やぶ・こうた
1990年1月31日生まれ。神奈川県出身。A型。身長178cm。
2001年9月23日、ジャニーズ事務所入所。
2007年11月14日、Hey! Say! JUMPとしてCDデビュー。
Hey! Say! JUMP編 第2回 薮 宏太「突然告げられた、グループ最年長としてのデビュー。“うれしいけど、つらい”決断を経てー」
今年、創刊70周年を迎えるアイドル誌「MYOJO」。それを記念して本誌での好評企画である、10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』のテキストをMYOJO公式ホームページにて、8月22日~9月21日まで期間限定公開する。Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、Hey! Say! JUMP、中山優馬、ジャニーズWEST、SixTONES 、Snow Man、King & Prince(MYOJO本誌での掲載順)のインタビューを特別に集英社オンラインでも同時公開。キラ星のような珠玉のインタビューたちをどうぞ。
突然告げられた、グループ最年長としてのデビュー。
「うれしいけど、つらい」決断を経て、
このメンバーでよかったと思えた瞬間、
涙が止まらなかった。
10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』
Hey! Say! JUMP編
第2回 薮 宏太
※このインタビューは、MYOJO2014年1月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。
2007年に彗星のごとくデビューしたHey! Say! JUMP。
Jr.時代が短く、先輩グループより先のデビューは、
エリートの証であると同時に、イバラの道の始まりだった。
JUMP編・第2章は、グループ最年長・薮宏太が語る!
オーディションを受けたくなくて号泣
──赤ちゃんのときの写真、メチャクチャかわいいね。
「かわいいですね(笑)。女のコによくまちがえられてました。お姉ちゃんに、カチューシャつけられたり、オモチャの口紅されたりしてたらしいです」
──お兄さんもいるんだよね?
「兄が2つ上、姉が4つ上で。僕は、ほんと末っ子って扱いをされてましたね。だからか、いまも末っ子気質で」
──甘えん坊な感じ?
「かなりの甘えん坊でしたね。もう、お母さんにべったり。お母さんが長電話してたりすると、エプロンにずっとしがみついてたらしいです」
──初恋は?
「幼稚園のころかな。友だちと、友だちのお姉ちゃんといっしょに遊んでて。僕が転んだかなんかでケガしたら、そのお姉ちゃんが家までおぶって帰ってくれて、“ハッ!”みたいな(笑)」
──じゃあ、サッカーを始めたのは?
「幼稚園のときにJリーグが始まって、すごい流行って。公園で鉄棒をゴールにしてやってました。小1で学校のチームに入って」
──ポジションは、どこだったの?
「キーパーがすごく人気だったんで、僕もやりたいって言ったんです。でも、キック力もないし、ちっちゃいから高いシュートは届かないし(笑)。だから、キーパーをやめてフォワードとかやってましたね」
──ジャニーズのオーディションを受けたのは小6だよね?
「(堂本)光一くんの『ピカイチ』っていう番組を、お姉ちゃんが見てたらしくて。番組の最後に、オーディションの告知が出たんで、僕が知らないうちに送ったんですよね」
──応募したこと知らなかったんだ?
「はい。全然、興味がなかったし、オーディションは土日のどちらかだったんで、サッカーの練習とかぶるじゃないですか。だから、“絶対、行かない”って、オーディションの前日、ずっと泣いてました。“行きたくない、行きたくない、行きたくない”って」
──それでも受けたのは?
「次の年がサッカーのワールドカップで、筆箱に出場国のピンバッチをつけるのがクラスで流行ってて。親に、“オーディションに行ったらピンバッチを買ってあげる”って言われて」
──ハハハハハ。実際に受けてみてどうだった?
「僕はふだん着で会場に行ったんですけど、目の前にハットをかぶってる、オシャレなコがいて。それが、伊野尾(慧)だったんですよね」
──なんかしゃべった?
「まったく。でも、オーディションのとき、自己アピールタイムみたいなのがあって。伊野尾は手を挙げて、KinKi Kidsの『フラワー』を歌ったんです。それが、ドへたで印象に残って(笑)」
──薮くんは、何かやったの?
「僕は何もしてないです。オーディションが終わって、それからレッスンに呼ばれるようになって。土日のどちらかでレッスンがあったんですけど、金曜の夜に連絡が来るんです。サッカーに行けなくなるから、その電話がイヤでイヤで。毎週、電話の線抜いてやろうかと思ってました(笑)」
──そんなにイヤだったんだ。
「入ってすぐ、Jr.として『Mステ』に出て。そのときに、振りをまちがえたんですね。“これで呼ばれなくなる。明日からは普通の生活だ”みたいなこと思ってたんですよね。それでもまた電話がかかってきて。“サッカー休みたくない”ってまた泣き叫んで。そしたらまたピンバッチ買ってもらって。その繰り返しでしたね」
──じゃあ、どうやって好きになっていったの?
「僕、年上にすごくかわいがられて。同世代とか下のコと遊んでるより、A.B.C.とかKAT-TUNとかといっしょに行動してたことが多くて。たしか、とっつー(戸塚祥太)は帰る方向がいっしょだったのかな!? すぐに仲よくなって。亀梨(和也)くんとか、赤西(仁)くんとは、ごはんいっしょに食べて、家までクルマで送ってもらったり」
──そうだったんだ。
「“かわいい”って言われて、頭をワシャワシャされたりするの、イヤだったんですけどね。赤西くんから電話がかかってくると、“ちょっと今ゲームしてるから”って切ったりして、素っ気なくしてましたね(笑)。でも、そうやってかわいがってもらって、気づけばJr.が好きになってましたね」
──じゃあ、Jr.の活動のこと、学校の友だちには、なんて言ってたの?
「ずっと言ってなかったんですよね。『Mステ』で踊ってるのを見た友だちに、“あれ、薮じゃないよね?”みたいなこと聞かれても、“全然ちがうよ。テレビなんて出るわけないじゃん”って答えてましたから(笑)。サッカーの練習を休むときも、“親戚の集まりがある”って言ってて。“薮、サッカー嫌いになったんだろ?”って言われたりして、きつかったですけどね」
「YOU、頭文字Yだよね」突然のグループ結成
──Jr.の活動を始めてすぐ、Ya-Ya-yahができたんだよね?
「そうなんですよ。“YOU、頭文字Yだよね”って社長に言われて。『ザ少年倶楽部』のリハーサルのとき、Y、A、Y、A……って並ばされて、“YOUたち、Ya-Ya-yahだよ”って」
──まだ、学校の友だちには、Jr.のこと知らせてない時期だよね?
「ですね。すぐYa-Ya-yahで『Mステ』に出たんですよ。もう次の日、学校に行きたくなくて。“バレたよな。ヤバイ”って思ってたら、案の定、席ついた瞬間、ドワーって人が来て。“おまえ何やってんの?”みたいな質問攻めで。ああ、これは隠してもムリだと思って白状して。で、ふっきれたのかな!?」
──2003年にはテレビ番組の『Ya-Ya-yah』が始まったよね。どんな感じがした?
「もう、言われたことを、何もわからず全部やってたみたいな感じでしたね。でも、番組が始まるって知らされたとき、“A.B.C.も出る”って言われてよろこんでました。“A.B.C.といっしょにいろんなことできる!”って」
──番組内のオーディションで、八乙女(光)くんが、加入したよね。
「そうですね。番組が始まってすぐくらいでしたね。光が入ったの」
──第一印象って?
「すごく踊りがうまいコがいるって聞かされてたから、“どんなコなんだろう?”って思ってて。で、“歌収録で『勇気100%』を、このコといっしょに歌うから、教えてあげて”って紹介されて。俺はプライドじゃないけど、“なんでコイツに教えなきゃいけないんだよ”って思って。“教えてください”みたいに来たんだけど、“そーさー100%ゆーきー”って、すげーぶっきらぼうに歌って(笑)。そっから、光とは、もう11年くらいたつんだよね。ホント、長いよね」
──ふたりの関係、ひと言で言うと?
「親友、戦友、ライバル、兄弟……。なんか全部あてはまるかな。『3年B組金八先生』もいっしょに出て、“なんだよ、光がメインかよ”みたいなことを思った瞬間もあったけど、あいつが本当にがんばってる姿も見てたしね。性格が真逆で、あいつはすごく計画的、自分は、行き当たりばったりだから、もめたことも何回もあったけど」
──たとえば、どんなこと?
「うーん、リハでも、あいつはキッチリやっときたいけど、俺は、“そこは場面で対応しようよ”とか言うんで、もめましたね。でも、くだらないケンカが多かったかな。そう、思い出した。なんかのコンサートで、光の衣装がなかったらしくて、“俺の衣装隠しただろ!”みたいなこと言われたんですよ。“隠すわけないだろ”っ言い返したら、“もういいからこの話”みたいな。“いいからじゃねーよ、まだ俺が隠したって思ってんだろ!”ってケンカになって。結局、まちがえて千賀(健永)が着てて、“ごめん、俺が着てた”って。“おまえかよ!”みたいな」
──ハハハハ。じゃあ、“やぶひか”って言われることについては?
「なんか、恥ずかしいんで、やめてよみたいな感じなんですけどね(笑)」
Hey! Say! 7が誕生。“ここがやめどきなのかな?”
──その後、Ya-Ya-yah単独でコンサートをやったりもしたよね。
「でも、ちょうど変声期だったりしたんですよね。ジャニーさんに、“YOUは、声が高いのがいい”みたいに言われてたんで、“声変わりしたら、どうなるんだろう?”って不安で。歌ってて、“あれ? 高音、この前より出しづらくなった。やべえぞ”みたいな。ちょっと、あせりはありましたね。もう前の曲歌えなくなるみたいな。レコーディングのときも、“ちょっとキー下げよっか”みたいなこと言われるんですよ。かたくなに“大丈夫です。出せます”って言ってました」
──じゃあ、そのころデビューに関してどう思ってた?
「するんだったらYa-Ya-yahでなのかなって思ってましたね。どっかのタイミングでデビューできたら幸せだなって。………ただ、少しずつ、“ホントにデビューできるのかな?”って、不安になり始めたんでしょうね」
──やめようと思ったこともあった?
「はい。でも、ジャニーズやめたら何も残らないっていうのは、絶対避けようと思ってたんで。必ず保険を1コかけとこうと思って。大学に入るために、高校でちゃんと成績取っとこうとか、大学のときにデビューできなくても、就活が始まるタイミングでやめて、普通に働けるようにはしておこうとか。すごくデビューに執着してたってことは、ほとんどなかったような気がします。常にそんなこと考えてたわけじゃないけど。頭のどこかにはありながらやってたんですよ、ずっと」
──じゃあ、2007年、Hey! Say! 7が結成されて、どう思った?
「正直、ヤバイなって思いましたね。その前に、ちょいちょいグループでシャッフルして歌う機会が多かったんですよ。俺と北山(宏光)と藤ヶ谷(太輔)と河合(郁人)ちゃんとかで歌ったり。なんか、試されてんなって思ってたら、Kitty GYMができて。Ya-Ya-yahからは、光が選ばれたんですよね。正直、“なんでだよ”って思ったな」
──そんなタイミングでできたのが、Hey! Say! 7だったんだ。
「“このままで、Ya-Ya-yahとして俺はデビューできんのかな?”とか、ホント、“ここがやめどきなのかな?”とか、いろいろ考えて。ちょうど高3の夏くらいだったんで、将来のこと、悩みましたね」
──でも、やめるとういう決断はしなかったよね?
「ちょうど、ジャニーさんに会うタイミングがあって。そしたら、なんか“薮と光はなー。Ya-Ya-yahがあるからなー。でもなー。どうしよっかなー”とか言いながら、Jr.の名前を書き出してたんですよね」
──何のために?
「今思えば、Hey! Say! JUMPのメンバーを決めてたんですよね。で、俺と光の名前も入ってる、メンバーを書いた紙を渡されて、“どう思う?”って聞かれて」
──なんて答えたの?
「山田(涼介)も(中島)裕翔も、みんな年下だし、岡本(圭人)とかほとんどしゃべったことなかったんで、戸惑いましたね。それに、今から俺が発する言葉で、このコたちの人生変わっちゃうんだなって思ったから、軽はずみなことは言えないなって。“僕と光は、Ya-Ya-yahでいきたい”って言うべきなのか……。でも、ここでデビューできなかったら、また何年も待つのかとか……。いろんなことを考えて。結局、“うん……いいんじゃないですか”って」
──そう答えた、決め手は?
「ここがターニングポイントになるんだなって。さっき“デビューには固執してなかった”って言いましたけど、やっぱ心の底では“デビューしたい!”って、俺は思ってたんだって気づいたんですよね」
──なるほど。
「そのあと、“YOUと光にまとめてほしいんだよね”みたいなことも言われて。俺たちは今まで、先輩にかわいがられてきて、人の上に立って何かをするってことを何もしてない。まして俺も光も末っ子気質だし。そういうのできるのかなって思ったけど、でもやんなきゃダメなんだって思いましたね」
──決意を込めた決断だったんだね。
「うれしいけど、つらいみたいな。複雑でしたけどね。Hey! Say! JUMPになるっていうのは、どんなに近しい人間でも言ってはいけないって言われてて。俺と光以外のYa-Ya-yahのメンバーは、何も知らない。それが、すげーつらかったですね。Hey! Say! 7ができたとき、Ya-Ya-yahで話し合って。 “俺たち、これからも、この4人でがんばろうぜ”って語り合った後に、Hey! Say! JUMPの話を聞いたんで……」
──しょうがないけど、キツイね。
「誰かがデビューするってことは、その何十倍の人間が落ち込んでるんですよね。めっちゃデビューしたいって思うコは何百人、何千人いると思うから。だから、選ばれたんだったら、その人たちの悔しさも背負わなきゃダメだって。Hey! Say! JUMPっていうグループになったんだったら、ふたりには申し訳ないし、僕自身もつらかった。それでも、やるからには、みんなの分までやんなきゃって思いましたね」
キスマイやA.B.C.、Jr.に対しての後ろめたさ
──JUMPのデビューコンサートは、東京ドームだったよね?
「まだまだ、Hey! Say! JUMPというグループが好きだから見に来てくれる人が、少なかったと思うんですよね。Kis-My-Ft2とA.B.C.、たくさんのJr.に盛り上げてもらって。みんな、“Hey! Say! JUMPのコンサートにおじゃましました”なんてこと、絶対言いたくなかっただろうなって。だから、Jr.のみんなに、なんてことをしてるんだって、後ろめたさみたいなものがありましたね」
──かなり、つらい状況だね。
「北山と、とっつーは、昔から仲いいから、Jr.時代に、週何回かごはん行ったりしてて。僕たちがデビューしたあとも、その関係は変わらなかったんですけど、心のどっかで絶対、思ってることあるよなって考えると、うん、……なんか……悲しかったな」
──Kis-My-Ft2とA.B.C-Zがデビューしたとき、どう思った?
「自分のことのように、すっごいうれしかった。うれしかったって言うと、たぶんキスマイとA.B.C-Zには、 “何言ってんだ”って思われちゃうだろうけど(笑)。うん。うれしかったし、俺らも絶対に負けてらんないって。北山にメールを送ったのかな。デビュー発表のすぐあと、“おめでとう”みたいなこと。“これからは、もっとライバルだな”みたいな返信が来て」
──A.B.C-Zのデビューコンサートには、会場に足を運んでるよね。
「行きました。MCで、“この会場の誰よりも、僕はA.B.C-Zが好きです”みたいなこと言いました(笑)」
──ハハハハハ。
「はっしー(橋本良亮)が、うらやましかったのをおぼえてる。“俺も、あそこに入りてえ”って思って(笑)。でも俺、バック転できねーし、Hey! Say! JUMPだしなみたいな(笑)。冗談ですけどね。でも、“いいなー、はっしーのポジション”とは思ったことある。俺もA.B.C.のお兄さんたち4人といっしょに何かやりたいなって。だから『SHE LOVES ME』でいっしょにミュージカルができたときは、“ごめんね橋本。4人をお借りします”って思いましたね」
──有岡(大貴)くん、先月号のインタビューで、「デビュー後、すごいアウェーな感じだった」って言ってたよ。
JUMPは、本当にいろんなものを背負って来たよね。
「たしかに。カウントダウンコンサートとかでも、やっぱり、僕たちは、先輩のバックについてガッシガシ踊る期間が、すごく短かったメンバーもいたから。Hey! Say! JUMPだけ、浮いてんなっていうのはあったな。それは、今でもありますね、全然。“たぶん、この先輩は、俺らのこと知らないんだろうな”とか、ふと思うとき、今でもありますから」
“なんで、あのとき薮ちゃんがいたんだ?”
──Hey! Say! JUMPの結束力は、どうやって強くなっていったの?
「いちばんでかいのは、やっぱライブの回数が、ほかの同世代のグループと比べたら圧倒的に多かったのが大きいかな。みんなでよくしよう、お客さんに笑ってもらおうって考える機会が多かったから。その繰り返しなのかなって思います。最初、すげー踊りもバラッバラだったし、僕や光なんかが、“やろうよ”みたいに言わないとできないグループだったんですけど、やっぱり回数重ねて、少しずつ結束は強くなりましたね」
──そうだったんだ。
「それに最初は、まだみんな僕のことを先輩っていう立ち位置で見てたんですよね。まだ、同じグループの一員、仲間っていうよりは、“薮くん”って、先輩っていう目で見てたから。それがイヤで。そうじゃない、全員でグループになりたいって、なんかメチャクチャふざけてやろうって思って。僕がふざけてたら、みんなもふざけるんで」
──なるほど。グループのためを考えたんだ。
「でもね、デビューして、ちょっとしてからかな。振りつけ師さんに、“ちょっと薮、来い”って呼ばれて。“垣根を取り除くのは大事。ただ、おまえがやることをみんなマネる。だから、仕事も、あいさつも、おまえが率先して全部ちゃんとやれ”って言われて。なんか、責任感みたいなものが、一気に生まれたというか」
──よく注意したメンバーっている?
「圭人には厳しく言ってたかな。圭人、小さかったのもあるし、叱ると、よく泣いたんですよ。でも、怒られて泣いたっていうのは、プライドが許さなかったんでしょうね。“なんか頭痛い。頭痛い”って言いながら泣くんですよ。俺らに気づかれたくなかったんでしょうけど、バレバレでした(笑)」
──ほかにも怒ったメンバーはいる?
「髙木(雄也)が『ごくせん』に出てたときは、ひどかったですね(笑)。すごくがんばってるのは知ってたんです。でも髙木が、プライベートや、JUMPで集まってるときも、役をそのまんまやってる感じのときがあって。『ごくせん』の現場じゃないのに、にらみをきかせてて(笑)。グループでほかのメンバーが、ワイワイしゃべってても、ひとりポツンと離れた場所にいたり、冷めた目でみんなを見てる。スタッフさんやファンの人が、もしこの光景を見たら、“髙木くん、Hey! Say! JUMPで浮いてんだ”って思うでしょ? でも、本当の髙木は、そんなんじゃない。俺は、髙木をJr.時代から知ってる。根はやさしいし、仲間思いで、でもビビりなとこがあるとか。このままじゃ、髙木のためにも、グループのためにも絶対よくないなって」
──その状況、どうしたの?
「あいつなりに必死だったのもわかったんですよ。『ごくせん』でジャニーズ以外の世界にも触れ、もっと世界を広げなきゃいけないって思ってることも。ごくせんのメンバーとよく遊んでることも、俺は知ってて。でも、頭ごなしに注意しても、余計ムスっとするだろうなって思ったんで、髙木に積極的に“メシ行こうぜ”とか誘ったり、ごくせんのメンバーと遊んでる最中、その集まりに何回か、突然参加したりしてましたね。僕以外は、全員、ごくせんのメンバー。僕は髙木しか知ってる人いないのに(笑)」
──その想い、ちゃんと届いた?
「わかんない。でも何年後かに、“あんとき、俺、変だったな”みたいなこと思ってくれればいいかなくらいの感じだったんで。“なんで、あのとき薮ちゃんがいたんだ?”って(笑)。案の定、最近、“あのときの俺、ちょっとなー”って言ってますけどね(笑)」
──岡本くんには、何か言われた?
「いや、岡本は今でも精いっぱいだから(笑)。それが、あいつのよさだし」
みんなでいろんなこと乗り越えてきたんだな
──このメンバーでよかったなって瞬間って、どんなとき?
「それを強く感じたのは、デビューから2年後、ツアーの最終だった東京ドームのステージかな」
──何があったの?
「僕が最後のあいさつの一人目で。曲の直前にしゃべって、『Born in the EARTH』を歌うみたいなときに、しゃべろうとしたら、お客さんがアリーナにバーっている景色が目に入った瞬間、なんか涙が……。絶対、泣こうなんて僕、ふだん思わないんで。お客さんの前で泣くのは、なんかヤだな、カッコ悪いって思ってたんで。でも、そのときは勝手に涙が出てきて、止まんなくて」
──涙のわけはなんだと思う?
「いろんな想いが込み上げてきて。デビューして最初にドームでやったときは、Jr.のみんなの力を借りなきゃできなかったし、グループ自体もまだバラバラだった。走馬燈のようにいろんな思い出がよみがえって。でも今は、俺たちを見に来てくれる、Hey! Say! JUMPを見に来てくれる人が、こんなに大勢いるって。一気にしゃべれなくなって。歌も歌えなくなって。うーん。今でもおぼえてます。すげー、涙が止まんなかった」
──ほかのメンバーも、泣いてたよね。
「はい。同じ想いなんだな、みんなでいろんなこと乗り越えて来たんだな、このメンバーだから乗り越えられたんだなって、そのときわかって。このメンバーで、よかったって、心から思えましたね」
これから自分たちどう変わっていけるんだろう
──じゃあ、NYCがデビューしたときって、複雑じゃなかった?
「僕、デビュー発表のとき、NYCに花束を渡したんですよ。“おめでとう”って。俺がおめでとうって言うことによって、Hey! Say! JUMPのファンの人も、少しは納得してくれるのかなと思ったし」
──嫉妬みたいな気持ちはなかった?
「ないない(笑)。山田がソロでデビューしたじゃないですか。そのときだって、メンバーで誰ひとり、嫉妬するヤツはいないっすね。なんで山田ひとりなんだとか、なんでHey! Say! JUMPで歌えないんだよみたいなこと、誰も言わなかったし、思いもしなかったと思うんですよ。山田が、がんばって、そこで何かを得てくれたものを、絶対グループに還元してくれるんだって思ってたから。俺たちも、できることを全力でやって、グループに、何かを持ち帰んなきゃって。だからNYCにしても、山田のソロデビューにしても、嫉妬どころか、応援って気持ちでしたね」
──そうなんだ。
「みんな、とにかく一日一日をムダにしちゃいけないっていうのを考えるようになったから。うん。自分のために努力をするってことは、グループの成長に変わってく。だから、まず自分がちゃんとやんなきゃダメだっていうのをみんなわかってきたのかな」
──いいことだね。
「だから、メンバーの個別の活動を見てると、“こいつすげーな”って思ったり、“俺だったら、もっとこういうふうにできるな”って思ったりする。同じこと、みんな思ってると思う。もちろんKis-My-Ft2もA.B.C-ZもSexy Zoneもライバルだけど、俺たちは、グループの中でもみんながライバルだから。たとえば、誰かがドラマで主演をやったら、そのコに注目が集まるのは当たり前。で、そのメンバーが、グループに戻って活動してるとき、Hey! Say! JUMPっていうグループを、初めて知る人もいるはず。“あのドラマに出てるコ、Hey! Say! JUMPなんだ”って。それが、グループがよくなっていくサイクルだと思うんで」
──大きな注目集めて、持って帰ってきてくれ、と。
「うん。だから、裕翔が『半沢直樹』なんかでがんばってるのを見たりするのは、“よし自分もがんばんなきゃ”って、すごくいい刺激になってる」
──いい関係性だね。
「僕は、やっぱ最近まで“薮くん”って、メンバーに呼ばれてたんですよ。“薮くん”から“薮ちゃん”に変わったのって、ここ1〜2年で。伊野尾と光以外は、ずっとくんづけだったんだけど、いつの間にか薮ちゃんに変わって。先輩って見方じゃない。グループの一員、仲間になったんだなって。同じ目線に立てるようになったっていうのは、いいことだなって思う。まあ圭人に最初に“薮ちゃん”って言われたときは、イラっとしたけど(笑)」
──ハハハハハ。グループのこと、メンバーのこと、本当にいろいろ考えてきたんだね。
「末っ子気質ですけど、いちおう、グループ最年長なんで(笑)」
──じゃあ、薮くんは、自分の悩みや苦悩を、誰に相談してきたの?
「別に、誰に言うとかないですね」
──ひとりで抱えた?
「ただ、いろんな選択のときに、直接言葉をかわしたとかはないけど、光の存在は大きいかな。“悩んでるの、俺だけじゃないんだな。光も同じようなこと考えてんだろうな”って。ずっといっしょにいたし、与えられた役割も環境もいっしょだったわけだから。ふたりで、“こうしてこうぜ”なんて話は、あんましなかったけど。あいつの存在で、悩んでるのは自分だけじゃないって思えたことが、心の支えには毎回なってた。どんなターニングポイントも、ひとりじゃなかったから。さっき、“やぶひか”って呼ばれるの、ヤダって言ったけど、そう呼ばれるのは、やっぱどっかうれしかったりもするんですよね。誇りというか」
──最後に、これからのJUMPについて教えてほしい。
「みんな、うん、どこに出ても恥ずかしくないっていうグループを目指してる。さっき話したけど、一日一日、みんなすごく大事にしてる。今、がんばんなきゃいけないっていう気持ちが、みんなの共通意識としてあるから。だから、“これから自分たち、どう変わっていくんだろう? どう変われていけるんだろう?”って考えると、いい方向に変わっていくって気しかないんですよね。みんな、“自分に足りないものは何か?”って考えながらやってる。向上心の塊だから。今、楽しみでしょうがないです。僕たちの未来が」
取材・文/水野光博
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