Myojo

10000字ロングインタビュー

チャンスを待ちながら、居続けたこの世界で、
手にした何かは「まちがいなく仲間」。
「濵ちゃんが必要や!」と仲間たちが呼んでいるから、
「夢に向かって走ってこう」と決めている。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

ジャニーズWEST編

第2回

濵田崇裕

はまだ・たかひろ
1988年12月19日生まれ。兵庫県出身。AB型。身長178cm。
2002年7月13日、ジャニーズ事務所入所。
2014年4月23日、ジャニーズWESTとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2014年11月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

2014年4月、ジャニーズWESTのデビューシングルがリリース。
関西発の7人組グループが、ついにスタートラインに立った。
今はひとつになって、上をめざしている彼らは、わずか9カ月前、
それぞれの想いを抱えながら、2013年の大晦日を過ごしていた…。

「濵ちゃんも、あきらめんなよ」

──カウントダウンコンサートで、中間(淳太)くん、桐山(照史)くん、重岡(大毅)くん、小瀧(望)くんの4人がデビュー報告をすることを知らされたのは、いつだった?
「発表の数時間前でしたね。僕は大晦日がオフで。“ラッキー! 初詣行こうぜ!!”って、保育園からの友だちを誘って、のんきに地元の神社に行ってました(笑)。出店で牛タン串が売ってて、“俺のおごりや!”って友だちのぶんも買って、ほおばりながら参拝の列に並んでるときメールが鳴って」
──誰からのメールだったの?
「淳太からで……。“だまっててごめん、じつは……”って。長ーいメールで、ただごとじゃないぞって一瞬でわかって。パニクって文字が全然頭に入ってこないから、とりあえず最後までバーッてスクロールしたら、“4人でデビューすることになりました”って……」
──本人たちからの報告だったんだ。
「牛タン食ってる場合ちゃうやん……って。ショックというより、“え? えっ!? ウソやん!!”って状況を把握できなくて。グループメールだったんで、(藤井)流星と神ちゃん(神山智洋)から、“教えてくれてありがとう”って返信が送られてきて。全然、納得も心の整理もできてなかったけど、俺も送らなって、“教えてくれてありがとう”って同じ文を送って」
──簡単に受け入れられないよね。
「なんかもう、世界中でひとりぼっちになったみたいな感覚になって。そしたら参拝の順番になって。“神様に何を祈ったらええんや?”って。もうなんか、死にそうだったんでしょうね。“け、健康でありますように!”って願ったんですよ(笑)。友だちに、“何をお願いしたか知らんけど、お祈りしてるとき、これでもかってくらい力強く目をつぶってたぞ。必死すぎやろ”って笑われましたからね」
──時間とともに現実感が増していった感じ?
「もう、どんどんどんどん気分が落ちていくんですよ。でも、友だちは知らないんで“おみくじ引こうぜ!”ってハイテンションで。で、引いたら、まさかの大吉で。“ウソつくなー!!”って半泣きで叫びましたからね(笑)」
──もうダメだと思った?
「正直、僕は終わったって思いました。あきらめモードというか。だって、“この4人で”って発表したんですよ。でも、流星から電話がきて、“俺はなんとしても入るよ。濵ちゃんも、あきらめんなよ”って。その言葉で一気にスイッチが入ったんです。神ちゃんも、最初はあきらめてたはずで。流星だけがあきらめなかった。こいつ、すごいなって。本当のピンチでも、うつむかず顔を上げるんだって。俺もあきらめちゃダメだって」

まかしとけ!ジャニーズ入ったる!!

──そもそも、ジャニーズにはあこがれて入ったの?
「姉ちゃんがふたり、兄ちゃんがひとりいるんですけど、姉ちゃんたちがジャニーズ好きで。僕をジャニーズに入れれば、自分の好きなJr.に会えると思って入れようとしたんです。そんな下心に気づかず僕は、“まかしとけ! ジャニーズ入ったる!!”って(笑)」
──4人きょうだいの末っ子なんだね。
「はい。実家が農家だったんですけど、両親が忙しかったんで、きょうだいで弟の面倒を見なさいって感じで。母親より、姉たちに面倒を見てもらった記憶がありますね」
──農作業を手伝ったりもした?
「僕、特技がトラクターの運転で。田んぼをトラクターで耕すのを、お父さんのヒザの上に乗せられて見てたら、自然と運転を覚えたっていう」
──小5でダンスを習ってるよね?
「クラスの女のコに誘われたんで」
──それって、モテてたってこと?
「たぶん、モテてなかったです。ただ、ムダに運動神経抜群やったんで誘われたんだと思います(笑)。最初はおもしろかったんですけど、ちょっとしたらついてけなくなって、やめようとしたんです。心変わりに気づいたんでしょうね。僕、好きなコがバレてたんですけど、やめるって切り出そうとした瞬間、“あ、あのコも入るから”って言われて。僕の好きなコもダンス教室に入ることになって。“よっしゃ、もう少しがんばろう!”って(笑)」
──そのころ、夢ってあった?
「中学でバスケ部に入って。“自分の身体能力を最大限に発揮できるのはこれだ!”って、バスケ選手になろうと思ってましたね」
──事務所に履歴書を送ったのは中2だよね? 
「いよいよ、さっき言った姉が弟をジャニーズに入れて好きなコに会わせてもらおう計画を実行に移したわけです」
──ただ、履歴書に貼った写真を見たけど、すごいね(笑)。
「“ツカミが大事や!”って思って(笑)。おかんが鼻メガネを買って来てくれて。それをかけて写真撮って。アホなんです。わかってないんです。ことの重大さが。で、履歴書は送ったんですけど返事が来なくて。俺はオーディションさえ受けられず不合格か。“チクショー!!”って」
──ハハハハハハ。
「で、だいぶたってオーディションの通知が来て。バスケに目覚めてた時期だったんで、最初はオーディションに行かないって言ったんです。姉ちゃんのお目当てのコも、もうJr.におらんくなってたし。でも、“まあとりあえず行ってみようよ”って姉ちゃんに丸め込まれて」
──会場はどうだった?
「怖かったっすね。俺、10人くらいかなと思ってたんですよ。そしたら300人くらいいて。カッコつけたヤツとか、女のコみたいなキレイな顔したヤツとか、陽気なモヒカンとかもいて。あ、それが照史だったんですけどね(笑)。僕、人見知りなんでひと言もしゃべってないですけど、“このコ、いつか、お笑いの道に進むんちゃうか?”って思ったんです。ある意味、当たりましたね(笑)」
──受かると思った?
「絶対ムリやろって。ナイキのTシャツと、おかんが買ってきたようわからんズボンはいて、濵田家的にはいちばんのオシャレして行ったけど、もう田舎っぺ丸出しのカッコだったんで」
──何かアピールしなかったの?
「おかんに言われてたんですよ。“あんた、バック転できるやろ”って。できそうなだけで、できるわけじゃなかったんですね。でも、“それ見せたほうがいい”って言われて。特技を披露する時間に手を挙げたんです。そしたら、先に指名されたのが、すっごいアクロバットが得意なコで。“バック宙できまーす!”って言ってブワーッてやって。見ていた関ジャニ∞さんも全員、“すっげー!”ってなって。で、次に俺が指されたんですけど、もうムリムリムリ、そんなコのあとなんか(笑)。でも、“すみません。バック転でき……そうなんです”って。補助してもらって、どうにかできて。∞のメンバー全員、“うーん、もうちょっとかな”って言葉に詰まってましたからね(笑)」
──それは受からないと思うかも(笑)。
「何人かは雑誌用の写真を撮られてて。俺は撮られへんかったから、もうムリやろなって。でも、その日の夜に、『ANOTHER』って舞台があるから来てって電話で言われて。なんかねえ、あきらめてたんで、よけいにうれしかったですね」
──入所してすぐ、BOYSに抜擢されてるよね?
「そうだ、そうだ。『ANOTHER』のときに何人か呼ばれたんです。歌ってみてって。おそらく、あれが歌審査やったんやろうな。そのあとすぐBOYSに呼ばれて、マイクを持たせてもらって。でも、歌えるってことがどういうことかわかってなくて。姉ちゃんの友だちが、“入ってすぐマイクを持てるって、すごいんだよ! 将来有望だよ!”って教えてくれて。なるほど、俺は今すごい位置にいるのだな、と(笑)」
──ちなみに、バスケ選手の夢は?
「バスケ部の先生に、おかんが知らないうちに報告してたんですよ。舞台があるから、部活に行けない日がある。“舞台が、あのコの夢なんです!”って(笑)。先生も“濵田の夢なら応援します!”って。俺はバスケ選手になりたかったのに、勝手に道が閉ざされて(笑)。舞台後、部活に参加したら、ダメなプレーをしても先生が叱ってくれなくなったんですね。あ、気をつかわれてるなって。これはムリやって。だから、中1で見つけた人生初の夢を、中2であきらめたんです。ジャニーズ一本で生きていくしかないって(笑)」

あいつのMCには愛があったから

──デビューについてどう思ってた?
「最初は、自分がデビューできるとは思ってませんでしたね。なんもできることないし。とりあえず、続けとこうってくらいの感じで。そうっすねえ、深く考えて生きてなかったですね。関ジャニ∞さんがデビューして松竹座で自分たちのコンサートができるようになって、この世界の楽しさがどんどんわかっていって。あとは、先輩たちを見て、こうなりたいな、ああなりたいなってことをいっぱい見つけてったんです。それで、だんだん、この世界が好きになっていって」
──先輩の存在は大きい?
「大きいですね。先輩からすべてを学んだから。関西はマネージャーさんもつかないですし。もうすべてを先輩に教わり、自分たちでやる。一度、『ザ少年倶楽部』の収録で東京に行ったとき、東京のJr.は、マネージャーさんが衣装を片づけてたんです。“え、なんでなん?”ってビックリして。僕らは、年上の文ちゃん(浜中文一)とかが、“こうたため、こう結べ、こうしまえ!”って見本を見せてくれて。“おまえらも後輩に引き継いでかんといかんぞ”って教わって。本当に、何から何まで先輩に教わったというか」
──なるほど。
「関ジャニ∞さんにしても、ずっと近くで見せてもらってたわけです。それは、もちろん華やかな部分だけじゃなくて、苦労した部分も。僕らはJr.時代、ごはんなんか数えきれないくらい連れてってもらいましたし。舞台中、関ジャニ∞さんの弁当はあったけど、Jr.のぶんがないときがあったりして。そしたら錦戸(亮)くんや、安田(章大)くんが、出前を取ってくれて。“みんな、たべー”って」
──あこがれてる先輩っている?
「丸山(隆平)くんですね。心からやさしい人やなって。よく“夜ごはん、行く人!”って、大勢Jr.を誘ってくれて。丸山くんとごはん行くと、終始、みんな笑ってるみたいな。カニを食べさせてもらったときがあって、丸山くんが、合戦の武将みたいに“ぶおおおおおお〜”って、エアーホラ貝を吹いて、“かかれ〜!!”って言うと、Jr.が“おおー!!”っていっせいにカニを食べ始めて、数分で食べつくしたり。あんな後輩に、気をつかわせないようにしてくれる、あったかい人ってなかなかいないです」
──じゃあ、Jr.時代、辞めようと思ったことってない?
「高3のときかな。1回だけ辞めようと思ったことあります。なんて言うか、何年か進歩がないなって思うことが続いて。何をがんばっても前に進まなくて足踏みしてる感じというか。“あー、これムリや。辞めよう”って思ったんですけど……」
──けど?
「やめる勇気がなかったんですよね。やめると僕、何もない。“どうするの、今から?”って怖かった。同じ時期、やめてったコたちも多くいて。決断力すごいなって。僕はやり過ごしてきたというか、現実から目をそらしてきたというか。やめたくても、やめられなかった瞬間、なんか情けなくて、うわーってなりましたね」
──誰かに相談したりした?
「してないですね。みんな応援してくれてたから、できなかったです。しかも僕、昔からこういうキャラじゃなかったんですよ。もう少しカッコつけてて(笑)。だから、よけい相談とかできなくて」
──そんな時期を乗り越えられた、転機のようなことってあった?
「僕っていうより、関西Jr.の転機みたいなものがありましたね。照史がきっかけです。『ごくせん』に出たあたりだったかな。あいつ、MCでお笑いに走ったんですよ。その瞬間、関西Jr.に化学反応が起こった」
──どういうこと?
「あいつ、自分をカッコよく見せるより、三枚目の方向、笑いの方向にシフトしたんです。今も、“ホンマはキャーキャー言われたいねん”って冗談っぽく言ってますけど、本音ですよ(笑)。でも、あいつは笑いに舵を切った。たぶんそれは、自分のためじゃなくて関西Jr.のため。それに、みんながバッてついていったんです。“進むべき道は、ここだ”みたいな感じで」
──みんな、ついていったんだ。
「ですね。あいつのMCには愛があったんで」
──愛?
「それまでも、みんなよくしゃべってましたけど、それは個々が勝手に自分をカッコよく見せたり、目立つためでしかなくて。気づいてる人も多いと思うんですけど、照史のトークって、ほとんどの場合が自分を下げて、相手を上げるんです。ある意味、自分を犠牲にして仲間をカッコよく見せてる」
──たしかに、それは愛だね。
「しかも、そのうえ笑いも取った。これ、すげーなって。俺はまだ、できることいっぱいあったのに、やめようと思ってたなって。だから、変わろうって。さらけ出したんです、アホな部分を(笑)。そんな僕を見て、ビックリした人もいれば、“そういうキャラやったんや。ウケる”って人もいて。正直、あのタイミングで離れてった人もいると思う。でも、よりいっそう好きになってくれた人や、関西Jr.に興味を持ってくれた人もいたんじゃないかなって。だから、俺はもっとさらけ出して、いっぱい笑い取っていこうって。あ、もちろん、たくさんたくさんスベリましたよ。今だって、よくスベリますし。でも、気にしない。スベリすぎて、鋼の心臓を手に入れたから(笑)」
──ハハハハハハ。
「照史が、関西Jr.を変えた部分って大っきいと思うんです。本当の仲間になれたっていうか。もちろん、関西Jr.同士でもライバルであって。7WESTができたときなんか、勢いもあったし、“こいつらがデビューするかも”って、ちょっとあせりもしたけど、絶対に負けない。負けらんないって、自分はアクロバットだったり、いろいろ習ったりして。ライバルだけど仲間だし、仲間だけどライバルっていう、いい関係だったなって」

なくなって気づく大切なものってあるよ

──じゃあ、NYCのデビューはどう思った?
「(中山)優馬は、早いうちにデビューしそうやなってのはあったんで、内心めっちゃビックリしましたけど、“デビューすると思ってたよ”って冷静なスタンスを演じてました(笑)」
──じゃあ、キスマイ(Kis-My-Ft2)がデビューしたときは?
「さすがに“やべーー!!”ってあせりましたね。正直言っちゃうと、キスマイより先にデビューしようってのを目標にしてたんで。ただ、落ち込むというより、“やられたなあ。でも次は、俺たちが行くぞ!”って思ってましたね」
──デビューまでの距離、どう感じてた?
「正直、見誤ってたと思うんですよね。僕たちが思うデビューまでの距離と、事務所が考えている距離に開きがあった。だから、キスマイがデビューしたあたりから、“自分たちがやりたいことを口に出して言おう”って決めたんです。それまで口に出さなかったんで」
──言葉にするようにしたんだ。
「はい。キスマイがJr.時代にツアーを始めたときとか、うらやましかったんです。でも、“うらやましい”って感情を表に出すって、負けた感じがしますよね。嫉妬的な。デビューしたくても、“したいです!”って泥臭くアピールするんじゃなくて、言わないままスマートにデビューしたいJr.も多いと思う。でも、俺らは、願うことは口に出して言おう。それがかなうための努力は惜しまないようにしようって決めた。ことあるごとに“ツアーをしたい!”って言ったら、ツアーができるようになったし、デビューだって。意地やプライド……そんなものより、カッコ悪くたっていい、想いを口にすることで、本気度を周囲に伝えようって」
──なるほど。個人的には、2011年に、BOYSが解散状態になったことも大きかったんじゃない?
「そうですね。メンバーがドンドン辞めていって……。僕自身、ビックリしましたけど、まわりのほうが動揺してたというか。何も言ってないのに、“濵田、辞めるってよ”とかウワサが広まって。河合(郁人)くんに、“ホントに辞めんの?”って聞かれましたからね(笑)」
──実際、本人はどう思ってたの?
「意地でも辞めないって決めてました。デビュー、絶対してやるって。ファンのコに変に気をつかわれて、やさしくされたんですね。“私は、ついてくからね!”みたいな。いやいやいや、誰も辞める言ってへんし。やる気満々やし(笑)。ありがたかったんです。でも、気をつかわせてしまった。だからデビューして、安心してもらいたいなって」
──なるほど。
「ただ、もしも僕が、BOYSの解散から伝えられることがあるとしたら、“なくなって気づく大切なものってあるよ”ってことだと思うんです。正直、“ユニットじゃなくてもいけるんじゃないか”って思った時期もあったんです。でも、なくなって気づいた。ひとりじゃ、なんもできひん。それまではミスしても、笑いに変えてくれた人がとなりにいた。でも、ひとりになったら、ミスはただのミスで終わる。だから、もし近すぎて、その価値がわかりづらくなっている人がいるなら、改めてどれだけ大切な存在なのか見つめ直してほしいし、その気持ちを本人に伝えてほしいって思います」

みんなが辞めるなら、僕も辞めよう

──2013年5月、中間くん、桐山くんと、社長にデビューしたいって直訴してるよね?
「たまたまツアー中に社長の家に泊まることになって。3人で“今しかない!”って直談判しましたね」
──最初は素っ気なかったんだよね?
「眠そうでしたからね(笑)。3人で必死で“デビューしたいねん!”ってお願いして。最初は“YOUたちオッサンだから”って話をそらされて(笑)。でも、少しずつ“そうだねえ”ってなり始めて。3人で、“いけるぞ!”ってアイコンタクトして、押せ押せ押せ押せってたたみ掛けて。切り込み隊長は照史で。しまいには泣き落としですよ。“このままじゃ食っていかれへんねん。純粋にデビューしたいって気持ちもある。でも、食っていけたら、それでええねん”って(笑)。社長も、だんだん、そういう気になって。最後は“考えとく”って言ってくれて」
──桐山くんが、この直談判でまったくデビューの可能性がないのなら、辞めていたかもしれないって言ってたよ。
「う〜ん、僕は、みんなが辞めるならやめようというか。デビューできなかったら辞めるというよりは、いっしょにやってきたコたちが辞めんなら、僕も辞めようって思ってましたね」
──なんか、人任せすぎない?
「ある意味そうですね(笑)。僕、なんでこの世界に居続けてんだろうって考えたんです。最初は、自分から望んで入った世界でもないのに。でも、この世界で、僕が何か手にしたものがあるなら、それはまちがいなく仲間なんです。これまでも、いっしょにやってきたコが辞めてったことがありました。そうすると、胸に穴が空いたみたいになるんです。なんで、この世界にい続けたか……。それは、このメンバーが好きで、そんな仲間といっしょに、ファンの人たちの前に立つことが楽しかったからなんだって」
──このメンバーだから、か。
「ふざけてるとき、真剣なとき、どんなときでも阿吽の呼吸があるというか。こう言ったら、こう返してくれる。ひとりでも欠けたら、それが崩れるんです。誰か欠けて、楽屋のアホトークも、下ネタも、ステージ前のわけのわからない気合入れとかも、そのすべてがなくなると思うと、いる意味がないなって。誰かが欠けたら、俺は続けてくのムリやなって」
──少しずつ、だけど着実に強くしていった絆なんだね。
「僕らのMCのスタイルが、どうやって生まれたかって言ったら、最初のころ社長に、“MCおもしろくない”って言われたことからスタートしてるんです。じゃあ、こうしよう、ああしようって常に話し合って。“こう言ったら、こうボケてや”“こうなったら、こうツッコんでや”って、積み重ねていったんです。ときにはすっごいモメたし、“ボケたのに、なんでツッコまへんかったんや!”“いや、あの場面は!”って言い合いも日常茶飯事で。でも、昔はそんなことできなかった。もめるくらいならだまっとこうって。だから、このスタイルになるまで、乗り越えてきたもの、積み重ねてきた月日があって、このメンバーだから成立する空気なんですよね。だから誰が欠けても、その空気は、世界は壊れてしまう。そうなったらやめようと思ったんです。みんなが続けるんだったら、デビューどうこうじゃなくて俺も続ける。でも誰かやめるなら、俺もやめるって」

もうムリやろ。俺、別の道探すわ

──ただ、直談判に行った3人のひとりだったのに、濵ちゃんはカウントダウンの会場にはいなかった……。
「ホンマっすよね。フタ開けた瞬間、“俺、おらんやないかーい!”って(笑)」
──カウコン後、4人と初めて顔を合わせたのは?
「次の日、あけおめコンのリハがあったんです。どうやって顔合わそう、気まずいなって。流星とも神ちゃんとも、ほとんどしゃべんなくて。でも、4人はまだ東京から戻って来なくて。俺、みんなで踊ってる最中、急に“あー、情けねー”って、ひとり立ちすくんじゃったんです。リハ抜け出して裏口から外に出てって。なんか地獄でしたね」
──4人が合流したのは、その翌日?
「はい。いつも通りに接してほしかったし、接したかったのに、いつもの空気じゃ全然なくて。気をつかってる感じが。その夜、淳太に電話したんです。“いつもどおりしゃべってもらっていい? 気をつかわれるのイヤや”って。淳太の気持ちもわかる。とんでもないことが起きてるのもわかる。でも、イヤやったんですよ。なんか、今までみんなで少しずつ築き上げてきたものが、全部壊れちゃいそうで」
──あけおめコン、どうだった?
「絶対に泣かないって決めてステージに立ったんです。でも、ファンのコが泣いてるのが見えて……。俺の歌で、どんだけ届くかわかんない。それでも、“俺はまだ自分を信じてるよ”って想いを曲に乗せて歌って……」
──コンサート後の仕事って、何か決まってたの?
「そっからあとの仕事、なんもなかったんです。振りつけ師さんに、“4人が、日生劇場で舞台をするけど、どうする?”って聞かれて。もし出たくなければ、それでもかまわないって。なんか俺、ここ出なかったら本当に終わりだなって思って、“出たいです!”って言って」
──不安な日々の中、支えになったことってあった?
「4人が社長や事務所の人に働きかけてくれてるって話を、漏れ聞いたりもしてたんです。それでも進展はなくて……。しげ(重岡)に言ったんです。“いろいろ動いてくれとるらしいな。ありがとな。でも、もうムリやろ。俺、別の道探すわ”って。そしたら、しげが、すっげー真剣な顔で“ちょっと待っててください。100%入れないとは思わなくていいと思います。今はまだ、それくらいしか言えないですけど”って。その言葉で、なんか緊張というか不安が解けたんですよ。これはメンバーになった今だから言えるのかもしれないけど、どんな結果が出たとしても受け入れようっていうか。思い通りにはいかないかもしれない。ただ俺は、できることは精いっぱいやった。そして、こんな素敵な仲間が、俺たちのために懸命に動いてくれた。……悔いはないって」
──じゃあ、風向きが変わったのは?
「俺たちの現状を舞台にしようってところから、『なにわ侍』の物語は生まれたんですね。稽古初日に、オーディションで選ばれた4人に、選ばれなかった3人が加わって、ひとつのグループになるって構成を伝えられ、みんなでセリフを考えて。その構成を聞いたとき、確定したわけじゃないですけど、“あ、入れるかもしれん”って思いました。その日の晩、7人全員でごはんに行って」
──『なにわ侍』、現実にリンクしていて、たくさんの観客が涙してたよ。
「………最後のシーンだけ、セリフじゃなくて、本当の素の気持ちをアドリブで言おうってなって。そのシーンで、照史に半泣きで“濵ちゃんが必要や!”言われて、俺、泣きそうになって。そのあと、“これで勢揃いやな!”って、しげが言って。しげ、“泣いてへんで”って言うけど、目がウルってきてて。みんなの目にも涙たまってて。もう、ヤバかった。この7人で、本当に、本当によかったなって」

7人だからできることがきっとある

──今後のことについて聞こうと思うけど、個人的な目標ってある?
「うーん、ひとつは演技面をしっかり磨いて、誰もできないような役を30才越えたくらいでやりたいですね。バスケで発揮できなかった、この身体能力を活かせるような映画を、いつか撮りたいです(笑)」
──“東京進出”については、どう思ってる?
「なんか、殴り込みってイメージですね。関西らしさ、僕ららしさをぶつける感覚。挑む感じです。もちろんまだ自分たちにも、何ができるか、何が向いているのかわかってない状況で。それを見つけて、もっともっと磨いて強くなって、いずれは新しいジャニーズになりたいです」
──新しいジャニーズ?
「関ジャニ∞さんも新しいことやってますよね。僕らも、新しい時代を、新しい分野を、この7人で切り開いていきたいなって。まだ何ができるかわからない。でも、この7人だからできること、この7人じゃなきゃできないことが、きっとあるから」
──改まって言うことじゃないけど、この7人でデビューできてよかったね。
「はい! Jr.時代、誰かの仕事が決まると、“おめでとう!”って言いながら、どこかちょっと悔しさもあったんです。でも、この前、流星がドラマ決まったとき、“おめでとう”って心の底から言えて。今、メンバーにいいことが起こったら、心の底から祝福できる。この7人だからなんだろうなって思いますね。それはたぶん、僕だけが思ってることじゃなくて。流星が忙しくてコンサートのリハに1日しか割けなくて、流星抜きでリハしてる最中、照史が“ここでこうすると、流星が大変や。練習時間ないから。もう少しわかりやすくしとこ”って言ったんですね。みんながみんなを想い合ってる。この7人で、よかったなって」
──おみくじの大吉、まちがいじゃなかったね。
「はい。大吉だっただけじゃなくて、願い事ってとこに、“待てばかなう”って書いてあったんです。すごいでしょ!? でも、待つのはもうしんどいんで、これからは、自分から夢に向かって走ってこうって思います。この7人でいっしょに」

取材・文/水野光博