389話 狂態
ペイスは、狂喜していた。乱舞していた。狂乱していた。欣喜雀躍していた。
常日頃からおかしいおかしいと言われる異端児ではあるが、今この瞬間は更に輪をかけて変人といえる。
アクセル全開の変人だ。フルスロットルストレンジャー。満漢全席奇人大全である。
「凄い!! これは!! うひゃあああ!! うひょうううう!!」
地面から浮いているのではないかと思えるほどに、飛び跳ねまくっている。
傍から見ている限り、異常事態としか思えない。
どう見てもまともな行動ではなく、これほどに奇妙な行動をするペイスを見るのが初めての人間にとっては、警戒に値する。
「あれ、どうしたんだ?」
「分からん。だが、警戒しろ!!」
「モルテールン卿がおかしい。何かの異常事態だ。警戒! 警戒!!」
バッツィエン子爵などは、部下に対して警戒態勢を命じた。
ペイスのあまりにも可笑しな挙動が、不安を煽ったからだ。
魔の森である。何が有るか分からない、未知の土地である。
人よりも大きな蜘蛛が居たのだ。人の頭をおかしくさせる“何か”が有っても不思議はない。
世の中には、興奮作用や鎮静作用のある植物だって存在している。中には麻薬としての成分を持つ植物も有るのだ。
例えば、有名なところで言えば芥子。実から採れる樹液が、悪名高き阿片の原料になり、そのまま摂取してもそれなりの効果が見られる麻薬だ。
それ以外にも、例えばチョコレートには興奮作用があったり、コーヒーに含まれるカフェインに覚醒作用が有ったりと、体に何らかの作用を及ぼす自然の産物は類例に事欠かない。
より効果の強力な植物があり、うっかりモルテールン家の御曹司の口に入ったのかもしれない。
或いは、何かの毒にやられたのかもしれない。
医学というものが現代ほどに発展していない世界であっても、人間をおかしくさせる毒の存在は幾つも知られている。幻覚を見せる毒であったり、人に耐えがたい苦しみを与える毒というものもあり、国軍の大隊長としてその手の危険な薬物についての知識もバッツィエン子爵は持っていた。
長い歴史を持つ教会などには、その手の危険な薬物の知識も存在しているとも聞く。目の前のペイスの奇行は、それかも知れない。
或いは、寄生虫。
虫の中には、他の生き物を操るような寄生虫も居ると聞く。かたつむりを操って鳥に食わせようとする虫であったり、カマキリを操って水辺に近づけさせる虫も居る。
魔の森に人間を錯乱させるような虫が居たとして、何の不思議が有ろうか。知らないうちに、ペイスが寄生されている可能性は、ゼロではない。
出来れば、目に見える脅威であって欲しいと、バッツィエン子爵は警戒を強めたままペイスの様子を伺う。
「素晴らしい、実に素晴らしい!! 最高です!! ひゃっはああ!!」
ビバ、スイーツ!!
と、ペイスが叫んだ辺りで、ようやく暴走機関車の奇態が収まった。
はあはあと息を荒げ、両手を広げたまま天を仰いでいるのはおかしなことではあるが、狂態と呼べるものはとりあえず収まったらしい。
「モルテールン卿……その、大丈夫かな?」
頭は、という言葉を呑み込んだ国軍の大隊長。
「え?」
自分の狂態を客観的に見られていないペイスは、バッツィエン子爵から心配そうに聞かれて、不思議そうな顔をする。
暴れていた当人は、バッツィエン子爵が何をそんなに不安そうにしているのかが理解できていないのだが、この場合はバッツィエン子爵の方がより常識的だろう。
悲しいのは、モルテールンの領軍の指揮官たちは、既に平静を取り戻している点。
彼らは、お菓子馬鹿の変人的行動には免疫を有している。
ペイスの狂態など、モルテールンで普通に過ごしていれば、日常茶飯事とまではいかずとも、年に何度かは目撃するのだ。
お菓子が絡めば行動のタガが外れるのが、モルテールン家の御曹司である。
「どうも、普通の様子とは思えなかったのだが」
「そうですね。落ち着いていられない」
どうにも話がかみ合っていないが、ペイスはスッと真顔に戻る。
キリリとした顔つきで、部下たちに向き合った。
「総員!! この辺り一帯を捜索します!!」
「何です?」
いきなり、何を言い出すのかと不審そうな部下たち。
先ほどのおかしな行動が原因だろうとは分かっていても、あれだけのことをしでかしてすぐ、突然の命令であれば戸惑いもする。
「これは、僕の知っている植物かもしれないのです」
「はぁ?」
「お宝かもしれないと言っているのですよ」
「お宝!?」
ペイスが発したお宝という言葉に、色めき立つのはモルテールン領軍の兵士たち。
彼らの多くは、元傭兵。金の為に戦い、金の為に命を賭けるのが傭兵という職業。つまり、金目のものには目の無い人種もまた、傭兵というものの一側面だ。
また、元平民や下層民の兵士もいる。彼らは大なり小なり金に苦労した経験を持ち、安定した収入を求めてモルテールン家の常備軍に雇われているのだ。お宝と聞いて大金を手にした自分を想像してしまうぐらいは許容範囲だろう。
明らかに目の色が変わる兵士たち。
一方、国軍部隊の連中はそれほどでもない。
規律正しく軍紀を律する彼らは、元より金の為には戦っていない。いや、勿論給料はきちんともらっているし、金が有れば嬉しいのは事実。しかし、そんな即物的なものだけで高い士気と練度を維持できるものでもない。
国軍の騎士を支えるのは、使命感と誇りだ。
自分たちがこの国を守るのだという使命感と、国中から選りすぐられて集められた最精鋭であるという誇り。自負。
総じて金以外の部分が、国軍のプライドを支えている。
ペイスがお宝と言ったところで、浅ましく喜ぶような精神構造をしていない。実際は多少なりとも欲心が刺激されているのだろうが、それを表に出して喜ぶような真似はみっともないという理性が働いていた。
「皆にも、命じます。周辺の捜索に当たりなさい。特に、植物分布については詳細な報告を後ほど求めます。決して見逃さないよう。サンプルの採取、地形の調査なども忘れずに行うように」
命令とあれば仕方ない。
班ごとに分かれ、四方に散らばっていく兵士たち。
お互いに見える距離を保ったまま、捜索というよりは訳も分からず移動している状態に近しい。
唯一、ペイスだけは目的意識をもって行動する。
崖の上にあった“植物”の一つを、熱心に調査し始めたのだ。
「やはり」
ある程度じっくり観察したところで、ペイスは一つの確信を抱く。
最早顔には喜色があふれている。溢れすぎて喜色を通り越して気色が悪い。
むふふ、むふふふと、堪えきれない笑いが漏れていた。
「これは“バニラ”ですよ!!」
うひょう、とばかりに飛び跳ね始めるペイス。そしてまた踊り出した。
狂乱再びとばかりに、喜びを全身を使ったダンスで表現し始める菓子狂い。
バニラ。
言わずと知れた、お菓子の材料の一つ。華尼拉とも書かれるこの植物は、ラテン語で扁平な葉っぱという意味を持つ。平べったい葉という意味だ。
ラン科バニラ属に分類される常緑の蔓性植物であり、香辛料の一種とされることも有る。
この植物の特徴は、まず何と言っても香りだ。
バニラの種子を発酵・乾燥させて加工したものは、かなり強い香りを出す。非常に甘い香りであり、一連の加工はキュアリングとも呼ばれる。
サツマイモなどでもキュアリングと呼ばれる加工は一般的だが、保存性、貯蔵性を高めるために行われることも多い。バニラの場合は、主として香りを高める
加工して香りが強くなったバニラの種子は、バニラ・ビーンズと呼ばれることでも有名。
メジャーな使い道としては、アイスやケーキに使われる。特に、アイスクリームとバニラの関係性は深い。
アイスクリームは非常に冷たくした氷菓に属するスイーツであるが、水分を冷凍させるぐらいに加工してしまうと、水分の蒸発や含有成分の揮発は起きにくい。大抵の物質は、温度が高いほど盛んに揮発や蒸発するものだからだ。
つまり、蜂蜜や砂糖といった甘いものを入れても、甘い匂いがあまりしなくなるということ。冷たければ冷たいほど、本当は甘いものでも甘い匂いがし辛くなるのだ。
そこで、香料として甘い匂いを発するものを加える訳だが、バニラはその点で優秀な香料。
変に癖が有るわけでなく、他のフレーバーを余り邪魔せず、ただ甘い匂いを発する。
「そんなに喜ぶものですか?」
「勿論ですよバッチ。あなたは、陛下からの勅命を覚えていませんか?」
「勅命? あのお菓子を作れと言われた?」
「そうです。海外からの要人を持て成し、我が国の国威を発揚するために見たことも無いスイーツを作れと言われた、素晴らしい勅命です」
「……素晴らしい?」
テンションアゲアゲのペイスは妙なことを口走っているが、今まで見たことも無いものを作れと命じられるのは、普通は無理難題と考える。
画期的な発明をすぐにしろ、と命じられるようなものであり、一般的な常識から言えば無茶ぶりの範疇に含まれるだろう。
少なくとも、バッチレーなどは自分がそんな命令をされたなら、無理だと答えるはずだと思っている。
何がどう素晴らしいと思えるのか。全く理解できない思考回路ではあるが、ペイスが目下錯乱中なのは明らかなので、自分ぐらいは冷静になっておこうとバッチは内心で思う。
「あの時作ったスイーツは忘れていないでしょう?」
「勿論。アイスクリームですよね」
「そう、アイスクリームです!!」
夏場の暑い時期に、冷たい氷のようなお菓子を出す。
これこそ、ペイスの披露した功績の一つだった。
高い山に囲まれたモルテールン領の立地を活かし、山の上から万年氷を採取し、お菓子作りを行った。
遠慮斟酌無く、国の金で存分にお菓子研究に勤しめたという点で、ペイスとしては大満足の仕事だったわけだが、出来上がったスイーツそのものは完全に満足できたものとは言えなかった。
やはり、味はともかく香りが弱かったのだ。
「このバニラが有れば、あのアイスクリームの美味しさが一段階アップしますよ!!」
「おお、それは凄いですね」
あの美味しかったスイーツが、更に美味しくなる。
国王の命で作ったという箔に加えて味も良いとなれば、これからも作る機会は増えるかもしれない。
それはつまり、製法を独占しているモルテールン家に、更なる富が増えるということだ。
バニラをお宝と呼んだペイスの意見に、ようやく納得する従士たち。
「さあ、他にもお宝がないか、しっかり調べましょう」
「はい!!」
皆、明るく返事をする。やはり、仕事に成果が付いてくるとなればやりがいもあるものだ。
一様にやる気を見せる兵士たち。
だがしかし、ことは平穏に終わらない。
狂喜乱舞するペイスの耳に、低い羽音が響いて来た。