Myojo

10000字ロングインタビュー

ひとりでも4人でもない、7人でかなえたかった夢。
「ウザいくらい」大好きなメンバーだからきっと、
「描ける未来がある」と信じている。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

ジャニーズWEST編

第3回

小瀧 望

こたき・のぞむ
1996年7月30日生まれ。大阪府出身。O型。身長184cm。
2008年7月17日、ジャニーズ事務所入所。
2014年4月23日、ジャニーズWESTとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2014年12月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

2013年の大晦日 『ジャニーズ・カウントダウン』のステージで、
新しいデビューグループの誕生が関西Jr.の4人によって発表された。
ステージには、桐山照史と中間淳太、重岡大毅、そして客席に小瀧望。
濵田崇裕、藤井流星、神山智洋の3人は、その発表の数時間前まで、
自分たちの置かれている状況すら知らなかった。
“4”と“3”が“7”になるまでの物語。
第3章は、ジャニーズWESTの末っ子・小瀧が登場!

7人でデビューできる可能性はゼロじゃない

──カウントダウンコンサートで、“グループ名はジャニーズWEST4”とデビュー報告をしていたとき、どんなこと考えてた?
「こんなこと言っていいんかわかんないけど……。心からは笑えなかったですね。正直。ああいう形では発表したくなかったです」
──キツイこと聞くけど、メンバーからはずれた3人に対して、どう思った?
「4人でデビューってこと、ずっと言えなくて……。言えなかったっすね。それが、めちゃめちゃ重かったです。もう、あのときを越える苦しいこと、そうそうないと思うんですけど。3人とむっちゃ仲いいのに、でも言えない。やっと伝えられたのが、カウントダウンの数時間前で……。3人にメールして。3人からは、“教えてくれてありがとう”って返信が来たけど、でも本心で言ってるとは思えなくて。あんときほどつらかったこと、今まで生きてきた中でなかったんで……。悲しいとか、つらいとかじゃなくて、ホンマに痛かったんです。心が。あんな気持ち、二度と味わいたくないですね」
──つらかったね。
「ただ、この発表と同時にデビューしますってわけじゃなかったんで、僕ら4人としては、微かですけど希望もあったんです。“まだいけるかもしれない”。“7人でデビューできる可能性はゼロじゃない”って」

ホンマ、おまえんとこの家族おかしいわ

──じゃあ、7人でグループを組むまでのことを過去から順に聞いてくね。
「はい」
──小さいころって、どんなコだった?
「うーん、幼稚園とか、小学校とか、クラスの真ん中にいる感じだったかな。リーダーじゃないんですけど。人見知りもしなかったし、あんまり引っ込む感じじゃなくて。あと、人を笑わすのが好きでした」
──正直、モテたでしょ?
「幼稚園のころとかは、バレンタインでチョコを2、30個もらってましたけど。でも、どうなんでしょうね!? 幼稚園のころって、フツーに渡すじゃないですか。たぶん、モテてなかったと思いますけどね」
──いやいやいや、それ十分モテてるでしょ(笑)。幼稚園のとき、サッカーを始めたのは?
「背が高かったんで、“やってみーひんか”ってコーチに誘われて。テニスも習ったことがあって。姉ちゃんといっしょにスクールに通ってましたね」
──お姉さんの小瀧くん溺愛ぶり、有名だよね。
「7コ上なんですけど、ケータイに僕のこと“息子”って登録してますからね。僕には育ての母が、ふたりいるみたいな(笑)」
──昔から仲がよかったの?
「小さいころは、よくケンカしてましたよ。僕がグチグチ言ってたら“弱い犬ほどよう吠えんねん”って言われたの、まだ覚えてます。その通りなのが悔しくて、履いてた靴下を脱いで投げつけましたね(笑)」
──ハハハハ。そんなお姉さんが、最近は弟離れに挑戦中だとか?
「それ、もうやめさせました。ちょっと前まで、ほっぺにチューとかしてくる勢いだったんで、“それはやりすぎやろ”って言ったんです。そしたら、ちょっと距離を取るようになって。僕が東京に行くことも多くなったんで、弟離れしようとしたらしいんです。でも、距離を置かれると調子が狂っちゃうんで、“それはちがうよ”って伝えたら、いつも通りに戻ってくれて」
──両親とも仲いいよね? メンバーが、「小瀧家の家族愛はハンパない」って言ってたよ。
「仲よすぎて、“ホンマ、おまえんとこの家族おかしいわ”って言われること多いっすね。今も月2くらいは家族全員で外食に行って、そのあとカラオケで、『ええじゃないか』をみんなで歌ったりするし(笑)。映画とかも、お母さんとふたりで行ったりするんですよ。“おもしろそうなのやってるから、行こっか”って、僕が誘って」
──反抗期ってなかったの?
「ないんですよ。ホンマに家族が大好きで、口が裂けても“ババア!”とか言えないですね。“うるせー!!”とかも。あ、今まで1、2回は言ったかな。でも、すぐ反省して、“ごめんなさい”って謝って」
──家族愛の源って、何なの?
「なんかねえ、思うんです。お母さんがお母さんでよかったな。親父が親父でよかったな。姉ちゃんが姉ちゃんでよかったなって。大好きなんで。僕、小3のとき、いっしょに住んでたおばあちゃんが亡くなってるんです。それで余計に家族愛が強くなったってとこあるかもしれないですけど。なんか、おばあちゃん、やさしかったんです。僕、おばあちゃんっ子で。大好きでしたし、今も大好きで。靴を履かせてあげたり、車椅子を押してあげたりしてたんです。でも、なんか、もっとしてあげられたことがあったんじゃないかなって」
──そうだったんだ。
「だから、今後、やってみたいことなんですけど、お年寄りのいる施設をまわって歌を歌いたいんですよね。もしメンバー全員の意見が一致しなかったら、僕ひとりでも行くんですけど(笑)。おばあちゃんに恩返しじゃないですけど、もっと笑ってもらいたかったんで。せめて、そのぶんをじゃないですけど、みんなにやさしくっていうか。そういうのしてみたいです」

おまえは、いっしょにいたらラクやわ

──じゃあ、小さいころの夢って何だった?
「サッカー選手か美容師ですね」
──美容師?
「僕が得意なこと、好きなことがそろってるなって。人とコミュニケーション取るの好きだし、手先もある程度器用だし。小学校のときとか、先生の肩もみとかしてたんで、マッサージも得意だし(笑)。昔から誰かに何かしてあげるのが好きだったんですよね。だから美容師、ハマってるやんみたいな」
──ジャニーズのオーディションを受けたのは小6だよね。芸能界に興味ってあったの?
「ホンマは興味なかったんですよね。お母さんに“ジャニーズどう?”って聞かれても、“絶対、イヤ!”って言ってたくらいで(笑)」
──それなのに?
「たまたま、『ミュージックステーション』に出てる山田(涼介)くんを見たんです。すげーなって。こういう人になりたいなって、その瞬間思って。その日から、サッカーやってて帰りが遅かったんで、山田くんが出てるバレーボールの中継とかも録画して見てて。あこがれましたね。山田くんがいなかったら、ジャニーズに入ろうと思ってなかったと思います。で、“僕もやってみたい”って、履歴書を送ってもらって。3月とかに送ったのかな。6年生になった7月に社長から電話が来て」
──オーディションはどうだった?
「僕が受けたオーディションは、KAT-TUNのバックを選ぶオーディションで。いつもは百人単位で受けるのに、書類の段階でかなりしぼったらしくて、20人くらいだったんですね。会場が京セラドームだったんですけど。なんかすげー気まずかったです。慣れない場所で、全員初対面で、独特な雰囲気で。会場に関西Jr.も大勢いて。(桐山)照史くん、(中間)淳太くん、B.A.D.のふたりもおって。“あ、『ごくせん』だ!”って。で、なぜか僕の席のとなりに、しげ(重岡大毅)が座ってて。もうなんかキラキラしてて、“すっげージャニーズっぽい人だな。これがアイドルなんや”って、そんときだけは、すげーと思って」
──“そんときだけ”って(笑)。期間限定なんだ。
「今じゃ、ただの変なヤツですから(笑)」
──ハハハハハ。オーディションは受かると思った?
「何も考えてなかったです。受かるとか落ちるとか。全然、わかってなかったですね。でも、なんか終わったら、サングラスかけたおっちゃんに、連絡先を聞かれて。“YOU、名前なんていうの?”って聞かれたんで答えたら、“YOUが小瀧望なんだね”って。もう、“あんた誰やねん”って思って」
──それが……。
「社長でした(笑)。で、7月30日、ちょうど僕の誕生日に家族でごはん食べてるときに電話がかかってきて。“明日から東京に来てください”って。次の日から東京で、(Hey! Say!)JUMPの『SUMMARY』や、少年隊の『PLAYZONE』を見学させてもらって」
──いきなり別世界な感じ?
「はい。『SUMMARY』で山田くんも見られたし、『PLAYZONE』の客席でパッと後ろを見たら中居(正広)くんが座ってたりしましたからね。かなりあせりました。緊張しすぎて、自分の状況が理解できなかったですね」
──(藤井)流星くんや、神山(智洋)くんの第一印象は、どうだった?
「流星と神ちゃんが、『少年たち』のパンフレット撮影をしてるときに初めて会ったんです。流星の最初の印象は“ホンマに意地悪そうな人やな〜”(笑)。神ちゃんは、なんか雰囲気あって俳優みたいやなって」
──入所直後にもかかわらず、Hey! Say! 7 WESTの一員に大抜擢されてるよね。
「はい」
──経験ゼロでグループに入るって、大変じゃなかった?
「最初はやっぱり、コンプレックスっていうか、早く追いつかなきゃってのはありましたね。だから必死で」
──やっかみとかもあったんじゃない?
「ま、あったんじゃないですかねえ。何年もバックをやって、そこから上がっていくのがフツーなんで。なのにパッと入ったヤツが、いきなりマイクを持って。正直、キツイ視線で見てくる人もいましたけど、気になんなかったっすねえ。家族は気にしてましたけど」
──家族が?
「親や姉ちゃん、心配性で。ネットとかすごく見たらしいんです。Hey! Say! 7 WESTに入った直後は、“なんであいつが!”的なネガティブなことが、けっこう書かれてたらしくて」
──そうだったんだ。でも、本人が気にしなかったのは、なぜなの?
「なんでなんすかねえ? そんなときでも、やさしくしてくれた先輩もいたからかな」
──たとえば、誰?
「流星とか。僕が小6だったんで、流星は中3やったと思うんですけど、よく遊びに誘ってくれましたね。“何してんの?”って電話してくれて。そういうのは流星だけやったかな」
──そうだったんだ。
「あ、でも、僕まだ少しサッカーもやってたんで、後輩の練習を見に行ったりしてたんです。流星からの誘い、“今、サッカー見に来てるんでムリです”って断りましたからね。しかも2回連続で(笑)。たぶん、あの人は覚えてないと思うんですけど。それでも、誘い続けてくれて。意地悪じゃなかったんだ。やさしいなって」
──今では、色ちがいのジーパンを買うくらい仲がいいしね。
「流星が買ったやつがかわいくて、色ちがい買っちゃいましたね。流星が青系で、俺が濃いグレー系で。でも、なんやろうなあ。いつからめっちゃ仲よくなったかってのは、覚えてないんすよ」
──そうなんだ。
「だけど、流星に昔、“おまえは、地元のツレみたいな存在やから。いっしょにいたらラクやわ”って言われて。それがなんかうれしくて、今でも覚えてて。こういうこと言うのテレくさいですけどね」
──ほかにも、よくしてくれた人っていた?
「(中山)優馬もやさしくしてくれて。僕が入ったときから、関西Jr.の中でも別格って印象だったんですけど、すごく、やさしくしてくれたんです。昔から、流星と優馬とは特に仲よくて、よく誘ってもらって3人で遊んでたんです。今も3人でメシ食べたりしますね」

“もお〜”って言われんの好きなんかなあ

──Jr.の活動自体は順調だった?
「うーん、どうだろう。最初、やっぱり自分を出せるまで、少し時間がかかりましたけどね。心を閉ざしてたわけじゃなかったんですけど、やっぱ出せなかったんでしょうね。子どもやし。なんか、殻にこもってたんですかね。知らない間に」
──その殻を破ってくれたのは?
「ラジオや雑誌の対談とかが、いいきっかけだったと思います。少しずつ、いろんな人と打ち解けて、殻が破れていって。メンバーといることも楽しくなって。最初は緊張ばっかりでしたけど、徐々に徐々にですね。でも、いちばんはファンの存在っていうか、コンサートですね。自分たちの冠コンを計3回したのかな。2回目くらいで完全に殻を破れました。大好きな人といるときは、やっぱり素でいたいなって」
──じゃあ、意図的にキャラを作ったり変えたりしてたわけじゃないんだ。
「そうですね。素を出せるようになっていった感じです。だって、好き好んで2.5枚目を演じないでしょ。まあ最近は2.75枚目くらいにいっちゃってますけど(笑)。僕、キャラを作るのイヤなんで。大っ嫌いなんです」
──二枚目路線のほうが、人気が出るかもって思わなかった?
「もしも素の2.5枚目が嫌われるなら、それはしかたないやと思ってて。メンバーも、ファンの人たちも、これからずっといっしょにいるんで、素でいたほうが、いいじゃないですか。ナチュラルに生きたいんで」
──そうだね。
「それに、“2.5枚目”ってキャッチコピー、ファンの人につけてもらったんです。すっごい気に入ってて。ファンレターに書いてあったんですよね。“人類初の2.5枚目”って。そう見えてるんだ、うれしいなって」
──じゃあ、恋愛マスターって呼ばれるのは?
「“なんで俺が、そう呼ばれてんやろ!?”って感じですけど、まっいっかって(笑)。ホンマに濵ちゃん(濵田崇裕)によく言われますけど、僕、子どもな部分はホンマに子どもなんで。知ってる人にとっては、見た目とのギャップが激しいと思う」
──寝ている関西Jr.のコの耳に息を吹きかけたりするんでしょ?
「やるやる。楽しいんですよね。ウザがらみすんのが。スネた顔で、“もお〜”って言われんのが好きなんかなあ(笑)。なんか、楽しいんですよ」
──完全に子どもだね(笑)。じゃあ、最近したウザがらみは?
「東京で舞台があると、ホテル生活になったりするんですけど、エレベーターフロアで神ちゃんに会って、神ちゃんは部屋に戻るとこだったのに、“ち ょいちょいちょいちょい”って呼んで、クリーニング出しに行くの、無理矢理いっしょに来てもらったり(笑)。濵ちゃんの部屋には、ほぼ毎日行ってましたね。特に目的はないんですけど、ひたすら、おしゃべりしたり、芝居の話をしたりして。濵ちゃん、ギターをずっと弾いてるんで、僕が歌って…みたいな。あと、いっしょに筋トレしたりしました」
──メンバーのこと、大好きなんだね。
「はい。ウザいくらい(笑)」

“絶対デビューしよう”。4人で誓った約束

──Jr.時代、辞めたいって思ったことなかった?
「あります、あります。ありますよ、そりゃあ。それこそ、高校1年のころとか」
──何があったの?
「うまく伝えられるかわからないんですけど、もっとちがう道もあるんじゃないかって悩んで」
──誰かに相談したりした?
「そういうことを話せる人は、あんまりいなかったんですね。がんばってるメンバーに言うことじゃないと思ったし、家族にも言ったら悲しむだろうなって思ったし。悲しませたくないってのがあったんで。だから、自分の胸に秘めてました」
──高1のときって言ったけど、それって7 WESTが6人から4人になったことと関係ある?
「う〜ん……あるかな。最初、Hey! Say! 7 WESTで優馬といっしょにやってたとき、このグループでデビューできるかもしれないって話があったんですね。あったんですけど、優馬はNYC boysで活動することになって、その話はなくなって」
──2009年のことだよね。
「はい。それから、6人でデビューを目指してたんですけど、僕が高1のとき、ふたりが抜けることになって。やめる前に相談も受けたんですけど、僕は止めなかったんです」
──なぜ?
「僕自身、将来のこと不安だったし、悩んだし……。俺、人の人生を、人の決断を変える権利ないなって。がんばっても、デビューできるかどうかはわかんない。もし、デビューできなくて、“あのときやめとけばよかった”ってなったら……。自分の人生なんで、自分の好きに生きたほうがいいと思うんです。だから、もちろんさびしかったけど、俺は止めることはできなくて。それは、すごく、もしかしたら冷たいことなのかもしれないけど……。でも今、ふたり、楽しくすごしてるだろうから。だから、さびしかったけど、引き止めなかったんです」
──そして、7WESTは、小瀧くん、重岡くん、流星くん、神山くんの4人での活動となった。
「絆は強くなりましたね。4人で、“ふたりのためにも、俺らは絶対デビューしよう”って約束して。デビューできなかったら、ふたりも後ろめたい気持ちになっちゃうでしょ?」
──そうだね。ただ、関西Jr.からは、2004年に関ジャニ∞がデビューして以降、グループはデビューしてない。正直、デビューは厳しいかもって思わなかった?
「簡単じゃないやろとは思いましたね。でもね、僕、ウォルト・ディズニーの好きな言葉があるんです。“If you can dream it, you can do it.”。“それを夢見ることができるなら、あなたはそれを実現できる”。その通りだと思うんです。想像できたら、強くイメージできたら、それは実現可能なことだと思うんです。僕は、ドームで歌ってるとこ、よく想像してました。いっぱいのお客さんの前で、大歓声に包まれて歌ってる姿を。ドームで歌うってことは、デビューするってことじゃないですか。想像すること、強くイメージすることって大事ですよ」
──なるほど。
「当然、夢をかなえるためには努力しなければいけない。だから僕、退路を断ったというか、自分の中でリミットを決めて」
──リミット?
「高校卒業までにデビューできなければ、辞めようって決めたんです」
──それ、追い込み過ぎじゃない?
「でも、続けてると、自分が立たされてる状況が、ある程度見えてくるんですよ。もしデビューできるなら、ここ1、2年が勝負だなって思ったんです。もし、俺以外の人たちで関西Jr.からデビューするグループがあったら、辞めようとも思ってましたし。B.A.D.のふたりや、濵ちゃんもいる。そこに誰かを加えたグループがもしデビューしたとき、そこに俺が入ってないなら……。そしたら、次はなにわ皇子やKin Kanの番なんで。そこに僕は入らない。チャンスは何回もこない。あって、あと1回。だから、高校を卒業するまでにデビューできなかったらやめようって」

4人じゃない──。7人だったから

──そして昨年、いよいよデビューの話が浮上したよね。
「そうですね。去年の9月、事務所やレコード会社の人と話をさせていただいて。そのときは、7人でって話だったんです。だから、“ついにきたか!”って。でも、そっから進展がないまま、時間だけが過ぎて」
──ショックだったんじゃない?
「よくあることなんでしょうけど、僕にとっては、2度目の挫折なんで。“なくなった。またや”って……」
──そうだね。
「そしたら、12月に4人が東京に呼ばれて。7人の代表として呼ばれたと思ったんです。でも、話を聞いていくと、どうやらちがくて。“4人でいく”って伝えられて。4人のほうが売り方的に有利だからって。その通りかもしれないんですけど、僕らはすごく戸惑っちゃって」
──そして、カウントダウンコンサートを迎えたんだ。
「はい。カウントダウンもキツかったですけど、年明け4日からの明けおめコンも、キツくて。そのときのリハーサルの雰囲気も……。来てくださった方に失礼なんですけど、今までのコンサートの中で、いちばん楽しくなかったですね。おもしろくなかったです。7人ともそうだったと思うんですけど。流星とやった『Run From You』も、いつもとどっかちがっただろうし」
──3人とは、何か話せた?
「しゃべれなかったですね。今まで1回も、そんなことなかったのに。言葉が出てこないんです。何をしゃべっていいのかもわかんなくて。いつもみたいにからまれへんし。ムリでしたね。流星たちも、何話していいかわからなかったと思います」
──やりきれなかったね。
「でも、僕より流星のほうが全然強くて。メールをもらったんです。“気にしなくていいから”って」
──でも、7人でデビューすること、あきらめなかったよね。
「特にしげは、ずっと“7人がいいです”って言い続けてて。たぶん、あのころ僕、誰よりもしげと話し合ってて。“もともと僕たちは7人やから、絶対7人でいこう”“そうやな”って。しげが振りつけ師に“7人がいいです”ってひとりで言いに行ったんです。そのあと、僕が呼ばれて。“おまえはどっちがいいんだ?”って聞かれて」
──何て答えたの?
「“7人です”って。照史くんも、淳太くんも、動いてたと思います。それから、少しずつ少しずつ風向きが変わったんですよね」
──そうだったんだ。
「まず、ジャニーズWEST4の“4”が取れたのがデカかったです。ふぉ〜ゆ〜と、かぶっちゃうって話になって、まず4が取れて。最後は社長に“責任は自分たちで取りなさい”って言われて」
──もしも話がこじれてデビュー自体がなくなったらって怖さはなかった? リミットも決めてたし、1回あるかないかのチャンスだったんだよね?
「たしかに、そうだったかもしれないですね」
──それでも、7人にこだわったのは?
「7人、それぞれ個性がある。だから7人のほうが、それぞれのいいとこを、より多く出せるんじゃないかって思ったから。……って、なんか、それっぽい理由も考えたんですけど、本音はもっと単純で。好きなんですよ。メンバーが(笑)」
──最後はメンバー愛なんだ。
「さっきディズニーの名言が好きだって言いましたよね」
──うん。「それを夢見ることができるなら──」ってやつね。
「そう。いつからだろう。僕が思い描くドームで歌ってる姿って、ひとりじゃない。4人でもない──。7人だったから」

7色だから描ける未来がある

──そして本当に、7人でのデビューが正式にかなった。
「関西Jr.のメンバーや、家族、ファンの方、いろんな人が祝ってくれて、本当にうれしかったですね。今度は、心から笑えました。幼稚園から中学までいっしょだった地元の仲いいコが、中学時代の同級生、学年2クラスだったんで、50~60人なんですけど、全員から俺あてにお祝いのメッセージをもらってきてくれて。それだけじゃなくて、幼稚園、小学校、中学の先生からの手紙とかも、アルバムにまとめて持って来てくれたりもしたんです」
──それ、うれしいね。ほかにも、印象に残ったお祝いの言葉ってある?
「山田くんと話す機会があったんです。“よかったね、7人になって”って言われましたね。うれしかったです」
──じゃあ、これから7人で、どんなグループになっていきたい?
「うーん、何だろう。“誰々が好き”っていうより、“グループが好き”って言われるようになりたいんですね。“みんな好きやから、選ばれへん”って(笑)。たとえば、僕を“7”好きでいてくれるより、7人を“1”ずつ好きでいてくれるほうがうれしいです。グループとして愛されてるほうが、うれしいじゃないですか。みんな好きって、言ってくれるほうが。僕が好きなメンバーを、みんなも好きになってくれたら、そんな幸せなことないなって」
──具体的に、これからやりたいことってある?
「まずはやっぱりライブを、いっぱいしたいですね。ライブしてるときがいちばん楽しいんで。アオリ曲とか、会場の全員で騒ぐ感じ、僕いちばん好きで。だから今は、めちゃくちゃ全国ツアーをしたいです」
──ジャニーズWESTのライブは、MCもおもしろいよね。
「みんな、おもしろい! 濵ちゃんとか独特やし、神ちゃんも変わってるし、流星は傍観者やし(笑)。まあ、淳太くんが大変そうですけどね。ボケが6人なのに、ツッコミはひとりなんで。やっぱねえ、長い人で10年以上のつき合い、僕でも6年のつき合いがある。“ここは絶対にツッコんでくれる”って信頼感があるんで、みんな安心して好きなこと言えるんです。友だちがコンサートに来てくれて、“芸人よりおもろいな”って言ってくれたんですけど、ホンマうれしくて」
──7人だから成立する間であり、空気ってあるよね。
「ホント、いろんなキャラがいて、7人でよかったなって思いますね。あのとき、“7人がいいです”って言ってよかったなってホンマ思います。言ってなかったら、一生後悔してたから」
──“7”でよかったね。
「常に思います。つくづく思います! だって歌番組に出たときとか、放送を見たら、僕も知らないところでメンバーがボケたりしてるんですよ(笑)。7人でよかったなって。トーク中も思います。いろんなキャラがいておもしろいなって」
──そうだね。
「デビューしたとき、友だちからもらったアルバムの最後に、英語で“すべての色には役割がある”って書かれてて。“カッコええ〜。ホンマそうやな!!”って思ってて。いろんな色があって、その色がほかの色と並んだり、混ざったりして、引き立ったり、キレイに輝いたりするわけで。僕ら7人にも、それぞれの役割があるんです。7色だから描ける未来があるんです」
──いい言葉だね。ちなみに英文では何て書いてあったの?
「えっと……、それはちょっと忘れました(笑)」

取材・文/水野光博