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更新日:2011年1月5日

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とちぎの歴史(れきし)

いまから約(やく)1350年前【7世紀後半(7せいきこうはん)】に、下毛野国(しもつけぬのくに)と那須国(なすのくに)が統一(とういつ)されて、下野国(しもつけのくに)ができました。これが、いまの栃木県(とちぎけん)のはじまりの形です。

下野国(しもつけのくに)には国庁(こくちょう)【いまの県庁(けんちょう)】や、国をおさめるために重要(じゅうよう)な役割(やくわり)があった国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)、下野薬師寺(しもつけやくしじ)がつくられ、都(みやこ)から、はなやかな文化が伝(つた)えられ、さかえていました。


国庁(こくちょう)の復元模型(ふくげんもけい)


下野国分寺跡(しもつけこくぶんじあと)


鎌倉時代(かまくらじだい)には、小山、宇都宮、足利、那須(おやま、うつのみや、あしかが、なす)などの下野(しもつけ)の武士(ぶし)も、国につかえる武士(ぶし)【御家人(ごけにん)】として活躍(かつやく)しました。戦国時代(せんごくじだい)には、足利学校(あしかががっこう)が、日本でもっとも大きく有名な大学として、ヨーロッパにまで、そのようすが伝(つた)えられていました。


足利学校(あしかががっこう)


江戸時代(えどじだい)になると、日光は幕府(ばくふ)の聖地(せいち)として、東照宮(とうしょうぐう)をはじめとする、美しく、はなやかな建物(たてもの)が作られ、特別(とくべつ)に保護(ほご)されました。


日光東照宮 陽明門(にっこう とうしょうぐう ようめいもん)


明治時代(めいじじだい)にはいり、廃藩置県(はいはんちけん)【全国の藩(はん)を廃止(はいし)して府県(ふけん)をおいた】がおこなわれ、明治(めいじ)6年6月15日に、現在(げんざい)の栃木県(とちぎけん)が誕生(たんじょう)しました。

最初(さいしょ)の県庁(けんちょう)は、現在(げんざい)の栃木市(とちぎし)におかれましたが、明治17年に現在(げんざい)の宇都宮市(うつのみやし)に移(うつ)されました。


初代(しょだい)の県庁舎(けんちょうしゃ)
【栃木市片岡写真館提供】