船橋屋 渡辺雅司|激動の時代を乗り越えた「元祖くず餅」の船橋屋8代目が語る、永続企業を作るコツ

事業承継手帳

事業承継における組織作りの難しさ。20年以上かけて導き出した社員がイキイキと働ける組織とは

江戸時代から200年以上続く「元祖くず餅」船橋屋の8代目当主である渡辺さんは、代表取締役就任後、大胆な改革を次々と実施。近年は、「飲むくず餅乳酸菌」の発売や「BE:SIDE」という新業態の運営など、新たな分野にも挑戦し続けています。

今回は、老舗の伝統に甘んじることなく、自らの経験と試行錯誤によって導き出した組織運営術や会社の使命について、創業手帳代表の大久保がインタビューしました。

渡辺雅司(わたなべ まさし)
株式会社船橋屋代表取締役社長

1964年東京生まれ。 立教大学経済学部卒業後、1986年に旧三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に入社。企業融資や債券トレーダーなどの業務を経て1993年に船橋屋に入社。
2008年、8代目として代表取締役に就任。以後断行してきた数多くの経営改革と人材開発メソッドが注目され、現在全国から講演依頼が殺到。 また近年、くず餅の発酵過程で見つかった乳酸菌をもとに医療機関向けサプリメントの開発やホテルニューオータニとのコラボ商品開発などのイノベーション事業に注力している。
座右の銘は、船橋屋の看板文字を揮毫した吉川英治の言葉「われ以外皆わが師」。著書に『Being Management リーダーをやめると、うまくいく。』(PHP研究所)。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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銀行員として、バブル期の企業の動向を見届けて


大久保:社長に就任するまでのキャリアを教えていただけますか?

渡辺:1985年のプラザ合意をきっかけに急激な円高が進み、「金融の世界って面白い。金融ディーラーになりたい」と思い、銀行の中でも自由度が高かった三和銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行しました。最初の配属先は、現在のペニンシュラホテルの場所にあった日比谷支店で、大手上場企業の融資業務を2年ほど担当しました。当時は「担保がなくてもお金を貸し、とにかく拡大」という時代でした。そして、事あるごとに「ディーリングをやらせてほしい」と言っていたので、念願叶い、1988年~1991年半ばまでは金融ディーリング業務を担当しました。

大久保:ちょうどバブルの初期から崩壊までの期間ですね。

渡辺:はい。1986年から1993年まで在籍していたので、ちょうどバブルの始まりから終わりまでを見てきました。1986年~1988年は相当なバブル景気で、普通のサラリーマンがカードローンで各所に土地を買うような時代でした。土地の価値が2週間後には1.5倍になるような時代だったので、みんな買いますよね。でも、1990年に総量規制が導入されたことを機に地価も株価も暴落し、バブルが崩壊しました。ちょうどその頃、銀座支店に異動となり、銀座6・7・8丁目という日本一経営が難しいといわれる商店街を担当することになりました。現在、銀座の並木通りにはルイ・ヴィトンなどの世界的ブランドが立ち並んでいますが、バブル崩壊前は、個人商店や画廊がたくさんあったんです。

バブル期には「どんどんいけ!」の状態でお金を貸していたのが、時代がガラッと変わり、銀座支店に異動した時には「とにかく回収!」と営業方法が真逆に変わっていて、外回りをしていると、お客様に泣きつかれるんですね。「銀行が借りろというから借りたのに、土地の価値が下がった途端、お金を返せと銀行は言ってきますが、土地の価値が下がって返すことができません。なんとかしてください!」と。

僕は唯一お客様側に立てる立場にいたので、本店の融資担当者とやり合ったり、支店長に直談判しに行ったこともあります。そういった激動の時代の中で、一番苦しい時にどのような対応をすれば会社が生き残っていくのかを見てきました。また、様々な企業の経営理念や経営ポリシー、ミッションを見聞きすることができたことも、大きな糧となりました。バブル期にも堅実な経営をしてきた会社や、バブル崩壊を受けて上手く舵取りをした会社は、今も生き延びていますが、「もうダメだ」と廃業した会社も数多く見てきたので、一時的に売上が伸びたとしても、考え方を間違えるとすぐに墜落する可能性があることをそこで学びました。

大久保:私も、ライブドア在籍中にライブドア事件を経験し、それで終わりかと思いきやリーマンショックも起きたので、いつ何時も悪い状況が起こり得ることを想定しておくことが大切ですね。

渡辺:そう思います。船橋屋を継ぐことを決め、お客様に退社の挨拶をさせていただく中でいろいろなアドバイスをいただいたのですが、その中でも特に、バブル崩壊を乗り越えた画廊の社長に言われた「紙幣が『紙』に見えた時、人は最高におごり高ぶっている。それだけは覚えておきなさい」という言葉は心に響きましたね。その言葉は今でもずっと大切にしています。

社長就任直後の「バトルの10年」を経て


大久保:銀行を退職され、船橋屋を引き継がれた際のお話を伺えますか?

渡辺:銀行での経験から、当時の私は「会社の使命は、利益を上げることだ」と頑なに信じていました。例えば、当時は預金金利が6%ほどだったので、わざわざ仕事をしてそれ以上の経常利益率を上げられないなら預金していた方がいいし、利益を上げられない会社は生き残れないというのが私の考えでした。だから、会社に入って初めてバランスシート(貸借対照表)や取引先のリスト、仕入れ価格、銀行の金利を見た時に愕然としたんです。「なぜ、こんなにいいようにやられているんだ」と。そこで「改革するんだ!」と一人意気込んでいたのですが、周りは職人を中心とした抵抗勢力揃いで、組織としての体を成していなかったんです。

例えば、「なぜ、この商品の品質が良いと言い切れるのか」と聞くと、「それは、俺たちの舌が上手いと言ってるからだ」と答えるような職人気質な社員ばかりで。組織の指揮系統も、職人のトップが右に行けと言ったら、おかしいと思っても右に行くような状態が1990年初頭の弊社でした。「旨いものを作ったら俺たちの仕事はそれで終わりだろ?」と16時から酒盛りをしているような状況でしたから、そこで、いきなり銀行で学んできたからと私がいろいろ言っても全然指示を聞いてくれないんですよね。逆に、社員からしてみれば、「後継ぎがいきなりやってきて、俺達の心地よい空間を壊そうとしている」と思っていたでしょうから、最初の10年はバトルの10年でした。

大久保:そこから、組織をどのように束ねていったのでしょうか。

渡辺:まずは、これまで職人の感覚で作っていたくず餅の生地濃度などをすべて数値化し、社内のありとあらゆるものを見える化しました。ちょうどISO9001(国際的な品質マネジメントシステム規格)が世に出始めた頃だったので、職人たちを集め「職人の仕事を国際基準にしないか」と提案したところ、「そんなことできるんですか?面白そうですね」と乗ってくれまして。それが1993年頃で、まだWindows 95が出る前ですから、「勉強なんてしたことがない」という職人たちに作業プロセスをノートにまとめてもらうところから始めました。

ようやく2年後にISO9001を取得できたのですが、ISOを取得すると外部審査が入ってきます。そこで、「品質管理で求められているから」とISOにかこつけて品質の改良を行っていく段階になり、「もう耐えられない」と社員の約半数が退職してしまったんです。

大久保:約半数も退職されたのですか。

渡辺:はい。会社としての仕組み作りを行い、メインバンクも変え、祖父の代から50年、100年付き合っていたものの卸値が高いような取引業者を片っ端から切っていったところ、利益は上がったのですが、父の代からの社員の多くは辞めていきました。そして、ふと社内を見渡すと、皆元気がなく、やらされてる感が漂っていたんです。「俺たちの仕事は、こんな数値に追われるような仕事じゃない。仕事が楽しくない」と皆口を揃えて言っていて。当時、私は専務でしたから「専務は、俺たちを目の敵にする」と言われました。たしかに当時の私は「自分の代で暖簾を潰すわけにはいかない!」と、自分と考えが合わない社員を暖簾を脅かす存在だと思い込み、目の敵にしていたんです。

大久保:その結果、退社が続いたのですね。

渡辺:はい。息子のせいで自分の腹心たちが辞めていくので、父からも「お前に人徳がないから辞めていくんだ」と言われ、でも私は「改革する時には人を変えないとだめなんだ」とバトルが勃発したんです。そうして、業績は上がっていくものの、退職者が続出し、社員や父親とのバトルの日々に心身ともに疲れ切っていたある日、コンサルタントが来社しました

当時、私はコンサルタントを全く信用しておらず、「会社のことを何も知らないくせに、口ばかり達者で、上から目線でものを言ってくるやつだ」というイメージが強かったんです。だから私は、椅子にふんぞり返りながら「君に何ができるの?まずは、うちの会社の悪いところを挙げてみてよ」とコンサルタントに言いました。すると彼は「では遠慮なく言わせてもらいますと、専務は社員のことを『あいつら』とか『やつら』と言っていますね。社員のことをそのように呼んでいるうちは、良い会社にはなりません。あなたは良い会社を作りたいのではないのですか?専務にとって、良い会社とは何ですか?」と言われたので、私は「『日本でいちばん大切にしたい会社』を手掛けた坂本光司先生に取り上げてもらえるような会社であり、『日経スペシャル カンブリア宮殿』に取り上げられるような会社だ」と答えました。

すると彼は、「では、それを何年で実現しますか?」と聞いてきたので、「実現できるわけがないよ。だってうちだよ?無理に決まってる」と答えると、彼は「でも、その2点は専務が良い会社の条件として挙げたものです。それを無理とおっしゃるなら、良い会社を作ることを放棄されるのですか?」と言いました。私はその言葉に、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。だから、意地でも日本で一番良い会社を作ると決意し、そこから社内改革を進め、10年ほど経った時にこの2点の目標を達成することができました。

社員も自分も幸せになるための組織改革


大久保:バトルに10年、組織改革に10年を費やし、思い描いていた「良い会社」を作り上げられた今は、どのような組織運営をされていますか?

渡辺:無事に夢が叶い、これからどうしようかと考えていく中で、人に任せる勇気を持ち、自立する組織を作らなくてはいけないと考えるようになりました。会社は、例えるなら「高速で回転している駒」なんです。永続企業は、ずっとそこに存在しているように見えるけれど、実は高速で回転していて、永遠に回り続けないとバランスを崩して倒れてしまいます。実際、何十年、何百年と続いた老舗でも廃業や売却をした会社を数多く見てきましたし、老舗だからといって、これまでと同じことを続けていくだけでは生き残れない時代になりました。そのため、理念やミッションである中心軸をしっかり回すことによって、円盤である組織が遠心力で回るような会社を作っていくことが大事だと考えたんです。

では、具体的にどういう組織を作っていけばいいのか迷っていた時に、ちょうど『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』という本が発売されました。その本には、アルフレッド・アドラーが説く幸せの3条件として「自己受容、他者信頼、他者貢献」が書かれていました。要するに、まずは自分を好きであること、次に他者を信頼できること、そして人の役に立っていること。この3点を感じることができれば幸せになれるんだと。ならば、その3条件を感じられる組織を作ろうと思い、再び組織改革を始めました。その結果、約10年以上経った今では、年間300件以上の取材を受けられるような組織を作ることができました。

大久保:組織改革によって、渡辺さん自身も3条件が満たされましたか?

渡辺:はい。組織改革前は、経営していて自分が幸せではなかったので。私は昭和の人間なので、トップは弱みを隠しながら頑張らなきゃいけないという教えを受けていました。なので、孤独を美徳と捉え、強がっていた部分があったんです。でも今は、「ワンピース」や「鬼滅の刃」のように、上も下もない環境で皆が一丸となって、一つの目標に向かっていく時代です。やはり、「人に圧力をかけてピラミッドで押さえつける組織では、社員が生き生きと働くことはできない」とこれまでの失敗を通して実感していたので、組織の在り方をピラミッド型からオーケストラ型に変えました

大久保:組織改革を行っていく中で、最も大変だったことは何ですか?

渡辺:一番大変だったのは、職人をどうマネジメントしていくかという点ですね。「PDCAを回すために入社したんじゃない。自分の腕を磨くためにこの会社に入ったんだ。俺の腕をどう評価するのか」と言う彼らの声に応えるため、蒸し上がりのチェックなど、くず餅を作る工程に配点をし、293点満点中何点取れるかによって、巨匠・名人・上級職人・中級職人など職人のグレードを決め、グレードによって手当を変えたんです。

すると、点数によって今の自分の技術や目標が明確化されたことで、職人たちの意識がガラッと変わりました。1on1ミーティングでも、「今は中級職人だけど、来月は上級職人になりたい」と目標を定める職人が増え、今ではISOを自分のものとして上手く使う職人軍団になりました。そうして、2019年に最高益を迎え、コロナ禍で一時的に沈みはしましたが、あっという間にV字回復し、今は最高益を超える勢いで売上が伸びています。

会社の使命は、経験価値を提供すること


大久保:「くず餅乳酸菌」も話題になっていますね。

渡辺:昔から多くのお客様に「船橋屋のくず餅を食べると調子が良い」というお声をいただいていたので、専門家が調査したところ、自然発酵食品である弊社のくず餅は、善玉菌ラクトバチルス乳酸菌という植物性乳酸菌の宝庫であることが判明しました。そこで、この乳酸菌を無農薬の米で一から培養し、「飲むくず餅乳酸菌」というドリンクを作りました。このドリンクは砂糖不使用で、米と乳酸菌しか入っていない無添加植物性乳酸菌飲料です。表参道にある「BE:SIDE」という直営店では、くず餅乳酸菌を使用したスイーツを販売しているのですが、「美容と健康に良い発酵スイーツ」とSNSで話題になりました。

我々は、くず餅を通して、お客様に経験価値を提供することが一番大事だと考えています。例えば、「BE:SIDEで『みずくずもちセット』という賞味期限が20分のスイーツを友達と食べた」とか、「おばあちゃんが好きな船橋屋のくず餅を家族皆で食べた」というような思い出を作ってもらうために商品を作り、販売しています。そして、その経験価値の積み重ねが歴史なのだと思っています。

大久保:お客様に経験価値を提供することが、企業に求められていることなのですね。

渡辺:そう思っています。弊社のくず餅を食べた時の気持ちが一番大切なのであって、どんな良い商品を作っても、お客様に経験価値を提供できなければ意味がないんです。例えば、弊社のくず餅を長く愛してくださっているお客様の中には、「幼少期に祖母に連れて来てもらっていましたが、今では私が孫を連れてくるようになりました」という方も多いですし、「祭壇を船橋屋のくず餅で飾ってください」という方もいらっしゃいます。それは、我々の商品がお客様のライフスタイルに存在してきた証ですから、そうやってお客様に幸せを感じてもらった分だけブランドが育っていくのだと考えています。

大久保:それでは最後に、読者である起業されたばかりの方に向けてメッセージをお願いします。

渡辺:商売をしていると、「この先大丈夫だろうか」「商品は売れるだろうか」と、常に不安や焦りが出てくると思います。でも、そこで意識が「今」からブレると、経営判断を誤ってしまう恐れがあるので、外部要因や未来への不安に侵されない自分の軸をしっかり持ち、適切な判断をしていくことが重要だと思います。

会社を経営していく中では、様々な問題が起こり、いろんな壁にぶち当たります。その時、私は「成長する機会を得たんだ」と捉えるようにしています。だから焦らず、マインドフルネスでいることが大切です。特に、コロナ禍のような激流の中では、もがくことなく、冷静になることも重要だと思います。焦ってもがけばもがくほど、溺れてしまうリスクが高まるので、じっと浮かんで河口まで行きつくのを待つ間に、次の一手を考えた方がいいと思います。

創業する以上は、自分のビジネスに自信をもって進めていくべきですが、固執しすぎると苦悩しか生まれないので、理想は持ちつつも執着しすぎないことが大切です。苦悩が生まれると自律神経が乱れ、体調を崩してしまう原因にもなるので、毎日朝・昼・夜5分ずつでも、呼吸を整え、落ち着ける時間を作ることをおすすめします。

冊子版創業手帳では、組織作りなど創業期に必要な情報を多数掲載しています。資料請求は無料です。ぜひお気軽にお問い合わせください。
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(取材協力: 株式会社 船橋屋 代表取締役社長 渡辺雅司
(編集: 創業手帳編集部)

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