Myojo

10000字ロングインタビュー

生まれて初めて出会った「燃えられるもの」に、
人生も、青春も、すべて捧げてきた。
7人にこだわったのは、情けやない。
最高のグループになるために、絶対に必要だったから。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

ジャニーズWEST編

第5回

重岡大毅

しげおか・だいき
1992年8月26日生まれ。兵庫県出身。A型。身長174cm。
2006年10月8日、ジャニーズ事務所入所。
2014年4月23日、ジャニーズWESTとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2015年2月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

2013年大晦日の『ジャニーズ・カウントダウン』。
テレビ中継の中でデビューを発表したのは、
桐山照史、中間淳太、重岡大毅、小瀧望の4人だった。
その場にいなかった濵田崇裕、神山智洋、藤井流星の3人が、
グループに入れるかをめぐって、ギリギリまでメンバーの葛藤は続く。
ジャニーズWEST編・第5章は、重岡大毅。
“7人”にもっとも強くこだわっていたと言われる男の本心とは…?

“4なんや……”って受け入れたっていうか

──メンバーが、“7人でのデビューにいちばんこだわったのが、しげ(重岡大毅)だった”って言ってたよ。
「そうなん!? そう見えてたか〜。なんか不思議やね」
──7人にこだわったのは、なぜ?
「うーん、美談にしたくないんで先に言いますけど、カウントダウンのとき……やっぱり、事務所の意向がいちばんやったから、1回、4でいくってなったタイミングでは、俺も“4なんや……”って受け入れたっていうか。でも、でもなんかこうモヤモヤが4人ともあって、7って想いを捨てなかったんかな。うん。捨てられなかったんですよ。カウントダウンのときは、それを必死に抑えてる感じがあって……」
──今、7人でよかったなって、どんな瞬間に思う?
「正直、4から7になった経緯に関して改めて考えることは、今までほとんどなくて。自分の中では忘れたいことなんで。だから今、考えてみると……、7人でよかったって思う瞬間は……毎日ちゃいますか。何かが起こって、“わっ! 7人でよかった!!”って思うんじゃなくて、こうやって7人でいるのが当たり前になっていることが、やっぱいちばん幸せで」
──じゃあ、これまでのこといろいろ聞こうと思うけど、大丈夫?
「はい。俺はけっこう隠してきたんで、自分のこと。あんまり、本音を出すん嫌いなんですよ。今日は、正直に話そうかなって思ってます(笑)」

完全にスネ夫タイプ、クソガキでした

──小さいころ、どんなコだったの?
「頑固だったらしいですね。姉が3つ上なんですけど、オモチャにしても、食べる物にしても、“お姉ちゃんといっしょがいい!”って、頑なだったらしいです」
──気が強かったんだ。
「でも、めっちゃ泣き虫でしたね。すぐ泣いてました。口ゲンカで負けたときとか、泣きたくないんですけどガマンできないんですよ。まあ、でもクソガキやったかな、ホンマ。いたずらもいっぱいしたし」
──そこ、今も変わらないじゃん。濵田(崇裕)くんが、「どっかで自分のケータイが鳴ってるって思ったら、しげがパンイチでブルブル小刻みに震えてて、よく見たらお尻の割れ目に俺のケータイがはさんであった!」って言ってたよ。
「ハハハハハハ。やりました、やりました。やったらあかんこと、すごくやりたくなるんですよ。濵ちゃんの困った顔見るの好きなんです」
──小さいころから変わんないんだ。
「あ、でも俺、小さいころは、なんかもっと屈折してたっていうか。ひねてたっていうか。小学生のときとか、草を口にくわえてシーソーで寝てたりとかしましたからね」
──どういうこと?
「大人って、食事のあとに爪楊枝をくわえたりするじゃないですか。それがカッコいいって思ったんでしょうね。ちょっと人とちがうことするのが好きで。みんなが無邪気に遊んでる中、“俺はちげーぜ”みたいな。さすがにすぐ気づきましたけどね。これ、ちがうわって(笑)。完全に俺の中の黒歴史ですね」
──人とちがうことが好きだったんだ。で、こじらせたと。
「そうっすね(笑)。ズルイとこもありましたしね。クラスで騒いだり、悪さしたりするじゃないですか。でも、自分から率先してはやらないで、誰かがやってるのに乗っかるんです。先頭に立つと、いちばん怒られるから。完全にスネ夫タイプでしたね」
──そうだったんだ。
「ウソも、まあようつきましたし。小5とかかな!? 塾の帰り道、家まで歩いて10分くらいだったんですけど、その日、何かすごく怖かったんです。ビビリだったんで。家に電話して、ウソついたんですよね。“変なオッサンがついて来たから迎えに来て”って(笑)。ものの数分で、おとんが走って来てくれて。こすいでしょ?」
──たしかに(笑)。中学では?
「まだ、こじらせてましたねえ。帰り道でクラスの女子が前を歩いてたら、急に走って、横を通り過ぎるとき、“やべ、遅れる!”みたいに時間に追われてるアピールして駆け抜けて。見えなくなったら、また歩くみたいな。そういうのがカッコいいと思ってて(笑)」
──ハハハハハ。何か中学時代にがんばったエピソードとかないの?
「うーん、部活もやめて、家でテレビゲームばっかやってたからなあ」
──部活、なんでやめちゃったの?
「流されやすかったんですよね。テニス部に入ってたんですけど、そもそも小5、小6とサッカークラブに入ってて。中学に入ったらサッカー部に入るつもりやったんですけど、ちょうど『テニスの王子様』が流行って、サッカークラブに入ってたヤツの半分くらいがテニス部にいきよったんですよ。俺も流されてテニス部に入って。なんかチャラいヤツが多くて、練習中も先輩と“ウェ〜イ!”みたいな感じでふざけて、ろくに練習もしない。その先輩がワーってやめて、ヘタレで数少なくなったら何もできへんから、俺たちもやめて。それでゲームざんまい。マジで自分でもクズだったと思います」
──小さいころの夢って何だった?
「うーん、友だちが“サッカー選手になりたい”って言ってたら“俺も!”って言ってたし、幼稚園のころなんかめちゃくちゃで、“大毅と大工は似てるから大工になる!”って。もう名前の響きにすら流されてたっていう(笑)。本気で何かに憧れたり、目指したいと思ったことがなかったんですよね。将来なりたいこと、なんにもなくて」

どっかで探してたんだと思うんです

──じゃあ、オーディションを受けたのも流されたとか?
「正解! ジャニーズのこと全然知らなかったし、それこそ“ケッ!”って思ってましたからね(笑)。完全に嫉妬なんですけど。キャーキャー女子に言われやがってって」
──それが、またなんで?
「中2のとき、職業体験ってのをやったんです。5人ひと組で班を組んで。ジャニーズに入りたいって思ってる友だちとたまたまいっしょで。同じ班の女子もジャニーズが好きで。“私、履歴書の送り方知ってるよ”って話をしてた流れで“重岡もどうや?”って誘われて」
──いっしょに送ったんだ。
「はい。でも、“まあええよ”みたいなことを口では言いながら、内心、“いけるんちゃう、俺”ってのは、ちょっと思ってて(笑)」
──腹黒い!
「でしょ。で、いっしょに履歴書を書いて、友だちはいっぱいアピールポイントを書くんです、びっしり。でも俺ん中では、がんばるってことがなんか恥ずかしかったんで、“別に受かりたくないよ”って感じを醸し出しながら、テキトーに書いたんです。“特技、サッカー”みたいに、どこもひとことだけのスカスカの履歴書を書いて。写真もテキトーに撮って。写真と書き終わったのを女子に渡したら、あて名を書いて、のりづけして持って来てくれて、“あとはポストに出せばいいだけだから”って。俺、それを1回、家で開けたんですよね」
──なんで?
「内心、写真の映りが悪いなあって思ってて(笑)。夜中にこっそり証明写真を撮りに行って、貼り直して送ったの覚えてます」
──そして、書類選考合格の通知が届いたんだ。
「半年くらいしてかな。完全に忘れてて。恥ずかしかったんで、親には言ってなかったんです。そしたら、おかんが“ジャニーズ事務所ってとこから何か来てんで”って。うれしくて、いっしょに受けた友だちにソッコー電話したんですけど、このときもやらかしてんですよね。いきなり“俺、受かったでえー!!”って電話して。友だちは受かってなかったのに」
──たしかに、やらかしてるね。オーディションはどうだった?
「緊張はしましたよね、やっぱり。人いっぱいいるし、カッコいい人もいっぱいおるし。余裕なかったんでしょうね、(藤井)流星といっしょだったはずなのに覚えてないんですよね。でも、関西Jr.が何人かダンスを教えてくれたんですけど、その中に神ちゃん(神山智洋)おったんは覚えてんなあ。すっごい、キラキラして見えましたね」
──選ばれると思った?
「カッコいい人もいっぱいおったし、俺はダンス未経験やったし、どう思ってたんやろ……。あ、でも、なんで選ばれたんかって考えたことあるんですよ、最近。たぶん、俺、踊ってるときに笑ってたからやって。計算で笑ってたわけじゃなくて楽しかったんです、踊るのが。みんな必死でやってたんで表情が硬いでしょ? 俺は笑ってたんで、それがジャニーさんの目に留まったんかなって。なんか、“あ、これ楽しい”って直感的に感じたんですよね。探してたものを見つけたっていうか」
──探してたもの?
「当時、ゲームにすっごいハマってたんですけど、これちょっとちがうよなみたいなこと感じてて。流されて、流されて、学校生活を送ってここまできて。自分で決めたこともほとんどなくて、何かに真剣に打ち込むこともなくダラダラと日々を過ごしてて。だから、どっかで探してたんだと思うんです。燃えられるものを。オーディションの日、“あ、これだ!”って」
──その後、どうなったの?
「オーディション中に、“こっち来て”って言われて写真撮ったんですよね。それが雑誌に載って。“あれ、俺、受かったんかな?”って。でも、別に仕事に呼ばれてへんし、“どういうこと?”みたいな」
──その雑誌、自慢したんじゃない?
「誰にも見せたくなくて。だって変な顔やったもん(笑)。自意識過剰なんですよ。人の目、めっちゃ気にしてるんですけど、写真を撮るときは気ぃ抜けてる。なんでなんやろ(笑)。目立ちたい、けどもなんか恥ずかしいから目立ちたくないって、両方の気持ちがありましたね」

熱い想いがあるけど、ぶつける場所がなくて

──最初の仕事って?
「神戸でやった関ジャニ∞のライブですね。当日呼ばれて。ガッツリ稽古をしたのは、安田(章大)くん、村上(信五)くん、丸山(隆平)くんたちのソロコンで」
──ステージからの景色、覚えてる?
「なんか、とにかく燃えたというか、楽しいというか、それしかなかったです。ぶっちゃけ、そのとき大先輩が前で踊ってたんですけど、どうでもよかった(笑)。まだ、自覚もなんもなかったんで」
──でもダンス未経験で、最初はレッスンが大変だったんじゃない?
「覚えるのが遅かったんで、よく怒られて。最初のころは、怒られたくないってのがモチベーションのひとつでしたね。家の裏に公園があるんですけど、夜、街灯の下で自分の影を見ながらひとりで練習したりして。やっぱり呼ばれなくなるコもおったんで、そうなりたくないなってのが強くて」
──がんばったね。
「ただ、そのときもじゃっかん、酔ってるんですよね。こっそり練習してる自分に。学校も近かったんで、“誰か同級生の女のコ、公園の前通らんかな”みたいなことも思ってて(笑)。見られたくないけど、見られたい。なんか、青春でしょ?」
──青春だね。でも、確実にジャニーズというものが、重岡くんの中で大きくなってったんだ。
「いつからかわかんないですけど、完全に僕の中心になってました。だって、ずっと憧れてた、人とちがうことじゃないですか。しかも、楽しい。それに、やっぱり、“ジャニーズやってんねんね”とか聞かれたりすると、うれしかったりするんですよ。これは、みんな絶対そう。ヤバイ、包み隠さず答えすぎてもうた(笑)」
──Jr.時代、神山くんとよくいっしょに帰ってたんだよね。「車内でうるさかったから、ちょっと他人のふりしてた(笑)」って言ってたよ。
「マジで! それ、気づいてないですよ。マジか〜。でも、なんかねえ、自分がこう、わってしゃべって誰かが笑うのが好きやったんですよね。神ちゃんが笑ってくれるのが至福の時間やったのに、他人のふりされてたとは……」
──じつは濵田くんも、「最近、よかったことは、しげと電車に乗らなくなったこと」って……。
「おい、濵田!! まー、たしかに声デカイんですよね、俺(笑)」
──ハハハハハ。2007年にHey! Say! 7 WESTが結成されたときはどうだった? 同期の流星くんは選ばれてるのに、選ばれず悔しくなかった?
「うーん、流星は入所して、すぐにユニットとか入ってたし。それこそ、神ちゃんとかと組んで。だから、全然ちがう、俺とはグレードがちがうと思ってたというか」
──デビューしたいって気持ちはなかった?
「ありましたよ。でも、なんかデビューしたいっていうより、最初はユニットを組みたいってのがありました。すごい。目の前にB.A.D.とかBOYSがいてキラキラしてたんで。ただ、まだ自信がなくて」
──自信がない?
「初めて言いますけど、2008年に、ジャニーさんから“Hey! Say! 7 WESTに入ってみない?”って聞かれたんですよね。俺、最初、“イヤ”って言ったんです。もうちょっと経験積んで入りたいかなみたいな。今、入ってもなんもできないみたいなことフワッと言ったんですよね。今思えば、アホやなって思います。チャンスなんて何度あるかわかんないのに、変なプライドがあって。“そんなこと言ってる場合じゃないよ”って言われて、入れてもらえることになって」
──そうだったんだ。2009年は、NYC boysにも入ってるよね。
「東京に呼ばれたんで行ったら、(中島)健人とか(菊池)風磨、山田(涼介)くん、知念(侑李)くんたちといっしょに、“今度、バレーボールのCMやるよ”って言われて。KAT-TUNのライブにも出させてもらって」
──関西Jr.からひとり、東京で仕事をするって、どんな感じだった?
「やっぱりワクワクはすごくありましたね。“俺、どうなんのやろ?”って」
──Hey! Say! 7 WESTが7WESTになってからは、センターになってるよね?
「そうですね。少しずつ自信もついていきましたね」
──7WEST時代、重岡くんはセットリストとかを、誰よりもこだわって、意見がぶつかっても絶対に引かなかったって聞くよ。
「そんなこともありましたね(笑)。俺、なんかブレるのイヤなんですよ。7WESTのとき、“自分たちの強み、よさはどこなんだ”ってすごく話し合って。B.A.D.、BOYS、Veteran、あと東京のJr.とか、周囲のいろんなグループを見渡したとき、カッコいい感じの路線のグループはあっても、アイドルの王道的なグループってなかったんです。だから“7WESTは、そこを進もう”ってメンバーと決めて。でも、セットリストをみんなで決めたら、カッコつける曲も入ったりして。だから、“戦うのは、そこじゃない”って。そういうとき、僕は引かないんですよ。ブレたくないんで」
──そんなこともあったんだ。
「はい。何度かユニットコンをやらせてもらって、7WESTとしての自信みたいなんもついていって。7WESTは最初、MCがすごく苦手やったんです。それも少しずつ克服して、お客さんが盛り上がってくれるようになって。ジャニーさんやスタッフさんにもほめていただいて。ファンの人が増えていくのも、目に見えてわかったんです。これ、波がきてるだろって。6人でやった最後のユニットコンとか、めちゃくちゃほめられたんですよ。そのころかな、いちばんギラギラやったんですけど、でもだからこそ、空回りしたというか」
──空回り?
「熱い想いがあるんですけど、ぶつける場所がないっていうか。もっとやらせてほしい、場を与えてほしいって思っても、感覚としては現状維持で。なんでもう一段階上に行けないんだろうみたいなモヤモヤがありましたね。なんやねんこれ、なんやねんこれって。いたずらに時間だけが過ぎていって、“もうデビューできないんじゃないか”って思いがよぎるようになって」
──あせったんだ。
「そうっすねえ。デビューできない自分をちょっと、想像するようになったんですよね。もちろん、絶対デビューするって気持ちもあって。絶対デビューするって自分に言い聞かせてたけど、やっぱちょっと不安が頭をもたげたっていうか」
──そのころ、兄組はどう見えてた?
「デカイ壁ってイメージはあったな。つねに関西の第一線を走ってて。そこを超えたいって気持ちは、つねにあったんですよね、俺もメンバーも」
──2012年には、メンバーが4人になったよね。
「そうっすねえ。“俺たち、どうなるんやろ”ってのがまずあって。今まで6人でやってたことを4人でやってかなあかんから、やっぱ不安もありましたね。下からは、Kin Kan、なにわ皇子の足音が聞こえるっていうか、勢いつけてきてて。なんかあせりが、めっちゃありました。早くデビューしなきゃって」
──その不安や恐怖、どうやって解消したの?
「『モモコのOH!ソレ!み〜よ!』に村上くんとバトンタッチする形でレギュラーに選んでもらったのが、すごい大きいですね。ちょうど、それが決まる直前くらいまでが、いちばん悩んでた時期やと思います。でも、燃えるもんができたっていうか。人間的にも、タレントとしても、学ぶことしかない状況やったんですね。俺は勝手に、伸び悩みというか、やれることやってるのにって思い込んでたんです。学ぶべきこと、伸ばすべきことは、まだまだ山ほどあることに気づかせてもらった。初めての収録の日の朝、村上くんからメールもらって。“ひとつひとつ大事に取り組んでいけ。何かあったら言ってこいよ”って。僕にとっては、すごい転機やったと思います。救われた感はありますね」
──悩んでた期間、辞めたいとは思わなかった?
「1回も思わなかったです。1回も。絶対、辞めないって思ってましたから。僕、捧げてきたんで、ジャニーズに。人生も、青春っていう青春も全部。ほかの道なんて存在しなかったし、この世界がなくなることが怖かったんで」

何かあったら、動ける男になりたい

──2013年、デビューが現実味を帯び、でもカウントダウンで発表されたのは7人じゃなく4人だった。さっき、「一度は4人でのデビューを受け入れた」って言ってたよね?
「そうですね」
──でも、7人でのデビューをあきらめなかった。
「3人が絶対に必要だから。もちろん、感情的に入れてあげたいって思いはありましたけど。そんな気持ちだけでどうこうできる環境じゃないんで」
──3人が絶対必要だった?
「(桐山)照史くん、多才やし、器用やし、全体を俯瞰できる。(中間)淳太くん、いろいろ考えてて自分を持ってるから、相談することも多くて。ずっと壁だと思ってたB.A.D.のふたりと、同じグループっていうのは、最初は多少の葛藤もあったけど、すっごい心強くて。小瀧(望)も、昔からすげーなーって思ってるとこがいっぱいあって。ポジティブだし、物怖じしないし。あいつの心意気とかポジティブさとか、年下やけど分析して盗もうとしたこと何回もあるんですよ」
──頼もしい3人だね。
「でも、まだ足りないって思ってて。大人は、やっぱりいろいろノウハウがあるんで、テレビでも雑誌でも、7人よりも4人のほうが、ひとりひとりにスポットが当たる。仕事だってグループとして受けたら、4人なら4分の1、7人なら7分の1になるって話もされました……。そうかもしれない。でも、その考えは、僕は絶対受け入れられなくて。7人じゃなきゃダメだって」
──長年夢見たデビューであったとしても?
「はい。仕事って奪い取るくらいの気持ちがないといけないと思うし、俺は個人としてじゃない、グループとして売れたかったんです。国民的グループになりたいんです。それは半端な想いじゃないんで。そのためには、絶対に3人が必要なんです。だから情やないんですよ、全然。3人が絶対必要やって思ったのは」
──なるほど。
「だって流星は、ビジュアルで絶対に人気出ると思いましたし、ボケーッとしてるように見えて、本当はいろいろ考えてる。神ちゃんも今までずっといっしょにやってきたから、俺はずっと見てる。歌もダンスも得意だし、絶対まだまだ伸びるとこがある。濵ちゃんのあのキャラは、ほかの誰かじゃ絶対に出せない。だから4人じゃない、7人のほうが絶対に人気が出るって思ったんです。波風立てず、折れたほうがラクだったかもしれないですけど、それじゃ後から引きずっちゃうんで。絶対7人であることはブレたくなくて」
──こだわった理由、わかったよ。
「だから、なんか美談にはしたくなくて。情じゃないですもん。そんなん3人に失礼やから」
──その通りだね。でも、カッコいいね。申しわけないけど、小さいころダメダメだった人の言葉とは思えないよ。
「だからだと思います。ダメなヤツだった過去があるから、カッコいい自分になりたいんです」
──どういうこと?
「僕、ジャニーズに入るまでの生き方、汚点なんですよね。周囲に流されて、夢も目標もなく、本当の仲間と高め合う喜びも知らず、一生懸命になることもカッコ悪いと思ってた。がんばれば誰かを笑顔にすることができることも知らなかった。ジャニーズに入って、おおげさに聞こえるかもしれないですけど、人生のすべてを学んだというか、いろんなことに気づかせてもらった。いろんなことって言葉じゃ足りないくらい、たくさんのことを」
──なるほど。
「先輩や、それこそ今のメンバーたちに、本当のカッコよさを気づかせてもらったんです。錦戸(亮)くん、ドラマの現場で会うと、さり気なく“放送でこうなってたで”ってアドバイスしてくれたり、なんか悩みがあったら、関ジャニ∞の先輩は、いつだって、みんな何時間でも話を聞いてくれる。安田くんとか、スタッフさんにチケットを手配してもらうと、僕らが気づいて気をつかっちゃうから、こっそり自費でライブを見に来て感想をメールしてくれたりするんです。ホント男前やと思います。僕も、そういう生き方したくて。大事なとき、誰かが困ったとき、傍観するんじゃなくて、動ける男になりたいんです」
──そんな想いが根っこにあるんだ。
「おとんの存在も大きくて。昔はね、朝、学校行こうと思ったときにはおらんくて、夜遅く帰って来て寝る人って認識だったんですよ。でも、当たり前だと思ってることを見つめ直すと、それってすごいことで。ドラマの収録とかで早起きになると、やっぱりしんどいときもあるんです。でも、おとんは、家族のために30年、40年、不満も言わなければ、自慢もせず続けてきた。それに気づいてからは、“がんばってんねん”とか口に出すことって、クソダサいなって思えて」
──不言実行タイプだね。
「さっき、塾の帰り道が怖くてウソをついた話しましたよね。最近、姉ちゃんと、そんなことあったよねって話してたら、“おとん、裸足のまま走って出てって、カッコよかったな”って言ったんですよ。記憶が不鮮明やったけど、裸足だったかもしれないって思い出して。ウソついたこと本当に恥ずかしくなって。ただ、おとんみたいに、大切な人や、守りたいもののために、何かあったら、なりふり構わず動ける男になりたいって思えて」

思った通りになんてならないんですよ

──重岡くんが、なりふり構わなかったから、今、7人なんだと思うよ。
「それはないと思います。それに、どっちかっていうと、メンバーに甘えちゃってるのは僕なんで。なんか、あれこれ考えずに、無邪気だったころに戻りたいって気持ちがどっかにあって。デビューもしたんで、やっぱり責任もドンドン大きくなる。石ころを蹴ってるだけで楽しかったころに戻りたいってのが、たぶんどっかにあって」
──そうなんだ?
「僕、小中高、全部地元で。この前、急になんか通学路を、もう1回歩いてみたくなって散歩したんです。そしたら、いつの間にか泣いてて。なんか、こじつけなんですけど、無邪気だったころに戻りたくて、濵ちゃんのケータイをお尻にはさんだり、小瀧の頭にかぶりついたりしてんのかなって(笑)」
──メンバーの前なら童心に戻れるってことだと思うよ。
「それを受け入れてくれるメンバーやから、よかったです。ホンマ素直になれてるっていうか、甘えちゃってるなって。メンバーといると、自分を律することができないんですよね(笑)。言うことは言う。やることはやる。でも、それが終わったら、昔のようにはしゃぎ合える」
──それを最高の仲間って言うんだと思うよ。ホテルの部屋割り、今もジャンケンなんでしょ? 仲いいよね。
「そうですね。グーチョキパーで、3部屋に分かれるまで、キャーキャー言いながらジャンケンしてます(笑)。あ、でも、どんだけふざけ合っても、ここを超えちゃいけないってラインはおたがい守ってるんですよね。長年、ずーっと接してきてるから、こういうときに、こういうことしたら、言ったら、こいつは怒る、イヤがるとかわかってる。やっぱり、関西Jr.っていう、いってもちっちゃなコミュニティーでギューッとやってたんで。ライブだってユニットに分かれてやってたって、結局みんないっしょだったわけで。ずーっといっしょだったんで、わかり合ってる」
──じゃあ、7人でこれからどんなグループになっていきたい?
「そこもずっとブレてなくて、国民的アイドルグループですね。SMAPさんや嵐さんのようになるって、並大抵のことじゃないですけどね。どこがゴールなのかもわかんない。でも、とにかく今をがんばるしかない」
──そうだね。
「なんかちょっと思うのは、まったくネガティブな意味じゃなくて、どーせ、自分が思った通りになんてならないんですよ(笑)。だから、今だけを見るのがいちばん正解で。今だけですね。大事なのは」
──7人で今を生きるんだ。
「はい。もちろん、先を考えて今動くこともある。でも結局、未来のためには今がんばらなくちゃいけない。人は変われるから、過去をずっと後悔してたって未来は変わらない。かなわないかもしれないって未来に不安になっててもしょうがない。未来を変えるために大切なのは今だから。俺は俺が今できることをやるだけです。ぶっちゃけ、俺よりセンターに適任な人が出てきたら、そいつが立ったらいいと思ってて。だって、それがグループのためだから。競い合うのが、おたがい高め合うのがメンバーやと思うし。だけど俺はときどき、一生懸命になりすぎてまわりが見えなくなっちゃう。そういうとき、ふと“肩の力抜けよ”って背中を叩いてくれるのもメンバーで。だから、改めて思うけど、過去なんてどうでもよくて、こうやって7人でいるのが当たり前になっている今が、7人で夢に向かって走ってる今が、やっぱいちばん幸せなんだなって思うんです」

取材・文/水野光博