殻」であって、それを脱ぎ捨てた中身まで非難されているわけではありません(まぁ、脱いだと思っても体に残っていることがあるので厄介なんですけど)。外殻を脱いでしまえば問題は解決するのですが、ミソジニストは外殻が内面と一体になっていると思い込んでおり、脱ぐという発想もないのでこうした反応になるのでしょう。
暇な空白は、Colaboが被支援者の少女を政治活動に「動員」していると主張し、その「根拠()」として従軍慰安婦問題に触れる活動も挙げていました。しかし、彼らのやり口がむしろ証明しているように、日本において性暴力を否定するには、その先例である戦時性暴力被害者の経験や、彼女たちが受けてきた言われなき誹謗中傷・疑いの目にどのように対処してきたかを知るのが重要になってきます。いわば、こうした「政治活動」は性暴力被害を受けてきた少女に抵抗力を身に付けさせ、エンパワーメントするために必要な活動だったというわけです。彼らミソジニストはColaboの活動にケチをつけるどころか、活動の必要性を身をもって体現したわけですね。
とりあえず、検証そのものはここで終わりとしようと思います。実は触れていないデマやいちゃもんはもっとあるのですが、もう時間の無駄でしょう。ここまで低品質なデマを大量に否定されておいて、なおnoteにちょろっと書いてある部分が事実であるかのように突撃してくる人間は「馬鹿」の一言で切って捨てて構わないはずです。
とはいえ、「平均的な読解力を有しない」読者からの反応は、当然ながら最悪です。読めてないからね。もっとも多い反応は、当該記事がColaboに対する「疑惑()」における重要な要素を無視しているという点です。
それは、Colaboの「政治活動」に関するものです。前回の記事には入れなかったところなので、今回はこれを検証(というほどのものではないけど)していきましょう。
「本丸は政治活動疑惑」ではない
「疑惑()」そのものの検証をする前に、まず、そもそもColaboへの「疑惑()」が政治活動「疑惑()」を中心として、あるいは最初からそこに着目して行われていたわけではないことを指摘しておきます。(「疑惑()」という表現が鬱陶しいかもしれませんがご了承ください。デマゴーグの狙いは合理的で妥当な疑いから生じる疑惑と、自分たちが作り出したデマによる「疑惑()」を言葉の上で混同させあたかも自分たちにも一定の妥当性があるかのように見せかけることです。そのため、一般的な意味での疑惑と彼らが作り出した「疑惑()」は明確に区別する必要があります)
といっても話は簡単で、これは本件の中心的デマゴーグである暇な空白のnoteを見れば即座にわかることです。彼のColabo関連のデマ記事で最初に公開されたのは『仁藤夢乃さんとColaboの支援事業について調べてみました』であり、資金関連のデマを書き立てたものです。その後公開された記事は7本ありますが、そのうち政治活動「疑惑()」を中心に扱っているのは、タイトルからもわかるように2本に過ぎません。Colaboデマは最初から資金関連のデマを中心的に流布するものでした。
暇な空白のデマを信じながら資金関連のデマを粉砕されたミソジニストたちは、自分たちが「論破」されておらず未だに自分の側に分があるかのように振る舞うがために、私の記事が言及しなかった(というか、言及する価値なしと判断した)部分を持ち出したのでしょう。いわば、「ゴールポストを動かす」というやつです。
仮に政治活動「疑惑()」が残っていたとしても、大きな割合を占める部分で悪意あるデマを流布したことには変わりありません。であれば、政治活動「疑惑()」を論じる前に、そうしたデマを信じ込み、また拡散したことを素直に詫びるのが筋というものです。それが出来ないのは、彼らが真摯に疑惑の解明をしたいと思っていない証左です。
彼らが私(正確には、私ではなくColabo関係者)に対し第一に発言できるのは、常識で考えればあり得ないとわかるはずのデマを信じ込み、また拡散したことに対する謝罪だけです。それをすることなく、Colaboに対し(あるいは私に対してもですが)新たな「疑惑()」の説明を求める権利は一切ありません。無礼にもほどがあります。
どう考えても「主たる目的」ではない
では、問題の「疑惑()」の検証に行きましょう。といっても、この「疑惑()」は暇な空白がある一点を強固に主張することだけで成り立っているので、検証もへったくれもありません。空「最初に僕の感想を言います。この本によると、Colaboは共産党や韓国と強いつながりのある政治活動を主として行っています。Colaboは都の若年被害女性支援事業として税金から年間4千万以上を受け取っていますが、この要綱には「政治活動を主として行う団体は除く」とあります。この本を読む限りでは、Colaboはこれに違反していると思います」それは、「Colaboが政治活動をしている団体なのに政治団体がもらえないはずの補助金をもらっている。不正!」というものです。
なる「はっきり書いてありますね」
空「Colaboは合宿と称して、沖縄辺野古基地反対座り込みや、韓国に行って慰安婦問題団体と会合をしたり政治活動をしています。自分たちの活動に協力し参加する女の子を強く支援し、自分たちのアパートに住ませ、弁護士とともに役所に行って生活保護を受給させています。生活保護を受給している女の子たちを無給で働かせ、Colaboのお金で政治活動旅行や外食に連れて行って見返りを与えています。Colaboで支援された女の子のインタビューで出てくる、彼女たちがColaboで学んだことは、沖縄基地座り込み運動、韓国慰安婦問題団体との会合、政府与党政治家の批判です」
「共産党に繋がることができますよ」Colaboと仁藤夢乃さんの闇を調べてみました
もう少し詳しく説明しましょう。Colaboが助成を受けている『都の若年被害女性支援事業』の要綱には『政治活動を主として行う団体は除く』という文言があるようです。で、暇な空白の認識ではColaboは政治活動を行っているのでこれに反しているということですね。
結論から言えば、Colaboが『政治活動を主として行う団体』であるという主張は明らかに無理があるでしょう。仮に暇な空白の主張を丸のみにしたとしても、Colaboがかかわった「政治活動」は「代表が時々政党とかかわる活動をする」と「被支援者を時々色々なところに連れていく」程度であり、毎週レベルで実施しているバスカフェやその他の支援活動に比べて明らかに低頻度です。
おそらくですが、『政治活動を主として行う団体』として想定されているのは「安倍晋三後援会」みたいな直接具体的な政治家や政党を支援する団体、あるいは「選択的夫婦別姓を実現する会」みたいな具体的な政策の実現を目指すような団体でしょう。要綱の中に『主として』というある種の逃げがあるのは、何をもって政治活動と見なせるのかが困難であると同時に、広く社会に影響する支援活動をしていれば政治家への陳情や、逆に政治家が視察すると言った活動を行うことはあり得、これらを一切禁じることが非現実的だという事情があるのだと思われます。要するに、誰の目にも政治活動団体であることが明らかなら流石に制度の趣旨から外れるので対象外、くらいの規定です。
もちろん、何をもって『政治活動を主として行う団体』と見なすかは曖昧です。私は団体が割いている労力や活動頻度からColaboが『政治活動を主として行う団体』ではないと指摘しましたが、「いいやそれ以外の基準があるんだい!」と強弁されれば「そうかもしれないねぇ」としか言えません。
ちなみにですが、「共産党と強い繋がりがある」程度では『政治活動を主として行う団体』と認められることはないでしょう。重要なのは団体が「何をやっているか」であり、どういうイデオロギーを持っているか、どういう人たちと仲がいいかは関係がないからです(そもそも『行う団体』って書いてありますしね)。例えば日本ミャンマー協会の最高顧問は麻生太郎であり、「自民党と強い繋がりがある」団体ですが、だからといって日本ミャンマー協会が『政治活動を主として行う団体』かどうかは活動内容によるとしか言えません。
もっとも、Colaboの活動はこうした「政治活動」を含めて公然となっており、東京都が知らないはずはありません。それでもなお助成が受けられていることから、都の判断内容は自明でしょう。それが不当だと主張するのは自由ですが、よほどの根拠がなければ難しく、また現状そのよほどの根拠が存在しているようには見えません。
空「一般社団法人だからセーフセーフがはは!くらいの気持ちじゃない?税金の交付金事業で誓約書書いたことは忘れてたんでしょう。でもこれ公職選挙法違反ですね。選挙期間外における特定の選挙での候補者への投票をお願いしてるわけですからアウトです。動画は保全しました。」ちなみに、スルーしたとケチをつけられるのも面倒なので「公職選挙法違反疑惑()」にも触れておきます。『公職選挙法違反について調べてみました』とある割に具体的な事例はこの2点に限られ、大山鳴動鼠一匹とはこのことでしょう。
(中略)
空「こっちは9月25日のラジオ。「ほんとにわたし絶対この国会へ池内さんを戻したいと思ってて、絶対戻したいんですこの人を。戻さないと日本終わる。だからみんな池内さんを戻すために共産党のみんなももっと頑張ってほしい本気出してほしい」」
な「こっちは投票してとか直接的な事は言ってないですけど、ほぼアウトだし、何度も繰り返してる悪質犯ですね」
空「人を集めたイベントやラジオでやってるから故意なのは間違いないね。うっかりとかではない。まあ公職選挙法を知らなかったんだろうけど」
Colaboと仁藤夢乃さんの公職選挙法違反について調べてみました
この点に関しては、厳密にいえば公選法に反するかもしれないが、セーフの範疇とも言えるし、少ないとも目くじらを立てるほどではないのではと言わざるを得ません。というのも、公選法はとにかくややこしいうえに不合理な規制が無数にあるためです。(このことから、私が妥当性を論じれるか微妙だったので前回の記事では触れなかったという側面があります。もちろん、それは暇な空白レベルでは猶更到底扱いきれない論点だという意味でもありますが)
特に「疑惑()」のうち後者は『セーフの範疇とも言える』ものです。公選法は期間外の選挙運動を禁じていますが、一般論としてある人に国会に行ってほしいという希望を述べることは選挙運動ではないからです。(なんか卑怯だなと思うかもしれませんが、文句は法律に言ってください。これこそが公選法の不合理さです)
前者に関しては、公選法の観点から好ましくない発言であることは確かでしょう。とはいえ、一市民がぽろっと漏らした一言に目くじらを立てることが妥当かは疑問ですし、仮にこのような発言をいちいち取り締まっていてはそれこそ言論の自由が崩壊します。専門用語でいえば、可罰的違法性があるか疑問、ということです。
もちろん、この発言を公選法違反だと主張するのは自由です。しかし、そんなに公選法が大事ならもっと批判すべき集団がいます。お金を配った某与党とか。それへの言及無しにちまちまとこうした「疑惑()」を言い立てれば、その目的はおのずと明らかだと言えましょう。
それは歴史修正主義者に似て
Colaboデマにおける「政治活動疑惑()」の検証はこれで終わりです。わざわざ前回取り上げなかった意味が分かったかと思います。ここからは、今回のデマを検討する過程で見つけた、小さないちゃもんにも応じていきます。なんでそんなことをわざわざするのかは全部読めばわかります。一つ目、仁藤氏の著書である『難民高校生』を彼はわざわざ読んだようですが、その感想が酷いいちゃもん、妄想レベルです。
空「たとえば共産党と強いつながりがあるColabo代表仁藤夢乃さんはツイートでは30代の不倫男に騙されたことがあるって話をツイートしてるんだけど、難民高校生にはその話は出てこないんだ」まず、仁藤氏がかつて呟いたエピソードが、当該書籍に登場する友人のエピソードと「酷似」していることに気付いて「察し」ます。いや「察し」じゃねぇよ脳みそスポンジか?文章から「仁藤氏が友人のエピソードを自分のことのように捏造した」と主張したいのでしょうが、もちろんそんな証拠はありません。というか、この2つのエピソードの共通点は「不倫する30代男性」だけであり、そもそも類似するエピソードと言えるのかも微妙です。陰謀論者並みの推理力。
な「別に全部のエピソードを書かなくてはいけないものではないし、省いたのでは?」
空「でも共産党と強いつながりがあるColabo代表仁藤夢乃さんの友達で、34歳のバンドマンと付き合ってたら独身だって騙されてて、それでも不倫する真衣の話が出てくるんだ」
な「あっ・・・(察し」
Colaboと仁藤夢乃さんの公職選挙法違反について調べてみました
空「整理してみるとこうなる」(スクショをけして文字列へ)続いて、仁藤氏がかつての被害を証言しているところで、話によって細部が違う!というところに注目しあたかも証言が捏造であるかのように印象付けています。が、これもいちゃもんレベルでしょう。
2013年3月 17歳 夜道で突然目を塞がれたので大声を出したら男が逃げていって遠くに停めていた車で走り去った
2014年6月 17歳 夜道で突然目と口を塞がれて車に連れ込まれそうになった
2014年9月 15歳 夜道で突然車に連れ込まれそうになった
2018年7月 15歳 夜道で突然手と口を押さえられ車に連れ込まれそうになった
(太字のところ赤字とかに)
な「全部少しずつ内容違いますね。年々証言内容が変わるって・・・・・・・・・・・・・・・ミスですかね?」
空「えらいぞ。今何かを言おうとして我慢したね。わかるよ」
Colaboと仁藤夢乃さんの公職選挙法違反について調べてみました
そもそも、10年以上前の出来事を正確に記憶している人は少なく、経験した年齢を数年混同するのは不自然でもありません。誘拐未遂という衝撃的な出来事でそんなこと起こるのかと疑問に思うかもしれませんが、別に不思議ではありませんし、むしろ衝撃的だからこそ正確に記憶できないということもあるでしょう。『抑圧された記憶の神話』などを参照するとよくわかることです。
また、被害の内容についても違うのだと主張したいようですが、表現による誤差にすぎない範疇です。例えば『夜道で突然車に連れ込まれそうになった』と『夜道で突然手と口を押さえられ車に連れ込まれそうになった』はそれぞれ別に矛盾するものではありませんし、『大声を出したら男が逃げていって遠くに停めていた車で走り去った』も同様です。
そして、ミソジニストが絶対に思いつかないことでしょうが、15歳と17歳でそれぞれ別の被害に遭っている可能性も、高くないながら否定もできません。この仁藤氏の証言を年齢の食い違いだけで疑うのは、「安全な日本で何度も被害にあうわけがない」という無根拠の思い込みに過ぎません。
第一、この証言で仁藤氏が言いたいことは(内容はそれぞれの文脈によりけりですが)ほかにあり、年齢や手口の小さな差異でその主張が否定されるものではありません。枝葉末節に拘るのは、それによって氏の主張がいい加減であると印象操作したいがための、ためにする無意味な議論に過ぎません。
同様のいちゃもんは『「共産党に繋がることができますよ」Colaboと仁藤夢乃さんの闇を調べてみました』でも行われています。彼がいちゃもんをつけている証言は「あゆみ」という女性のものです。(証言自体は『私たちは『買われた』展』の内容であり、画像を掲載していいのか判断がつかなかったのでここでは引用しません)
いちゃもんの内容としては、仁藤氏の新著『当たり前の日常を手に入れるために』で紹介された内容と、『私たちは『買われた』展』で紹介された内容が違う、というものです。後者では『教員向けの乱○パーティーに騙されて参加させられて買春被害にあった』となっているのに、前者では友人に誘われて参加したことになっている、おかしい!というものです。
もちろん、これも解釈や表現の範疇に過ぎないでしょう。誘った友人も一緒に騙されたのか、あるいは友人が騙す側だったのかはさておき、誘われたことと騙されたことは背反するものではありません。時系列的には『私たちは『買われた』展』の証言のほうが先であると思われますが、時間が経つにつれて当初は「騙された」と認められなかった出来事の解釈が変わったということもあり得るでしょう。何より、そもそもこの2つの証言に出てくる『乱○パーティー』が同一のものであるという証拠もありません。違うパーティーを指しているなら証言内容が違うのは当然にすぎないということになります。
また、この証言で重要なのは「あゆみ」が継続的な買春被害に遭っていたこと、その内容が『乱○パーティー』という多数の男性が少数の女性を道具的に扱うものだったことであって、そこに参加したきっかけはあまり重要ではありません。別にこの証言で誰かを告発しようというものではなしに、入り口の小さな差異をもとに証言を疑うことに意味があるものではないでしょう。
ここまででわかったように、暇な空白および彼のデマを信じ込む人々は、女性の被害の証言のうち全く重要ではない些末を指摘することで全体を否定しようと試みています。この手口をみたとき、私は戦時性暴力(いわゆる従軍慰安婦)の問題を否定する歴史修正主義者を思い出しました。彼らも被害者の証言で年齢が違うなどという細かい点をあげつらうことで、被害そのものを否定しようとしていました(戦時性暴力はより昔の話なので、細かい点をあげつらうのはなおさら酷いいちゃもんでしょう)。
先ほど、私は性暴力被害の証言について『別にこの証言で誰かを告発しようというものではなしに』と書きましたが、実のところこれは正確ではありません。性暴力被害の証言が告発しているのは、性暴力を平然と振るう男とそれを放置する社会そのものです。それは必ずしも男全体を告発するものではないのですが、ミソジニストは自身の暴力性と差別性を男という生物に自明のものと思っているので、あたかも自分が攻撃されたかのように思い込み、何としてでも証言を否定して身を守らなければならないと思うのでしょう。
いや、実際には証言が告発しているのはこうしたミソジニストなので、その反応は的外れでもないかもしれません。しかし、正確に言えば、攻撃されているのは性暴力や女性蔑視という「外殻」であって、それを脱ぎ捨てた中身まで非難されているわけではありません(まぁ、脱いだと思っても体に残っていることがあるので厄介なんですけど)。外殻を脱いでしまえば問題は解決するのですが、ミソジニストは外殻が内面と一体になっていると思い込んでおり、脱ぐという発想もないのでこうした反応になるのでしょう。
暇な空白は、Colaboが被支援者の少女を政治活動に「動員」していると主張し、その「根拠()」として従軍慰安婦問題に触れる活動も挙げていました。しかし、彼らのやり口がむしろ証明しているように、日本において性暴力を否定するには、その先例である戦時性暴力被害者の経験や、彼女たちが受けてきた言われなき誹謗中傷・疑いの目にどのように対処してきたかを知るのが重要になってきます。いわば、こうした「政治活動」は性暴力被害を受けてきた少女に抵抗力を身に付けさせ、エンパワーメントするために必要な活動だったというわけです。彼らミソジニストはColaboの活動にケチをつけるどころか、活動の必要性を身をもって体現したわけですね。
とりあえず、検証そのものはここで終わりとしようと思います。実は触れていないデマやいちゃもんはもっとあるのですが、もう時間の無駄でしょう。ここまで低品質なデマを大量に否定されておいて、なおnoteにちょろっと書いてある部分が事実であるかのように突撃してくる人間は「馬鹿」の一言で切って捨てて構わないはずです。