2022.07.28

歴史や文化

見つけてみて!ハワイアン・ミュージックに関するスポット in ワイキキ

  • WRITER さゆりロバーツ

世界中から人々が訪れるワイキキ。ビーチ、サーフィン、ショッピングにダイニング…リラックスとエキサイトメントが詰まったこの場所には、実は様々な「学びの場」がたくさんあります。今回は、ハワイアン・ミュージックが好きな皆さまには特に見つけてほしい、ワイキキの、音楽に関するスポットについてお伝えします。

人々を優しく出迎える「~の父」の像

ギャビー・パヒヌイの銅像

 

ルワーズ通り(Lewers St.)を散策していると、見えてくる2階建てのモール「ワイキキ・ビーチウォーク」。こちらには、足元はビーチサンダル、片側の肩ひもを外したオーバーオール姿でギターを弾く姿が、その気さくな人柄を伝える「ギャビー・パヒヌイ」の銅像があります。

この方は、あるものを世界に広めたことで「~の父」という呼び名を持っていますが、何の父と呼ばれているのでしょうか?

 

 

答えは…「スラック・キー・ギターの父」です。スラック・キー・ギター(Slack Key Guitar)とはハワイ独自のギター奏法で、通常のギターのチューニング(E(ミ)A(ラ)D(レ)G(ソ)B(シ)E(ミ))を独自のチューニング(DGDGBDなど)に調整し、低い音の弦でビートを刻んで、高い音の弦でメロディーを奏でます。

 

この奏法の起源には諸説あるそうですが、一つは、1800年代中頃、ハワイの牛の管理を任されていたメキシコ人カウボーイたちが、母国に帰る際にギターをハワイに残していき、そのギターと、ハワイ伝統のフラのリズムや歌などが融合して生まれたというもの。歴史の長い奏法なんですね。

 

この奏法を、初めてレコーディングしたのが銅像のギャビーで、1947年のことでした。そして、そのレコーディングした演奏が、世界へ届けられたというわけです。

 

ギャビーをはじめ、大御所のレイ(レイモンド)・カーネや、グラミー賞を獲得したダニエル・ホー、日本デビューを果たしたマカナなど、スラック・キー・ギターのミュージシャンたちの奏でるハワイの音に、ぜひ浸ってみてください。

歴史に名を残す4人組

ハワイの音楽の歴史上、最も「有名」だと言っても過言ではない4人組。その方々についても、ワイキキ・ビーチウォーク内で学ぶことができます。

 

ハワイの音楽シーンで活躍した方々について、詳しく紹介されている「ハワイアン・ミュージック・ホール・オブ・フェイム(ハワイアン・ミュージックの殿堂)」。そうそうたる顔ぶれが並ぶ中、150年を超えて人々に愛され続ける曲を残し、また、ハワイの音楽の発展を支えた4人組「ナ・ラニ・エハー(4人の王族たち)」がいます。そのメンバーとは、カラカウア王、リリウオカラニ女王、リケリケ王女、レレイオホク王子の4人。

 

ハワイの音楽の発展を支えた4人組「ナ・ラニ・エハー(4人の王族たち)」

 

ユニットを結成していたわけではありませんが、いつしか人々がそう呼ぶようになった4人の王族は、全員、兄弟姉妹です。王族たちは幼い頃から宣教師から教育を受けますが、西洋の音楽についても学ぶ機会があり、曲作りが得意な王族が数多くいました。

 

日本でも有名な「アロハ・オエ」は、リリウオカラニ女王が作詞・作曲したものですし(作曲部分については、外国の曲と類似しているので議論となっていますが)、ハワイ王国国歌「ハワイ・ポノイ」を作詞したのは、カラカウア王です。このハワイ王国国歌を含め、王族が作った曲やハワイアンソングの数々は、イオラニ宮殿やアラモアナ・センターのステージ他、様々なイベントに登場する「ロイヤル・ハワイアン・バンド」の演奏で楽しめます。

イオラニ宮殿で演奏するロイヤル・ハワイアン・バンド

ワイキキでレストランを経営していた意外な人物

ワイキキの中心部に、改装工事を経て大きくモダンなモールに生まれ変わった「インターナショナル・マーケットプレイス」。

 

こちらには、ハワイだけでなく、アメリカ本土でも大変有名になったある歌手の銅像があります。

1960年代から70年代にかけて活躍したポップミュージシャン  ドン・ホーの銅像

 

ハワイアンの血を引くドン・ホーです(本名:ドナルド・タイ・ロイ・ホー)。1960年代から70年代にかけて活躍したポップミュージシャンで、代表曲となった「タイニー・バブルズ」は、アメリカ本土で大ヒットしました。なんと、あのエルビス・プレスリーとステージで共演もしています。ちなみに、エルビスはハワイが大好きで、プライベートでも何度もハワイを訪れています。エルビスの銅像も、コンサート会場としても使われるニール・ブレイズデル・センターにありますので、見つけてみてください。

ニール・ブレイズデル・センターにあるエルビス・プレスリーの銅像

 

ところで、ドン・ホーの銅像がインターナショナル・マーケットプレイスにある理由は、この場所で昔、ある方が経営していたレストラン兼バーで歌っていたからです。ある方とは…

 

ワイキキにあるデューク・カハナモクの像

 

近代サーフィンの父でありオリンピック選手、デューク・カハナモクです。スポーツの世界で大活躍した方ですが、映画俳優やシェリフ(保安官)、レストラン、ガソリンスタンド経営と、マルチに活躍した方で、ドン・ホーのようなハワイのアーティストたちを支えた人でもありました。

歌のタイトルにもなっている道の名前

ワイキキの道の名前の大部分には、その地に関わる王族の歴史などが関わっています。メインストリートのカラカウア通りを、ダイヤモンドヘッドに向かって歩いていると、「パオアカラニ通り」が見えてきます。

 

パオアカラニは「王家の香り」と訳されます。これは、リリウオカラニ女王がワイキキに持っていた家の名前です。素敵ですね。このパオアカラニの庭には花々が植えられ、その香りが家を覆っていたことが想像できます。その家で、女王はたくさんの歌を作り出しました。

 

アメリカ人ビジネスマンが結託して、ハワイ王国を転覆させるという大変なことが起こりましたが、その時にハワイ王国を統治していたのが、リリウオカラニ女王。女王は逮捕され、イオラニ宮殿に閉じ込められてしまいますが、その間に、パオアカラニの庭から摘み取られた花が、女王の部屋に届けられたそうです。

 

女王はその花が、ワイキキの我が家のものだとすぐに分かったそう。そこで、宮殿に幽閉されている間に作り上げた曲が、「クウ・プア・イ・パオアカラニ(Kuʻu Pua I Paoakalani)」(パオアカラニの私の花々)でした。

 

現在のワイキキ・ビーチ・マリオット・リゾート&スパがある辺りが、女王の所有していた家のあった場所ということで、館内には女王に関するものの展示も行われています。

 

ワイキキの中だけでも、ダイヤモンドヘッドなど、まだまだ音楽に関するスポットはたくさんあります。好きな曲の歌詞に登場する場所などを訪れてみると、面白い発見があるかもしれません。音楽というテーマでワイキキを歩く…ワイキキの新たな歩き方として、ぜひ試してみてください。

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