独り相撲   作:魚澄蒼空

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第1話

「俺さ、戸山って結構いいと思うんだよね」

 

 昼下がりの屋上。

 藪から棒に言った友人に、僕は焼きそばパンの袋を開けようとしていた手を止めた。

 

「おいおい、急にどうした?」

 

 その傍らにいたもう一人の友人が笑いながら問いかける。それに対して、彼はおにぎりを咀嚼しきってから「いやね」と言葉を続けた。

 

「最近なんかいいなって」

「何だそのふわふわした理由」

 

 要領を得ない発言を笑い飛ばされると、彼は熱が入ったように身を乗り出した。

 僕は相変わらず焼きそばパンの袋を開けれずにいた。

 

「元から可愛いとは思ってたんだけどさ、それが増してきてんのよ。男かな?」

 

 パンを落としそうになった。皺が寄った袋を置いて、手元のイチゴ牛乳を取った。甘い。このわざとらしいまでの甘さが、僕は好きだ。

 そんな僕の横では、納得がいったらしいもう一人の友人が同意する。

 

「あぁ、言われると確かに。何かこう、良くなったよな」

「お前だって適当じゃねえか」

「うるせー」

 

 そんな会話を彼らは繰り広げる。何処が良いだとか何時からだったのかだとか、間に咀嚼を挟んではぽつぽつとそれは流れていった。

 

「で、幼馴染としてはどうよ? 何か変わったこととかあんのか?」

 

 流れがこちらに来た。ニヤリと話題を振ってきた彼を見てストローから口を離し、しばし長考する。ふりをする。

 

「ん……、どうかな。別に香澄はいつもの香澄だと思うけど」

「うわ、幼馴染の余裕だ」

「余裕って。別にそんなのないよ」

 

 本当にそんなものはない。本当に。

 ストローを噛んだ。プラスチックの無味だった。

 

「ふうん。でもやっぱり何かあるんじゃねえの? ほら、俺の幼馴染がこんなに可愛いはずがない! みたいな」

 

 何処か聞き覚えのある言い方だ。僕は曖昧に笑って、彼の冗談を受け流す。受け流さなければならなかった。

 側から見れば何てことのない会話の中で、僕はこんなにも動揺を覚えていた。

 

 ──恋をすれば女の子は変わる。

 

 そんな言葉は、とうの昔に使い古された、少女漫画の世界でだけのものだと思っていた。

 でもそれは案外的を得ていたようで、確かに僕の目から見ても彼女は、最近になってより一層その輝きを増していた。

 それは僕の思い違いではなかったらしい。彼らの話からもそれは確かだった。

 そして、そんな彼女が見つめる先には……。

 

 思いっきり袋を破る。濃厚なソースの香りがした。

 

「マジか。だったら俺、ちょっとアタックしてみようかな」

「おい待てよ。だったら、コイツの許可が必要だろ?」

 

 肩を無理やり組まされて引き寄せられた。よろめいて横を見たら、定番のセリフを言う。咳払いをして、厳かに、しかし面白おかしく。僕は道化の仮面をかぶっていた。

 

「お前にはやらん」

「「親か!」」

 

 どっと笑いが起こる。良かった。この回答で間違いはなかったらしい。

 沸き上がる胸の内を、くだらない笑顔で隠す。この作業にも良い加減慣れねばならない。漏れそうになった溜息を、僕はパンごと飲み込んだ。

 

「親じゃないよ。……まぁでも、家族みたいだってとこは同じだけど。結局長い付き合いだとさ、今更そういう目で見られなくなるんだよな」

「そういうもんか」

「そういうもんさ」

 

 ──彼女にとっては。

 

 勿論、最後の一節を口にすることはしなかった。自分に言い聞かせるつもりで発した言葉は、目を逸せない現実として突き刺さってくるだけだった。

 誤魔化すつもりでイチゴ牛乳を飲む。何故だか、味はしなかった。

 暫くの静寂を挟んで、予鈴が鳴った。

 

「あ、五限目なんだっけ」

「うわ、体育だ。早くいくぞ! じゃあな!」

 

 いそいそと片付けをし終えて屋上を去る二人。彼らとは違うクラスだ。

 緩く振っていた手を下ろし、僕ものろのろと片付けを始める。

 天気は快晴。こんな日に体を動かせれば、少しは気も紛れそうだ。僕のクラスも体育だったら良かったのになと急いで着替えに行った二人を羨みつつ、グラウンドに出る生徒たちを一瞥して、屋上を去った。

 

 

 ▽

 

 

 チャイムが鳴るといっても、授業開始までは少し時間がある。それを知っているから別段急ぐことはしない。それこそ、体育なら話は別だが。

 気持ちの良い日差しを浴びながら中庭を歩く。

 

「おーい!」

 

 ふとその時、上から僕を呼ぶ声が聞こえた。

 見上げると、二階の窓から香澄が手を振っていた。少し切羽詰まった表情だ。何かあったのだろうか。

 

「何ー?」

「キミの体操服貸してー!!」

「はっ?」

 

 唐突な要請だったから、僕がそんな間抜けな声を出したのも無理はない。

 だが彼女はそれを聞こえていないのだと解釈したらしく、もう一度大きな声で言った。

 

「だから、体操服貸して!! 私忘れちゃったんだ〜」

 

 違う、そういうことではない。

 今のは男子にそれを借りようとする行為に対しての反応だ。

 

「いや、女子に借りろよー!」

 

 断ろうと返すが、向こうも負けじと大声で返してくる。

 

「今日体育あるの私たちのところだけなのー!」

 

 言われて思い出した。僕たちの通う学校は、そこまで生徒数が多くない。というか寧ろすこし少ないくらいかもしれない。

 そんな訳で、体育が行われるクラスがあったとして、他のクラスでもその日に体育があるとは限らないのだ。

 今日は僕のクラスともう一クラスで体育はなくて、彼女のともう一つのクラスである日らしかった。

 

「でもキミ、確か持ってたよね?!」

「い、一応あるけど……」

 

 体育当日の荷物が時間割の関係で多くなるので、僕はいつも前日に持ってきて置いているのだ。

 なんで彼女がそれを知っているのだろうか。いや、もしかしたら話していたかもしれない。

 そんなことはどうでもいい。兎に角彼女を諦めさせなければ。

 

「お願い! 頼れるのキミだけなんだよ〜っ!!」

 

 だけどその一言で、僕の開きかけた口はそこで停止した。

 僕は今、彼女に頼られている。そう考えてしまうと、もう何も言うことができなかった。

 自分でも意志の弱い人間だとつくづく思う。だけど僕だけが頼りだという言葉の甘さが、僕の判断力を鈍らせたのだ。

 

「……分かった。でも明日洗って返せよー!」

「ありがとうっ! じゃあ借りていくね!」

 

 にこぱっと無邪気な笑顔を振りまき、彼女は窓から体を引っ込める。僕の体操服を取りに行ったのだろう。

 先程は抑えられていたため息を、今度は遠慮なしに吐いた。

 

 やってしまった。

 僕は今彼女の為になるどころか、その逆になるかもしれない行動をやってのけたのだ。

 

 誰でもわかることだとは思うけど、男女間で衣服の貸し借りなんてことは普通あり得ない。仮にやったとしたら、その二人の関係は周囲から変に勘繰られるものだ。

 彼女の性格や僕らの関係が周知のことであっても、何も思わない図太い人間はそういない筈だ。

 

 それは無論、彼女が想いを寄せている誰かにも当てはまる。

 もう一度ため息を吐く。  

 

 そいつが誰かなんて知らない。訊き出そうとしたものの、彼女は「恥ずかしいから」と僕に名前すら教えてくれなかったからだ。

 けど訊いていく過程で、そいつが校内の人物であることは分かった。

 だからきっと、そいつは僕の体操服を着る彼女を見てしまう。そうなったら、彼女を恋愛対象として見る可能性も減るだろう。

 

 僕はそこまで解っていた上で、彼女のお願いを聞いてしまった。いや、「聞いてしまった」のではなく「聞いた」のかもしれない。罪悪感の裏には、そんな汚い打算が潜んでいた。

 本当に、僕という人間は……。

 

「っと、やば」

 

 グラウンドから体操の号令をかける声が聞こえてきた。

 ふと時計を見やると、あと一分ほどで授業が始まる時間になっていた。考え事に気を取られ遅くなっていた歩調を速めに、教室へと急いだ。

 

 

 ▽

 

 

 チャイムと同時に教室へ滑り込む僕を、先生含め皆がお前らしくないなと笑ったので、なんとかお咎めはなしだった。

 席に着いて、黒板に書かれるアルファベットの文字列を無理矢理に頭の中に押し込む。

 

 文字というのは不思議なものだ。一つ一つは意味を成さない線。それが群れることによって初めて、数多の意味が漂う言葉という海原の欠片になり得る。

 では、僕はどうだろう。僕を僕たらしめるものとは、一体何なのか。

 

 彼女への気持ちと、自分の気持ち。それは同じようで、確かに何かが異なっている二つだった。

 矛盾だらけの僕は、一体何を抱えて何処を目指して歩いているのだろうか──

 

 たった体操服の一枚に、僕はどうにも煩悶させられていた。

 

「ねぇ」

 

 そのとき、横から軽く肩を叩かれた。トンという小さい衝撃の発生源へと目を向けると、隣の席に座っているクラスメイトと目が合った。

 

「今、ペアワークの時間だよ」

「あ、ごめんね。山吹さん」

 

 気の抜けた僕の返事に、大丈夫と返す隣人の彼女は、山吹沙綾さん。

 彼女は香澄が所属するバンド、『Poppin'Party』のドラマーである。僕の方に伸ばされていたか細い腕からは、想像もできないような力強い演奏をするのだ。

 そんな縁もあってか、彼女とはよく話をする間柄でもある。

 

「でも、キミがぼーっとするのって珍しい気がする。どうかしたの?」

「いや、何だろ。最近ちょっと疲れてるのかもしれないや」

 

 だからと言って、この胸中を素直に語ることはしない。僕の問題は僕の中で終わらせるべきものであって、他の人に話したところでどうしようもないのだ。

 

「大丈夫なの? もしキツいなら、今日はお店手伝わなくてもいいけど……」

「ううん、そこまでのことじゃないから、ちゃんと行くよ。亘史さんも、今日は発注した機材の搬入があるって張り切ってたし」

 

 眉を八の字にして彼女は尋ねて、それに僕は笑顔で返した。

 僕は彼女の実家であるパン屋、『やまぶきベーカリー』で働かせてもらっている。商店街に位置するお店なので僕の家からはすこし離れた場所にあるのだが、訳あって現在のバイト先となっているのだ。

 

「そっか。いつもありがとね」

「お礼を言われることでもないよ。時給貰って働いてるだけなんだからさ」

「変なところで素直じゃないよね、キミって」

「そうかな」

「そうだよ」

 

 軽口を叩いていても、ふわりと笑う山吹さんは綺麗だった。彼女の母親に似ているなと思った。

 

 山吹さんのお母さんは、体が弱い。家族だけで切り盛りしているやまぶきベーカリーにとって、一人でもダウンしてしまうことは、店が機能不全に陥るのを意味していた。

 慢性的な人手不足。それが原因で山吹さんは一度はバンドを諦め、勧誘する香澄と衝突することもあった。

 最終的にはPoppin'Partyの皆や家族、元いたバンドの友人に背中を押された彼女はもう一度ドラムを叩くことを決意したのだが、依然として店の問題は残っていた。

 そこで僕は、やまぶきベーカリーの手伝いを申し出た。

 知り合いである彼女への情も、その熱意への感銘もあったことは間違いない。

 

 でも、何よりもそれは香澄の為だった。

 

 香澄の求めるキラキラドキドキ。それに山吹さんが必要で、だけど彼女には事情があって。僕にはその枷を外すことができた。だからそうした。ただそれだけだった。

 僕は山吹さんに感謝されるような謂れはないのだ。

 

 幼なじみの気持ちも解らず、一人で勝手にのぼせ上がっていた、そんな愚かな男なのだから。

 

「こーら。またぼーっとしてる」

 

 マイナスな方向に陥っていた思考を、山吹さんの声が引き戻す。

 はっとして彼女を見ると、予想よりも近い位置にその整った顔が在った。

 

「ご、ごめん」

「……本当に大丈夫? 無理、してない?」

 

 さらにずいっと詰め寄られた。緩くウェーブのかかったローズブラウンの艶やかな髪が揺れて、微かに爽やかな匂いがした。大きな空色の双眸は、僕の顔をしっかりと捉まえていた。

 近づいてくる彼女にたじろぐが、それが本当に僕を心配してくれているからこそだということに気がついて、少し自分を恥じた。本当に、君は優しい。

 

 そんな優しい彼女にだからこそ。

 

「大丈夫だよ。ありがとう」

「ならいいけど。何かあったら話、してね。約束だよ!」

「うん。約束する」

 

 ──こんなに穢い感情を、見せてはならないんだ。

 

「よーし、ペアワークの時間は終わりだ。じゃあ……山吹たちに答えてもらうか」

「あ、やばっ。私たち、何も考えてないじゃん!」

 

 慌てて教科書に目を通す山吹さん。そんな彼女に構うことなく、先生は質問を始める。

 

「この段にある『I am at sea.』という短文の意味だが、単純な訳では内容に齟齬が──」

 

 山吹さんに倣って、言われた部分を一瞥した。

 

 ──やり場のない本当の僕は、造られた僕の内側で、やがてぐずぐずに腐り始める。

 

 居場所なんてものはない。

 

「──だから、内容に合った形でこの文を訳すならどうする?」

 

 友人にさえ嘘を吐き始めた僕は。

 

「途方に暮れる、です」

 

 海原を行く、帆のない小舟だった。




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