■ 第38話 ■奴隷制度、なんで終わった?
▼奴隷貿易や奴隷制度に国を挙げて積極的に関わったイギリスだが、現代のイギリスに奴隷制度はとりあえず見当たらない。どこかのタイミングで禁止されたからだ。リンカーンが奴隷解放宣言を発布したのは1863年のこと。ところがイギリスではそれより半世紀以上前の1807年にまず奴隷貿易が、そして1833年には奴隷制度そのものが禁じられた。一体なぜ? 環境保護やら動物愛護やら、地球に優しいことはいつだってイギリスから始まる。人道的見地から、または宗教的観点から奴隷制度に異を唱える立派な紳士淑女の皆様方が台頭してきたのだろうか。だとしたらイギリスとはなんて素晴らしい国なんだ…。
▼そんなはずなかった。あるはずなかった。奴隷制度廃止の原因は産業革命にあった。産業革命が起こる前、イギリスの国民のほとんどが農民だった。よって大地主(ジェントリ)や農園主らは議会に圧力をかけ、外国からの穀物に高い関税をかけて国産穀物の値段を高く維持させた。国民のほとんどが農民だったからそれはそれでまあ良かった。ところが産業革命が起こると農民は一斉に農具を棄てて都市部へと押し寄せた。綿織物の生産で勢いづいたマンチェスターの工場主らは、生活費が高いと従業員らの賃金も高くせざるを得ないので食料品の価格を下げるよう議会に迫った。この時、都市労働者の朝食と言えば砂糖をたっぷりと入れた紅茶が主流だった。しかし砂糖は「西インド諸島派」と呼ばれる砂糖プランターや砂糖貿易商上がりの議員らによって高価格が維持されていた。一方の紅茶も東インド会社が独占し、他国が持ち込む安い紅茶を排除していた。この時代、イングランド南部の海岸線で盛んに紅茶や砂糖の密輸入が行われていたのにはこういった背景がある。
▼工場経営者たちも負けじと議会に議員を送り込み、発言力を強めていった。彼ら産業革命チームは「マンチェスター派」という派閥を形成し、まず憎たらしい砂糖チーム「西インド諸島派」の切り崩しを画策。目を付けたのが「奴隷貿易」だった。しかし彼ら単独ではなかなか砂糖チームの牙城を崩せない。そこでかねてから奴隷貿易に反対していた宗教家たちに接近。人道的立場から奴隷貿易禁止キャンペーンを展開した。彼らの目論見通り世論は奴隷制度否定に傾いた。そして1807年にまず奴隷貿易が禁じられ、続く1833年、世界に先駆けてイギリスは奴隷制度自体を禁じた。奴隷を使えなくなったことでカリブ海の砂糖プランテーションや砂糖商たちは一気に没落していった。ということでイギリスが奴隷制度を廃止したのは崇高な理念あってのものでも何でもなく、農業立国から工業立国、ひいては世界の工場へと変貌を遂げていく過程で起こった「やられたらやり返す。やられてなくてもやっちまう」「君たちはもう、お・し・ま・い・death」等々の勢力と利権を巡る醜いドタバタ愛憎劇の産物だった。なんだ、褒めちぎって大損ぶっこいた。
▼奴隷制度廃止に心血を注いだ「マンチェスター派」だが、黒人奴隷の未来に関心など毛頭なかった。その証拠にイギリスで奴隷制度が廃止された後も他国が継続している奴隷制度には全く関知しないどころかむしろこれを積極的に利用し続けた。自分の手は汚さない。つくづくワルよのぅ、大英帝国。呆れたところで次号につづく。チャンネルはそのままだぜ。
週刊ジャーニー No.1158(2020年10月8日)掲載
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