Myojo

10000字ロングインタビュー

葛藤の末、1%に賭けた大勝負。
「しっくりくる」満足感にたどり着くため、
ともに汗と涙を流した仲間たちと
星をめざして突き進む。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

ジャニーズWEST編

第6回

藤井流星

ふじい・りゅうせい
1993年8月18日生まれ。大阪府出身。B型。身長180cm。
2006年10月8日、ジャニーズ事務所入所。
2014年4月23日、ジャニーズWESTとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2015年3月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

2013年大晦日『ジャニーズ・カウントダウン』の中継。
桐山照史、中間淳太、重岡大毅、小瀧望によって新グループの誕生が発表されると、
濵田崇裕、神山智洋、藤井流星はもちろん、周囲にも大きな衝撃が走った。
ジャニーズWEST編・第6章は、藤井流星がついに登場!
最初から最後まであきらめなかったと言われる男を支えたものは何だったのか?

“もうこれ、終わったな”って

──2013年の年末、カウントダウンのとき、どこにいたの?
「家で両親とメシ食べてましたね。“今年、関西Jr.は出ません”ってメールをマネージャーからもらってたんで、“今年は出ないんだ”って、そんな深くは考えてなかったし。それに、『ミス・パイロット』の撮影が終わったばっかだったんで、“よっしゃ、やりきった!”ってすっげー満足感もあって、いい年末やくらいに思ってて。そろそろカウントダウン始まるなって思ったら、4人から“ごめんな”ってメールが来て」
──その瞬間、どんなこと考えた?
「何、考えたんやろうなあ。まあ、一瞬、真っ白になりましたよね。“お、んっ……!?”って。なんかボーッとして。正直、“ごめんな”って言われても、なんも返す言葉もないから、“全然、全然”って返信するしかなかったんやけど……。ケータイ置いて、どうしようかなーって。とりあえず、目の前に両親おるから、放送で流れる前に言っとかなと思って。ま、言って。“デビューすんねんて”って」
──両親はなんて?
「“はあ!? なんで入ってないんだ!”って。そのあと何日間かは、俺が悩んでたり、ピリピリしてんの見守ってくれて、一切しゃべりかけてこなくて。あ、でも、思いつめてるように見えたんでしょうね。おとんにボソッと、“やめるんやったらやめてええからな”って言われたのは覚えてますね」
──ただ、グループに入ること、あきらめてなかったよね?
「そうですね」
──カウントダウンのあと、神山(智洋)くん、濵田(崇裕)くんに電話したんでしょ?
「はい」
──ふたりとも、流星だけがあきらめてなかったって。“俺はなんとしても入るよ。あきらめんなよ”って言葉が、背中を押してくれたって。
「ふたりとも、俺をアゲすぎなんすよ(笑)。たしかに濵ちゃんと神ちゃんに“あきらめんなよ”って言いましたけど、過程があって。俺、放送を見て、すぐジャニーさんに“俺も入りたいです”って言おうって思ったんです。今、言わんと、どうすんねんって話やから。ただ、現場の状況がまったくわかんなかったから、把握してから言おうと思って、最初に(中山)優馬に電話したんですよ」
──そうだったんだ。
「あのメール来たあとだったんで、メンバーには状況を聞きづらいし、向こうも話しづらいやろうし、聞かれへんなと思って。会場にいた仲いいのが優馬やったから、放送が終わってすぐ優馬に電話して。そしたら、すぐ出てくれて。俺が話し出す前に、いきなりあいつ言ったんですよ。出た瞬間、“今すぐジャニーさんに電話かけろ!”って。優馬もデビューのこと目の前で見て知ったらしくて、“どうなってるん?”って逆に聞かれて。誰も状況をわかってなくて。“とにかく、すぐかけろ!!”って。オッケー、じゃあかけるわって、カウントダウン終わって10分くらいかな、ジャニーさんにかけて。そしたら、“今、バタバタしてるから明日かけなおす”って言われて。っていうパターンのとき、ジャニーさん、お忙しいから忘れてしまうことが多いんですよ。もうこれ、終わったなって、俺は一瞬思って……」

“やればできるコなのに、なんでやらないんでしょう”

──そうだったんだ。じゃあ、まずは小さいころのことから聞いてくね。
「はい」
──両親ってやさしかった? 怖かった? 
「けっこう厳しいほうだったと思いますよ。俺はそれをスリ抜けて、ヤンチャしたり、遊びに行ったりしてたんですけど。今になって親に聞くと“あれ、ウソやったんやろ”ってバレてましたね(笑)」
──さすが、親だね。
「今思えば、愛されてたんやなって思うんですよね。特に俺は第一子なんで、けっこうイベントとかにも力入れてもらって。妹がふたりいるんですけど、ビデオも写真も、断トツで俺のが残ってますから」
──こどもの日の写真かな!? めちゃくちゃ泣いてるけど? 
「ビックリするくらい号泣してますね(笑)。こどもの日とか七五三とか、がっつりコスプレとかして写真撮られんのがイヤで。なんでイヤやったんやろ。よく裸で逃げ回ってましたね。脱がされるところまでは気づかないんです。アホやから(笑)。衣装が出てきた瞬間に逃げ回るっていう。一度、玄関開けて逃げて、マンションの廊下を真っ裸で逃げ回ったことがありますからね。結局、つかまって、兜と甲冑を着せられ、号泣する戦国武将みたいな感じで写真撮られて」
──妹たちとは、仲よかった?
「昔から仲よかったし、今もふたりでごはん行ったりしますね」
──すぐ下の妹さんは小さいころからモデルをしてたんだよね。うらやましくなかった?
「全然、うらやましいと思ってなくて。俺はそういう仕事より、サッカーのほうが楽しかったんで。親に入れられて、いっしょのダンススクールとかに通ってたりはしましたけど」
──じゃあ、小さいころなりたかったのは、サッカー選手?
「幼稚園とか小学校のアルバムには、消防車って書いてましたね。消防士じゃなくて(笑)。今よく天然って言われますけど、そのころから片鱗はあったっていう」
──幼稚園時代から、長髪だったんだよね?
「木村(拓哉)さんがちょうど、そういう髪型をしてるときで。親が、やらせたかったんでしょうね」
──幼稚園時代、モテ期だったんでしょ?
「人生最大のモテ期! なんか常に俺についてくる女のコがいて。写真とかもいつもいっしょに写ってて。俺、恥ずかしがりやったんで、写真を見ると、彼女は満面の笑みやのに、俺はあんまりいい顔してない(笑)」
──女のコ、苦手だったの?
「ですね。ダンススクールも、10人の女のコの中に、男は俺だけとかで。完全にビビってました。女のコだらけなのがイヤで。女のコは更衣室があったけど、男は少ないんで更衣室がなくて。隅っこのほうで、ササッと着替えて。居心地、よくなかったですねえ」
──サッカーを始めたのは?
「小4かな。仲いい友だちがやってたんで、やろうぜ的な感じで始めて」
──学校では、どんなコだったの?
「覚えてないなー。でも、調子乗りで、体育の授業で、球技になったら急に張りきるヤツでした。バスケ、フットサル、野球とか。成績表には、よく“やればできるコ”って書かれてて。小学校、中学校、一貫して“やればできるコなのに、なんでやらないんでしょう”って書かれてた(笑)」
──当時も忘れ物よくしてた?
「あったんじゃないですか。忘れ物をしたことすら忘れてるっていうね(笑)。よく使う駅の駅員さんに、忘れ物なかったですかって聞きに言ったとき、“また君か”って言われたことあるくらいですからね」

なんや、この気合入った変な髪型のヤツ

──中1でジャニーズのオーディションを受けてるよね。
「親が知らないうちに履歴書を送ってて。送ったのは、オーディションの3年前くらいだったらしいんですけど」
──本人は知らなかったんだ。
「知らなかったですね。オーディションの日、偶然雨でサッカーが休みになって。おかんに“オーディション行こう”って言われたんですけど、ホンマに、典型的思春期男子だったんですよ。“え、ジャニーズ? アイドル? ない、ない”みたいな(笑)。年ごろの男のコって、そういうとこあるじゃないですか。だから、“そのオーディションに自分が行く? ムリムリ”みたいな。絶対行かないって言ったら、おかんがおこづかいあげるからって。5千円って聞いた瞬間、“行く!”って(笑)。今考えたら、よく雨降ってくれたな、おかん、よく5千円って言ってくれたなって話なんですけど。行く気も、受かる気もなくて」
──それで、よく受かったね(笑)。
「ダンスは習ってたんで、ちょっとはまわりのコより覚えるの早かったんですね。で、ひと通り教わったあと、30分の自由練習になって。俺は、めっちゃ端っこで座ってたんです。練習も何もせず。そんときに、ジャニーさんがバッと来て。“ユー、覚えんの早いね”って声をかけてくれて。なのに俺は座ったまま、気のない返事をしたら、めっちゃ怒られて。“ユー、立ってろ! 僕、立ってるんだからさ!!”って。それで記憶に残ったんじゃないですかねえ。こいつ、生意気やなって(笑)」
──オーディション、重岡(大毅)くんや優馬くんといっしょだったよね?
「あんま人とからまなかったから、しげ(重岡)の印象はほとんどなくて。優馬とは、雑誌の写真を撮るって、ちょうどいっしょに呼ばれて。アンケートみたいなの書かされてるとき、“同い年やなあ”って声かけてくれたんですけど、俺はムシして(笑)。向こうは、なんやコイツって思っただろうけど、俺は優馬を見た瞬間から、“なんやコイツ”って思ってて(笑)。だって優馬、けっこう髪が長いのに全部髪を立たせてたんで、“なんや、この気合ガンガン入った変な髪型のヤツ”って思ってたから。俺だって、そーとーペッチャンコな変な髪型やったんですけど(笑)」
──そんな状態から、よく仲よくなったね(笑)。
「なんでなんすかね。まあ、同じグループってのあったし、同い年やし、同期やしっていうので、徐々にですよね」
──オーディンのとき、神山くんが指導係だったのは覚えてる?
「覚えてますね。同い年やのにしっかりしてるなあって。先輩って感じがしました、最初は。今は、まったく感じないですけど(笑)」
──その後のJr.の活動は?
「オーディションのあと、関ジャニ∞の神戸のツアーに呼ばれたんですけど、“行きたくない”って言って、俺は行かへんかって。ちょうど、ハワイ撮影もあって。俺はツアー行ってないし、ハワイにも呼ばれなくて。そしたら、ジャニーさんから電話がかかってきて、“ユーに電話しようと思って履歴書を見たんだけど、文字がかすれてわかんないんだよ”って。“え!? いや、この番号です”って(笑)。で、次の仕事の話かと思ったら、“なんでユー、ハワイ来なかったの”って話を、30分くらいされて。“呼ばれてないです”って言ったんですけど、“なんでなの”ってことをズーッと(笑)。ジャニーさんのこと、名前くらいしか知らなかったんで“なんやねん、この人”って最初は思ってましたね(笑)」
──Jr.の活動、最初は乗り気じゃなかったんだ。
「恥ずかしかったんですよね。学校で、“え? ジャニーズやってんの?”とか言われるのが。関ジャニ∞の番組で踊ったりしたんですけど、たまたま放送を見た友だちとかに、“おまえ、出てたやろ?”とか聞かれても、最初は、“俺じゃないんちゃう?”って言ってましたからね(笑)。中3くらいかな、ジャニーズなこと認めたのは」

パッと誘ったら、パッと来るから(笑)

──神山くんが言ってたけど、Jr.を始めた当初は無口だったんでしょ?
「なんやろね。俺が行かなかった神戸のライブやハワイで、同期の輪ができあがってる中に、ひとりで入ってくのがイヤやったんですよね。最初、松竹(大阪松竹座)のリハの途中くらいに呼ばれて行ったのかな。急に来たから、みんな、“え、誰!?”みたいな空気で。正直、おもしろくねえって思いながらやってましたね。早く、帰りてーって」
──そうだったんだ。
「でも、なんか複雑でした。そんな気持ちでやりながらも、初めてステージに立って歓声を浴びると気持ちよくて。がんばろうって思うんですけど、練習してもうまくならんわとか、いろんなこと思ってました。投げチューとか、アイドルっぽいことをするのもイヤやったんですよね。最近もめちゃくちゃ、アイドルしてるかっていったらしてないけど(笑)。どっかでスイッチ入ったんでしょうね。俺はジャニーズやって。最初のころなんて、コントでスケスケのタンクトップを着ることがあって、ステージでイジられたんですけど、それがイヤでステージ裏で泣いてましたからね(笑)」
──よくやめなかったね。
「まだ覚えてるんですけど、ファンレターを初めてもらったのが、うれしくて。最初は2、3通やったんですけど、やっぱ応援してくれる人がいるってのが、うれしかったんですよね。もう少し、がんばってみようって」
──今、ここにいるのは、ファンの人のおかげでもあるんだ。
「そうですね。あと、TOP Kidsに入ったのも安心感がありましたね。最初ひとりでやらされてたんで、ひとり感がハンパなくて。何か知らんけど、入りたてなのに藤井流星with関西ジャニーズJr.とかって書かれたりして。俺、なんもできないのにやめてくれって。ホンマにイヤやった、そういうの」
──グループに入れてよかったね。
「ただ、今でも覚えてるのが、仲よかったJr.のコがいたんですね。レッスンのあと、そのコの家に泊まりにいく約束をした日があって。そしたら、その日に、そのコと入れ替わる形で俺がTOP Kidsに入ることになって。泊まりにいく約束だったけど、行かないべきか、でも行かへんかったら気つかってるみたいやしなって。友だちは友だちやと思って行ったんですね。そしたらおたがいやっぱ気まずくて、ふたりともすぐ寝て。いろいろ複雑でしたね。選ばれたヤツがいれば、そこには選ばれなかったヤツも存在するんやなって」
──じゃあ、Hey! Say! 7 WESTに選ばれたときは?
「初めて、“俺らきてんちゃうん”みたいなこと思ったのはありますね。デビューするグループの関西版ってことで作られたグループだったんで。“これ、デビューくるんじゃないかな”って初めて思ったときですね」
──翌年には、小瀧(望)くんが加入して、すぐ仲よくなったよね。
「なんやろうねえ。誘いやすかったからですかねえ!? 最初、あいつ敬語やったんですよね。いちばん年下ってのもあって、いちばん誘いやすかったのかな。パッと誘ったら、パッと来るから(笑)。よく優馬と3人で映画見に行ったり、メシ食いに行ったりして」
──今では、メンバー内でも、特に仲がいいよね。
「いっしょにいてラクなんですよね。でもなんか、なんで友だちなのかって言葉で説明できるもんじゃなくないですか? もはや地元のツレみたいな感覚で。でも、ライブとかじゃ、俺と望って意外とからんでないんですよね。俺は(中間)淳太くん、望は(桐山)照史くんとかにちょっかい出すことが多くて。スタッフさんにこの前言われたんですけど、“なんでからまないの? 需要あるよ”って(笑)。なんか、それこそ地元のツレの感覚やから、ふたりがからむって、どっか気恥ずかしいんですよね」
──その感覚、ちょっとわかるかも。
「まあ、あんま口には出さないけど、あいつの存在は大きかったですよね。望が入ったくらいから、優馬が別行動になることも多くて。そういう意味でも助かりましたよね、仕事する上で。どんな現場でも、あいつがいるとリラックスできる。望が『近キョリ恋愛』決まったときとか、あいつ、聞いた瞬間に“決まった!”って連絡してくれたし、俺が『アゲイン!!』に決まったときは、たまたまいっしょにいて、“主演や!”“すげー!!”ってふたりで驚いて。気づいたら、いてくれる。そんな存在ですよね」
──ずっとシンメだしね。
「俺ら、身長高いってのもあるから悪目立ちもするんですけどね。ただ腕組んでてもえらそう感が全然ちがう。たしかに、俺らふたり、気だるそうに見えるとこあるけど(笑)。しげなんか、つねに上体揺れてメラメラなってる感じで、やる気があふれてる。だからか、俺らけっこう、怒られることも多くて。リハしてて、B.A.D.がまちがってて俺ら合ってたのに、振りつけ師的には、“ここのふたりはまちがうはずないから、こいつらやろ”って先入観があったんでしょうね。“おまえら、位置ちげーだろ!”って怒られて。そろって“俺ら合ってますよ”って顔してるから、それがまた、ナメ腐ってると見えて、もっと怒られたりして。B.A.D.のふたりが、あとで“あれは俺らがまちがってた”って謝ってくれたんですけど、あのタイミングで言ってくれよって(笑)」
──ハハハハハ。
「当然、俺らだってやる気あるんですよ(笑)。先輩のバックについて、近畿圏のツアーには出られても、それ以外の全国ツアーには神ちゃんと、しげだけ行くことが多くて。やっぱ悔しかったし、“次は行けるようにしような”ってよく話して。徐々に連れて行ってもらえるようになって、ふたりで曲やらせてもらえるようになったときは、“やったな”ってよろこび合ったし。ホント、いろんな瞬間を、あいつとは過ごしてて」

だから俺、賭けをしたんです

──Jr.時代、転機みたいなものがあったとしたら、それはいつ?
「そうっすねえ……。やっぱ高校卒業したタイミングはデカかったですね。同級生で大学行く人もいれば、就職する人もいて。高校卒業って、一コの分岐点ですよね、人生の。みんな、それぞれの場所でがんばってんのに、俺は仕事がない日は、まったくやることがない。ヤバイなって危機感は感じましたね」
──妹ふたりの活躍もプレッシャーになった?
「そこは気にしてはなかったですね。ネタでまわりに、“妹のほうが売れてるな”とか言われてましたけど(笑)。がんばれよって純粋に応援してました。同級生の存在が大きかったな。だから俺、賭けをしたんですよね」
──賭け?
「高校卒業した18才のとき、『少年たち』の舞台があって。最初、8月の松竹座のメンバーには入ってたんですけど、9月の日生(劇場)のメンバーには、俺と望は入ってなくて。電話したんですよ、ジャニーさんに」
──なんて?
「“日生にも出たいです”って」
──それが賭けだった?
「俺、もし日生の舞台に立てなかったら、やめようって決めたんです。出られへんかったら、何かしら別の仕事しようって。続けることって大事ですけど、俺はダラダラ続けることに意味ないなと思ってて。20代後半になってもジャニーズJr.ってのはイヤやなと思ったんで。一コの賭けとしてジャニーさんに、“出たいです”ってのをドストレートに伝えて」
──出られなければ、やめるってことは?
「言ってないですね。それを言ったらフェアじゃないから。だから、ただ“出たい”ってだけ伝えて。8月の後半にリハが始まるんですけど、呼ばれへんかったら、8月いっぱいでやめようと思って。そしたら呼ばれて。“この世界で、もうひと踏ん張りしよう”って決めました。そこが大きかったですね。初めての、“これがしたい”っ意思表示でもあったし」
──日生の舞台は、どうだった?
「8月の舞台と役が変わって、お笑いパートを任されたんですよ。台本来たときに“マジか!”ってなって。それまで、笑いを避けてきてたから。もう叩きのめされましたね。スベリまくって。塚ちゃん(塚田僚一)すげーなって。こんだけスベっても、耐えられるんやって(笑)。塚ちゃんに、すっげー頼ったんです。困ったら、なんかやってくれって。塚ちゃんをスベらせて出番が終わるみたいな。あの人、ホントにもういい人すぎる。俺、すっげービビってましたから。舞台って反応がすぐ返ってくるから、怖くてしかたがなかったんですよね。ビビリつつなんで、中途半端で余計ウケなくて。あの日生のステージで、かなり鍛えられた感はありますね」
──2013年は、初の連ドラ『ミス・パイロット』に出演してるよね?
「いきなりすぎてビックリしたんですけど、うれしかったですね。やっと、連ドラ出られるって。現場でいちばん年下ってこともあって、よくイジってもらって。監督に、“ここで、みんなをアドリブで笑かせて。よろしく。よーい、はい!”みたいなことも多くて。ここも、ホンマに鍛えられましたね」
──『ミス・パイロット』の収録があったから、9月の『ANOTHER』には出てないよね。
「そうですね」
──『ANOTHER』に出演したメンバーの間では、7人でのデビュー話が持ち上がってたのは聞いてた?
「そんな話があるよって、軽く聞いてたくらいで。俺は12月の末までドラマやってたから。みんなは、“たぶん7人でデビューできる”って思ってたらしいですけど」
──そして、カウントダウンの日を、実家で迎えた……。
「マネージャーからのメールが意味深だったんですよね。今思えばですけど。“今年、関西Jr.は出ません”って。まーまー、たしかに関西Jr.としては出てないですよね」

1%の可能性に、賭けてみよう

──カウントダウンが終わった直後、社長に電話したときは、“終わったな”って一度は思ったんだよね。
「はい。あきらめないつもりでしたし、入るための努力はするつもりでしたけど、“ホントに入れんのか?”って不安のほうが大きかったし、1%の可能性に賭けてみようみたいな感覚やったんで。ジャニーさんに電話したけど……って優馬に報告しようとかけなおして。そしたら、優馬カッケーなって思ったんですけど、“絶対いける! 100パーいける!!”って言いきってくれたんです。俺、その言葉でスイッチが入って、絶対あきらめないって。“俺も動くから大丈夫、絶対いける!”って、あいつ言ってくれたんですよね」
──濵田くん、神山くんに電話したのは、そのあとなんだ。
「そうです。“いけるかわかんないけど、入る努力はしようぜ。見てるだけじゃ意味ないから”って話して。次の日、コンサートのリハやったんかな。リハから帰ったら、まさかの折り返しがジャニーさんからあって」
──何て言われたの?
「30分くらいしゃべって。“3人には俳優をやらせようと思う”ってことを言われて。俺は“入りたいよ”ってことを伝えて。もちろん、“じゃあ7人で”なんてことにはなんないけど、伝えることは伝えて」
──そうだったんだ。
「そっから、やっと、しげと望と連絡とって。4人の状況を説明してもらって。しげ、一生懸命動いてくれて。望も最年少でいろいろ大変だったろうけどがんばってくれた。やっぱ俺じゃないんですよね、最初からずっとあきらめなかったのは。俺じゃない。断トツであきらめてなかったの、しげなんですよね」
──そうだったんだ。
「それで4人が、それに優馬も動いてくれて」
──そして、『なにわ侍』のリハに3人も呼ばれ、本番でのデビュー発表につながったんだ。
「そういう流れですね。ステージ上で7人でデビューすることを発表したとき、改めて感じました。自分のことのように号泣してくれるファンの人たちを見て、俺たちは支えられてんだって」
──家族には、どうやってデビューを伝えたの?
「恥ずかしがり屋なんで、電話じゃなくてメールを送ったらよろこんでくれましたね。わかった瞬間に送りました。少しでも早く安心させてあげたかったんで。自分的にもよかったんですけど、親を安心させられたのは、なんかそれ以上によかったですね」
──よかったね。
「やっぱ、いろんな人に支えられて、今の俺がいるんですよ。おかん、ドラマとかあって久しぶりに実家に帰るとき、“家で晩メシ食うわ”って連絡すると、必ずハンバーグを作ってくれるんです。ここぞとばかりに。俺、雑誌で、“おかんの作る好きな料理は?”って質問に、ハンバーグって答えたことあって。たまには別のもんもって思うこともあるけど、ハンバーグが出てくるとやっぱうれしいんですよね。俺の記事、読んでくれてるんだ、いつも気にしててくれてるんだって」

“やっぱ、しっくりくんなあ” “気持ちええなあ”

──今、7人でよかったなって、どんなときに思う?
「クルマでの移動中とか、よく思いますね。こんな仲いいグループないんちゃうかなって。俺ら、移動中のほうがしゃべってるくらいだから。車内が10なら、テレビとか雑誌の対談は3くらい(笑)。そんくらい、ようしゃべってる」
──テレビや雑誌でも10で、しゃべってよ(笑)。
「まあ、7割ほぼ下ネタとかなんで、それは難しいかな(笑)」
──ハハハハハ。じゃあ、これから、どんなグループになっていきたい?
「まずは知名度を上げる。街中で声かけられるとき、よく“関ジャニだ!”って言われんですよ(笑)。“かすってんねんけど、若干ちがうねん。ジャニーズWESTって言うねんけど”って、いっつも答えてて。あと、“あ、応援団や!”とか(笑)。だから、まずは知名度を上げるってのが、個人的にもグループ的にも目標で。個々が個々の仕事をがんばるってことが、知名度を上げることにつながると思うんで」
──そうだね。
「もっと先の目標としては、ずっと仲いいグループでいたいってことかな。ずっと変わらず、このままで成長していけたらなって。いつまでも楽屋でわちゃわちゃしてるグループでいたいですね。スタッフさんに、うるさいって言われ続けるくらい」
──繊細な部分だと思うけど、ゴタゴタがあって、4人と3人の間に溝ってできなかったの?
「ないない。まだ入れるってことを言われてない段階で、『なにわ侍』の初めてのリハが始まって。その1曲目が『ええじゃないか』だったんです。曲が終わった瞬間、4人が口々に言ったんですよね。“やっぱ、しっくりくんなあ”“気持ちええなあ”って。4人が、そう言うてくれたのがうれしくて。俺ら3人も同じこと思ったし。その瞬間、すべてのゴタゴタも吹っ飛んで」
──やっぱり7人がしっくりくるよね。
「ずっといっしょにやってきた7人だから。いまだに、なんで7人でのデビューにこだわったかって理由を聞かれても、いろんな想いがありすぎて、パッと言葉ではうまく表現できない。でも、“しっくりくるから”ってのがいちばんしっくりくるっていうか。それが、すべてなんじゃないですか」

取材・文/水野光博