西鉄ライオンズの伝説のエース池永正明さん死去 高卒新人20勝、ジャンボ尾崎に野球を諦めさせた才能
プロ野球西鉄ライオンズ(現西武)の元エース、池永正明(いけなが・まさあき)氏が25日にがんで死去したことが26日、分かった。76歳。山口県豊北町(現下関市)出身。葬儀・告別式は家族葬で営まれる。
下関商高2年の1963年の甲子園で春の選抜大会に優勝し、夏の全国選手権準優勝。64年の選抜は初戦で敗れたが、この大会を制した海南高(徳島)の大型右腕、尾崎正司(将司)氏とともに65年、西鉄に投手として同期入団した。尾崎氏は「こんなにすごいやつがいたんじゃ」と後にプロゴルフに転向したという。
漁師で宮相撲の横綱も務めた父から受け継いだ筋肉質で、ばねのある体が武器。低い重心から打者の胸元への真っすぐ、変化の大きなカーブを武器に高卒1年目に20勝を挙げて新人王に輝いた。
稲尾和久氏(故人)がリリーフに回った後は、池永氏が主戦として活躍し、67年は23勝で最多勝のタイトルを獲得した。だが6年目の70年、プロ野球選手が金銭授受を伴う八百長を行ったとされる「黒い霧事件」に巻き込まれて永久失格処分を受けた。プロ通算238試合登板、103勝65敗、防御率2・36。
その後は福岡市・中洲でスナックを経営。名誉回復を求める動きが起きる中、2001年に稲尾氏が監督を務めていたプロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに加入。05年に永久追放の処分が解除され、復権を果たした。稲尾氏の死後、08年にはドンタクズの監督に就任した。