昔、二人で遊んでいた時のことを思い出していた。
確かその日は雨で、家の中で鬼ごっこをしていた。室内を走り回っていたはずみで、僕の父親が買った高い皿を割ってしまったんだっけ。
彼女と顔を見合わせ真っ青にして、そこから大慌てで修理と言う名の隠ぺいに移った。
けれど幼い子どもが時価五万の有田焼の大皿を修繕する方法など知るはずもなく(というか今でも知らない)、その姿は木工ボンドによって見るも無残なものへと変貌していった。
破片を無理矢理に継ぎ合わせた所為で各所は断片同士が噛み合っていなかったし、はみ出たボンドが固まって、陶磁器と比較して明らかに異質な白が表面に盛り上がっていた。
当然すぐにバレて怒られたが。
そんな継ぎ接ぎだらけのその場しのぎ。
でもきっと。
「私、好きな人ができたんだっ!」
今の僕は、それ以上に不出来な贋作だったに違いない。
引き攣りそうになる頰を抑え込み、そんな思考が脳裏を過った。
▽
「……それで?」
震えそうになる声を平生のそれに押し戻そうと捻じ曲げた結果、妙に力が抜けたものが喉から発せられた。
僕は今、『唐突に部屋に突撃してきて訳のわからないことを言う幼馴染に辟易する僕』を、きちんと演じられているだろうか。
そんなことは分からない。だから、僕はまだ言葉を続ける。
「いきなり押しかけてきたかと思えば、君は何を言ってるのさ?」
勉強中だと示すために、シャープペンシルを掌で二、三回ほど回して弄ぶ。
握る手に力が入るのを、彼女は見逃してくれているだろうか。
「え〜! 反応薄くない!?」
懸念は杞憂だったようで、僕のベッドに勢いよく腰を下ろした彼女はその対応に非難の言葉を浴びせる。
「だって僕、リアクション芸人じゃないし」
その返しが気に食わなかったらしく、更に子どもがやるみたいに頰を膨らませた。リスのような愛らしい仕草は、まさにいつもの僕が知っている香澄だった。
でも。
「でも、幼馴染の、その……初恋、なんだよ?! もうちょっと驚いてもいいじゃんー!」
「──ッ!」
次に見せた表情は、全く僕が知らない彼女だったのだ。
薄く染まった頰に、躊躇うように彷徨く視線。たった数瞬の光景が、僕の網膜を捉えて離さなかった。
ギリ、と歯を噛み締める音が聞こえた。握るペンから、軋む音がした。
さっきも言ったけど、僕は彼女のことなら何でも知っていると思っていた。十五年もの付き合いで構築される僕らの関係には、全ての事象が何のほころびもなく詳らかに広げられているものだと。少なくともそれが僕にとっては自明の理だった。
だけどそれは違った。自明などというあやふやな定義を鵜呑みにした愚かな男は、ひどく勝手な自己満足で完結していた。
まあそれも、ついさっきまでのことなのだが。
顔を俯かせる。
これ以上見ていられない。見てはいけないと思った。
「そっか。香澄が恋、か」
辛うじて呟く。何か言わなければならない。大岩の戸からひり出した言葉だった。
「うん。その人のこと考えるとね、すっごくドキドキするんだっ」
顔は見えずとも、その声がとても弾んでいて。どんな表情をしているのかなんてものは嫌でも解ってしまう。本当の意味で彼女を理解なんてしていなかった癖に。
そして僕の様子には気づいていないらしかった。それはそうだろう。今彼女は、恋という感情の熱に浮かされているからだ。
周りのことなんてまるで見えていない。これまでの僕を見ている気分だった。
「でもさ、何でまた僕に? 報告してる暇があるなら直接言いに行けばいいのに」
だからという訳でもないけど、少し意地の悪い質問をしてみた。
それは遠回しな拒絶のつもりでもあった。勿論、僕としては到底聞きたい話ではなかったから。
「うっ。それはその、まだ言う勇気が……」
特徴的な形に結わえた髪の後ろあたりに手をやって、力なく笑う。
でもね、と付け加えて、彼女は僕を真っ直ぐに見る。
そして次の瞬間、決定的な一言を言い放った。
「やっぱり、一番最初は君に言いたかったんだ。ずっと一緒にいて、家族みたいな感じだし!」
──最早、呑む息すら漏れなかった。
彼女の言葉で、僕は目を逸らしていた現実を叩きつけられた。
家族みたいなもの。
結局僕は、彼女の眼中に掠りもしていなかったのだ。
絶対的な自信に繋がっていた膨大な時の流れは、ただ僕を彼女からの『異性』としての視線を隔てる壁でしかなかった。そう言う積み上がり方でしかなかった。
だとしても。
──ずっと一緒にいた? そうだよ。僕が君と一番長く過ごしてきた。何よりも、誰よりも君を想っている。
──だから最初に報せるのは僕がよかった? ふざけるなよ。僕は君の傍で、君を……。
なのに。
──なのにどうして君のその表情の先には、他の誰かがいるんだよ。
ドス黒い感情がふつふつと沸き上がった。あまりにも利己的で醜悪な負の塊。
それが僕だった。僕と言う人間だった。
「家族、ね」
くつくつと笑いが漏れた。もう、嗤うしかなかった。
「じゃあ僕が兄貴で、君は妹だな」
「私がお姉ちゃんじゃないの?」
「それはない」
「え〜!」
そんな歪んだ欲求を、すんでのところで抑え込む。そうできたのは人と関わる中で身についた渡世術のお陰だった。
彼女と並ぶためにと得たそれは、醜い僕を隠す蓑として存分にその力を発揮していた。
「で、ただ報告しにきたって訳じゃないんだろ?」
「うん、えっとね……」
「さしずめ、男目線からの協力が欲しいってところかな」
「凄い、なんで分かったの?」
「当たり前じゃん」
目をまん丸にして驚く彼女に、僕は薄く笑った。
「──だって僕らは、家族なんだからさ」
大噓吐きの、汚い笑みだった。
▽
それから少しだけ話をして、香澄は帰っていった。これから彼女はバンドメンバーとの練習があるらしい。
そう言えば、彼女がバンドをやると言い出したのも、本当に唐突だった。
幼い頃から探していたものが見つかったのだと目を輝かせて言った彼女を、僕は快く応援した。手伝えることがあれば何だってやった。
思えば、その時も僕は一抹の寂しさを覚えたものだった。
ライブが近づくと練習は多くなり、その分だけ会える時間も減った。できることと言っても素人の僕がやれることなんて、高が知れている訳だし。
そんな僕が彼女を応援したのは、その先にあるものの違いだろう。
隣でなくとも、後ろから見守る形で彼女の夢を一緒に眺めることができるのなら、それでよかった。
だけど、今は──
「──」
それでも僕は、彼女の恋を応援する。
だって、それが僕の在り方なのだから。
それを捨ててしまえば、僕は僕でいられなくなるから。
だから僕は──
唇を噛む。掌に爪が食い込んだ。濃い鉄の味がした。醜い男の味だった。
──僕はこれからも、
さぁ、独り相撲の始まりだ。
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