390話 それぐらいで
「魔獣です!! 例の蜂の奴です!! いっぱいいます!!」
バッチレーの報告は、かなり切迫感を持っていた。
それも当然だろう。例の蜂についての情報は、従士たちに徹底して教えられているのだから。
時に大人でも殺されてしまう狼を、軽くあしらって餌にする。一匹でも並の人間では歯が立たないのに群れで行動するし、仲間を呼ぶ。更に、空を飛び、魔法を使って襲ってくる。
こんなもの、遭遇すれば逃げ一択だ。
バッチレーの慌てた態度も当たり前であろう。
「素晴らしい!! 日頃の行いが良いからですね!!」
対してペイスの態度は、かなり緊迫感を失っていた。
満面の笑みで、いや、打算を込めた腹黒い笑みで、報告を歓迎する。
「なんで喜んでるんですか!!」
バッチレーの指摘は至極もっともだ。
熊のように大きな蜂。モルテールン領では記憶も新しい、魔法を使う蜂だ。
油断していたわけではないのに、あわや死にかけた同僚も居る。実際に、つい最近被害者が出ているのだ。
決して、侮っていい相手ではない。
「蜂が居るということは、またあの“蜂蜜”が手に入るということじゃあないですか」
「今は蜂蜜か言ってる場合じゃないでしょう。ぎゃあぁあ!! こっち来た!!」
「落ち着きなさい。いついかなる時も冷静にと教わったでしょう。一旦深呼吸でもして気持ちを穏やかに」
「そ、そうは言っても!!」
巨大な蜂、というのはただでさえ遠近感が狂う。
本来なら親指よりも小さい生き物が、人の体躯を大幅に超えて襲ってくるのだ。
ペイスの見るところまだ遠いが、距離感が狂っている上に冷静さを喪失した部下たちは浮足立っている。
ここで逃げ腰にならないだけ訓練が行き届いているのだろうが、ここは統率を取り戻すべきだとペイスは判断する。
「皆、落ち着きなさい」
よく通る少年の声が、兵士たちの間に浸透する。
「確かに、巨大な蜂というのは恐ろしい相手であり、油断できない敵です」
浮足立つ兵士たちは、油断している訳では無い。むしろ、油断と対極にいるからこその同様なのだが、ペイスはあえて油断という言葉を使った。
自分が気を引き締めているとはっきり分かる言葉だから。
「だが、まだ遠い。落ち着いて防衛体制を取るように。槍は崖下ですので、剣を構えるように。守備にのみ専念すればいい。先ずは落ち着きなさい」
具体的な行動を指示されたことで、いつもの気持ちを取り戻した兵士たち。
連合部隊は、それぞれに密集して剣を構え始める。
蜂への対抗の為の、ハリネズミ模様だ。
動きはスムーズであり、何度となく訓練で叩き込まれた基本の隊形の一つ。本来なら槍を構えて行う、密集戦術である。
「守りだけでは不安。そう考えている者も居るようですね」
ぶうんぶうんと、気色の悪い、恐ろしい重低音が響いてきている。蜂が近づくにつれて音は大きくなり、腹の内側までが揺れている気分にさせられる不気味な雰囲気。
初めて蜂の魔物と相対する国軍兵士たちなどは、落ち着きを取り戻したとはいえ総じて不安も持っている。
兵士たちの顔色から揺れる気持ちを受け取ったペイスが、更に安心させるように言葉をつづけた。
「しかし、ここには僕が居ます。バッツィエン子爵が居ます」
急に指名された子爵であったが、そこは国軍の隊長。
兵士たちから視線を浴びることなど日常茶飯事。ごく自然に兵士たちからの注目を集め、そのまま右腕だけを持ち上げて上腕筋をアピールして見せた。
「皆、横を見なさい」
言われて横を見る兵士たち。
右を見る者も居れば、左を見る者も居る。
きょろきょろとする男たちの集団。
「横に居るのは、誰ですか?」
密集した兵士が横を向けば。
そこに居るのは勿論兵士だ。
「そう、仲間です。頼れる戦友です。皆、我々は一人で敵と戦うのではありません。戦友と共に戦うのです。みんなの力を一つに合わせれば、どんな敵でも倒せます。たとえ大龍であろうと恐るるに足らず!!」
ペイスの言葉は、何よりも兵士たちに落ち着きを与えた。
彼らは思いだしたのだ。
自分たちの指揮官が、英雄であることを。
龍の守り人の称号を持つ、稀代の魔法使いであることを。
「ましてや、大龍が味方に居る今、如何なる敵でも相手になりません。ここには最強の守護者が居るのです!!」
「きゅう!! きゅう!!」
自分のことが言われたと分かったのだろう。
金属光沢の生き物が、空を飛びながら存在をアピールし始める。
我こそは偉大なる空の王者、栄えある最強の大龍であると言わんばかりに嬉しそうに鳴いてみせた。
この悪食大蜥蜴もどきを手懐けているのは、若き天才。
「ピー助、いきますよ」
「きゅい」
密集の陣形から進み出たのは、ペイスとそのペット。
そのままずんずんと歩み、近づいてくる敵に向かっていく。
「むむむ、モルテールン卿が出るというなら、我々が出ない訳にはいかぬな。逃げるは筋肉の恥だ!!」
脳筋一族である子爵も、恐れて引くのは筋肉の恥という摩訶不思議でよく分からない理屈から奮い立った。
考えてはいけない。こんなものはフィーリングである。理屈ではなく感情と思い込みで納得するべき力技だ。
しかし、大隊長の吶喊を止めたのもペイスだった。
ちょっとした車ぐらいは有りそうな大きな熊だ。いやさ蜂だ。筋肉を鍛えていようと、天然の甲殻に適うはずも無い。
今、強大な魔物に対抗する手段を持つのは、子爵ではないのだ。
「閣下、お下がり下さい」
「むむ、しかし」
「あいつらには必勝法があります。上官として命じます。下がりなさい」
断固としたペイスの態度。ここは、自分が出るべき場面であると譲ることは無い。
一瞬の間があってのち、大隊長もペイスの命令を受諾する。
「あい分かった。しかし、気を付けられよ」
「勿論です」
軍人の素直さというのか、脳筋の単純さというのか。
ペイスが上位統率者として命令を出すと、国軍部隊は見事な統率で一気に後退する。そのまま崖を降りそうな勢いである。
「さあ、いきますよ相棒」
「きゅういぴぃ!!」
ペイスのかけた言葉が分かったのか分からなかったのか。
妙に張り切りだした大龍が、思い切り火を噴きだした。
ごう、という音と共に紅蓮の熱波が地上を舐める。
「何と!!」
初見であれば、或いは何度見ても、犬ほどの大きさの大龍から、ごうごうと火が噴き出る様は圧巻である。
世界に不思議は数あれど、大龍が火を吐き続けるほどの
蜂の魔物は、僅かな間に討伐されていく。
「おっと、ピー助、その辺で良いです」
「きゅう」
もう少しで完全に討伐できる、というところでペイスがピー助を止めた。
素直な大龍は、最後に小さくぽっと火を吐いて大人しくなる。
「なんで、大龍を止めたんですか?」
部下の疑問はもっともだ。
このままやらせれば、全滅させることも出来ただろう。部隊の安全確保を思えば、その方が良かったのではないか。
誰しもが思う疑問だろう。
「……バニラの為です」
ペイスは、一切ぶれることなくお菓子の為だと言い切った。
正しくは、バニラと思しき植物の為である。
「バニラ?」
「ええ」
バニラは、ペイスにとっても非常になじみ深い植物。
より正確に言えば、バニラの種子を乾燥させたバニラビーンズに馴染みが有るのは既に承知のこと。
しかし、このバニラという植物。種子の加工品が製菓原料として、香料として使われているという事実以外にも、もう一つ大きな特徴があった。
実は蜜蜂にとって、バニラはとても好ましい蜜源植物でもあるのだ。
そもそも、甘い匂いというものが何の為にあるのか。自然界では、多くの場合は繁殖と生存の為である。
虫に花粉を媒介させるために甘い匂いを発する植物。蜜を出して蝶などの昆虫を誘う植物。甘い匂いを出す植物というのは、珍しい話ではない。
バニラらしき植物と、蜜を集めていると確定したばかりの蜂。この組み合わせから、ペイスの優れたお菓子用頭脳が答えを導き出したのだ。
お菓子にのみ働く、スーパー勘ピュータである。
「恐らく、このどでかいバニラらしきものは、蜂の蜜源の一つと思われます」
「はあ」
お菓子のこととなると天才的な働きをするペイスの頭脳。
暴走する癖が有るのが、ほんのちょっとした欠点であるが、優秀であることは間違いない。
「貴方は、あの蜂の蜂蜜を食べたことが有りますか?」
「いいえ」
「あれは、とても素晴らしいものでした。推測でしかありませんが、その秘密がこのバニラである可能性は無視できない」
バッチレーは、残念ながら前回の蜂討伐での戦利品を賞味する機会は無かった。
従士長などは試食と銘打って蜂蜜入りのアイスクリームを遠慮なく食べたらしいのだが、新人の悲哀というものだろう。
「秘密を暴くまで、出来るだけありのままで保護したい」
「そんなことを言っても」
「今後とも継続して採取できるなら、有用な資源です。これは決定ですよ」
飽くなき欲求。
バニラの香りはスイーツの発展である。
「それに」
ペイスは、部下の方を見やる。
「空飛ぶ魔獣が居ることが確定した以上、空からの偵察も難しそうです」
「そうですね」
モルテールン家には【転写】の魔法が有り、他人の魔法もコピーできる。
最上位のトップシークレットであるが、ペイスが【転写】した魔法の中には鳥を操るものもある。
空撮による偵察でも出来れば最高だったのだが、空を飛び回る外敵が居るとなれば、扱いは慎重になるだろう。
「今、蜂を全滅させてしまえば、今後は空からどんな敵が襲ってくるかもしれません。それなら、対処法が既に確立されている敵に、空を抑えて貰っていた方が良い。違いますか?」
「はあ、何となく分かります」
「今回の探索は、崖の下に安全地帯を作り、今後の活動の拠点とすることまでですね。それで一旦戻りましょう」
連合軍は、ひとまず一時退避を選択した。
蜂の襲撃で何人か怪我人が出ているというのも有るし、先に進むと蜂の本体が居るであろうことが明らかだったからだ。
「それでは、一旦昨夜の宿営地まで移動を」
「はい。行軍準備!!」
一斉に、動き出す兵士たち。
探索はとりあえず一旦お預け。
若干、勿体なさそうに未練を見せていたペイスであるが、やるべきことはやる。
崖を降りてもペイスの仕事は終わらない。
「では……転写!!」
ペイスは、転写と口にしながら【掘削】の魔法を使う。
崖を掘る為だ。
目下、空からの敵と、森の中からの敵が確認された。人を食う凶悪な敵だ。
この敵から身を守れる安全地帯を作るなら、敵がいないであろう“崖の中”に拠点を作るのが良い。
そう、指揮官たちは結論付けた。
岩の崖を簡単に掘れる魔法が有ってこその、力技だ。
環境整備は、重要なこと。急がば回れ。
一週間ほどを掛けて、崖を使った簡易な住居と、掘り進めて発生した瓦礫を使っての簡易な壁が出来上がる。むしろ一週間で防衛環境が整ってしまったことこそ異常ともいえる。
壁の周囲に堀を掘って、排水を整備すれば一応は形になった。
難攻不落とは言えないまでも、多少の魔獣であれば群れ出来ても一般の兵士で対処可能な拠点。
砦ともいうべきものが整備されていく間、魔法を使えない人間も遊んでいたわけではない。
手の空いた兵士たちによって、周囲の探索や道路の整備も進められる。
広範囲に草を刈り、通交の邪魔になりそうな木々を伐採し、伐った木はそのまま建築資材にされる。
勿論、魔法使いを装っているモルテールン家の従士たちが、魔法の飴を使ってだ。
「最低限の居住空間と、防衛設備は出来ましたね」
「はぁ魔法って凄いんですね」
「これで、橋頭保は確保できた。一旦、報告と調整の為に、ザースデンに戻りますか」
それなりに整備が済み、周辺の探索と目ぼしい脅威の排除が済んだところで、ぺイスたちは一旦街に引き返すこととなった。
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