皇統を考える~令和時代を生きる私たちの使命
にった・ひとし 昭和33年、長野県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程に学ぶ。博士(神道学)。近代日本における政治と宗教との関係が専門。平成10年「比較憲法学会・田上穣治賞」受賞。政府の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(平成29年3月22日)および「『天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議』に関する有識者会議」(令和3年4月8日)において意見陳述。現在、皇學館大学現代日本社会学部学部長。
継承原理は「氏」の世襲観
本質は父系での祭祀継承
国民感覚の先に待つ「天皇否定論」
皇學館大学現代日本社会学部学部長 新田 均氏
世界日報の読者でつくる世日クラブ(会長=近藤譲良(ゆずる)・近藤プランニングス)の定期講演会が18日、動画サイト「ユーチューブ」の配信を通じて行われ、皇學館大学現代日本社会学部学部長の新田均氏が「皇統を考える~令和時代を生きる私たちの使命」と題して講演した。
新田氏は「(皇室の)親子継承にこだわらない『傍系主義』が天皇の『無私』を支えてきた。時々、遠い傍系に皇位が渡されることによって、皇位はその時々の天皇が私すべきではないという認識が確認されてきた」と強調した。以下は講演要旨。
皇統とは天皇の位に就くことができる人々が属する血筋だ。世襲により古くから日本社会で受け継がれてきたものには大きく二つある。一つは祖先の祭祀(さいし)であり、もう一つは財産と職業だ。この二つの受け継ぎ方は同じく世襲といっても、その原理原則は異なる。
日本国憲法の第2条には、「皇位は、世襲のものであって、国会が議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。皇室典範第1条には、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」となっている。
ここで男系(父系)継承の錯覚を正しておきたい。皇統に属する男系の男子にしか皇位継承を認めないのは女性差別という議論だ。これは「男子」という言葉に引っ掛かり、その前にある「皇統に属する男系の」というところを見落としているところからきている。
世の男性のうち、天皇になれる資格を持っているのは、秋篠宮殿下、悠仁殿下、常陸宮殿下の御三方だけ。これに対して、国籍に関係なく、多くの女性には結婚によって日本の皇族になれる可能性がある。天皇の母にもなれるし、場合によっては摂政になることもできる。
しかし、皇統に属する3人以外の男性は、皇族女性と結婚したとしても皇族にはなれない。この現実を見れば、皇室から排除されているのはむしろ男性の方だ。この男性排除の理由は何か。それを知ることこそ、皇統の本質とそれを守るということを理解する最大のポイントになる。
父系のことを東アジアでは「氏(うじ)」と呼び、同じ父系に属する一族を他の父系に属する一族と区別するために、用いられてきたのが「姓」だった。一族の祖先を祀(まつ)る祭り主の地位は父系によって受け継がれてきた。逆に言い換えれば、祭り主の地位は父系でしか受け継げないという考え方であり、女性でも自分の父系の祖先神は祭ることができるので、女性天皇が歴代で8人いらっしゃった。
ではなぜ、女性天皇の数が少ないのかというと、それは祭祀の過酷さにある。近代になってから大嘗祭で「皇后拝儀」が行われるようになったが、一例として大正4年11月14日の大正天皇の大嘗祭に、皇后はご懐妊のため欠席されている。特に女性にとって、決められた日に決められた形で祭祀を続けていくことは容易ではない。
次に「家」の世襲観についてお話する。財産・地位・職業を継承する集団である「家」を表わす名称が苗字(みょうじ)だ。そのため、結婚して同じ家を守ることになった男女は同じ苗字を名乗る。
この財産・地位・職業の継承をする「家」にとっては、血筋すなわち父系の継承は二の次で、むしろ財産を守っていけるだけの能力が重視された。そのために、娘に婿を取って家を継がせるとか、場合によっては夫婦両方が養子ということもある。そしてそれでも「家」は続いていると考えるのが「家」の世襲観だ。
皇位継承は「家」の継承ではなくて「氏」の継承。家族による財産や職業の継承ではなく、父系による祭祀の継承が本質ということだ。
近世までは皇室以外でも「氏」の観念が「家」の観念と併存していた。それは著名な人物の正式名を見れば分かる。例えば、徳川家康は「徳川次郎三郎源朝臣家康」。徳川という「家」の、源という「血筋(姓)」の、家康という個人だったわけだ。
このような「氏」と「家」の併存は近代になって終止符が打たれた。日本人の名乗りは苗字に統一され、これにより国民の世襲感覚は「家」のみとなった。つまり、娘が家を継承しても血は繋(つな)がっているという世襲感覚は近代以降の新感覚で、いわば創られた伝統だ。
女性宮家を創設して女系で皇位を継承してもいいではないか、という世論調査の結果の根底には、この近代的な感覚がある。だから、近代の感覚の中に居る国民に率直な意見を聞いても、見当違いな答えが返ってくるだけ。今問うべきは、近代の国民感覚に合わせて、古代から続く継承感覚、継承事実を捨ててしまってもいいのかということだ。
女性宮家が建てられ、その当主が皇統に属さない男子と結婚し、その子供が皇位を継ぐことになった場合、それは母系(女系)による皇統の継続ではなく、実は別の父系への移行、つまり皇統の断絶となる。
皇位継承を今の国民感覚に合わせるべきだという議論もあるだろう。しかし、その先に待っているものを想像する必要がある。
祭り主としての天皇の地位と不可分な父系継承を否定すればどうなるか。皇祖の祭り主ではない天皇を容認した先には、もはや一般人と変わらない、天皇の地位そのものを否定する「天皇否定論」が待っている。女性宮家容認を主張する人々の中に、本心では天皇というご存在の否定を考えている人が交じっているのはこのためだ。
なぜ、現皇室が皇位継承者の減少に悩まなければならないのか。それは敗戦の結果、旧宮家の臣籍降下を強要されたからだ。昭和22年、11宮家26人の男性皇族が降下を強いられた。もしこの方々が皇族に留まっていたら、現在の危機は存在していない。
旧皇族の男子に皇族に復帰していただいたとして、この方々の血筋に皇位が移るとしたらいつになるか。それは悠仁殿下が皇位に就かれ、しかも男子を残さずに崩御された場合となる。現在の日本人男性の平均寿命を考えれば、旧皇族の方々に今復帰してもらい、教育を受け皇族として育っていただく時間は十分にあるだろう。
男系主義は男子を生むことを皇后に強制し、過大な精神的負担を負わせるという主張もある。それはむしろ、自分の実子に跡を継がさなければならないと考える直系主義の弊害だ。
皇室は是が非でも実子に継がせなければいけないという直系主義の立場には立っていない。皇統に属してさえいれば、何世代さかのぼっても正当と考える男系主義の考え方は、言い換えると兄弟や遠い親戚でも継承を認める傍系主義となる。
この見地に立つと、親戚の誰かが男子を産んでくれればいいので、適当な数の宮家があれば、皇后陛下の精神的負担もかなり軽くなるはずだ。
皇室の最終的な存在根拠は伝統である。今日の国民の考え方への配慮は大切だが、それが一番大切なわけではない。国民の意思を考慮するのであれば、そこには国民の先祖の考え方も含まれなければならない。
皇位継承の伝統を維持する方法がまだ残されており、それが国民を困らせるようなものでないなら、それをまず実行するのが伝統を尊重する正しい道筋だ。
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