昔のビリヤード教本に出てくる
この店。東京の杉並区の阿佐ヶ谷
にあった店で、最高のロケーショ
ンだった。阿佐ヶ谷のケヤキ並木
のドン突きのビルにあり、青梅
街道に面した壁一面が総ガラス張
りというバブリー時代の建物だ。
ものすごい開放感がある店舗だっ
た。
ただ、ミニスカの女性が玉を撞い
ていたら、外の通りからパンツが
丸見えになっちゃう(笑
地下鉄丸ノ内線の南阿佐ヶ谷の
駅の真上、杉並区役所の向かい
にあった。
1987年頃はスッキリとしてガラス
張りのオシャレなビルだったのに、
その後所有権が移転されたとのこ
とで、なんとも中華系の落ち着き
のないごてごてしたビル外装にさ
れてしまっている。以前は張り出し
出窓のようなガラス張りと薄茶色
のイタリアンタイルのような外装
だけが落ち着いた佇まいを見せる
新築ビルだった。現在はさらに
屋上にまでどぎつい中華韓国系?
の看板が立てられている。
まるっきりアチラのセンスである
(苦笑)。これは現在の画像。
これは少し前の現地の画像だが、
隣りのビルともども同じ者に地上
げにあっているのが分かるだろう
か。ビルの使い方でそれと知れる。
右側の隣りのビルも、かつては
こんなにごてごてとはしておらず、
町の景観がヨーロッパのような
雰囲気であるのに溶け込んでい
たのだが、これではまるで上野
アメ横風味に転じた。閑静な住
宅街の杉並区がこうというのは
何とも信じがたいものがある。
杉並区はかつては非常に住み
やすい落ち着いた区だった。
この欅並木の通りの両側や路
地裏はとてもおしゃれな佇ま
いだったのだが、果たして今
はどうであるのか。
この欅通りドン突きの並区役所
真向いの青梅街道沿いにあるビ
ルの三階にあった「阿佐ヶ谷
ビリヤード」で、私は試合中の
ブレイクでアダムのキューを
折ったのであった。
そしてマスターの口利きで、
リングを再利用したまま千代田
区の神田川沿いにある淡路亭で
質の良いシャフトを作って貰っ
たのである。
それが今から35年前の1987年
(笑)。それを今でも愛用して
いる。
ちょうど↓この1番台の右横の
2番台でシャフトを折った。
この台はこちらのビリヤード教本に
カラー写真として出てくる。
↓
さて、さらに古い教本がある。
それはこちら。↓
この中には、見開きでこのような
写真が出てくる。
「1987年度全関東女子四ツ玉
優勝大会」という看板がある
ので、この週の日曜日にでも
大会が開かれたのだろう。
場所はJR高田馬場の駅前の
BIG BOXビリヤード場だ。
玉台が50台くらいある広い
フロアのビリヤード場で、
かなりの人気を博した健全な
スポーツセンター的撞球場
だった。
おりから世の中は空前絶後の
ビリヤードブームで、この
ような大型店でも3~4時間
待ちというのがザラだった。
受付で予約をして、その間
によそで時間を潰すという
のが普通だった。
携帯電話も無い(あったが
一般的に普及していない。
携帯電話の契約には当時で
30万円位必要で、通話料も
とんでもなく高かった)時代
なので、時々店に外から電話
を入れて、順番待ち時間の
確認をするのが常だった。
で!
このビリヤード教本にたまたま
写ってる奥の台でマッセしてる
奴の横で台に両手ついて見て
いる奴、それは・・・・
(笑)。
当時は虎ノ門勤めだったが、
仕事帰りに同期入所の同学
年のう同僚と玉撞きに来て
いたところをたまたま撮影
されたらしい。
こういうことって時々ある。
『釣りバカ日誌 5』に映り
込んだり、『痴漢日記 2』
に映り込んだり(笑)。
他にもある。
このビリヤード教本に写り
込んだ写真にもあるが、私
は1987年時点ではまだ完全
ポケット専門ではなく四つ
玉も撞いていたということ
だ。
というか、私は四つ玉から
撞球の世界に入った。関東
では四つ玉が主流だったから
だ。
阿佐ヶ谷ビリヤードもビッグ
ボックスビリヤード場も、
遥か昔にすでに存在しない。
ビリヤード場は大手チェーン
店のみが拡張を広げ、老舗の
大型店や個人店舗はどんどん
閉店して来ている。
寂しいかぎりだ。