さすがにこれで最後かな。
⑦大学
大学の建物からは少し離れた山頂の町に住み、地下鉄で通うことにしました。
母がここでいいんじゃないかって言って、私もじゃあここでいいかって言って決まりましたね。
家具や家電は母が勧めるままに買いました。他のことも全部言われるがまま。
私は迷いを断ち切るために思考を止めました。
いつか死ぬために生きる。
かつてのように悲壮感に酔うことはできませんでしたが、その思いは変わらず私を穏やかにさせてくれました。
大学では完全に人との関わりを消しに行きました。
部活にもサークルにも入らず、ただ講義には出席する。
先のことはどうしようと思ってたんでしたっけ?
何も考えてはなかったか。
平日は講義を受け、課題をして、自炊して、スマホをいじって眠る。
休日はカードショップに行って時間を潰す。
あるいは私の理想とはそういうものなのかもしれません。
1年の夏休みは免許を取るために実家で過ごしました。
親元で過ごすことは苦痛だった。
いや苦痛であってほしかったのかもしれません。
父も母も年を取り穏やかになっていきました。
私は小学生時代の父母のイメージを拭えないためそのギャップに心を乱されました。
思えば母に怒られることが無くなってもう6年以上経ちます。
父の怒声も少なくなり、神経を揺さぶりもしなくなりました。
いつまでも私だけが変わらずにいる。
いつまでも私だけがあの頃のまま。
苦しくないことが苦しいという感覚を初めて知りました。
遠くへ行きたい。
どこか遠くの小さな町で、古びた部屋を借りて、単調な仕事に就いて、簡素な暮らしをする。
その想像が私の頭を占めるようになりました。
講義や実験が忙しくなり、自由な時間が減ったのは幸いだったのかもしれません。
私は忙しさを理由に自分のことや今後のことを考えるのを止められました。
冬休みに入り、私はバイト先を探し始めました。
単純に暇だったのと、アルバイトくらいはしておかないと就活で話せることが無いからですね。就職する気なのかって感じですが。
ですが周辺には募集が少なく、なかなか成果を上げられませんでした。
そうこうしてるうちにコロナが流行り始め、私はそれを言い訳に怠惰な暮らしに逃げ込みました。
オンライン授業に移行したこともあり、私はその1年をほとんど人と関わらずに過ごすことができました。
パソコンで動画を流し、スマホをいじって、カードを眺める。
とても楽でした。問題を先送りにして耽る娯楽ほど魅力的なものはありません。
子供の頃の私にとって人生のスキップ機能は読書と睡眠でしたが、文明の利器を存分に使うことで人生の全てをスキップすることができました。
この頃の記憶はほぼありません。
変調を感じたのは秋が終わり、冬が始まろうとしていた頃です。
私は眠れなくなりました。
本来の目的も忘れてのうのうと生き続け、いったい何をしているのかと正気に戻り始めたのでしょう。
まぁあの状態が正気なのかは疑わしい限りですが。
日中はこれまで通り怠惰な暮らしを続けていても、夜になると罪悪感と自罰心に苛まれるようになりました。
夜中はじっと虚空を睨み、明け方に少し眠る。
そんな生活が冬の間は続きました。
二度目の冬休み、私は再びバイト先を探し始めました。
夜の時間を埋める何かが無いとおかしくなると思ったからです。
幸い近所のコンビニに募集があり、そこで働かせてもらえることになりました。
夜勤を希望したのですが、初めての人には任せられないということで夕勤に入ることになりました。
バイトは大変でした。すべてが初めてということもありますし、1年間ロクに喋らなかったツケも回ってきました。
しかし職場の人間関係にも恵まれ、私はちょっとずつ一人前のコンビニ店員になっていきました。と言っても単純な接客清掃品出しといった業務だけですが。
不眠はしばらく続きましたが、春になって暖かくなるにつれてちょっとずつ眠れるようになっていきました。
3年生からは対面授業が再開されました。去年はオンラインで学生実験を行って、まぁ絶対問題があったんだろうなぁって思います。
久々に大学に通わなければいけない上にグループワークが中心となるため、私の気は重かったですね。
でも、思ってたのと違いました。
私はさほど苦労することもなく周囲と溶け込み、時には笑顔を見せるようにもなりました。
私はずっと子供の頃のままのつもりでした。
落ちこぼれでみんなの足を引っ張ってて、まともに口も利けない出来損ないで生きてるだけで迷惑な存在。
ずっとそういうつもりで生きてきたんです。
だから一人でも耐えられた。辛くても頑張れた。それが当たり前だから。
違うんじゃないかなって…
私は正直自分のことを発達障害だと思ってます。素人判断ですが典型的な症状ですからね。
体力も運動神経も並以下で、幼少期の劣等感が人格に悪影響を及ぼしたのも間違いないでしょう。
支配的で過干渉な母親、威圧的で無関心な父親の間で無気力になっていったというのもわかります。
でもそんなの関係ないんじゃないかなって。
そんなのもうとっくに乗り越えちゃってるんじゃないかなって。
それでもまだそういう考えに囚われるのは、そういう過去に縋るのは…
自分の人生を生きることから逃げているから。
精神的な成長がもたらしたのはよりいっそうの惨めさでした。
夏が始まる頃、1つの出会いがありました。
私が動画投稿者になるきっかけですね。
ここでは多くを語りません。前に動画にしちゃいましたからね。
それから数か月の変遷はどうぞYoutubeで。
私は人生の意味を自身のチャンネルに託しました。
私生活には変化は無くとも、ネット上で誰かに認められるようになれば、誰かの心に残るようなことができれば。
私の人生にも何か意味があったんじゃないかと思えたからですね。
7月から院試勉強のため休みに入りました。
ホントはですね、大学院なんてどうでもいいんですよ。勉強も研究も将来も何の関心もない。
ただ変化を嫌っただけです。欲しかったのは後2年の猶予ですよ。
手に入りませんでしたね。
これまで私は無能なゴミクズだから勉強くらいできないといけないという強迫観念を原動力にしてきました。
それがもう無くなっちゃったんですね。
作風の変化に気づいて察している視聴者もいましたが、明らかに私の精神状態は好転してきています。
以前のように、道の真ん中を歩いたり、貰った物を食べたり、人に声をかけたりするだけで罪悪感を抱くような、そういう生き物ではなくなってきています。
人間になっちゃってたんですね。気づいたら。
いい加減私もちゃんと自分の人生を生きますね。
まともな就活はできる気がしません。
自分はこんなことを頑張ってきたとか、自分はこんな良い所があるとか、自分はこんなことをして行きたいとか…
もう嘘でも言えなそうなので。
男一人身一つで生きてく方法なんて幾らでもありますので悲観はしていません。
ただ私が何らかの夢や希望を持って大学に進んだと思ってる父母に何と言うか…
それを思うと気が滅入るだけです。
今書き記すことはここまでです。
まだ終わらせる気はありませんのでご安心を。