私たちに明日はない
延空木で真島と対峙する千束を助けるべく、駆けつけたたきな。そこで彼女は千束の運命を決定づける選択を強いられる。やがて明らかになる千束の人工心臓の秘密。そしてたきなの出生にも隠された事実が有り──。
本編12話まで鑑賞して妄想したエンディングになります。千束→たきな→千束と物語が進行します。
- 3
- 3
- 51
- * -
延空木は、日本一高い塔で、そこから見える夕焼けは東京では最も遅くまで見られるとテレビで言っていた。遅さが日本一じゃないのは、西のほうが日没が遅いからだったっけ、などといらぬ方向に頭が動いてしまう。
「なあ、お前気づいてたな」
「さあ、なんのことやら」
気づいてたに決まってる。ここは延空木だが、私が鞄を落としたのは旧電波塔だ。ヨシさんが持ってきてくれる訳がない。わざわざ持ってくる人間なんて一人しか心当たりがない。日没を検知して点灯するはずの電灯は点かず、館内は異様に静かで薄暗い。真島が電源を落としたようだ。エレベータもすぐには昇ってこれないだろう。
「ヨシさんに頼まれてな」
「…たきなが言っていたみたいに、真島とヨシさんは繋がってたの」
「いや。お前の扱いについては、利害が一致しただけだ」
「殺すってこと?」
「逆だ」
意味がわからない。
「お前の心臓をヨシさんの心臓と取り替え、お前を生きながらえさせる」
そう真島が言うのは理解できなかった。あんた私を何回殺そうとしたよ。
「俺は、お前がアラン機関について知れば、必ずアラン機関をぶっ潰すと思ってる。俺と組まなくても。少なくとも生きてさえいればな」
「そんな事しない」
「フン。ヨシさんは、心臓を取り替えれば、お前が殺し屋としての才能を発揮するようになると信じてるのさ」
「それもない。私はこのまま死ぬし、心臓を仮に換えても、そんな事するはず無い」
私はおもむろに銃を取り出して真島を狙う。
「ねえ。ヨシさんは私を殺そうとした。それは事実なの。だからそんな嘘に私は引っかからない」
真島も構えるかと思ったが、腑に落ちない、といった顔で思わぬ事を訊いてきた。
「…なあ。吉松は本当にお前を殺そうとしたのか」
「ヨシさんの部下の女の人、私をさらって、心臓を充電できなくさせたんだ。それを、たきなが助けてくれた」
真島は沈黙している。
「だからヨシさんが私を、殺そうとしたのは確かなの」
言いにくかったが、言った。まるで私自身に納得させるように。
「それは本当に、殺そうとしたのか」
真島の問いかけは、夕闇に包まれつつ有る展望台に暗く響いた。
「当たり前でしょ」
「それは人工心臓移植のために行っていた手順の途中だったんじゃねえのか」
そんなはずが、と思うが、明確に否定する事が出来ない。私は眠っていたから。
「…実験か、何かするつもりだったんじゃないの」
「壊れかけの人工心臓と、ただの死体でか」
黙ってしまうと、真島は続けた。
「殺すつもりなら、その時点でそうしてるだろ」
「…ッ、仮に、そうだったとして、今日ヨシさんは私の事を撃ってきた」
「…本当にお前を狙っていたのか。あの黒いのでなく?」
よくよく考えると、実弾で狙っていたのはたきなだけだった様に思う。
「じゃあ、ヨシさんが人工心臓を、自分に埋め込んだのはどう説明するの」
「吉松が?確かなのか」
「見たんだ。胸に…赤黒い、傷跡が残ってるの」
「ほーう。ちょっとそれは分かんねーわ。吉松に訊いてみないことにはな」
そう言って、真島はさらりと続けた。
「お前もそう思うだろ。黒いの」
- * -
まさか気づかれていたとは。
非常ボタンをとっさに押したものの、エレベータは地上階を目指して動こうとしたので、四隅のケーブルを撃とうとした所、電源が消失して、停止した。フキ達は何か救助を待つべきなどと騒いでいたが、構わず外に飛び出して、鉄骨を渡り歩いて階段にたどり着き、ここまで昇ってきた。千束はヤツの耳について注意していたが、これ程とは。
いや、それよりも。隙を見て突入するつもりだったが、先程まで真島が話していた内容が私を支配している。吉松に関して、人工心臓に関して知りたい。そう考えたのが間違いだった。過去の矛盾について、詳らかに説明されるたび、むしろ私の汚点が明らかにされていく。
だって、だって、そうだとしたら私のやったことは。最初からずっと、千束が生きながらえるチャンスを虱潰しにしてきただけ。
刹那、発砲音がした。真島の銃だと分かったが、真島は私も千束も撃っていないようで、闇に溶けるように消えた。そう思った瞬間、関節を極められた。
「ぐっ」
「たきな!」
「おっと動くなよ電波塔リコリス。コイツの指が二度とトリガーを引けなくなるぞ」
千束は構えているようだが、すでに室内は暗く、電灯も点いていないため狙えない。狙えても微妙に彼女の射程圏外と思われた。
突然、真島は私だけに聞こえるよう言った。
「以前あいつを救出した診療所まで来い。あいつと二人でだ」
「何を…クッ」
「良いか。聞いてたのか分からねえから言ってやる。俺と、吉松はあいつに吉松の人工心臓を移植する事で、あいつを生かそうとしている」
「信じられるか」
一瞬沈黙するが、真島の声が急に大きくなる。千束に聞かせるためというよりは、苛立ちから思わずそうなってしまったかのように。
「なあ、お前が撃つ事で、状況が少しでも良くなった事が今までに一度でも有ったか?少しぐらい頭使って生きられないのかよ、お前は」
「たきなを離せ!」千束の声がする。
「千束」
「チサト、じゃねえんだよ。お前、今日は旧電波塔に現れたな。延空木で死体になったお仲間達は、お前の囮か何かだったのか。お前が居れば、死ななかったヤツだって居たんじゃねえのか」
「たきなは私を助けに…!」どこか悲痛な口調で千束が応じた。続けて言う。「それに私達はフキ達を助けた!」
そうだ、私達は好き好んで人を殺したりしない。ちゃんと、助けてる。
「同じだろ」
すぐ後ろに居るはずだが、距離感がつかめない真島の声が不気味に響く。
「命を粗末にしたって、後で同じかより多く助ければ良い、帳尻が合う、っつー考えは」
「人工心臓使ってでも人殺しを続けて、平和に貢献しろって考えと、どう違うんだ」
瞬間、電灯が点灯し、周りが見えるようになった。私の手を離す真島。すかさず発砲する千束。
「違う!」
そう叫びながら、非殺傷弾を消費しながら、千束は真島を仕留め切れない。弾の射程の短さのせいなのか、その目に浮かべた涙のせいなのか。あまりの熾烈さに、私は自身の銃で真島を狙うのを忘れてしまう。
「違う!違う!違う!」
真島は床や、壁をまるで飛ぶように千束の攻撃を避け続け、階段に出、柱に飛び移り延空木の暗い麓に消えていった。千束が持つ銃からは聞いたことのない、弾切れの音が聞こえている。千束がそのまま崩れ落ちる。
私は千束に駆け寄るが、千束は全弾打ち尽くした銃を持ったまま、違う違うとこぼしていた。私はそっと抱き寄せる。千束は安心したかのように身をまかせてきた。
エレベータも復活したようで、ホールを見ると上昇してくるエレベータが有るのを確認できた。多分フキ達だろう。また殴られるのだろうか。
真島がさっき言っていた事が耳に残っている。
──命を粗末にしたって、後で同じかより多く助ければ良い、帳尻が合う、っつー考えは
人工心臓使ってでも人殺しを続けて、平和に貢献しろって考えと、どう違うんだ
私達は人殺しだけをやってる訳じゃない。日々地域の人と交流しながら、お店も切り盛りしていて、他のDAのメンバーだって純粋に殺しだけを仕事にしている人間は少ない。
──お前が居れば、死ななかったヤツだって居たんじゃねえのか
それは可能性として否定できない。でも殺した張本人が言えたものではないし、フキ達は救助に向かった私達を迎え入れてくれた。
──お前が撃つ事で、状況が少しでも良くなった事が今までに一度でも有ったか
私が撃ってない世界は存在しない。だから分からない。でも、もし。もし。
見れば、エレベータは間もなく到着しそうだ。千束は私に黙ってその身を委ねている。
千束は、いつか私と千束とが分かたれる時が来るけど、それは今日じゃない、そう言っていた。でも、今日じゃなければ、いつ?明日?明後日?そもそも、本当に今日じゃないのか。私が腕に抱く、この天才的な殺しの才能の、その片鱗さえ見せない儚い女の子が、私の前から煙のように消えるのは、いつだ。私が撃つ事で、千束を救う未来が、もし開けるのなら。
「千束」
私がそう呼ぶと、千束は少し泣き腫らした目をこちらに向ける。
「すみません」
ヘリの中で預かった千束のマガジンから、一発だけ抜いた非殺傷弾。
スライドが完全に後退した千束の銃のチェンバーに片手で弾を落とし、スライドリリースを解除して装填させる。スライドが戻ったカシャッという作動音に対して、反応が遅れた千束から銃を奪い、銃口を千束の下腹部に突きつけて撃ち抜く。本当はみぞおちを撃ちたかったが、心臓が近い。
「グッ──!!」
「ごめんなさい、千束」
そう言いながら、私は彼女の両手親指を、拘束用のバンドで固定した。痛みに悶える千束を引っ張ってエレベータホールに向かう。下に向かうボタンを押すと、展望階で待機していた一基がポーンと音を立てて開いたので、乗り込んだ。一階に向かうボタンを押す。
ちょうど、フキ達リコリスが乗っているエレベータと交差したが、超高速を売りにしたエレベータはあっという間にフキ達をその床で隠した。だがフキは一瞬で私達の存在に気づいたように見えた。
「た、き、な…。何で…」
至近距離からとはいえ一発だけでは、あまり長く動きを止めることは出来ないようだ。あるいは彼女の強靭な肉体がなせる業か。
「千束、私はずっと何かを撃つことで選択を重ねてきました。それは的だったり、ドローンだったり、人だったり」
「たきな…」
「撃たずに後悔するより、撃って後悔する選択を、私はします」
千束はうなだれる。その顔は、私からは見えない。
- * -
二人黙って夜道をただ歩く。痛みが大分引いてきたら、冷静に周りを観察出来るようになった。たきなは恐らく真島に何か唆されて、私をそこに連れて行こうとしている。真島の話通りなら、殺すために連れて行く訳ではないが、たきなの安全については何も言ってなかった。
インカムと携帯を置いていかされ、無理矢理歩かされてたどり着いたのは駐車場。止まっている一台の車に見覚えが有る。
「…クルミ助ける任務の時に使ったスーパーカーじゃん」
「ええ。クルミに大怪我した千束を連れて移動する手段がほしいと連絡しました」
はー、と言いながら感心していると、たきなは助手席のドアを開けて、私をお姫様抱っこして乗せる。何だよこの相棒イケメンかよ。私のこと撃ったけど。
続いて運転席に乗り込んで発進しようとするが、車はうんともすんとも言わない。たきなは故障か、などと言い出してあれこれ試し始めた。
たきな、私のこと大事なんだね。でも私は、心臓をヨシさんから奪ってまで生きる事を望んでない。どうやったらたきなに分かってもらえるんだろう。とりあえずは、発進させてから考えるか。
「たきな。両方のパドルシフトを同時に引いて」
えっ、と言うがたきなは言われた通りにする。
「そんで今押してた、右手親指のボタン押して。あ、ブレーキ踏んだまま」
キュルルルルとスターターが回る音に続いて、ヴォン───!!!と軽快にして重厚なV10のエキゾーストノートが響き、たきなは少し驚いたようだ。
「やっぱ運転できないんじゃーん。まだまだだねー。たきな」
たきなは黙ってしまう。夜に響かせるのは少々迷惑なアイドリングの音が駐車場内に響き続ける。
たきなーごめんって、気にすること無いって、と私はなだめようとするが、たきなは私を見据えて言った。
「そうです。私まだまだなんです。だから」
視線を前に戻し、ゆっくりと車を走らせ始めながら言った。
「千束が色々教えてください。これからも」
助手席から見えるその顔は、凛々しくもあり、儚げでもあった。
何か無いの。彼女に、私の死を納得させる何か。あれは仕方なかった、どうしようも無かったって、それは私にとって悲しいことだけど、たきなが出来るだけ早く考えられるようになるために、何か無いの。
その後も、一般的な国産車と逆に配置されたウィンカーを出せないまま、フロントウィンドウをワイパーが何度も往復するのを見たり、夜なのに左手前方の謎のダイヤルがライトのスイッチと気づかずに慌てたり、停車させたらパーキングブレーキのスイッチが分からないまま後退しはじめ、慌ててブレーキを踏んだりした。
その度ごとに、私は手は後ろだけどお腹を抱えるほど笑ったり、焦ったり、大声を出したりした。たきなもそうだった。いつもの仕事みたい。下手をしたら死んじゃうのに、二人でああでもない、こうでもないってやって、やられて。
本当まだまだだよ、たきな。全然、まだまだだよ。まだまだ、私はたきなと歩いていきたいんだ。本当は、本当に、心の底から。私はたきなが嫌いだから死ぬって言ってるんじゃないんだよ。
やがてたどり着いた診療所。既に電気は全て消えていたが、玄関から男が一人、出てきた。真島だ。診療所内は外よりもさらに暗く、奥に電気が唯一点いている部屋が見えた。窓は光が漏れないよう塞いでいたのだろう。廊下を静かに歩く、無機質な床、色あせた手洗いを促すポスター、不気味な廊下を目にしながら電気が付いていた部屋にたどり着く。
中ではヨシさんと、姫蒲さんと言ったか、部下の女の人が座っていた。まるで検診を待つ患者のように静かに。
「千束、来てくれたか」ヨシさんの表情は心持ち明るく見えた。一方たきなはヒドい顔だ。私を人形とか言ったのを聞いてたんだろう。
「千束、私の心臓を使ってくれるか」私がなんと応えるべきか決めかねているうちに、ヨシさんが本題に切り込んできた。私ははずみがついたので応える。
「ヨシさん。私、そんな事しない。私はこのまま寿命を迎えて死にたい。今まで私は人を殺さないでやってきたし、そのまま死にたい」
沈黙が流れる。ヨシさんは私を諭す風に語り始めた。
「殺さないでやってきた、か。千束、君に説明しておいた方が良いことがありそうだ」
「何。何の話?」
「今日、クリーナー、と言っていたな。よく利用するのか」
急に何だろう、その質問は。とりあえず訊かれたまま答える。
「まあ、うん。私が、DAの仕事するときは、いつも…」
「クリーナーとは、何だと思うね」
「何って」
一般人であるヨシさんに対し、クリーナーについて話せる事などほぼ無い。何を言うべきか言葉を探していると、ヨシさんが問いを重ねた。
「君はクリーナーに犯罪者共を引き渡すと、魔法のような力で、そいつらが洗浄されてキレイな一般市民にされ、また社会に返還されると、思っているのか」
何か不愉快な事を聞かされる予感がそこにあった。たきなもそう感じているよう。姫蒲さんの表情は変わらず見えたが、真島の姿勢は、強い感情を押し隠そうとしているように見えた。
「いや。ある意味ではその通りだ。彼らこそが、アラン機関が提供する人工臓器の主要な提供元だからな」
「嘘」と言う声が自分の物だったか、たきなの物だったか。
「もっとも、彼らの臓物をそのまま転用するのではなく、数々の検査を経て、有用と判断された部位を摘出して利用する。千束、君の人工心臓も、数十からなる人間の心臓のパーツと強化樹脂、バッテリー等から構成されている」
心臓が止まったかのよう。鼓動はずっと止まっているのに。そう感じた。
「心臓だけでないく、あらゆる臓器やその血液が、優れた才能を持つものを生かすために活用されている」
たきな。お願い、拘束を解いて。耳が塞げない。
「仮に、その臓器にさえ使い道がない程の者でも、私達が造った人工心臓の耐久試験を行う実験生物としてその生命が有効活用される。ヒトの心臓をマウスに移植することは出来ないからな」
ここから逃げ出したい。人の心臓を奪って生きたくないからとかじゃなくて、ただ単純に怖い。
「千束、人工臓器の耐久性を評価する試験にも、私達が採用する信頼水準で、その故障率を保証するには、およそ数百のサンプルが必要だ。当然それぞれに君に入っているのと同数程度の人間の心臓から構成された人工心臓もな」
じゃあ、何。私は、誰も殺してないと思ってたけど、既に生きながらにして、沢山の屍の上に立って生きてきたって、ことなの。そして、クリーナー行きの人もまた、誰かが立つための屍にされただけだったの。
足元が揺らいだ気がした。実際、そのまま膝から崩れ落ちてしまう。
「嘘。嘘だよ。だってヨシさん、今日怒ってたじゃない。真島を、クリー、ナー送りにしたって言ったら」
真島の顔を見られない。
「死んだという結果でなく、君が殺したという過程が重要なんだ。君がその才能を発揮し、その命を、根こそぎにしたという過程が」
「…クリー、ナーに頼むと、かかるお金は何なんですか」
たきながそう言う。こんな時に何を下世話なと怒りさえ感じたが、違うとすぐに気づく。クリーナーに関する話が嘘だと示せる糸口が、それぐらいしか見出だせないのだ。
「先に言ったように、彼らの臓器はそのまま使えるわけではない。検査や試験などクリーナーも膨大なコストがかかるんだ。我々が注入できる資金にも限りが有るからな」
ここまで聞いて、不安が頭をよぎる。私はまだしも、たきなにここまでの話を聞かせる理由がない。とっさに体が動いて、真島に体当たりをかました。
「千束!」
「たきな逃げて!こいつらたきなを逃さないつもりだ!私に手術受けさせるための人質にするつもりだ!」
だが難なく私は真島に、たきなは姫蒲さんに取り押さえられる。
私とたきなの拘束を解こうとするうめき声がする中、ヨシさんが言う。
「それも考えたが、私はそれをしないよ。千束。必要がない」
「そんな…事…信用できるわけが」
「コスト、の話をしていたな」
何だ、急になんで。この状況でまたそんな話を。
「たきなちゃん、良い着眼点だ。先に述べた方法は、膨大なコストがかかる。我々はそれをどうにか抑える方法をずっと模索していたが、二十年ほど前に計画され、始めた検証実験が間もなく終わろうとしている」
ヨシさんの意図が読めない。そのままヨシさんは続ける。
「心臓移植に関して、あるドナー(臓器を提供する者)に対してレシピエント(臓器を移植される者)が適合するかどうかには複数の基準が存在する。血液型、体重、前感作抗体の反応等だ。クリーナーが高コストであるのは、あるレシピエントに対して、ちょうど適合する心臓を作り上げるのに膨大な材料が必要だからだ」
クリーナー送りにされた人間を、材料と言い放つヨシさんは、私にはこの世の物と思えなかった。
「我々は逆に考えた。支援対象者に適合するドナーを腐心して探したり、ツギハギの人工心臓を苦し紛れに提供するのでなく、それこそオーダーメイド、せめてパターンメイドの臓器を作れないかと」
また話がよくわからない方向に向いていく。
「在庫の臓器を一定に維持できるよう、基準に合わせて臓器を製造、管理出来ないかとね」
在庫、製造。いや、まさか。
「孤児として集められ、戸籍も作られず、消えても不審がられる事が無い、リコリスのような存在はその実験用生物として最適だった」
続けてヨシさんが咳払いをして問いかける。
「たきなちゃん、君の血液型はA型だね」
たきなが後ろで息を漏らすのが聞こえる。
「血液型が一致しなくても、輸血は行えないが移植は行えるんだ。そう言っても免疫抑制剤無しには難しい組み合わせは有るんだが」
授業のような口調でヨシさんは続ける。
「A型の人間の心臓をAB型の人間に移植するのは、血液型が完全一致した場合の移植とほとんど変わらない。強力な免疫抑制剤も不要なほどだ」
私は、多分たきなも、息をのむ。AB型は、私の血液型だ。
「たきなちゃん、君は元々、アラン機関によってドナーとなるべく産み出された人間の一人なんだ」
- * -
驚愕したが、私は訊かずにはいられない。姫蒲という吉松の部下に拘束されたまま、吉松に向けて問いかける。
「私の心臓は、千束に移植出来るんですか」
「たきな!」
千束が叫ぶが、吉松は淡々と答えた。
「先に言ったとおり、ドナーとして適合するかどうかには複数の条件が有る。血液型はその一つに過ぎない」
「だから?適合するの、しないの」
「たきな!止めて」
「恐らく適合するだろう。君が東京に配属されて以降進められた各種試験でも、君の心臓は錦木千束に移植しても適合する可能性が高いことが示された」
私がやってきたことが、実は結果として千束が生きる可能性を潰してきた、真島が千束に話していた内容を聞いてから、ずっとそういう不安が有った。
そんな私に、吉松の声は福音のように響いた。実際、私が生まれながらにして千束の命を知らずとも支えてきた、という話は私の運命を方向づける、神の託宣も同じだった。千束に私の心臓を捧げる、なんて甘美な響き。
真島に取り押さえられたままの千束が吉松に問いかける。
「待ってよ!たきなが東京に配属されてからって、かなり前じゃない。みんな知ってたの。DAの人、楠木さん、先生とか、みんな」
「ミカは知らんだろう。クリーナーについては勘付いているかもしれんが、人工心臓の来歴や、たきなちゃんに関する事は知らないはずだ」
店長は恐らく知らないと言われ、千束に安堵の表情が浮かぶ。続いて千束は問う。
「じゃあ、真島は」
「俺が知ってたのは、クリーナーに関する事だけだ」
「だったら止めて。聞いたでしょ、人工心臓には沢山の人の命が」
「俺がテロリストだって分かってるか。今日だってお前の仲間共を何人死なせたと思う」
千束は言葉を継げなくなる。千束は吉松に向かって問いかけを重ねる。
「なんで今更、人工心臓なんて用意したの。たきなが、その、私の命を支えるためにいた、っていうならなんで」
「たきなちゃんの心臓を使うことを、君が嫌がると思ったからさ、千束」
「当たり前じゃない!」
「だから当初は人工心臓を君に移植する予定だった。だがその移植手術は、たきなちゃんが突入してきて失敗したんだ」
私の喉がぐっと詰まる。でも大丈夫だよ千束。私はちゃんと償うつもりだから。
「でもその人工心臓は、ヨシさんが使っちゃったんでしょ!」
「我々が用意できる人工心臓は、一度移植準備を開始してしまえば、所定時間内に血液を循環させなければ機能不全を起こして再利用出来なくなる。生体部品も多数使っているからね」
「…ねぇ、まさか」悲しげに響く千束の問いかけ。
「せっかくの人工心臓を無駄には出来ないので、姫蒲に手術を行わせて私に移植したんだ。千束、君の移植には問題なく利用できるよ。今度は邪魔も入らないだろうしね」
狂ってる、私は旧電波塔でそう吉松に言ったし、今も思っている。でも、狂っててありがとう。あなたが、狂っててくれるおかげで、千束は助かる。姫蒲が何故吉松の傍らにいつも居るのか分からなかったが、彼女は外科医としてそこに居たのだ。何時でも千束に自分の心臓を移せるように。人工心臓が入っていると思ったケースには、手術用具が入っているといった所か。
「千束、しばらく眠っててもらうよ。何、起きればまた、たきなちゃんが居てくれる。私とはお別れだが、君の才能を残すためには、やむを得ないだろう」
そう言って吉松は千束に近づいていく。千束が暴れても、真島は拘束を解かない。
もうすぐだ。千束が生きる未来が、もうすぐ手に入る。
「黒いの。お前失敗したな」
真島が静かな声で言った。そのまま、千束を手放し、ドアから手だけを出して入り口の方を無造作に撃つ。
──クソっ。
──退避!退避!
すぐに真島は電気を消した。そして冷静に言う。
「態勢を整え、ヤツらは再突入してくるだろう。もうここは使えない」
私は思わず問うた。「心臓を、諦めろっていうの」
「お前がヘマしたか、怖気づいたんじゃねえのか」
「そんなはずない」
沈黙が流れる。それを破ったのも真島だった。
「黒いの。お前は吉松と共に、車である場所に向かってもらう。残りの電波塔リコリスと姫蒲は俺と来い。姫蒲、器具をしまえ。すぐに出る」
思いもよらぬ提案。
「何いってんの。千束をアンタなんかに任せられない」
「頭使えって言ったよな。突入してくるのがリコリスなら、最も撃たれる可能性が低いのは同じリコリスであるお前と赤いのだ。移動に使える車は二台。俺の車とお前が乗ってきた御大層な車だ。それぞれにお前らを一人ずつ乗せれば、連中も車を爆破みたいな手を使えなくなる」
「吉松と姫蒲は一般人だ。撃たれるわけがない」
真島の言っていることは分からなくは無いが、千束と離れたくない気持ちが言葉をひねり出させる。
「俺は、お前を、信用していない。怖気づいたお前がリコリス共にここでの会話を流していれば、俺と吉松に姫蒲が乗った車なんぞ、蜂の巣にするのがお前らリコリスにとって一番都合が良いだろ」
確かに先程、吉松が言っていた内容は多数の殺人と殺人幇助、死体損壊罪等への深い関与を示唆していた。DA上層部に関する事さえ口にしていたので、まとめて消される、という懸念はもっともな話だ。
「だから、私は、そんな事は」
「おしゃべりは以上だ。それにお前の車は二人乗りだろうが。そんなに吉松が嫌なら姫蒲にしてやろうか。ケースは持っていってやるよ」
千束にこだわることで、千束を死なせては、意味がない。
「目的地は」
「旧電波塔だ。姫蒲が使う手術器具は通常の家庭用電源では使えねえが、あそこは使えるように改造してある。今日はあそこで手術する可能性も有ったからな」
「…千束に何か有れば、殺す。絶対に」
真島はそう私が言うのを聞いたのかどうかというタイミングで、猿ぐつわを噛ませた千束と姫蒲を連れて廊下を進んでいく。やがて「撃つなよ!リコリス共」と叫びながら、時折発砲しながら移動しているのが聞こえる。
機を見て私と吉松もでなければならない。吉松には靴を脱ぐよう指示した。
外にいるリコリスはあまり数が多くはないのか、やがて車の発進する音がきこえ、幾つかの発砲音を残して消えていった。今だ。
吉松を連れて玄関に向かう。リコリス達はやはり数人だけで、駐車場出口で真島の車を目で追っているようだ。急ぎ車に向かい、ドアを開けて、吉松を乗せる。そのドアの音で気づいたようで、こちらに目を向けるが、私はすかさず運転席に飛び込んだ。リコリス達が駆け出してくるが、構わず車を発進させ、彼女達は跳ね飛ばされるギリギリで回避した。待てと叫んで発砲していたのはフキだったと思う。
呑気に脱いだ靴を履き直しながら、吉松が言う。
「大した物だね」
「心臓の容れ物にしては、という意味ですか」
「それは私も同じだろう」
「そうですね」
狂っている。そう改めて感じながら、同じくらい狂っている私はアクセルを踏み込んでいく。
- * -
運転席から真島は
「そいつの口のやつ外しといてくれ」
無造作に姫蒲さんにそう言った。私の口の布が取り払われる。
「…私が舌噛むとか考えないわけ」
「そうだな。あの黒いのに俺が殺されちまうから控えてくれ」
真島の車は名の知られたスポーツカーで、一応四人乗れるが、姫蒲と共に放り込まれた後部座席はかなり窮屈だった。運転席の真後ろなら全滅覚悟で真島を攻撃する事も出来たかもしれないが、真島もそれは警戒しているようで、私は助手席の真後ろに座らされている。
色々な事が思い通りに行かず、私も憎まれ口を叩く。
「つーか女子差し置いて助手席に鞄なんてありえねーっつーの」
助手席には姫蒲さんのケースが鎮座している。
「お前頭突きで車止めようとするだろうが」
「じゃあ姫蒲さんは」
「お前が暴れた時に取り押さえる係が必要でな」
こんな事ならさっきの割り振りの時、ヨシさんにしてもらえば良かった。ヨシさんなら最悪両手が自由に動かせない今でも制圧出来ただろう。
沈黙が重いので、思い切って姫蒲さんに語りかけるが、彼女はアラン機関に関することを話そうとしない。私が姫蒲さんについて知っている事などそれ以外に無いので、会話の種はそうそうに尽きてしまった。
仕方がないので真島に話しかける。
「このままどっか行こうよ」
「ヘリも追尾してきてんのに呑気なもんだな」
「気づいてんだね」
「当たり前だ」
この車の窮屈な後部座席は、座ると頭の上スレスレに天井とリヤウィンドウが有り、手が痛いが背を出来るだけもたせかけて首を上にあげると、車の真上が見えた。そこにはつかず離れずの距離を保つ航空灯が微かに見えていた。
「つまり旧電波塔に辿り着いてもすぐ包囲されちゃうって」
「姫蒲がお前の腹を開けるのに五分もかからねえそうだぞ」
「はあ?」
「腹開けた後でリコリス共が突入してきた所でどうすんだ。意識の無いお前、身元の知れない女、近くに同じ様に寝ている吉松を全員蜂の巣にでもするのか」
返す言葉がない。
「あとあの楠木とかいうお前らのボスは、ダメ元でお前の手術が終わるのを黙って見届けるかもな。ほっておけば死んじまうんだから」
納得してしまう自分が居る。楠木さん。信じてたのに何で。いや、私が一番信じてたあの子にだって、もう私の声は届いていないのかも知れない。
嫌な事を考えてしまいがちな頭を違う方に向ける。ふと気づいた。
「ていうかこの車、私を跳ね飛ばした車じゃん」
「今気づいたのかよ」と言いながら真島は盛大に笑った。
「本当サイアク。後部座席に押し込まれるし、乗る時のエスコートも無いし、挙げ句跳ね飛ばすなんて論外でしょ」
「車で跳ね飛ばしても即座に攻撃してくるような怪物、誰がエスコートすんだよ」
「たきなはしてくれたもん」
「そうかよ」
「またの名を、蒲焼太郎な」
はあ?という真島の声が聞こえるが、切り替えようとした頭はどうしてもそちらを向いてしまうようだ。たきな。たきな。
たきなは、私が生きるためだったら、自分の心臓も命も惜しくないんでしょ。私だって同じだってどうして気づいてくれないの。私だってたきなが生きるためだったら、自分の心臓も命も惜しくないに決まってるって。
やがて、旧電波塔の不気味で歪な姿がフロントウィンドウを覆いつくす。
「本当にこのまま、どこか行こうよ」
その声のあまりの真剣さからか、真島はバックミラー越しに私を見る。
「俺とお前でボニーとクライドもねーだろ」
思わずクスリとしてしまう。「そうだね」
「お前のクライドは大丈夫なのか」
「もう知らない。あんなやつ」
真島ももう応えない。
真島は普段から車を隠しているのに使っていると思われる通りから見つけにくいスペースに車を止めた。そのまま降りて私達を旧電波塔に引っ張っていく。たきな達は私達より少し遅れてやってきた。全員で工事用エレベータに乗り込み、やがてかつての展望フロアにたどり着いた。本日二回目の来場。
到着してすぐ、姫蒲さんは電源と場所の確保に動いた。開いていたシャッターを下ろし、外から見えないよう、狙えないようにして館内の電灯をオンにする。パッと明るくなるが、そこは色々な物が散乱していていかにも廃墟だった。
たきなと真島は周囲と塔の地上階の動きを警戒しており、ヨシさんは麻酔の準備を進めているようだ。やがてヨシさんに呼ばれる。
「千束、さあここに寝て」
腹を決めた。「はいはい」と言って、ヨシさんが示したあたりをすたすたと通り越し、準備を進める姫蒲さんに近づいていき、背後からその頚椎めがけて全力の蹴りをお見舞いした。
姫蒲さんはひらりとかわし、私と距離を取る。
「…何の真似でしょうか」
「ちょっとした準備運動かな」
再び私は飛び込んでいく。
「千束!」たきなが叫び、銃をかまえる。
「よせ!テントに当たる」私は流石だね真島と感心する。
私に致命傷を与える事は当然避けねばならないため、姫蒲さんは全力では私に攻撃できない。かといって、私は脚しか使っていないのに、ほぼ互角という現状に、冷静な姫蒲さんの焦りが見え始める。
やがて、喉元を切り裂きそうな蹴りを掠めて、返す脚で顔面に蹴りを入れようとした所で、真島は私の狙いに気づいた。
「ナイフを投げるな!」
しかしその声が姫蒲さんに届く頃には既に、彼女はとっさの回避行動からか、私であれば急所は避けるだろうという案外冷静な考えからか、私目がけてナイフを投げていた。
蝿が止まる、とは失礼かもしれないが、姫蒲さんが投げたナイフは、正面から見ると、ブレードの厚みは二ミリ程度とかなり薄め。斜め正面からは、空気抵抗によるブレの影響を受けにくくするためか線対称なダガータイプである事が分かる。続いて横目に見えるブレードは刃金となるコバルト鋼をステンレスで挟み炭化タングステンコーティングを施した物、長さはおよそ百二十ミリ、エッジは番手を変えた砥石で研がれていそう。小ぶりなヒルト、ハンドルが私の髪を撫でるようにすり抜け、後ろ手に組まされた親指の結束バンド目掛けて飛んでいく。視界の外だが、そのナイフの先端が私の左手親指根本の皮膚を僅かに切り裂き、このままでは骨に達しそうだったので、ナイフの飛ぶ軌道をほんの少し曲げる。うん、思った通り、私の指紋を撫でるエッジは丁寧に研がれていた。
あれ、私って今正面から見たら、羽を広げて飛び立とうとしている天使みたいに見えるんじゃない?姫蒲さんは、まだ私の顔か、飛び去ったナイフを見ているのか、分からないけど。私を縛り付ける枷はもう切り裂いてあげたよ。
顔面向けての蹴りが空を切り、着地するまでの様子は、まるでバレリーナのグラン・ジュテのようじゃないかな。
着地して、少し切れた左手の血を舐め取っている私に、真島が言った。
「…化物め」
「人を化物のように描写するな」
- * -
千束を止めなければ、と思うのだが、その方法が分からない。近接格闘でも銃でも彼女は私を完全に圧倒し、全く歯が立たないであろう事が予想できた。
思わず私は千束に銃を向ける。
「たきな。教えてあげるよ」
そう言って姿勢を下げ一気に突入してくる。速い。
瞬時に関節を極められ、延髄に手刀が当てられるが、まるで撫でているかのように柔らかい。何だと思っていると、千束は極まっていた関節を解き、言った。
「たきなじゃ、私のパートナーが務まらないって」
そう言って間合い外に飛び退き、特に構えるでもなく、佇んでいる。私は今言われた事が、分からなくて、納得できなくて、呆然としている。
突如銃声が響く。千束を狙って真島が撃った。
「黒いの!早くソイツを止めろ!」
「真島さーん。個別指導中なんで邪魔しないでもらえます?」
そう言って真島が以前やったように私の腕を曲げてそのまま撃ち、真島の銃を撃ち落とした。今度は私を置き去りにして真島の元に走り、予備の銃で応戦する真島を、あっけなく組み敷いて、私と同じ様に延髄を撫でる、と即座に距離を取った。
私も、真島もわけが分からないといった様子で千束を見る。千束は無造作に言った。
「ねえ、たきなも、真島も何回死んだ?さっきの姫蒲さんも合わせると何回?私があのテントを切り裂くチャンスが何回有った?皆を殺さずに気絶させてここから私が歩いて脱出するチャンスは?気絶なんかさせなくても脱出出来るけど」
真島が息をのむ気配が伝わる。
「仕掛けた罠全部に引っかかってあげる。練り上げた作戦全部で成功ギリギリまで私を追い込ませてあげる。その上で、私はその策略も考えも全部打ち倒していく」
続けて千束は言った。
「そして私は死ぬ」
死ぬという言葉で弾かれたように私は飛び出した。正面から飛び込み、千束の間合いの直前で死角に近い場所に体を移動させ、そこから千束のあごめがけて拳を送り出す。
「よく見てるね」
そう言いながら、死角だと私は思った箇所からの攻撃を千束はかわし、踏み込んだ私の脚を払う。私が足を滑らせて両足が地面から離れ、宙に浮いている間に、千束は私の腹部に非殺傷弾を撃ち込んだ。
地面に転がり落ちたと同時に激痛が走るが、千束はその腹部を強烈に蹴り上げた。
「グッ───!!」
「延空木のお返しだよ。ホント痛かったんだからあれ」
私と彼女との間に、ここまでの差が有るとは。
「真島さん。そろそろリコリスだのリリベルだのが突入してくるんじゃないの。リリベルならリコリスを消す任務もやるし。あー私を制圧したと思ってたから、特に対策とか考えてなかった感じ?」
真島の顔が怒りに歪むのが見える。
「まあ大丈夫か。多分DAは真島が私達やヨシさんを人質に籠城してるとしか考えてないでしょ。突入するにしても朝になってからだね」
つまり、といって千束は続けた。
「私が朝まで、たきなや真島をボコボコにしてれば良い」
それからずっと私は千束に蹂躙されていた。ずっと、と言っても時間にして一時間も経っていないだろう。千束は非殺傷弾がもったいないと言って徒手空拳のみを使うが、私はかすり傷一つ付けられない。
「ほらほらたきなちゃんと見て攻撃しないと」
既に肩で息をしている私と違い、千束は余裕そうだ。
真島は少なくとも自身が制圧することを既に諦めているようで、外の様子を耳で確認したり、脱出時の撹乱用なのか爆弾のような物を設置してフロア内を歩いていた。
「真島ー。たきなへばってるよ。良いの交代しなくて」千束がそう言う。
「二人がかりで行っても意味無さそうだしな」
「そう」
呼吸するのがやっと、という状態で倒れ込んでいると、千束が言った。
「言ったでしょ。私のパートナーは、たきなじゃ役不足なんだよ」
「…力、不足…と言いたいんですか」
「どっちだっけ。でも、どっちでも良いよ。一応ファーストやってるフキ、とは言わないけど、せめてあのサクラって言う子ぐらいは戦えないかな」
「私は…」
「じゃなけりゃたきなが助けたって言ってたあのエリカって子でも良いよ。思ったほど頼り無さそうでもなかったし」
私は千束がそう言うのを聞いているだけだ。
「ねえたきな、私の心臓を自分のと取り替えるつもりだったんでしょ。力ずくでもそうするつもりだったんでしょ。でも今、たきなは私を横に寝かせることさえ出来ないじゃない。そんな無力で、そんな事言ってて、よく恥ずかしくないね」
無力と言われる事をこんなに実感したことがない。
「たきな。たきなが弱すぎるから私、死んじゃうよ。良いの」
力を振り絞って繰り出した拳が急所を狙うが、キレも力も無い一撃は難なくいなされ、千束は片腕で私の首を優しく押さえた。
「たきな、これ以上やっても無駄だから、落としちゃうね。やった事有るよね、頸動脈締めるやつ。おやすみ」
待って。千束。
「たきな。次に目覚めた時はもう私、居ないと思う。死んでるかもしれないし、生きてたってこんな所からは逃げ出してる。そしてたきなが見つけられない所で私は死ぬ。これがお別れだよ、じゃあね。たきな」
千束の掌が、的確に私の首の両側を走る血管を塞ぎ、脳への血流をほぼ遮断する。
──イヤだ。千束。お願い。もう少しちゃんと言わせて。
あなたと離れたくないだけなんだって。一緒に居たいだけなんだって──。
急に、視界が開けたのを感じた。自分が落ちたと思った私は、まだ少しぼんやりとする頭で状況を確認する。何秒、何分落ちてたのだ、千束はいってしまったのか。しかし、周りを見ると、なんと、千束はまだそこにいた。さっきまで私を組み伏せていたのに、今の千束は息苦しそうに膝をついている。
「千束!」
「あー…限…界かも…」
千束はそう言って胸を手で押さえて、倒れ込む。意識は有るが、顔が青白い。思わず抱きかかえる。
まだだ。まだ千束が生きる望みは残っている。吉松を見ると、既に吉松はこちらに向かってきていた。
「吉松。千束を」
「ああ」
そう言って、私が抱きかかえる千束に手を伸ばす。
「たき…な、やめて。そんな事…」
千束、ごめん。あなたにどれだけ蔑まれても、私はこの選択をする。ふと、痛みを感じた。
- * -
私に手を伸ばしたと思ったヨシさんは、手に持った注射を、たきなに打った。思わず私は、え、という声を漏らしてしまう。注射を間違えたのか。たきなは特に不審がる様子も見せぬ間に、崩れ落ちた。
「単なる麻酔だ。心配しなくて大丈夫だよ」
「そん…な…なんで、たきなに」
しばし沈黙したが、ヨシさんは答えた。
「うん。今朝から咳が続くような気はしていたんだ。まいったよ。流行したのは随分前だったからね。有効期限は少し過ぎているが、鞄に検査キットが残っていてよかった」
ヨシさんが持っていたのは、数年前に世界中で流行したウィルス性の感染症の検査キットのようだ。あの頃リコリコも休業とかしたな、と意識があらぬ方に向いてしまう。
「この感染症への罹患は心筋障害等の発症リスクを高める可能性が有る、と言われていてね。あの頃は大変だった。罹患が認められたドナーは移植を見送っていたから。現在もその方針は変更されていないんだった。失念していたよ」
移植を見送る、という言葉だけが宙に浮いたように聞こえるが、それにつながる道筋が見えた時、やっと私は戦慄した。
「…ねえ。ヨシさんの心臓を私に移植する事が出来なくなった、って事で合ってる?」
「そうだ」
「それで、今たきなを眠らせた…のは何でかな」
「…分かっているだろ?」
ヨシさんは微笑んでるように見えた。その微笑みは、力尽きそうな私に声を上げさせるのに十分なほど、悪魔的だった。
「やめて!やめてよ!」
私はそう言うが、たきなを抱えたヨシさんをどうする事もできない。しかも近づいていた真島に、私は気づかず難なく制圧される。銃も奪われた。私はすかさず言う
「…私が、もし…生き残ったら絶対に…アンタから殺す」
「それに続いてアラン機関だろ?俺はそれで構わねえ」
こんな深い絶望を、私は感じたことがない。たきな。お願い。起きて。
予感のような物が脳裏を駆け巡る。そこは霞みがかった廃墟のような場所で、真島を含むテロリスト、ヨシさんを含むアラン機関の面々、DAの人達を含む、沢山の屍の山を、私は昇っている。そいつらの手、足、胸、首などを強く、深く踏みしめながら。やがてたどり着いた頂上には、私の目を引く一つの死体が転がっている。胸をポッカリと開いた少女のそれ。たきな。
一瞬意識が遠のいた間に見た白昼夢だったが、それは異様にリアリティを帯びていた。近い未来、訪れるであろう未来。あれだけ避けて通った殺人という選択を積み重ねる私、いや、既に人工心臓はある意味でその業を負っているが、明確な自分の意志による殺しを重ねる私。たきなは、私の最初の獲物。
「イヤだ…。嫌…」
「どうもならねえよ」
言っている事は冷徹だが、真島の声はほんの少しの憂いをはらんでいるように聞こえる。
「殺す…絶対に…アンタを」
真島はそれには応じず、少し沈黙して、あまりに突飛なことを言い出した。
「なあ。アクション映画つったら、やっぱ高い建物と、大爆発だよな」
「…は?」
「ダイナマイトを使った大爆発で、でけえビルが吹っ飛んで、悪人の目論見が木っ端微塵になるのが王道だよな」
「…何、ふざけてんの?」
「ちげーよ。頭の血のめぐりの悪さはポンコツ人工心臓のせいか?俺はこの後も脱出する時に使う爆弾設置しなきゃなんねーんだ」
そう言って私を米袋のように抱える真島。その腰に今言っていた物であろうか、爆発物が見える。思わずコレを防菌テントに投げ込んで爆発させる想像をしてしまうが、そんな事をすればたきなも死んでしまう。
「何…何なの」
「これ以上殺さずに、この世界を変えられるっつーなら、それだって俺は構わねえんだ」
「…真島」抱えられているので真島の顔は見えない。
「俺にとっては殺戮は一つの手段なんだよ。リコリス共にとってもそうであるようにな。自分側がより正しい、より強いって事を分からせるために殺し続ける。だが自分の方がより正しい事が別の手段で示せる、その方が効果的だっつーなら、殺戮を手段にしなくたっていい」
「…真島は、本当は殺したくないって思ってるって事?」
「違うな。少なくとも今は、殺戮は最良の手段と考えてるし、実際ある程度の効果は見込んだ通り発揮されてる」
もっとハッキリ言ってよ。わかんないよ。
「ただそれを、お前が木っ端微塵にふっ飛ばすっつーなら、見てみてえな」
そう言って、ヨシさんの方に進んでいく。何だか、よく分からないままだ。真島は自身を木っ端微塵にしてほしいのか。そんな馬鹿な、という思いは有るが、私はどうしても真島の背中と、ダイナマイトと思しきその爆薬から目が離せない。ダイナマイト?
やがて私を抱えた真島がヨシさんの元にたどり着く。
「千束。遅かったね。あまり困らせないでくれ」
ヨシさんが何か言ったが、私は口が塞がっていて、何かを言うことが出来ない。まだか。まだか。真島は私をそっと下ろす。
「千束、次に目覚めた時は、私を真っ先に殺してくれるんだろう。それこそが、私の望んでいる事だ。私を手始めに、そこの真島、DAの面々、ありとあらゆる人間を蹂躙する人間、優れた才能を遺憾なく発揮する千束。その姿を見ることが出来ないのは残念だが、私は喜んで千束の才能を後世に残す事を知らせる戦いの嚆矢となるよ」
クソのような長い口上。良かった。間に合ったみたい。
「さあ。千束、既に限界だろう。すぐに楽になる」
そう言ってヨシさんが注射器を手に取るが、私の手刀がそれをはたき落とす。姫蒲さんが私を抑えようとするが、私は難なく姫蒲さんを蹴り飛ばした。既に立ち上がった私を、ヨシさんは信じられないような目で見ている。
「甘まっず…」そうこぼす私を見て、ヨシさんは私が手に持つ食べ残しに気づいたようだった。
「ニトログリセリンか」
私は答えない。ダイナマイトの主成分であるニトログリセリンは、血管を弛緩させ、血圧を降下させる作用が有る。心臓そのものが弱っている私にどんな影響が有るか、どれだけ食すべきか、爆弾にされた物を食べて大丈夫か分からなかったし、むしろ不調の原因が高血圧でなく低血圧だったら昏倒した可能性も有ったが、大丈夫そうだ。
姫蒲さんは、果敢にも立ち直って飛び込んでくるが、元々戦闘能力は私が勝っていた。組み伏せて、姫蒲さんに詫びる。
「ごめんね。ちゃんと接げば、大丈夫だから」
コキリ、と不気味な音が響く。適当な関節を外した。物静かなはずの姫蒲さんの表情は苦悶に歪み、痛みを訴える声が響く。
「でもちゃんと接がないと、二度とお箸も持てなくなるよ」
姫蒲さんはそういう私の顔を驚愕と恐怖が支配した表情で見た。
「ヨシさん、もう私を捕まえておく事はできないよ」
ヨシさんには、苦悶とか、残念とか、そういった表情は見えないが、やがて静かに言った。
「千束、仮に君がこれから先の短い生を全うして、その間だけ人を殺さなかった所で、何か変わるかね」
「ううん。変わらないと思う。どうか分からない、とかじゃなくて、私あまり時間が無さそうだから」
ニトロは既に意味をなさなくなり始めているのか、さっきのような息苦しさの兆候を感じ始めていた。
「…そうか。忙しい所、引き止めて悪かった。行きなさい」
それはまるで朝にちょっと用事を言い渡した父親のようで、今生の別れというには遠い言葉だった。ヨシさんは姫蒲さんの元に向かう。
テントの中のたきなを助け起こす。まだ眠っている。少々苦しいがおんぶしていく。
「お前、変わらないってさっき言ったよな」真島が言う。
「あー、うん」
「俺の価値観を木っ端微塵にする話はどうなったんだよ」
「そんなの。アンタが勝手に期待しただけでしょ」
「やっぱ吉松と姫蒲さらって心臓変えさせるか」
ちょっと、と私は言うが、何となく感じている事を言う。
「たきながやってくれるよ。見てなさい。アンタみたいなテロリスト一網打尽だから」
「大丈夫か。こいつかなりテロリスト寄りだぜ」
あの瞬間、真島も私が見たような白昼夢を見たんだろうか。テロリストの仲間が日本で姿を消す理由について、ロボ太とかいうハッカーと共に調べていた真島。クリーナーに関する情報に突き当たった時、何を思って、何を感じただろう。それを訊くには、時間が少なすぎた。
「お前らのお迎えのご到着だぞ」
真島がそう言う。恐らく、階段に向かうドアにでもリコリス達が近づいているのだ。
「お先に失礼」
そう言って手元のスイッチを押して爆弾を爆発させる。撹乱用と言っていただけ有って、それは窓ガラスと、外のシャッターを吹き飛ばしたが、中にはほぼ被害を発生させなかった。ポッカリと空いた窓から吹き込んでくる、まだ寒い風を私が感じる前に、真島は姿を消した。階段の方から銃声が聞こえる。
私達も、行かなくては。
- * -
目を覚ますと、そこは暗く、狭苦しい場所だった。
閉じ込められた、と感じたので声を出さずに周りをうかがう。暗いのはまだ夜だからか。そうだ、千束、千束はどこ。千束。
「千束…」
「ん。なに」
思わず声を出してしまったが、すぐ隣から返ってきた返事にむしろ私が驚く。
「千束。ここは…というか体は」
「たきなも、私も心臓はそのまんまだよ」
ふと見上げると、そこに窓が有ることに気づいた。その窓からは旧電波塔を見上げる事ができ、展望台が燃えているのが見える。何が有ったのかは、さっぱりわからないが、吉松や真島そして私の、千束の心臓を交換して生かす、という目論見は失敗に終わったのだと悟った。
悲しさとやるせなさは有ったが、どっと疲れが出て、千束に訊いてしまう。
「私は、これから、どうしたらいいんですか」
「んー。とりあえず信用できる人が沢山居るって、安心したら良いよ」
「…例えば誰ですか」
「気に食わない所有るけどフキとか、リコリコのお客さんとか、クルミとか先生とか」
「そんなの」
「あと楠木さんとか」
「千束、楠木さんは全部知っていたと、吉松が言っていたと思いますが」
「たきな、思ったんだけど楠木さんは、たきなの事とか色々知ってたかもしれないけど、たきなが臓器だけ取り出されて捨てられるのから守ろうとしたんじゃないかな」
「…何を言ってるんです」
「私の臓器を置き換える可能性が有る人を、私の近くに転属させる意味が無いな、って思ったんだよね」
確かに顔を知っている人間を死なせて、その臓器を自分が生きるために使おうと普通は思わないし、突然行方不明になったりすれば不審に思うだろう。千束と私は見ず知らずの他人、としておいた方が都合が良かったはずだ。
「でも、それは、たまたまではないですか」
「かもね。でも、臓器の候補として東京に転属させた後、適当に手の届く範囲に置いておこうとしたら、たきなが銃取引の時に頑張っちゃったじゃない。あれで私の近くに転属させるって思いついたんじゃないの。私の近くならアラン機関の人間は容易には近づけないし」
「近づけないとは」
「アラン機関の所属員は支援対象に接触してはならない、っていうルールが有るから」
そういえばそうだった。十年もの間、そうと悟られないよう警戒していたはずの吉松が、なぜ今になって千束に接触したのかにも関係しそうだ。
「というかあのハッキングをクルミに依頼したのも楠木さんかもしれないしね」
楠木さんが、銃取引の現場を抑えるのさえ失敗すれば良いと考えていた、という事か。でもそれはつまり、真島のようなテロリストに銃が渡ると知って止めなかった事にならないだろうか。混乱してくる。
話に夢中で忘れていたが、目が慣れてくると自分がどこにいるか分かってきた。ここは。
「千束、そういえば、なんでこんな所に居るんです」
「色々事情が有るんだって。それに私疲れちゃったし」
「千束!」
「大丈夫。大丈夫。すぐに心臓止まってどうこう、は無いよ、多分」
千束を心配する気持ちが有るが、今出来ることが無い、という事も同時に分かってしまう。
「それにそろそろここのヌシが現れる頃だと思うよ」
そう言った所で見上げていた窓に影が指し、コツコツ、と音が響く。
そこにいた人間の顔を見て私は今度こそ驚愕する。続いてそいつは回り込んでガチャとドアを開けた。
「…なにしてんだ?お前ら」
「ちょっと疲れちゃってね。安全運転で頼むよ。運転手くん」
そう言って千束は銃を真島に向ける。ここは真島の乗ってきた車の後部座席だった。
フン、と言って真島は運転席に乗り込むが、その声に諦念と、ほんの少し高揚が混じっているように感じられた。やがて車は進み出す。
「どこに行けっていうんだ」
そう訊いてくる真島に対し、千束は海を埋め立てて造成した、とある公園を指定した。時刻は午前二時過ぎといったところで、すれ違う車も少ない。
車はスムーズに進んでいくが、私にはこの旅の終点と、千束の命の終わりが重なって感じられる。彼女に訊いておくべき事は、今のうちにしか訊けないのではないかという焦りが生まれる。
「千束」
「なーに」
「千束は満足してるんですか。この終わり方に」
「まだ終わってないけど、まあ悪くはないんじゃないかな」
「もっと長く生きられる可能性だって有ったのに」
「そうかもしれないね」
「だったら」
「私は十分長く生きてきたよ。言ったでしょう、おまけの人生だって」
真島が反応する。
「おまけの人生謳歌してる間に、殺されたんじゃたまんねーんだよ」
「真島」私の口調はたしなめるそれだ。
「違いないや」そう言って笑う千束。
「まあ、お前が終わらせてきたヤツらも、同じ様に誰かを終わらせてきた連中だ。覚悟は有っただろう」
「おや。真島さん、随分らしくない事をおっしゃいますね」千束が茶化す。真島はフンと言ってまた運転に集中しだした。
私は言う。
「千束、おまけの人生でも、私は千束と会って、全然違う人間になれたと思います。生まれ変われたのと同じだと。そうやって、また誰かを生まれ変わらせる事だって出来たんじゃないんですか。なんで…」
最後の方は泣き声が混じる。真島も居るというのに最悪だ。
「そうだね。でも」
一瞬切って千束は続けた。
「ヨシさんとかも、そう思ったんじゃないかな。私の才能を見出して、これは世界に届けねばならん、それこそが私の使命だって。生まれ変わったかのようだって」
言いたいことは有るが、一旦聞くことに徹する。
「生まれ変わる、って素敵なことばかりじゃないよ、多分。今たきなが言った生まれ変わりだって、いつかどこかで後悔するかも」
「そんな事は決してありません」
「…そうだね。でも、私だって思ってたんだよ。この心臓埋め込んでもらえて良かったって、ヨシさんは、救世主だって」
返す言葉がなくて、沈黙してしまう。
やがて、千束の指定した公園近くに車が到着した。駐車場に、真島が車を止める。
千束と私、そして真島、誰が特に声をかけるでなく歩いていく。
千束が先行してどこかに足を向け、私と真島がそれに追随していく。やがて、虹の名を冠する橋が見える場所に出た。
橋の向こう遠くに延空木と、ほぼ重なるように旧電波塔が見える。延空木はもっと西に作るべきだった等と益体もない会話を、私は千束と楽しむ。
真島はぼうっと重なり合った二つの塔を見ていたがふと言った。
「なあ。生まれ変わるのが必ずしも良いことじゃねえとか言ってたな」
「うん」千束が応える。
「ここから見える延空木が、お前らが今言ったように西側に移動、生まれ変わったとすると」
「なにそれ」
「たとえ話だ。そうなると、少なくともお前らのご期待には近づくんだろ」
「そうかもね」
「そう考える奴が、沢山いたらどうなんだ。誰が見ても、その方が良い、生まれ変わった後が良かった、ってな。それでも生まれ変わったりしないほうが良いのか」
意外に豊かな空想をふくらませる物だ。千束の心臓を移植できなかった事を結構引きずってるかのかもしれない。
「そうだね。皆にとって、そういう風に思える生まれ変わりも、有るのかもね」
千束は少し遠くを見て言った。
「でも私にとって重要なのは、私にとって良いか、悪いかだからね。かなり自分本意だよ私」
「…違いねえな」
真島はその後ただ黙って過ごしていた。
やがて春とはいえ、まだ夜風が寒いと思い始めた頃、誰からともなく、車の方に向かって歩き出した。車に向かう間も、私の頭を色々な感情が駆け巡る。真島の車が見えてきた辺りで、千束はふと立ち止まり言った。
「真島。貸してくんないかな、アレ」アレとは私達が乗ってきた車のことだろう。
「…俺はどうやって帰るんだよ」
「だからー、お願いしてるじゃん」
「答えになってねーっつーの」
そう言って片手で無造作に何かと取り出した。銃だと思ったがそれは、車のキーだ。
「どうせ元々俺の車じゃねーしな」
「でしょうね」
「貸してやんねーぞ」
「ウソウソ真島様」
真島はキーを千束に投げる。千束はそれを受け取ると「あんがと」とだけ言って、運転席に乗り込もうとする。
「たきな!」
「え」
「乗ってよ。ほら」
思わず真島を見てしまうが、真島は止めるでもなく、ただ見ているだけだ。少し迷ったが、千束に促されるまま、助手席のドアを開けて乗り込む。やがて千束はこなれた操作でエンジンをかけた。
「真島ー。もらってばっかじゃ悪いから、これあげるよ」
千束はそう言って何かを真島に投げる。
「貸しただけだ」
そう言う真島が受け取ったのは、千束の銃。
「もう使うこと無いしね」
銃を受け取った時は、どこか呆気にとられた表情をしていたが、真島はやがて微かな笑みを浮かべ、別れを告げるでもなく闇に消えた。
スムーズに発進する車。千束はいやー運転したかったんだよねなどと言っている。なんでも、この公園は、彼女の本来の目的地の途中に有ったのだと言う。千束は近くの料金所から有料道路に入り、アクセルを踏み込んでいく。少しすると車はトンネルに入ってしまった。随分長いトンネルだと思っていたら、このまま目的地までずっとトンネルなのだと千束は言った。
「そんな所に行ってどうするんですか」
「いやー。行ったことなかったからさ。車じゃないと行けないし」
千束は時折アクセルを強く踏んだりして笑っている。千束、そんなに急がなくて良いよ。このトンネルは本当に長く、永遠に続くようにさえ感じられたが、そこを走っている限り、千束はずっと私の側に居てくれる気がした。やがてトンネルの出口が見える。その出口を出てすぐ、東京湾真ん中の海の上に建設されたパーキングエリアが目的地だった。
- * -
やっと着いた海の上のパーキングエリア。三十分程度しか運転していないはずだが、疲労感は数百キロの距離を運転してきた後のようだ。ここはパーキングエリアという性質上、二十四時間開業している店が有るが、特にお腹に何かを入れたい気持ちにならず、そのまま目的の場所に向かう。
「たきなは何か食べてきても良いんだよ」
「いえ。一緒に居ます」
そう言うのならと、少しだけ明るさを帯びた東の空が見える展望デッキに、二人で立った。まだ日の出には少々早い時間。私達以外の人は、誰も居ない。二人して海に面したベンチに座った。まだ寒い時間帯だったはずだが、不思議とそうは感じなかった。
やがてたきなが尋ねてくる。
「ここで何するつもりなんです」
「え。日の出見ようと思って」
「日の出?」
「そうそう。海の向こうから、お日様が顔出すの。正月みたいに」
「…そうですか」
そういうたきなの顔は、もっと有意義な事に時間を使ってくださいとか、今日見られなかったらどうするんですかとか、そういう事を言いたげだったけど、たきなはそういう感情を全部封じ込めて、やっとそう言ったように見えた。
色々話した。DAのこと、リコリコのこと、真島のことやアラン機関のことまで、今更話すような事じゃなかったかもしれないけど、私とたきなの歩んできた日々を一つ一つ確認するかのように語らった。私達って会ってから、まだ一年ぐらいしか経ってないんだね。私の心臓が普通に動いてくれてたら、これから、もっともっと仲良くなれたのかな。
やがて東の空が赤みを帯びてきた。たきなに体をあずけ、言ってみる。
「ねえ、たきな。私とパートナーで良かったと思う?」
「…ええ」
「役不足、って言ったじゃない」
「力不足、の間違いですよね」
「ううん、私、たきなとはただのパートナーで終わりたくなかった。親友とか、仲間とか…なんて呼ぶのかわかんないけど、パートナーって役じゃ全然収まらなかった」
たきなは応えない。
「この選択に後悔は無いけど、やっぱり思っちゃうね。たきなともっと一緒に居られたら良かったって」
「…はい」
「行きたい所沢山有ったんだけどな」
「……はい」
「食べたいものも沢山有ったんだけどな」
「は、い…」
「見たい映画も…」
「…千束…」
たきなに目をやる。私の言葉を一言も聞き漏らしたくなさそうな一方、とても耐えきれない、といった目だ。ごめん、たきな。私がやるべきは後悔の種を蒔くことじゃなかった。
すごく眠い。すごく。
「たきな。ごめん。ちょっと弱音吐いちゃったけど、私は満足してる」
「…うん」
「私にはもったいないくらいの、安らかな時間だよ」
「…うん」濡れた頬の感触が、私の手に伝わる。
もうまぶたを開けてる事も出来ないけど、空の彼方が明るくなっていくのを感じる。周りの景色、全てを飲み込む光、その何という暖かさ。
私の脳裏に、十年前の手術室の様子が浮かぶ。真っ白なライトに照らされ、マスクから麻酔を吸い込み、救世主に身を委ねたあの瞬間。自分が、生まれ変わる、そう感じられたあの瞬間を、私はまた体験している。
「千束」
「…うん」
「おやすみなさい」
おやすみ。たきな。
- * -
デッキには、既に日の出を見ようと昇ってくる客がちらほら現れ始めていた。
私は、とりあえず、袖で顔を乱暴に拭って、千束を抱えて立ち上がった。すれ違う人は一瞬怪訝そうに私達を見るが、私は構わず千束を抱えて、駐車場に向かう。やがて車にたどり着くと、助手席を出来るだけ倒して、千束を寝かせる。私は運転席に移動して、ドアを閉める。
ふう、と息が漏れた。
傍らの千束は、まるで眠っているかのよう。また目を覚まして、二人で仕事に向かう日がこれからも待っているかのよう。春になり、リコリコのメニューを考えたり、夏になり、二人でまた出かけたり、秋になり、テロリスト達を相手に戦ったり、冬になり、また二人で暮らし始めたり、そんな日々をこれからも紡いでいけるかのよう。
違う。これから、どうするんだっけ。とりあえず、車を動かして、店長とか、クルミとかに、伝えないといけない。千束は死んだって。
瞬間、堪えていた涙がどうにもできず目から迸った。
駄目だ。駄目。
止まって。私、戻らないと。早く戻って皆に教えてあげないといけない。
涙は止めることが出来ず勢いをさらに増し、さらに嗚咽さえ混じり始める。
千束が持ってきた漫画、くれた名前も知らない花、また来てくれるって思ってたのに。
退屈な日々を蹴散らして、二人で街中を泳げる日が、これからも有るって信じてたのに。
窓に飾った絵をなぞって旅をして、満たされない穴を惰性の会話で埋めていた。
そんな私に光と影を与えてくれた、そんなあなたには笑ってほしいだけだったのに。
お願いだから、私にした話の続きを話して。
私の手を引いてどこにだって連れて行ってよ。
千束。
私が、あなたの終わりを受け入れるのは、もう少し先になりそうです。
吉松とか真島とか、そういう人を恨みがましく思う日々も有るでしょう。
フキとかクルミとか、そういう人に申し訳なく思う日々も有るでしょう。
ただただ、自分の弱さや意気地の無さを責め立てる日々も有るでしょう。
そんな日々を絶対に乗り越えてみせるなんて、まだ言えない。
ただ帰ってきて欲しいとだけ言いたい。
でももし、いつか、いつかどこか、人智も常識も超えた場所で、あなたにまた会えるなら、その時はあなたを抱きしめたい。あなたの名前を呼びたい。胸を張って、パートナーの役を降りてやりたい。
そんな私に、なれるように頑張るから。
どうか、どうか今は泣かせてください。