「チーズ×独自性」 地元の乳酸菌と酵母で世界に評価された職人
昨年12月の週末。千葉県大多喜町の山あいにある「チーズ工房【千】sen」の月に1度の営業日は、県内外からの客でにぎわっていた。「濃厚で、ほかにはないオリジナルの味」。チーズを求め、横浜市から車で約1時間かけて訪れた夫婦は話した。
工房の代表を務めるのは柴田千代(41)。代表作「うぶすな」は11種類の菌を使い、低温乾燥で熟成させた硬いチーズ。かむほどにうまみや香りが感じられ、日本酒に合う。
海外産の乳酸菌を用いて作るゴーダやカマンベールのチーズなど、従来のカテゴリーには該当しない風味が売りだ。外部機関の協力で採取した地元の乳酸菌と酵母を自家培養し調合。組み合わせを追求し、生み出された。
この地に工房を構えたのが2014年。その後3年弱で、出品された国内のチーズ161作品から最も優れたチーズに贈られる、農林水産大臣賞を「竹炭 濃厚熟成」が受賞した。女性では初。チーズ界に彗星(すいせい)のごとく現れ、1人での工房運営という異色のチャンピオンだった。
柴田は受賞時のスピーチでこう言い切った。「田舎でも、女性でも、個人でも、この賞を取ることが出来ると証明出来たことが、私の一生の誇りです」
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チーズに関わる仕事を志したのは18歳の頃。フランスの航空会社の整備士だった父親の仕事の影響で、幼い頃からフランス産チーズが食卓を彩った。東京農業大学のオホーツクキャンパスに進学し、卒業後はチーズ工房に就職。27歳で修行のためフランスへ。4軒の酪農家に滞在し、乳搾りからチーズの加工・販売までを経験した。
帰国後、母校で後進の指導にあたっていたころ、父親が脳梗塞(こうそく)で倒れ、千葉に戻る。チーズ作りに役立つかもと考え、木更津市の微生物などの研究所に勤務。築120年の古民家の納屋を改装した、今の工房も設立した。
二足のわらじで、平日は1日3時間をチーズの管理に、休日は丸1日を商品の仕込みに費やした。そんな日々の末、獲得したのが17年の「日本一」だった。その後、研究所で地元で採れた乳酸菌と酵母を分離できることがわかり、自ら約45万円を投じて機材を購入。工房の一角を「研究所」として培養に取り組んだ。
大手のような高額の大型設備投資でなくても、いい素材と丁寧な仕事があれば、世界でも戦える。「発酵の手間を惜しまない、原材料をケチらない。大会で受賞できれば、『国内産の乳酸菌と酵母を使用』というストーリーの付加価値によってブランドになる」
そうして次に目指したのが世界。しかし当時、世界最大級の国際チーズコンテストには、日本から出場が出来なかった。
18年11月、ノルウェーでの大会に、調査団の一員として現地を訪れた。「日本からの出場資格を認めて下さい」。会場で大会事務局のトップに直談判した。出場を認める連絡があったのは、翌19年大会の締め切り約2週間前だった。
だが、その数日後に台風が襲来し、自宅や工房の売店が被災した。停電で冷蔵庫が使えず、チーズは軒並み廃棄処分に。唯一無事だったチーズと乳酸菌、酵母は、隣市の知人の飲食店の冷蔵庫に避難させた。停電と断水でチーズ作りは不可能。被災しながら海外に行くことへの批判もあった。
だが、日本からの出場が認められたこともあり、大会事務局トップの気持ちにどうしても応えたかった。そうして出場したイタリアでの大会で、3804品の上位約10%の中から銅賞を受賞。選ばれたのは、台風被害から守り抜いた、地元の乳酸菌と酵母で作った「うぶすな」だった。
柴田は会場の冷蔵庫の裏に隠れて大泣きした。重圧や葛藤、安堵(あんど)感。様々な思いがあふれた。工房設立から約4年10カ月。日本独自の乳酸菌と酵母を使ったチーズの味が世界に認められた瞬間でもあった。
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柴田は、子どもたちにモッツァレラチーズの作り方を教える「寺子屋」を開催している。工房の営業日には、画家や団体が出店し、交流の場にもなっている。
将来的に目指すのは、地元が潤う持続可能な観光産業。チーズを核にした「食」「宿泊」「イベント」を兼ね備えた体験型のコミュニティーだ。食農体験が出来る施設のほか、宿泊施設も併設し、災害避難所としての活用も思い描く。
「県内には地場産業やブランドを生かして地方創生をはかる人がまだあまりいない。チーズを通し、水や命の大切さ、地域の循環を伝えたい」。柴田の改革は終わらない。=敬称略(多田晃子)
チーズ工房【千】sen
・住所 大多喜町馬場内178
・営業 毎月第1日曜日の午前11時~午後5時(1月は休業、2月から営業)
・整理券配布の当日販売のほか、ホームページ(https://fromage-sen.com/)の「オンラインショップBASE」から予約・購入が可能。当日販売やオンライン予約・購入はいずれも在庫が無くなり次第終了。