『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』を読んで、僕は岩田さんに会いたくなった

読んでいると、自分の中に眠るさまざまな性質やパーソナリティが同時に刺激された

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ほぼ日より出版される『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』を読み終えて、私はとても不思議な気分だった。それこそ、糸井重里が書いた『MOTHER3』のコピー「奇妙で、おもしろい。そして、せつない」にぴったりな気分。

本書はウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載された岩田聡の言葉を再構成したもので、一部任天堂の公式サイトに掲載された「社長が訊く」から抜粋された言葉も含まれる。

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた』

いまさら言うまでもないが、岩田聡は『バルーンファイト』や『ゴルフ』といったファミコン黎明期のタイトルを作ったプログラマーであり、『星のカービィ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』で知られるハル研究所の元スタッフにして元社長であり、そして特に任天堂の元社長としてよく知られている。ゲームを心から愛するプログラマーであり、カリスマ性と誠実さを持ち合わせたビジネスマンだったということは、ニンテンドーダイレクトを見たり、「社長が訊く」を読んだりした人なら誰しもが知っていたはずだ。その人気は国境を超えて、E3といったゲームショウにも登壇してスピーチをしていた岩田さんはゲーム業界を代表するアイコンとして広く愛されていた。そんな岩田さんは、2015年7月11日に死去した。

亡くなってから4年、岩田さんは徐々に遠く感じられるようになってきた。

それから4年が経ってもなお、岩田さんのアイディアはゲーム業界を席巻し続けている。世界的なヒットとなったニンテンドーDSやWiiと同じように、2017年3月の発売からブームが続いているNintendo Switchもまた、岩田さんが中心となって企画していたゲーム機だ。岩田さんがまだ生きていた頃は「NX」というコードネームで進行していたが、その二文字が何を意味していたかは任天堂社内でも忘れられてしまった、あるいは最初から知られていなかったようだ。そして、NXというコードネームと同じように、哀しいことに岩田さん自身も徐々に遠く感じられるようになってきていることは事実だ。

『MOTHER2 ギーグの逆襲』の開発をきっかけに、岩田さんと親友になったほぼ日の設立者である糸井重里さんとその編集部は、このタイミングで本を作ることを「大切な仕事」と感じていたとのこと。

Your Favorite Iwata Memories

僕は特に本書の第六章「岩田さんを語る。」を読むのが楽しみだった。糸井重里さんとマリオやゼルダの生みの親である宮本茂さんがそれぞれ岩田さんの思い出を語る章だ。それが唯一の新しいコンテンツなのだし、何か知られていなかった情報やエピソードが含まれているのかもしれないと思ったからだ。

「知らないおっさんなのに、なんか哀しいよね」

読み終えると、記事のネタ探しを主な目的としてこの書籍を手にとった自分を恥ずかしく思った。宮本さんと糸井さんが岩田聡という親友について語る真摯な言葉は、僕の心を締め付けた。

ふと、岩田さんが死んだときのことを思い出した。

「知らないおっさんなのに、なんか哀しいよね」と僕の友人が言ったのだ。

任天堂のゲームが好きな彼と僕は、何度か一緒にニンテンドーダイレクトを見たことがあり、お互いのことを「岩田ファン」と呼びあった。ゲームの新発表と同じくらい、岩田さんの姿を見るのが楽しみだったし、岩田さんの影響で興味のないゲームのダイレクトまで見るようになった。

Your Favorite Iwata Memories
「直接!」

そんな僕らのようないちファンと、岩田さんを何十年も身近で見ていた宮本さんや糸井さんはもちろんまったく状況が違う。いつも割り勘で岩田さんと食事してアイディアを出し合っていた宮本さんや、何かにつけ会ってはひたすら岩田さんとおしゃべりをしていた糸井さんのように、僕らにはそういう個人的なエピソードがもちろん何もない。だが、ニンテンドーダイレクトや「社長が訊く」の印象的なエピソードならいくらでもある。岩田さんがルイージの帽子をかぶって登場したときや米任天堂のレジー社長(当時)とスマブラ風の戦いを繰り広げたときなどは任天堂ファンなら誰しも覚えているはずだ。最後となった2015年4月2日のニンテンドーダイレクトで痩せ細った姿で登場した映像も、今見るととても辛いのは僕だけではないはずだ。

素敵なエピソードの数々を通して、岩田さんは社長でもクリエイターでもなく、知り合いのような感覚になる。すごく派手でクールな存在でもなく、誠実でちょっと堅苦しく、ときに不器用で、だけどいつだって楽しそうな岩田さんだからこそ、リスペクトと同時に親近感が自然と生まれる。

岩田さんが自然な口調で僕に語りかけ、自分のライフストーリーをシェアしているような感覚。

人が死ぬと――若すぎると特に――いつも哀しいし、その人物に近しい人々が語るのは涙を誘うものだ。その人物が岩田さんのように、なぜか自分と距離が近いように感じるとなると、涙の量も当然増える。と言っても、僕は涙もろい方ではないので、あくまで比喩的に言っているのだが、任天堂ファンならこの本を読めばとても切ない気持ちになるのはほぼ間違いない。だが、同時にたくさん笑い、唸り、頷くことにもなるだろう。

宮本さんや糸井さんのインタビューを読んで心を動かされることはある程度予想できたことだが、少し意外だったのは、昔にすでに読んだことがあるはずの岩田さんによる言葉がこんなにも新鮮に感じたことだ。

岩田さんがこれまでのインタビューなどで発した言葉を再構成して本にまとめたわけだが、実に素晴らしい編集だ。さまざまなところから抜粋したはずなのに、その全体が起承転結のある物語としてまとまっていて、すべて岩田さんの声で届けられていく。岩田さんの言葉の間に入らずにここまでうまくまとめられたストーリーを構成できたのはちょっと驚いた。

読み始めると、まるで岩田さんが復活して自然な口調で僕に語りかけ、自分のライフストーリーをシェアしているような感覚だった。

Hidden Switch NES Emulator Is an Amazing Tribute to Satoru Iwata

岩田さんが北海道で高校のときにヒューレット・パッカードの電卓で初めてゲームを作ったところから始まり、大学時代に東京・池袋の西武百貨店のパソコン売り場に通ってプログラムを書き、そこでハル研究所を作ることになるメンバーと出会った物語に続く。その後、15億円の借金を抱えたハル研究所の社長になってそれを返すことに成功したエピソードや、その経験が任天堂の社長になってからも役に立ったことなどが書かれている。それは愛すべき人間の魅力的なサクセスストーリーとしても読めるし、ゲームやテクノロジーの歴史や進化を肌で感じる書籍としても価値がある。さらに、岩田さんの一貫したビジョンや考え方がすべての言葉に染み付いており、ゲーム哲学やビジネス論の書籍としても読める。

読んでいると、自分の中に眠るさまざまな性質やパーソナリティが同時に刺激された。

僕はあるときは任天堂や岩田さんのファンとして、あるときはゲームジャーナリストとして、あるときは「何か作品を作りたい」と思うひとりとして、また別のときには自分が社長になったと想像してこの本を読んでいた。自分の中に眠るさまざまな性質やパーソナリティが同時に刺激されたわけだ。

それでも、僕にとってこの本は何よりも、岩田聡がいかに魅力的な人間であったかを再確認させてくれる本だった。読み終わった今、その「魅力」とは何かをもっと具体的にわかったような気がする。

本書で、宮本さんは岩田さんの本の読み方や社員に共有する方法について興味深いことを言っている。

「岩田さんの読み方というのは、本のなかにヒントを求めるのではなくて、ふだん考えていることの裏付けを得たり、自分の考えを本を通して人に伝えたりするために役立てているような感じでした」

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』という書籍は新たな発見もたくさんあった。しかし、岩田さんの魅力に限って言えば、僕はまさに宮本さんの言うような読み方をしていたと思う。

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