渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

一つの脈流 〜日本撞球界〜

2022年09月26日 | open

映画『道頓堀川』(1982)

映画『道頓堀川』にはクズの玉突師
が何人か出てくる。
だが、これは映画の中だけの話では
なく、現実世界もそうだった。

今、第一部が終了したビリヤード
漫画『ミドリノバショ』を読んで
思う事がある。
これは母の実家「球撞楽(たま
どうらく)」というビリヤード場
3才の時に父を亡くして祖父と
住むようになった中学1年生の
女の子の成長物語だ。
純粋無垢な純真な心を持ちながら、
なうての撞球師の祖父から仕込ま
れた凄腕スーパー女子中学生
主人公である。
その腕たるや、国内の元トッププ
ロ、現役トッププロ男女をも下す。
そのあたりは漫画なのだが、漫画
的な展開とはいえ、出てくるキャ
ラが映画『道頓堀川』に出てくる
ようなクズ揃いなのだ。
一見、スポーツマン風に装いなが
らも、性格がとんでもなくねじ曲
がって歪んだ横柄連中大集合なの
である。
「良人」たちは翠(みどり)の祖父
の玉屋に集まる60才前後の常連の
おっちゃんたちとミドリばかり。
あと、玉屋でバイトの男子高校生
のエプロン君だけ。
舞台は京都だ。日本プールの起点。

作品に次々と出てくる若いプレー
ヤーたちは、皆が皆ひねくれた
オラオラ俺様大将ばかり。発想も
考えも対人態度も横柄傲慢自己中
で自分が一番と勘違いしてる奴ら
ばかり。
これ、現実世界でも、1980年代
はそうだった。えげつない世界な
のではなく、えげつない人間が
集まるのが日本のプール界だった。
また、現代でも若干ある程度は知
るが、その手の連中がとんでもな
く高比率で棲息しているのが日本
のプール界と言っても過言ではな
い。
撞球場は鉄火場であり賭博をやる
場所だったからだ。雀荘と同じ。
ビリヤード場店主やプロたちは
バクチをやる事を推奨していた。
また、プロたちはA級相手に毎度
せこいムシリをして日々の糊口を
しのいでいた。これは現実だった。
「失礼」「どうぞ」と口では言っ
ても、やっている事はバクチであ
り、ヤクザのそれだった。
博徒の盆御座と同じ事が撞球場で
行なわれていた。5-9(ゴック)など
の賭け玉は日常茶飯事だ。
「賭け玉をしないと上手くならな
い」と「指導」するビリヤード場
店主だらけだった。
金ではなく、勝利への邁進努力を
賞賛する人間はキャロムの選手以
外皆無だった。
キャロムでさえ、ピン倒しなどは
完全バクチ玉だ。賭け事。賭博。
賭博、博打にビリヤードを利用
したがる連中がワンサカといて
主流ぶっていたのがかつての日本
のビリヤードの実態だったので
ある。これは間違いない事実。

アメリカなどには礼儀などは元々
無い。
『ハスラー2』に出て来たような
グラス片手に相手にベロベロベー
をするような連中ばかりが場末
の飲み撞き場にはいる。
日本でも、それは近かった。(もし
くは現行も中身はそれ)
キャロムの世界でそんな事したら
国内では師や先輩からぶっとば
されたが、プールの世界は品無し
族だらけだったというのは間違い
ない事実だった。

『ミドリノバショ』を見ていて、
今もこんな奴らばかりなのかなぁ
と思ったりする。
一つの流れがまだ続いているの
か、と。
漫画だからと侮れない。
現実世界でもキャップ被ったまま
「指導」したり「コーチ」したり
する者がレッスンプロ再登録した
りするご時世だ。何を人に教える
というのか。
礼儀知らずは恥知らずというビリ
ヤード界以前の社会常識も知らな
い。
対戦相手が撞いている時にそっぽ
を向いていたり、相手が外した
瞬間から出て行ってどけといわん
ばかりにセカセカしたり、自分が
外したら台前でショット後にスト
ローク確認したり。
そんなのが日本のランキングの
トップにいたりする。
ビリヤードプレーヤーとして✖️。
だが、プレーのみは上手い事は
上手いので、メディアは誰も態
度の悪さを指摘さえもせずに持
ち上げる。

ビリヤードの世界の最大の欠点
は、「玉突きが上手ければ偉い」
と勘違いしている連中が業界に
ゴマンといる事だ。
そして、上手い者が業界のトップ
に立つが、実体はてんで礼儀知
らずだったりする事も多い。
それをテレビ中継の解説でも自
で曝け出すのだから何とも。
丁寧な言葉遣いも無く、敬語を
公共電波で一切使わないという
時点で、かなり問題ある実態を
業界トップ域の者が晒してしま
っている。

野球やその他のスポーツでも、
いくら種目が上手くとも駄目なの
だ。
スポーツ選手である前に人なのだ
から。非人道的な発言をしたり、
性差別や性的な暴行的行為をやら
かして開き直ったり、対人関係で
無礼失礼を働いたり。
そういうのは、駄目なのである。
それを無視してその者を持ち上げ
ようとする風潮は、人の世を破壊
する事なのだ。

躾が不在の今、スポーツ選手、
スポーツ愛好実行者は尚更に、
取り分けビリヤードプレーヤー
スポーツから何を学ぶのかを
抜きにして技法的テクノロジー
のみが上手くとも、それは手玉
スクラッチでしかないと認識
すべきだろう。

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