世界の国葬から㊦ 「スラムの聖女」を長野県内からも追悼【ニュース・アップサイクル】

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ダイアナ元妃追悼CDは飛ぶような売れ行きで特設コーナーも(松本市内)1997年9月、松本市

2006年、チリの中道左派バチェレ政権は、死去したピノチェト元大統領の国葬を行わなかった。元大統領を「共産主義から国を守った」として英雄視する保守派は反発した。バチェレ大統領は、ピノチェト元大統領がクーデターで打倒したアジェンデ元大統領と同じ社会党に所属。バチェレ氏自身も軍政時代に拷問を受けたことがあり、人権侵害の追及に積極的だった。

 国営テレビはピノチェト政権の功罪を振り返る特集番組で、元大統領を「チリの歴史上、最も愛され、同時に最も憎まれた人物」と指摘。元大統領への評価をめぐる国内世論は二つに割れ、国民の和解が大きな課題として残った。

 こうした分断を懸念し国葬を辞退したとされるのが、英国初の女性首相サッチャー氏だ。英国の国葬は一般的に君主に限られ、君主の命令と議会承認があれば特別な功労者にも対象を拡大できる。議会承認を必要としない儀式的な葬儀は、軍高官の王室メンバーや君主の配偶者、王位継承者らが対象だ。

 サッチャー氏は、生前、葬儀の段取りについて相談を受けた際、本人も家族も国葬を望まなかったとされる。公的資金を国葬に投入するための法案を議会で通過させる必要があり…

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