90年代に「エア マックス」が爆発的に売れた理由 アパレル全体のマーケットそのものが変わった

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電話帳と睨めっこしながら、そこに書いてあるスニーカーショップをしらみつぶしに回った。電話してもまず、僕たちが「〝古いスニーカー〟に興味がある」なんて理解してくれない。店の人にとっては価値のないものだし、そもそもスニーカーの在庫があるなんて恥ずかしくて言いたくないから、「Whatʼs!?」と気分を害されて、電話を切られるのがオチだ。だから一軒一軒回って、「地下の倉庫を見せてくれ」と交渉するしかない。

そして歴史を知らなければ、バイヤーは務まらない。例えば、ペンシルベニア州のピッツバーグは鉄鋼の街として栄えたけど、1970年になると鉄鋼業が衰退に転じ、工場が相次いで閉鎖された。そういった栄枯盛衰を経た街には、古い店が多く、掘り出し物が必ずと言っていいほど見つかった。

「幻のサンプル」を手に入れるまで

何軒もスニーカーショップを回っていると、セールスレップ(営業代理人)と出会う機会も多かった。アメリカは広すぎて、メーカーの営業マンだけだとカバーしきれない。だから当時は、各地の個人事業主のセールスマンがメーカーと契約し、卸先に対して営業や販売を行っていたのだ。

わざわざ卸先用のカタログを用意しているところも少なく、彼らは1セットずつ現物のサンプルを持って営業している。サンプルは自腹でメーカーから買っていて、そのシーズンの営業が終わったら役目を終える。だから、メーカーは禁じているけど、隠れて売りに出すやつが多かった。それを手に入れるためには、彼らにまず、信用されることが大切だ。

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こちらから話しかける場合もあれば、日本人の並行輸入業者だとわかると「サンプルを持っているんだけど、買ってくれないか?」と、あちらから交渉してくる場合もあった。最初はしばらく、お互いに身構えて様子をうかがっているけど、「コーヒーでも飲もう」とダンキンドーナツへ行き、だんだん打ち解けてくると本音での会話が始まるのだ。

「このモデルが欲しいんだけど、持っている?」
「売ってやってもいいけど、代わりにこっちのモデルのサンプルも買ってくれ」

そんな塩梅で、人脈を作っては、どこにもないスニーカーを手に入れていた。サンプルのサイズは27センチしかなく、数も限られているけど、ドロップする(製品化に至らない)こともあるので、そういったモデルが市場に流れると、〝幻のサンプル〟として値段も高くなっていった。

しかも、世の中にないものはいくら高くてもすぐに売れてしまう。だから本当に希少なスニーカーは、自分用に売らずにとっておくこともあった。特にナイキの「バンダルシュプリーム」と「ブレーザー」が、僕のお気に入りだった。

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