ジェノサイド&集団ストーカーの加害者が朝鮮系の奴らだと気付いてから、以前は全く興味もなく気にも留めなかったのですが、在日朝鮮人について少しづつ調べるようになりました。
昔、その帰還事業で北朝鮮に渡った、日本人妻のTVドキュメント番組を2本見たことがありましたが、北朝鮮は楽園だと言われていたが、実際行ってみると、嘘で、だまされた、だから日本へ帰ろうとしたが出国を許されなく、誰も帰ることが出来なかった・・・という内容でした。
それを見て、何か違和感が残っていました。
それはネットでは、在日が楽園の北朝鮮へ帰ったが、騙されたと分かり脱北を企て、密航で海を渡って日本へ戻った・・・という情報が書かれており信用していました。実際、僕の住む唐津は玄界灘に面し、下関、博多港より20Km程度、朝鮮半島より遠くなる程度ですか?
朝鮮人が密航してやってきているので注意しろ、と子供の頃、警察からのお達しがあっているような町だったので、ネットの情報に触れた時、そう言う事だったのかと納得したものです。
ところが最近、北朝鮮脱北者の書いた本を読んで、少し内容が違っており、どの情報が本物なんだと考えていましたが、脱北者の本の内容は信憑性があるように感じ、糸を手繰り寄せるように真実を追求してきましたが、朝鮮部落探訪の動画を、youtubeでいくつも見ていると繋がっていくものが見えてきました。
脱北者によると、帰還事業で帰ったのは日本に同化した在日ばかりで、自分は韓国系で帰るつもりもなかったが、朝鮮総連から熱心に誘われ、在日の両親から止められるのも聞かずに応募した。と言うことで、日本人化した在日を中心に帰還させた様子がうかがえるようです。ウイッキーペディアによると、朝鮮籍約50万人中9万3千人程が1950年から1984年にかけて帰国しているようです。
帰還者がとても少ないなと思っていたら、朝鮮部落探訪動画で、帰国したくても帰ることが出来なかった朝鮮人が、そのまま日本に残って部落を形成してきたという内容でしたが、いくつかおかしい点に気付きました。
第1便は新潟港から出ていたが、後から下関、博多港から便が出るようになったとうわさが広がり、在日朝鮮人が殺到したが、戦時中米軍が玄界灘に沈めた機雷のせいで、朝鮮半島にフェリーが出せなかった。
と言うことで、何年も足止めされ、下関、博多に土着したみたいな内容が通論になっているようです。
どこの海路を使って、どこの港から朝鮮半島に行くのがベストなのかを、終戦まで日本であった朝鮮半島事情を政府が知らない訳はありません。恣意的に何かの工作がされた帰還事業だったと考えざるを得ません。
博多下関がダメなら、戦火を受けなかった隣の唐津港があります。
戦時中は石炭積出港としてにぎわった港町です。大型は無理でも中型フェリーは入れる港です。代替できたはずです。
そういう対応も取らないで、居座り続ける既成事実をつくろうとした政府。やはり最初からおかしい。
博多は米軍の日本焦土作戦で、焼け野原になった九州一の大都会です。博多駅周辺は、爆撃でガレキの更地になっていました。
もうお判りでしょう。東京や横浜、大阪と大空襲の焼け跡に、不法占拠した在日朝鮮人の話を。
下関、博多に、名目上の帰還事業をエサに、在日朝鮮人を集めるのが目的だったと思えるのです。
下関港近辺の一等地に朝鮮部落が出来、博多駅及び、そばの東区の一等地に朝鮮部落が出来ました。
総連の目的はそれだったと思わざるを得ません。
帰還事業で返した人たちは、あまりにも日本人化しており、日本乗っ取りを進めるには、邪魔な分子だったのでしょう。
その代わり、北朝鮮で訓練を受けた浸透工作員が脱北を装って、海を渡ってきたのが真相でないかと思います。
帰還事業が行われている間にも、北朝鮮拉致も起きているわけです。
帰された拉致被害者は、日本人の生活習慣を見せていた、日本語を教えている人もいたと証言しているわけです。
日本人に成り済ますための工作員が、国内に入り込んでいると危機感を持たないといけないのに、その議論さえしない日本人。
みんな、藪をつつくのが恐いと思っているのか、避けようとする。
そんな日本人を見透かすように、また一歩、朝鮮人が踏み込んでいる。