山手線を挟んだご近所の縁 キリン、マイナー時代から支えて44年
勝見壮史
山手線を挟んだご近所さん――。米国、エクアドルとの2連戦の冠スポンサーになったキリングループと、日本サッカー協会には、そんな縁がある。
キリンが支援を始めたのは1978年。東京・原宿のキリンビール本社からは岸記念体育会館を眺められた。そして、体育会館に入っていた日本協会の長沼健・専務理事(故人。のちに同協会会長)がキリンを訪れたのがきっかけだった。
日本サッカーは68年メキシコ五輪銅メダルのブームが去った冬の時代。キリンからすれば宣伝効果は期待できない。名目は「社会貢献」だった。代表強化を目的に日本で初開催された本格的な国際大会「ジャパンカップ」を協賛。85年には「キリンカップ」に名称を変更し、今に続いている。
歴史的に見ても、日本サッカーの急成長を語る上で、キリンカップは欠かせない大会といえる。強化に大きな役割を果たしたからだ。
日本がワールドカップ(W杯…