Myojo

10000字ロングインタビュー

「おかんをラクさせたい」と夢に向かって突っ走ってきた。
「全部、全部やったろう!」
とっくに腹をくくっていても、折れかけた心。
支えたのは“7人”で背負う新しい夢。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

ジャニーズWEST編

第4回

神山智洋

かみやま・ともひろ
1993年7月1日生まれ。兵庫県出身。A型。身長170cm。
2004年2月21日、ジャニーズ事務所入所。
2014年4月23日、ジャニーズWESTとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2015年1月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

2013年大晦日『ジャニーズ・カウントダウン』の中継で、
4人の関西Jr.から、新グループのデビューが発表された。
テレビに映るのは、桐山照史、中間淳太、重岡大毅、小瀧望。
濵田崇裕、藤井流星、そして神山智洋の3人は、
それぞれ別の場所で、その重い事実を受け止めなければならなかった。
ジャニーズWESTが7人でデビューするまでの道のり。
第4章は神山智洋が登場!

“なんでこうなったん?俺、なんかしたか?”

──2013年のカウコン、出ないことを知らされたのは、いつだった?
「“出ないよ”って言われたわけじゃなくて、年末が近づいても連絡がなかったんで、今回は関西Jr.は出ないんかなって思ってて。だから、何気なく31日を迎えて。もうちょいでカウントダウンが始まるなって、テレビの前にいたらメールが来て。“誰かメンバーからの明けおめメールかな、まだ年明けてへんぞ。気、早いし。しゃーないな〜”くらいに思って開いたら、4人からのメールで。“えっ?”って」
──4人でのデビューを知らされた。
「なんか、なんやろ……。体が、体温がいっきに下がっていく感じがして。文章を読んでるんですけど、頭に入ってこなくて。“どういうこと? どういうこと?”って。時間がホンマ止まりましたね。まわりの音がいっさい聞こえなくなって。絶望しかなかったです。“なんでなん? なんでこうなったん? 俺なんかしたか?”ってことが頭をグルグル回って」
──デビューするなら7人でと思っていたのに……。
「9月の『ANOTHER』のときに、“関西Jr.、デビューの可能性あるよ”ってジャニーさんから言われて。(藤井)流星はドラマでいなかったんですけど、“7人ちゃうか”って、6人で話したんです。“俺ら、絶対7人でデビューしよう”って約束していて。夢見て、突きつけられた現実がこれかって……」
──やりきれなかったね。
「でも、仲間やから、デビューはよろこばしいことのはずで……。“おめでとう”って返信したんですけど……。4人が絶対悪くないのはわかる。でも、心の底から祝福できない。素直によろこんであげられへんこともつらくて」
──そのとき、そばに誰かいた?
「俺はソファに座ってて、となりにおかんがいて。おねえはキッチンからテレビを見てて。でも、“このあと4人でデビュー発表するで”なんて言えるわけもなくて、ただいっしょに放送を見て。仲間の祝福すべき瞬間だから見てあげなきゃって。見たくない気持ちもあったけど……。正直、“ウソであってくれ”って思いもあって。“いつくんねん、いつくんねん”って思ってたら、そのときが来て。のんちゃん(小瀧望)は年令的に(出演できないから)客席にいて、ステージの3人が映し出されて。“ここか”って。“4人でCDデビューします”って声が聞こえて」
──お母さんとお姉さんの反応は?
「目を合わせることもできなくて。ただテレビを見てることしかできなくて。家で年越しをすると、カウントダウンが終わったら地元の神社へ初詣をするのが恒例だったんですけど、放送が終わったら、おかんとおねえは気をつかって、そーっと布団に入って。俺はカウントダウンが終わっても、ずーっとテレビの前で死んでて」
──濵田(崇裕)くんと、(藤井)流星くんとは、連絡取った?
「取りました。流星が唯一、あきらめてなかったんですよ。“ホンマにコイツ強いな”って。濵ちゃんは、最初はあきらめてたけど、流星の言葉でスイッチ入って。でも俺は、ホンマにあかんわ。もう、やめようって。ここで、やめたほうがいいわって。夢見るより現実見ようって。はっきり言ってあきらめました。今まで、妥協したこともない。やれることは、全部やってきた。それでもダメだったんやから……」

得意料理は鳥南蛮。タレもいちから作ります

──あの日受けた心の傷は、まだカサブタにもなっていないと思う。それでもいろいろ聞くけど、大丈夫?
「全然、大丈夫です。“あんとき、つらかってん”って、お涙ちょうだい話にはしたくないし、もう笑って振り返れる。笑って話せないなら話さないです(笑)」
──じゃあ、ジャニーズに入ることが夢になったのって、いつだった?
「小さいころ、『ウルトラマンティガ』を見て長野(博)くんをカッコいいなと思って。それから、『学校へ行こう!』でV6さんを知って。“うわ、カッケーって”思ったのがきっかけです。V6さんのライブビデオを買ったりもしてましたね」
──ダンスは5才から習ったんだよね。
「おねえがやってたんで、“やってみたい”って自分で言ったらしいです」
──お姉さんの影響だったんだ。きょうだい、多いんだよね?
「おにい、おねえ、妹がふたり。6つ上、3つ上、3つ下、9コ下ですね」
──仲はいい?
「いいですね。小さいころはよくケンカしましたけど。3つ下の妹をよく泣かして、それをおねえに叱られて、今度は俺が泣かされてってことが多かったです(笑)」
──ヤンチャだったんだ?
「よくアロハシャツみたいなのを着て、虫カゴを肩にかけて、虫取り網を両手に持って、ずっと走り回ってるコでした。常にたんこぶがあって」
──ハハハハハ。
「ただ、見た目は女のコっぽかったんで、スーパーのレジのおばちゃんとかに、ほぼ絶対“お嬢ちゃん”って呼ばれて。女のコだと思われるの、めっちゃめちゃイヤでしたね」
──小学校時代から金髪だったって聞いたことあるんだけど。
「はい。おかんが、金とか赤にしてくれて。でも、ダンスやってるってことみんな知ってたんで、学校の先生に怒られることもなくて」
──ダンス以外は習い事ってしてた?
「ダンスだけですね」
──アクロバットやギターもこなすし、ファッションや料理、趣味も多いから、ほかにも何か習ってたのかなって。
「負けず嫌いなだけです(笑)」
──ちなみに得意料理は?
「今は鳥南蛮ですね。タレもいちから作ります。家族にも好評で。でも、僕はおかんが作るからあげと卵焼きがいちばん好きで。長期で家を離れる前の日と、帰って来た日は、今でも絶対にからあげで。おかん、僕が外食嫌いなん知ってるんで。外食するなら、家でおかんのメシを食いたいから」

まぶしかった関ジャニ∞。“絶対ああなろう!”

──オーディションを受けたのは、小4だよね?
「“応募してみる?”っておかんに聞かれて、“うん、する”って。それで応募して。忘れたころに、一次審査通過の通知が来て。普通、逆なんでしょうけど、オーディションを受けるために黒髪にしたんです。おかんが、“そうしとき”って言うんで(笑)」
──オーディションは、どうだった?
「100人単位で人がいて。振りつけを教えられて踊って。終わったとき、ジャニーさんに声をかけられたんです。“TOKIOのライブがあるけど、これる?”って。何人か呼ばれて、関西Jr.とコンサートに出て踊りましたね」
──初めてのステージ、どうだった?
「“デカッ! こんなに人が集まるんだ!!”って。もう別世界でした」
──お母さん、よろこんでくれたんじゃない?
「ちゃんとそういう話したことないんで。でも、うれしかったんちゃうかなあ。忙しい中、送り迎えもすごいしてくれたし、僕、ムチャしちゃう性格なんで、練習中とかでもよくケガしたんですけど、何をしてても駆けつけてくれて。いつも応援してくれたのが、おかんでした」
──その後の活動はどうだった?
「“次はこういうのあるから来て”って呼ばれるようになって。滝沢(秀明)くんが主演の『DREAM BOY』にも呼ばれて。でも、いっしょにオーディションを受けたコで呼ばれたの、唯一、僕だけやったんですよ。いきなり先輩の中にポンって入れられて戸惑いましたね。右も左もわからん状態で」
──たしかに、それは戸惑うね。
「正直、イヤでした(笑)。子どもだったんで。仲いい人どころか、しゃべれる人もいなかったんで。めちゃめちゃ人見知りでもあったし。でも、僕はおぼえてないんですけど、(中間)淳太くんと最初に会ったとき、“淳太、連絡先教えてや!”って言ったらしくて。ホンマにすいませんでした(笑)」
──ハハハハハ。
「入ってすぐ濵ちゃんも入ってたBOYSってユニットにも入ったんですよ。でも、楽しいとか感じられる余裕すらなくて、あれやらなきゃ、次はこれやらなきゃって感じで」
──デビューについてどう思ってた?
「まだ何にも考えてなかったですね。野心的なものがもともと希薄ってのもあって。ただ、俺らがバックで踊ってて、関ジャニ∞さんが、メインをずっと張ってたわけです。Jr.は照明も当たってないし、衣装だって共有だからサイズも合ってない。関ジャニ∞さんは、目の前でまぶしいライトに照らされ、ビシッと衣装を着てマイクを持ってて。その後ろで踊りながら、“絶対ああなろう!”って思ってましたね」
──関ジャニ∞の存在は大きい?
「はい。いちばん長いこと背中を見てきた先輩なんで、今でも手本にしてるところはありますね。入ってすぐかな。関ジャニ∞さんの舞台のリハをしてて、自動販売機の前でジュースを買おうと立ってたら、横山(裕)くんと大倉(忠義)くんが来て。ふたりとも、めっちゃデカかったんで怖かったんです。そしたら、横山くんがチャンチャンってお金を入れて“好きなの押し”って。もう“え!?”ですよ。めっちゃカッコいいなって。コンサートで錦戸(亮)くんが、いきなり俺に“歌い”ってマイクを渡してくれたこともあって。みんなやさしいし、ステージの上でも、外でもカッコいいんです」
──そうだね。
「俺、入った直後は、(渋谷)すばるくんって怖そうだなって思ってたんです(笑)。そしたらコンサートのとき、すばるくんの後ろでカバンを背負って踊るシーンがあって。カバンから太陽のマークを出して手渡す役目だったんですけど、“ミスったら殺される”と思ってたのに、ミスって渡せなくて。そしたらステージ裏で、すばるくんがピューッと来て、“ヤバイ!”って思ったら、“ごめんな、ごめんな。うまく受け取れなくて”って、謝ってくれたんですよ。完全に俺のミスなのに。みんな、ホントにやさしくて」
──関西ならではの絆ってあるよね。
「ありますね。事務所の人がおらんかったんで、後輩を叱るのは先輩の役目でもあって。それがあったから、今があるんやろうなって。だから俺らも、絶対に後輩には同じことしてあげないとって思いますね」
──2006年には、流星くん、(中山)優馬くんと3人で、TOP Kidsを組んでるよね。優馬くんの印象は?
「2年後輩なんですけど、オーディションで、俺と何人かのJr.が手本で踊ってたんです。そしたら、ジャニーさんが優馬を連れて来て、直々に紹介してくれたんで、“このコはいくな”って思ってたら、ポンッと同じグループになって、“おお、マジか”って」
──流星くんは、どうだった?
「流星は、コンサートのリハーサルをしてたら、いきなりしれーっと来たんです。“誰や?”と思って。振つけ師に、ダンス教えといてって言われたんで教えたら、ものすごく覚えが早くて。で、“ダンスやってるの?”って聞いたら、なぜかムシされました(笑)」
──当時から天然だったんだ(笑)。
「天然っていうか、流星の第一印象は暗いコでした。めっちゃ静かなコで、笑いもしなくて」
──入った年令が早かったから、自分の後輩が年上ってことも多かったと思うけど、大変じゃなかった?
「ありましたねえ。なんか、TOP Kidsしかり、その後のグループも、基本的に後輩と組むことしかなかったんで。“先輩やからがんばらな”って思いが、トゲトゲしく映ったりもしたと思うんです。俺、けっこう一匹狼みたいになってたと思います」
──ただ、関西Jr.のツアーのとき、メンバーの洗濯を進んでしたり、後輩の面倒見がよくて、“関西Jr.のおかん”って呼ばれたりもしたよね。
「うーん、それは先輩やからとかじゃなくて、自然にというか。うち、おとんがいないんで、おかんが働きに出てて。おねえは嫁いでいて、家には俺とおにい、妹ふたりなことが多かったんです。おにいは、ちょっと体が弱かったりしたんで、中学のころから、家のことは僕がやってましたね。たぶん、その延長線上ですね」
──じゃあ、料理を始めたのも?
「そうです。俺がやったら、おかん助かるかなと思って。やってたら、案外できるやんって(笑)」

関西Jr.のために、絶対に爪痕残す

──Hey! Say! 7 WESTができたのが、2007年だよね。
「『Ultra Music Power』のHey! Say! 7 WESTバージョンを作ってもらったりして、“もしかしてデビュー!?”って思いましたね。でも、俺はまだいいやって」
──なぜ?
「この世界で生きてくってことは、入った瞬間に決めてたんですけど、まだ、デビューっていう夢を見てなかったんですね。確固たる目標じゃなくて」
──じゃあ、どのタイミングでデビューしたいって思った?
「本気で思うようになったのは、優馬が、Hey! Say! 7 WESTから引き抜かれる形でデビューしたときかな。悔しかったんです。悔しく思う自分がいたことで、“あ、俺もそうなりたいんや”って気づいたんです。自分の夢って、デビューなんやって」
──Hey! Say! 7 WESTは7WESTになり、その中には流星くん、重岡(大毅)くん、小瀧(望)くんと、のちのジャニーズWESTのメンバーがいたよね。
「しげ(重岡)と小瀧は、同じタイミングでグループに入って来て。しげはJr.に入ったころから知ってたんです。帰り道が同じだったんで、ずっといっしょに帰ってて。あいつ、電車の中でもおかまいなし、大きな声でよーしゃべって。“うっさいなー”って思ってて。ひとりで、あの高い声で、ずっとしゃべってるんです。めっちゃ恥ずかしかったんで、いつもちょっとだけ他人のふりしてました(笑)」
──ハハハハハ。小瀧くんの印象は?
「入ったとき、小6やったかな。“めっちゃデカイやん。どうしよ”って(笑)。でも、このコもくるなって」
──どうして?
「わかりやすいんですけど、Hey! Say! 7 WESTで衣装を作っていただいたときに、いちばん豪華やったんで(笑)。いきなりソロもありましたからね」
──嫉妬した?
「全然。いっしょにがんばろうって。同じグループになったとき、ふたりに“もう、くんづけはやめてくれ。敬語もやめてくれ”って言ったんです。敬語を使うグループって、なんかイヤでしょ? 後輩からは言い出せないだろうから、俺から言うべきだなって」
──なんか、いつも自分のためというより、グループや関西Jr.のためってことを考えてきたのは、なんで?
「野心がないから(笑)。まあでも、ひとりでがんばっていくんじゃなくて、関西Jr.を広めたいなって想いが強かったのかな。東京に仕事で呼ばれたときも、関西Jr.のために、絶対に爪痕残すって思ってたし。関西Jr.で、初めてツアーをさせてもらったときとか、“あ、これ、関西Jr.として流れがきてる。個々のグループや個人でスキル上げても意味ないな”って思って。全員でダンスの練習に行ったり、濵ちゃんと(平野)紫耀とアクロバットの練習行ったりとかしましたね」
──じゃあ、7WESTが、6人から4人になったときはどう思った?
「大変やったし、つらかったんですけど……。危機でもあったし、転機でもありましたね。ホンマがんばろうって意思を全員で固めて。それぞれの役割について初めて話し合ったんです。しげはトークが達者やから、しゃべりでいってほしいとか。小瀧と流星は、スタイルもいいしイケメンやからルックス面でいってほしいとか。俺は歌とかダンスが好きやったんで、そっち系でいきたいなとかって」
──より結束は強くなった、と。
「なりましたね。俺、けっこう熱い性格やって言われることが多いんですけど、それが災いすることもあって。自分にも厳しくしてるつもりやけど、人にも同じ厳しさを求めたりするんで、けっこう暑苦しかったと思うんです。けっこう尖ってたし、だいぶ一匹狼やったんで。正直、MCとかでイジられたり、俺をきっかけに笑いが起こるのとか、めっちゃ嫌いだったんです。俺で笑いを取るなよって。むっちゃギラギラしてましたね。それが4人になったタイミングで、3人が、これじゃあかんって気づかせてくれた」
──そうだったんだ。
「めんどくさい性格してんなあって、自分でも気づいてるんですけど、うまい具合にできなくて。それがめっちゃもどかしいときがあるんです。最近、メンバーに、“ホンマに丸くなった”って言われたりもするんですけど、今だって、メンバーが包み込んでくれてるとこがある。やさしさに甘えてばっかじゃダメだ、直さなきゃなって部分もいまだにあって」
──じゃあ、Jr.時代を振り返ってきたけど、ここまでで、辞めたいと思ったことってあった?
「なかったですね。1回も。なんやろうなあ。おかんをラクさせたいってのが、ずっとあったんで。入るころから言ってたんですけど、“おかあちゃん、いつかクルマ買ってあげる”とか、“ハワイ旅行連れてってあげる”とか。ずっと、そんな気持ちだったんで、なんかあったら、辞めよっかなとか、そういうヤワい決心じゃなかったですね」

笑えてへんやん。全然、笑えてへんやん

──2011年に、初めてカウントダウンコンサートに出てるよね?
「はい。関西Jr.から10人ちょっとだったかな。“俺ら、こんなとこ立たせてもらっていいんですか?”って感じで(笑)。しかも、歌わせてもらったのが、V6さんの『愛なんだ』で。“きたっ!”って思いましたね。次の年もカウントダウンに出させてもらって。この年は、(桐山)照史くんに、藤ヶ谷(太輔)くんを紹介してもらったりもして」
──それが、去年のカウントダウンには呼ばれなかったばかりか、4人でのデビューが発表された。
「翌日、コンサートのリハがあったんですけど、まだ放心状態で。家を出るとき、おかんが“いってらっしゃい”って声をかけてくれたんですけど、それに返事すらできなくて。電車に乗ってる最中、“何やってんや、俺”って。おかんも、俺がショックやってわかってるから声をかけてくれたのに、何やってんのやろって。それ、あかんやろって。10年くらい、いっしょに夢を追っかけてくれてた人のやさしさやのに。“俺、ガキか”って思いましたね」
──気づけて、えらいよ。
「なんか、そこでひとつ吹っ切れて、辞めるのは辞めようって。まだ求められることがあるなら、続けていこうって。演技も好きやし、そっちの道もあるかもしれないって」
──リハのとき、今後のことについて、事務所から何か話はあった?
「3人が呼ばれて、ソロのときは演技をメインで、3人が集まったらアイドル活動もするって形を提案されて。俺は、それに納得したんですね。これが現実やって。でも、流星と濵ちゃんは“絶対に入る!”ってあきらめなくて。たとえ、4+3のような形になったとしてもって。俺は、その形は一切ごめんやったんですよ。絶対イヤやって。言うたら、今まで7人で一列でやってたのに、それが二列になるんなんてごめんやって」
──4人とは何か話をした?
「次の日のリハで4人が合流したんですけど、3人は3人、4人は4人で分かれてましたね。会話もなく。ホンマに忘れたいくらいの空気が流れてて」
──つらかったね。
「そしたらリハ何日目かな、照史くんに話しかけられて。“4+3って形になるってどう思う?”って。俺、“絶対イヤや!”って言ったんです。照史くん、“そうだよね”って悲しそうな顔して。その会話を聞いてたスタッフさんに、“イヤなのは当然。でも、照史くんの気持ちも考えてあげて”って言われて。その瞬間、俺がまちがってるって気づいたんです」
──どうして?
「照史くんだって、4+3って形を望んでるわけじゃない。7人でデビューできるための道を苦しみながら探してくれてたんだって。俺がイヤやって言うのは、どんだけ照史くんを苦しめるのか。俺、まちがってた。自分が苦しいからって、目をそらしてたんです。デビュー発表のとき、いちばんつらかったんは、俺でも、流星や濵ちゃんでもない、4人やったって。テレビでは確かに笑っているように見えた人もいるかもしれないですけど、でも俺、見てて思ったんです。“笑えてへんやん”って。ずっといっしょにいたからわかる。“全然、笑えてへんやん”って。それに気づけた瞬間、選択肢は“7人”しか俺の中でなくなったんです」
──そうだったんだ。
「そのあと3人で話し合って。4人はもしかしたらデビュー自体がなくなってしまうかもしれないのに覚悟を決めてる。俺たち3人も覚悟を決めようって。それを4人に伝えて。後で知らされたんですけど、4人が、“7人で”ってことを全力で押してくれて」
──7人にこだわったんだ。
「はい。でも、もしもやけど、3人の中で流星か濵ちゃん、どっちかが抜ける状態で、6人とか5人になるんだったら、俺は絶対に入ってなかったです。グループに入ることにこだわってたんじゃなくて、7人であることにこだわったんで」

一生忘れられへん歓声と光景

──7人の想いが、『なにわ侍』につながったんだね。
「リハに呼ばれて。なんで呼ばれたんやろうって思って、いざ行ってみたら、7人で曲のリハーサルが始まって。そこで、なんやろう。ホッともしたし、入れたんやと思いましたね。ただ、デビューするってことは、誰にも言ってなかったです。ホンマに誰にも。親にも言ってなかったです」
──なぜ?
「家族にも、ファンの方にも、俺ひとりの言葉じゃない、どんな言葉でもない、7人の姿で、7人で並んだ姿で報告したかったから」
──『なにわ侍』の一幕での重岡くんとの掛け合いは感動的だったよ。
「セリフは、ふたりで考えて」
──「俺のぶんもがんばってくれ。もう自信ないねん。今まで自分ができることはやってきた。全部やってきた。それでも報われなかった」ってセリフだね。
「演技として泣こうと思ってたんですけど、感情が乗ってしまって、もうええよっていうくらい涙が出てきたんですよ。しげも泣いてるし。なんやろうなあ。リアルな想いだったんで。ホンマできること全部やってきた結果だったんで」
──そして二幕。
「4人の名前が最初に呼ばれ、次に3人の名前が呼ばれて。会場がザワザワして。“この7人でCDデビューします”って言ったあとの歓声、全身が粟立ったっていうか、今までの人生でいちばんうれしかったです。うまく言葉にできないですけど、言うたら7人でデビューしたいってのは、俺らの夢なわけで。なのに、こんなに応援してくれて、泣いてくれて、よろこんでくれるファンがいる。幕が開いて客席が見えて。そのときの歓声と光景、一生忘れられへんと思う。支えられてんだって、あれほど実感したことはなくって」
──そうだね。
「ファンの方たちだけじゃない、メンバーにも先輩や後輩にも支えられてた。カウントダウンが終わった直後、藤ヶ谷くんがメールしてくれて。“なんかあったら連絡して来いよ”って。そのひと言に、すごく救われて。7人でデビュー発表できた直後にも、“どうあれ、よかったな!”って」
──お母さんも、よろこんだでしょ?
「おかんが大阪から舞台を見に来てくれてて。いちばんに泣かせたろと思って、いるほうに行ったら、もう泣いてて。ダメですね。親の泣き顔はダメです。おかんの前で泣いたことなかったのに、俺のほうが号泣しちゃいました(笑)」

この7人でビビらず、乗り越えます

──今、改めて7人でのデビューが決まるまでのことをどう思う。
「カウントダウンのことは、人生最大の挫折でしたけど、今はホンマに、あれがあってよかったなって思いますね」
──しなくていい挫折なら、したくなかったと思わない?
「それすら笑って受け入れたいですね。だって、誰も悪くないし。決して誰も悪くないことを、“あんときは”ってグチりたくもないし。あれでよかったんです。めっちゃ変な言い方ですけど」
──じゃあ、これから7人で、どんなグループに成長したい?
「“こいつらジャニーズなん?”って思われるグループになっていきたいですね。たとえば、コント番組を持ってたりとか。せっかくジャニーズって名前をいただいたグループなんで、ジャニーズ代表になるつもりでいきたいです。そのために、今以上に努力せなあかんし、できることの幅も広げてかなきゃいけない。まだまだすることいっぱいです。苦難や逆境も、いっぱい待ってるはずやし。でも、どんなことがあったって、このグループだったら乗り越えられると思うんです。だって、もう、ものすごく高い壁を一回越えてますから。どんなことが待ち受けてたって、“この7人でビビらず、乗り越えます”って胸を張って言えます」
──そうだね。じゃあ、個人的な目標は何かある?
「まだ自分で、“俺の立ち位置は?”って考えたら、まったくわかんないんです。照史くんは、誰よりも大きな愛を持ってるし、歌もうまい。淳太くんは頭いいんで、しゃべりでいってほしい。しげはセンターで、ドンとかまえててほしいし、小瀧は、2.5枚目を突き進んでほしい。流星はやっぱビジュアル面、濵ちゃんは癒やしキャラ。みんな、グループに必ず必要なポジション、役割がある。だから、俺もメンバーに必要とされる立ち位置を早く見つけたい。ちゃんと、役に立ちたいなって思ってますね」
──もう必要な存在に、なってるよ。
「自分のことは、なかなか自分じゃわかんないんで(笑)」
──余計なことだけど、いろんなものを背負ってきて、重いなって思ったことってない?
「まあ、重いと感じたことがないといったら、ウソになると思うんですけど……。でも、“そんなんムリや”とか言うよりも、ムリしてでも背負って走ろうって思います。道、踏みはずしたら、絶対に悲しむ人いるんで。環境や逆境、そんなんを言い訳にしたくないんで。“全部、全部やったろう!”って思ってます。望まれてること、言われること、全部やったるわって。そのほうがカッコよくないですか(笑)。だから、重いなって思っても、降ろしたいなって思ったことは1回もないですね」
──最後に、3月にMYOJOの取材で行った、ハワイのこと聞いていい?
「カナヅチの俺が溺れかけて、“まだ死にたない。まだCD出してない”ってなったときのことですか(笑)」
──助けた濵ちゃんが、「犬かきできない犬みたいだった」って言ってたけど、そのことじゃなくて(笑)。ハレアカラ火山の山頂で願い事をしたけど、教えてくれなかったでしょ? あのとき、何を願ったの?
「うーん、もう忘れちゃいました(笑)」
──教えてよ。
「うーん、恥ずかしいですけど祈りましたね。“この7人で、これからもずっといっしょにいられますように”って(笑)」

取材・文/水野光博