映画『道頓堀川』(1982年松竹/監督:深作欣二/原作:宮本輝)
映画『道頓堀川』はセリフを殆ど覚えているほどに観ている。
このオープニング開始後、画学生の主人公邦彦(真田広之)が
道頓堀の戎橋(通称ヒッカケ橋)から宗右衛門町のバイト先
喫茶「リバー」に戻るシーン。
ここで、バックに、『道頓堀川』を撮影中の1982年当時に
公開中の映画『ザ・レイプ』(1982年東映/監督:東陽一/
主演:田中裕子)の看板が写っている。上映予告看板かも知れ
ない。
この『ザ・レイプ』で出演した主任弁護人役も裁判長役も
裁判官役も全員私が後に勤務する職場の弁護士が演じていた。
主任弁護人の黒瀬勇一郎役の弁護士は職場の所長弁護士Gだ。
この人、刀工小林康宏の高輪の自宅兼鍛錬場を高輪再開発で
地上げした時の交渉代理人だった。
私は学生時代にこの人の著作「制裁的損害賠償論」を読んで
いて、いたく感銘を受けていたが、後年まさかその人が所長
である事務所に正職員として就職するとは学生時代には思って
もみなかった。
そして、後年、私がたまたま職務で刀工小林康宏の自宅の登記
関係や現地調査業務一切をやった。
その調査報告で青山学院向かいの顧問先デベロッパー本社の
スクェアビルに向かう途中、映画『釣りバカ日誌 5』が
撮影されていて、それに私が映っている。私の横を鈴木建設
社長役のスーさん(三國連太郎)がセンチュリーに乗って通り
抜けるというシーンだ。
(たまたまだが、映画『道頓堀川』でクズ撞球師の若者武内
政夫を演じたのは三國連太郎の実子の佐藤浩市。私と同学年)
さて、映画『ザ・レイプ』での裏話その一。
レイプ犯の主任弁護人である弁護士黒瀬勇一郎役の弁護士Gは
最重要なシーンでアドリブをかませた。
被害者である田中裕子に対して、法廷の弁護人の証人尋問で、
「貴方はその時、愛液が出ていたのではないですか?」と言う
のである。
監督はそのままキャメラを回した。
田中裕子はさすがに大女優、「なっ!・・・」と言ってから、
そのまま演技を続けた。見事な法廷劇のシーンとなった。
後年私は所長に尋ねてみた。「本当の法廷でもあのような質問
したりするのですか?」と。
「するわきゃないだろ(笑)」とのことだった。
また映画作品の中で、裁判長(これも私の職場の弁護士で、
「無罪弁護士」として日本一の腕を誇る)が黒瀬弁護士に「誘導」
を注意するシーンがある。これはシナリオ通りなのだが、これに
対し、黒瀬弁護士は「これくらいいいでしょう(ニヤリ)」と
不敵な笑みを見せて呟くのだ。
う~ん、悪徳弁護士っぽい(笑)。
これについても所長のG弁護士ではなく、左陪席裁判官役の
私の鈴鹿4時間耐久ロードレース出場計画の相方レーシングライダー
だったO弁護士に訊いてみた。「ああいうこと言うの?」と。
すると「ああ。Gは結構あんな感じ」とのことだった(笑)。
撮影裏話その二。
裁判官の法廷での意匠は「法服」という黒塗りのマントのような
服を着る。裁判というものは厳粛なものであり、傍聴者も私語は
一切禁じられている。ひどいのになると、そのまま拘束されて
連行監禁される。裁判こそ権威の象徴だ。
ところが、『ザ・レイプ』では、撮影が蒸し暑い時期であり、
しかもセットスタジオは実物の裁判所法廷内とは異なり熱気
むんむんだった。
裁判官の壇の向こう側に並ぶ裁判官役の本物弁護士たちは
法服を着ているが、下は短パンだったりした者もいた(笑)。
現実世界では天地がひっくり返ってもあり得ないことだが、
それはあくまで撮影上のこと。そうでもしないと、まるで
蒸し風呂の中でバイクのレーシングスーツを着ているような
状態だったのだという。
もっと詳しく裏ネタをばらすと、革のレーシングセパレーツ
パンツを下にはいていたのだが、暑過ぎて地獄模様になって
きたのでそれを脱いだ、というのである。フンガ~(≧∀≦)
世の中いろいろ面白ネタがあちこちにある。
ちなみに、私が刀工小林康宏と出会ったのは、私本人が康宏
第二工房兼直販店の下町の墨田区千歳にあった日本刀探求舎
鍛人(かぬち)に出向いて出会ったのだが、その数カ月前に
高輪の刀工康宏の自宅兼鍛冶場を職務で担当していたのだった。
私が二代目康宏と出会ってから数ヵ月後に「あれ~?あーたの
勤務先私知ってるよ」と康宏から言われて「え?」となり、
翌日職場で再確認したら康宏本人の自宅撤去等を担当した
のが私だったという具合。
刀工名「康宏」というのを知らなかったので、そのようなことに
なってしまったのだ。
正直、最初に撤去途中の鍛錬場(私は途中からその案件を担当)
を見て、「こんな大都会のど真ん中で刀鍛冶?できるのか
しら。騒音とか大丈夫なのかなぁ」とか思っていた(笑)。
すでに山梨の鍛錬場が数年前に出来ており、本式鍛錬はそちら
で行なっていたのだが、康宏の自宅兼元鍛冶場は、数階建ての
古い建築ビルで、鍛冶場風には見えず、作業場のような印象
だったからだ。
その刀工小林康宏の自宅の高輪再開発地上げの最後の現地調査
直後の午後に、依頼先のデベロッパーに報告に向かう私が青山
通りを歩いている姿が『釣りバカ日誌 5』に収められているの
もたまたまの偶然だが、さらに奇遇は続く。
その報告に行ったデベロッパーの横には研ぎ師伊波師がいた。
私がよく通っていて、研ぎもお願いしていた研ぎ師の先生で、
研ぎ師ながら青山通りに「伊波ビル」という自宅ビルがあり、
店を開いていた。
昔は青山の路面電車の車両基地があったあたりだ。伊波さんが
子どもの頃は遊び場だったという。
そこの刀剣伊波で私の丸太斬り則光は世話してもらったのだが、
私は伊波さんの研ぎが好きで、先輩たちにも紹介したら頼んだり
していた。一般研ぎ請けはあまりしない、有名ではない研ぎ師
さんだったが、一族は虎ノ門に老舗大手刀剣店を構えていて、
スティーブン・セガールの映画でも出てくる。
皇室の御大典の際の御佩物の外装等は一手に引き受けていた
ようだ。青山の伊波さんもその一族にあたる。
その伊波さんの研ぎなのだが、実は康宏ユーザーで刀道の先輩
であった現在六本木のワインバーを経営している年上の親友が
なんと康宏の研ぎは伊波さんに出していたのだった。
なんというかですね、どこまで繋がるこのリンク、という感じ
なのですよね。
私の周囲ではこのようなことがとても多い。多すぎる。枚挙に
いとまがないというのは大げさだが、こうした例は十数例に
及ぶ。
あなおそろしや(笑)。
今度その奇縁をまとめてみようかしら。
連鎖短編小説のネタになりそう。
「凶銃ルガー」みたいな(笑)。