きし・ゆうた
1995年9月29日生まれ。埼玉県出身。A型。身長167cm。
2009年7月20日、ジャニーズ事務所入所。
2018年5月23日、King & PrinceとしてCDデビュー。
King & Prince編 第4回 岸 優太「“やってみなきゃわからない”。その繰り返しで、今、ここにいる。」
今年、創刊70周年を迎えるアイドル誌「MYOJO」。それを記念して本誌での好評企画である、10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』のテキストをMYOJO公式ホームページにて、8月22日~9月21日まで期間限定公開する。Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、Hey! Say! JUMP、中山優馬、ジャニーズWEST、SixTONES 、Snow Man、King & Prince(MYOJO本誌での掲載順)のインタビューを特別に集英社オンラインでも同時公開。キラ星のような珠玉のインタビューたちをどうぞ。
“やってみなきゃわからない”。
その繰り返しで、今、ここにいる。
10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』
King & Prince編
第4回 岸 優太
※このインタビューは、MYOJO2022年6月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。
09年の入所以来、歌もダンスも演技もイチから真摯に向き合ってきた岸優太。
根底にあるのは、できる/できない、好き/嫌いを自分で判断しない姿勢。
“プロかどうかはまわりの人が決めること”。
プロとして完成される日をめざして、全力で闘い続ける。
優しく太く。名前に込められた想い
──今月の10000字インタビューはKing & Princeのリーダー岸くん。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします! まあでも、自分がリーダーだってまったく考えたことないんですよね。ちょっとは考えないといけないと思うんですけど(笑)。リーダーはもはやいないようなもんですから。僕、リーダーだからってKing & Princeのために何かできたことなんてひとつもないんで」
──ちなみに理想のリーダー像ってある?
「一昨年、『24時間テレビ43』のメインパーソナリティーとしてご一緒させていただいた井ノ原(快彦)さんのような人ですね。『24時間テレビ43』、今思い出しても、すごい楽しくて、すごくいい思い出なんです。さりげなく井ノ原さんが、共演者がやりやすい環境を作ってくださったおかげだなって。井ノ原さんの人間力や優しさ、リーダーシップ、見習いたいですね。僕、リーダーシップのかけらもないですから」
──でも(髙橋)海人くんは、「岸くんは優しくて、いるだけで安心する“歩くお守り”」って言ってたよ。
「うーん、優しいかどうかわからないですけど、父親に“優しく太く生きてほしくてつけた名前だぞ”ってことはよく言われたんですよね。あと岸家では勉強も大事だけど、それ以上に人とのつながりが大切って口すっぱく言われて。挨拶や礼儀は特に厳しく言われましたね。腰を低く生きなさいって」
──礼儀正しいのは昔からなんだね。
「でも、腰は低かったかもしれないですけど、高いところが好きでしたね。“ウルトラマン!”って叫びながら高いところから飛び降りて腕を骨折したりしてましたから。よく兄妹で一番手がかかったって言われてました」
──兄が2才年上、妹が3才年下だよね。
「はい。うち父子家庭だったんで、子どもだけで家庭のことをいろいろしなきゃいけなくて。金銭的にも裕福ってわけじゃなかったんで、小学生のころから晩ごはんを自分たち3人でスーパーに材料を買いに行って、家で作って兄妹で食べたりしてましたね。よく作ったのはチャーハン。チャーハンって材料はなんでも大丈夫じゃないですか。調味料もテキトーでいいんで。ただ、こういうことを言うと、“大変だったね”とか言われたりもするんですけど、僕の家に関して言えば親父がすごいがんばってくれてたんで、寂しい思いも、ツライ思いも特にしたことないんです。仕事が忙しくても親父は家にいるときは遊んでくれたり、料理を作ってくれたりして。思い出しますね、業務用くらいの大きな鍋でよくカレーの作り置きをしてくれたんですよね」
──習い事をいろいろしてたよね?
「そうですね。サッカー、空手、ピアノ、いろいろやりましたね。バレエも体験入学だけですけど習ったことあります。僕、すぐ“やってみたい!”ってなるけど飽きるのも早くて。親父は俺の飽き性というか、辞め癖を知ってるんで、すっごいお願いしないと新しい習い事をやらせてくれないんですね。だから、めちゃくちゃ家を掃除したり、親父をヨイショしまくって気分よくしてからお願いしてました(笑)。今思えば家計に負担かけちゃったなって思うんですけど、習い事の月謝とか、なんだかんだ払ってくれましたね」
──野球を始めたのはいつだった?
「小5です。先に兄貴が野球をやっていて。兄貴に憧れてやってみたくなったんですよね。野球が自分の中で初めて人生で本気になれたものです。ほかのことは全部ダメで唯一、一生懸命になれたのが野球でした」
──夢はプロ野球選手だった?
「はい。あとは消防士とペットショップの店員さん、その3つでしたね。消防士は人を助けるのがカッコいいなって。子どものころから動物も大好きで、クリスマスプレゼントはサンタさんに生物図鑑をお願いしたりもして。ペットを飼えなかったんで、最高に幸せな時間がペットショップにいるときだったんですよね」
岸くんを見習いなさい。岸くんはできるから
──中2でジャニーズに履歴書を送ってるけど、送ったのは叔母さんって言ったり、従姉妹って言ったりしてるね。
「あ〜、混乱させてしまって申し訳ないです。僕の中では同一人物だったんですよね」
──ごめん、ちょっと理解が追いつかない。
「えーと、俺は聞かれるたびに感覚で叔母とか従姉妹って答えちゃってたんですね(笑)。でも家系図!? 最近それを勉強して学んだんです。履歴書を送ったのは叔母でまちがいないって」
──叔母さんがジャニーズに履歴書を送った理由は?
「イケメンだってことで送ってみようってなったらしいです。うーん、そこまでイケメンって言われて育った気はしないんですけどね。まあ、家族や親戚には言われてきたかな。で、送ったら、なぜか今ここにいますね」
──いやいやいや、今日までいろいろあったと思うよ。そもそもオーディション、受かると思った?
「野球部だったんで履歴書の写真が坊主だったんですね。オーディションも坊主で参加して。参加者が2、300人いたのかな。坊主は僕一人だけだったんで恥ずかしくて。こんなの落ちるに決まってんじゃん。なんて場ちがいなんだって。でも、オーディションが進むにつれ、ふるいにかけられていったんですけど、なんかうまい具合にずっとギリギリで拾われ続け、気づけばJr.の活動が始まったんですよね」
──Jr.の活動はどうだった?
「最初は“行きたくない”って、よく親に言っていました。自分の意思でオーディションを受けたわけじゃなかったし、ダンスもしたことなかったんで、踊るのが本当にイヤで」
──それでも続けたのは?
「オーディションから1カ月後、嵐さんの『ARASHI Anniversary Tour 5×10』のバックにつかせていただいたんです。会場の国立競技場の景色が衝撃で。”たった5人でこんなに多くの人の心を動かせるんだ! ジャニーズって本当にすごいな“って。その日からスイッチが入ったというか」
──当時、ジャニーさんはJr.を注意する際、「岸くんを見習いなさい。岸くんはできるから」ってよく言ってたらしいね。
「いやいやいやいや、まったくまったく。ダンスも歌も全然ダメでしたよ。当時のダンスの映像、今見たら恥ずかしくてしょうがないですもん。ただ自分の中で、とにかく全力でやるってことだけは決めていて。小さいころから親父に“やると決めたことは悔いのないよう全力を尽くしなさい”って教わっていたんですよね。あのころの俺にほめられる要素なんて何ひとつないんですけど、もしジャニーさんが“岸を見習え”って言っていたなら、それはつねに全力な姿勢だったのかな。わからないですけどね。ただ、ジャニーズなら誰しもだと思うんですけど、ジャニーさんにほめられることって何よりもうれしくて。本当にもう、親にほめられるのと同じレベルでうれしかったですね。まあほめられることの何倍も怒られてるんですけどね(笑)」
──岸くんの1年後に入所した(佐藤)勝利くんとはすぐに仲よくなったよね。
「まさか、こんなに長く一緒にいることになるとは思わなかったですね、勝利と。ジャニーさん、Jr.を大勢集めて焼き肉とかをご馳走してくれることがよくあって。小さいコも多かったんでテンションが上がって、自分が食べられる以上に頼んで残しちゃったりするんです。それを勝利と俺でがんばって食べきったりよくしていました。俺はシンプルに“ジャパニーズ・モッタイナイ”の精神だったんですけど、そういう感覚が勝利とは近かったのかな。気づいたら仲よくなってたんですよね」
──勝利くんは入所翌年にSexy Zoneとしてデビューした。
「なんだろうなぁ、なんていうんだろう。人生初めての挫折、とまではいかないですけど、なんか置いてかれたというか。ちょっと孤独を感じたかな。もちろん入った当初から勝利は全然ちがったんですけど、デビューってこんなに早くできちゃうんだって衝撃もありましたね」
──勝利くんのデビュー後、一緒にハワイに行ってるけどふたりで撮った写真が1枚もないんでしょ?
「そうそうそう。勝利は普通に接してくれているんですけど、俺だけ勝手に距離を感じちゃったというか。デビューして急にいろんな人から“一緒に写真撮ってよ”みたいなこと言われてるだろうから、そういうミーハーに見られたくないって気持ちと、急にすり寄ってくる人もいたりして勝利も傷ついたりしてるだろうから、なんか気軽に“一緒に撮ろう”とは言えなかったんですよね」
──当時のふたりの関係を言葉にするならなんだと思う?
「なんだかんだ仲がよかったと思うし、もちろんケンカすることもあったし。なんだろうな、あのころの関係……憧れと少しの嫉妬と。僕らは言ったら仕事仲間であることはまちがいないけど、そこにちゃんと友情もあったなって思いますけどね」
自分を一番変えてくれた作品が『SHOCK』です
──2013年、最年少の17才で『Endless SHOCK』に抜擢されたね。
「ジャニーさんから突然連絡が来たんすよね。“YOU! 『SHOCK』に出るから”って。“え、マジ!?”って完全にテンパりましたね。まわりが大先輩ばっかりで。ジャニーさん、なかなかそういうこと言わないと思うんですけど、“ムリなら早めに言ってね”って。稽古が始まって毎日、“マジでムリです”って言いに行こうと思ってました。でも、必死で稽古してたら気づけば“早め”って言えるタイミングが過ぎちゃって言えなくなっちゃったんです。だからもうやるしかないって。でも辞めないで本当によかったです。自分を一番変えてくれた作品が『SHOCK』なんで。中途半端だった自分を変えてくれた。『SHOCK』後、個人的にダンススクールにも通い始めたんですよね。表現することにもっと真摯に向き合わなきゃって。本物になりたいって思えた。本当に、(堂本)光一くんは僕の人生を変えてくれた人。感謝してもしきれないです」
──感謝の気持ちを直接本人に伝えたことってある?
「何度もありますよ。でも光一くんはツンデレなんで、僕の前ではそっけないんです。内心、まんざらでもないと思うんですけど」
──4月からは勝利くんが『Endless SHOCK -Eternal-』に挑むね。
「ときどき連絡が来たりして、僕が伝えられることは伝えてますね。多分、ドキドキしちゃってますよ。やっぱり、あの舞台は特別ですから」
──Jr.としては、Sexy Zoneのバックとしても活動。岸くんはその中でも中心的存在で、ファンから“きしっくす”なんて愛称で呼ばれたりもしてたね。
「バックにつくメンバー、けっこう頻繁に変わってたんで、グループになることはないだろうなって思ってたんです。ただ“MAGIC”って呼ばれてた、神宮寺(勇太)を含む5人でやっていたときは、ちょっと僕らも大人になりだしたころだったんで、なんか、うん、“この5人でグループとして認められたい”って。でも、そんなタイミングで新しくMr.King vs Mr.Princeができた。グループになれたうれしさと、MAGICではグループとして認めてもらえなかった少しの悲しさがありましたね」
──そのころ、デビューに関してはどんなことを思ってた?
「やっぱり、したかったです。それこそいろんな人に相談もしましたね。特に(菊池)風磨くんや勝利には。ただ誰に聞いても“タイミングと運”って言われて。今ならその意味がわかるんです。運任せってことじゃまったくなくて、デビューして恥ずかしくない準備ができているのは当然。その上でさらにいろんなタイミングがピッタリ重ならないとデビューってできないんだって」
デビューについての本当の気持ち
──Mr.King vs Mr.Princeでのデビューは意識した?
「デビュー、いけると思いました。言葉にはしなかったですけど。いけるって。ダメでしたけどね」
──その後、Mr.Princeの3人はあまり仕事がない時期があったよね。その期間、どんなことを考えてたの?
「何だろう。いろいろ考えましたね。自分の中ではやりきっちゃったのかなって思いもあって。Jr.なら誰でも何度かブチ当たる壁だと思うんですけど、けっこう本気で辞めるべきかなって。やれることは全部やった。後悔しないようにつねに全力だった。それでも届かないなら、もうデビューはムリなんだろうなって。芸能以外の仕事にも触れてみようと思って、地元の知り合いを頼って現場に出るようなバイトを1カ月くらいやったりもしたんです」
──辞めようと思ってること、誰かに相談したりした?
「父親にだけ。“お前の人生だから、自分で決めればいい”って止めはしなかったですね。ただやっぱりメンバーには言えなかったです。隠してました。神宮寺とふたりきりでけっこう深い話をしたこともあったんです。カレー屋だったかな。そのときも、“これからいろんな道があるかもしれない”って、自分の悩みとして話したんじゃなくて、あくまで可能性の話として話しましたね」
──神宮寺くんは仕事がない時期、岸くんが「腐っちゃダメだ」って励ましてくれたから、腐らずに思いとどまれたって。
「……もし僕が神宮寺をつなぎとめていたなら、僕をつなぎとめてくれたのはファンですね。Princeの露出がそれほど多くない時期もMYOJOさんのJr.大賞で上位に投票してもらえてましたよね。“僕たちを見てくれている人はいるんだ”って実感があったから腐らず、辞めるという決断をしないでいられたんです。やっぱり、自分の原動力の根源はファンのみなさんであることはまちがいないんで。Princeの3人で何度も話し合って、本当にもう1回、ラスト1回、踏んばってみようって」
──それからPrinceで単独コンサートなども行うようになり、2017年夏、再びMr.KINGと活動をともにする。その後、ジャニーさんに直談判をしてるけど、最初岸くんは直談判に反対だったんでしょ?
「そうですね。当時のマインドだと。当然、ジャニーさんはJr.のデビューということをつねに考えてくれている。だからデビューに関してはジャニーさんに判断を委ねるべきじゃないかと思ったし、あのころジャニーさん、“デビューだけがすべてじゃない”ってことも話してたんですね。だから、今までにない新しい成功の道もあるんじゃないかって。ただ一番大きいのは、僕の勝手なイメージなんですけど、もしも直談判がうまくいってデビューできたら…Jr.でなくなったら、ジャニーさんと会える機会が減っちゃうんだろうなって。僕、ジャニーさんにほめられることも、怒られることも大好きだったんで」
──それでも直談判を決断したのは?
「(平野)紫耀のデビューにかける熱と、同意したメンバーの決意の強さです。みんながそれぐらいの覚悟を決めているなら、俺も腹をくくらなくちゃって」
──そしてデビューは決まった。
「やっぱり、うれしかったですね。夢だったんで。いろいろな人にも喜んでもらえて、ホントうれしかったです。勝利に“おめでとう”って言ってもらえたことは特にうれしかったかな」
──親も喜んでくれたんじゃない?
「喜んでたらしいです。僕の前だとあんまり感情を見せないんですよ、うちの親父って。でも妹に聞くとやっぱめっちゃ喜んでたらしくて。なんか大人になって、もっともっと感謝や恩返ししなきゃなって改めて思いますね。今の僕にしてくれたのは親父なんで。お母さんからも“おめでとう”って連絡が来て。見守ってくれてるんだなって」
──ただ以前、岸くんは「デビューについての本当の気持ちは言えない」って語ってたよね。今なら言えることもある?
「……デビューについての本当の気持ち。すごいシンプルなんです。プレッシャーに押しつぶされそうだったっていうね。俺、プレッシャーに相当弱いんで。1月のデビュー発表後、ファンの方はもちろん、スタッフさんも5月のデビューに向けていろいろ盛り上げてくれた。だけど、そんなみんなの期待に応えられるのかなって。でも、もし僕がポロっと“不安です”って言ってしまったら、きっとファンの人たちの笑顔を曇らせちゃうだろうな。だったら、この気持ちは自分の胸の中だけにしまっておこうって」
──不安が消えたのはデビューしてどれくらい?
「どうなんだろう。とにかく毎日を乗り越えることしか考えてなかったんで、デビューした途端、気づいたら今日で。ホントなるがまま、何だかんだ乗り越えてこれたかなってのが振り返って思うことですね。もちろん、いただいた仕事でちょっと荷が重いんじゃないかって感じる瞬間は、当時も今もあるんです。ただそういう毎日を乗り越えた分、今はキャパが少しだけ大きくなってる。だからデビュー直後が一番きつかったかもしんないですね。けっこうギリギリだったと思います」
メンバーに笑ってもらえるのが、うれしい
──不安な日々をともに乗り越えた、戦友でもあるメンバーにメッセージを。まずは永瀬(廉)くん。
「廉とは出会ってすぐ仲よくなったかな。よく覚えてるのは、“家に行っていい?”って言われたんで呼んだら、『痛快TV スカッとジャパン』で、少しだけどお芝居をさせてもらえることになったから、“演技を教えて”って相談されて。俺も全然わかんないけど、多少だけど当時の廉よりは経験があったから、できる限り教えたのが今考えたら恥ずかしいですよね。今となっては、おまえが教えてもらえって感じだからさ。まあでも、廉の演技の根元には俺がいるかもしれないってことで(笑)」
──ハハハハ。
「あと、うれしかったのは今年の誕生日プレゼントをあげたとき、めっちゃ喜んでくれたことかな。ケータイのポーチと小物入れなんですけど、廉がよく使ってるブランドだなと思って選んだら、めちゃくちゃ喜んでくれたんです。ちなみに1週間ちがいの紫耀の誕生日にはGジャンをプレゼントしたんですけど、紫耀もめちゃくちゃ喜んでくれて。俺、センスいいんだなって思いましたね。あ、すみません、メンバーのエピソードトークなのに、結果自分上げの話をしちゃって(笑)」
──永瀬くん、昔、岸くんが楽屋で粉薬を口いっぱいに含んでドラゴンのマネをしたこと教えてくれたよ。
「ああ〜、今でもやりますよ。カメラが回ってないのにもったいないとか言われるんですけど、そういうことじゃないんですよね。昔も今も僕はメンバーに笑ってもらえることが何よりうれしいんで」
──じゃあ、次に海人くん。
「海人はちっちゃかったなー、入ってきたとき。でも、オーラがズバ抜けてましたね。同じグループになって、最初は4才年下なんでギャップを感じることもあったんですけど、デビュー後は特にたくましくなったというか。考え方が大人だなって思います。打ち合わせで必ず自分の意見をちゃんと言うこととか、自分にはちょっとできないことなんで尊敬です。俺の相談にもいつも乗ってくれるんで助かってます」
──海人くん、デビュー前、自分がKing & Princeの一員でいいのかすごい悩んでたって。
「そうなんですね。堂々として見えたんで隣にいて感じませんでしたね。ホント申し訳ないんですけど、海人が悩んでたってのは気づけなかったな。僕もいっぱいいっぱいだったからかな」
──次に神宮寺くん。
「ちっちゃいころからJr.の活動だけじゃなくプライベートもけっこう一緒にいましたね。本当にちっちゃいころから知っているんで、最近いい意味で色気が出てきたなって。こんな素敵な大人になったかって、ちょっと保護者みたいな目線で見ちゃう(笑)。だって当時の神宮寺からしたら、今の神宮寺はマジで信じられないから」
──それはチャラ宮寺時代のことを言ってる?
「そうそう。典型的なチャラい感じでしたからね。でもチャラチャラした外見なのに、友だち思いだったり優しかったりして。何より一緒にいると楽しい。神宮寺の隣にいることが好きでしたし、今も大好きです」
──最後に平野くん。
「紫耀は初めて会ったときから秘めてるスター性みたいなのがわかりましたね。おもしろいし顔も綺麗。ダンスも歌も演技もなんでもできちゃう。いろいろなものを持ってるけど、何よりすごいなって思うのが人間性で。その才能におごらず、しっかり地に足がついてる。自分が紫耀だったら、もっと調子に乗るなあとか思っちゃいますね」
──誕生日プレゼントのこと以外に、何か最近のエピソードってある?
「これは本当に誤解のないように伝えてほしいんですけど、僕がコロナに感染したせいでグループに迷惑をかけてしまって。みんな気にするなって言ってくれたんですけど、やっぱりどうしても責任を感じて、活動を再開したときにみんなに謝ったんです。そうしたら紫耀に“謝んないで。俺は休めてラッキーだったよ!”って言われたんです。俺が少しでも負担を感じないように言ってくれた。紫耀にとっても、グループにとってもまちがいなく大事な時期でしたから。ホント優しいんですよね」
──このメンバーとデビューしてよかったって思う瞬間はどんなとき?
「今みたいな質問をされるたびに思いますね。僕らが進んできた道に後悔とかまったくないんで。僕たちのどの選択も、どんな決断も何もまちがってなかったなって」
一家に一台King & Prince
──岸くんの飾らない性格が、アイドルとしてはもちろん人として愛される理由だと改めて感じたけど、以前は二枚目路線をめざしてたよね?
「いやいやいやいや、今でも僕は自分のこと二枚目だと思ってますよ、はい! でも何ですかねえ、クールであまりしゃべらず、無理矢理二枚目を演じるのはちがうと思うんですよね。僕はキャラを作る気はないし、本来の自分のままでいたい。それが何枚目に見えるのかわからないですけど」
──先輩たちにも本当にかわいがられてるよね。例えば風磨くんとか。
「ロサンゼルス空港の話、何度も話して申し訳ないですけど、僕がアップルジュースを買いに行って乗り遅れたせいで、風磨くんに割高なチケットを買い直してもらって。すごいですよ。ブチきれない器のデカさ。俺なら絶対“やってくれたな!”って何度もチクチク言ってますもん。日本についてもう一度謝ったら、“CAさんが素敵だったから、チケット代以上の価値があったよ”って。今でも頭が上がらないですね」
──いろんな先輩の名前が出たけど、ほかにも大好きな先輩っている?
「ふぉ〜ゆ〜のみなさん、大好きですね。一番好きっす、僕は。『SHOCK』のとき、何もわからなかった僕をめちゃくちゃ支えてくれたんです。本当にいい人たちで、今でも会えたらめちゃくちゃうれしいです」
──じゃあ、岸くんがこれから挑戦したいことってある?
「やってみろと言われたら、なんでもやります。僕、昔から勝利に“バラエティー番組、絶対向いてると思うよ”って言われてたんです。でも初めて会う人とコミュニケーションをとるのが苦手なんで絶対ムリだと思っていたんですね。だけどいろいろ経験させていただいて、少しずつ大丈夫になってきてるかな。やってみないとわかんないんだなって。だから、未経験のことは自分の好き嫌いで判断しないって決めましたね。まずやってみる。自分のことって自分以上に周囲の人のほうがよくわかっていることってあるって学びました。ただ、やっぱり初めてのことや苦手だと思っていることに挑戦しようとすると、心の中に拒否する自分がいるんです。そういうときは、“やってみなきゃわかんない!”って自分に言い聞かせますね。挑戦すれば、必ず学べることがあったりするんで」
──今秋公開予定の『Gメン』も映画初主演という挑戦だね。
「今、撮影真っ最中です。公開を楽しみに待っていてほしいです。もちろん演技はもっとうまくなりたいし、歌やダンス、何かを表現することすべてをもっとうまくなりたい。挑戦しなければいけないことはたくさんありますね。俺、まだ自分を何かのプロだと思えないんです。本物の何かを手に入れるって難しいんで。やっぱメンバーそれぞれが、“こいつの武器はこれだ!”って何かを手にしたいんですね」
──岸くんの中でプロと呼ばれることにふさわしい基準って?
「うーん、果てしない気がします。果てしないし、果てしなくそこに向かっていくしかない。少なくともプロかどうかは自分で決めることじゃなくて、まわりが決めることだと思うんです。いつか言われるようになりたいです。“この人の武器はこれだよね”って。そのとき、初めてプロです。やっぱ一流と呼ばれるって難しいっすよ」
──じゃあ、プライベートで挑戦していることって何かある?
「風呂の中で息を止めることです。最近知ったんですけど、潜水士になるには2分半水中に潜れなくてはいけないらしくて。潜水士になる予定はないんですけど、家で風呂に入るときよく挑戦してますね。自分で時間を計って」
──2分半、潜っていられそう?
「いやー、シンプルに最近は何秒かわからないんすよね。潜った瞬間、ストップウォッチを持ってくるのを忘れたことに気づくんですよ。今度はちゃんと計るので、もし2分半いけるようになったら報告しますね」
──よろしく。じゃあ、グループとしてかなえたい夢は何?
「『シンデレラガール』を超える曲を出すことです。超えるっていうのは数字的なことだけじゃなくて、みなさんの記憶の中でも超えるというか。“『シンデレラガール』もいいけど、この曲はもっと好き”でもいいですし、“この曲を聞いたらがんばれる”でもいいし。とにかくじゃんじゃん超えていきたいですね。あとは、ドームツアーの夢が今回かなったので、どんどん長続きさせたいです。もっともっといろいろな人に見ていただきたいんで。国立(競技場)だったり、いろいろなライブ会場、いろいろな場所で、いろいろな人にもっともっと会いたいです」
──じゃあ、個人の夢も教えて。
「僕の夢はグループの夢とほぼ一緒なんですよね。このインタビューを、まさに今読んでくださっているあなたを笑顔にしたいというか。本当に感謝なんです。ファンのみなさんの大切さはわかっていたつもりでした。でもコロナ禍を経て改めて思ったのは、お客さんと同じ空間でライブができることのありがたさなんです。みなさんが会場にいてくださることがどれほど尊いか。これからもずっと会いに来ていただきたいですし、みなさんの前でいろいろな表現をしていきたい。だから、飽きないでほしいですね。みなさんの日常の片隅にいつでもいる存在になりたい。一家に一台King & Princeじゃないですけど。少しでも元気を与えられたら、それこそ僕らの本望なんで。もちろん飽きさせないようにできるかは、僕たちの腕にかかっていますよね。絶対に飽きさせないから、どうか安心して僕らについてきてください!!!」
取材・文/水野光博
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