Myojo

10000字ロングインタビュー

「腐ったら終わりだよ」の言葉で、再び走り出せた。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

Kis-My-Ft2編

第3回

玉森裕太

たまもり・ゆうた
1990年3月17日生まれ。東京都出身。B型。身長177cm。
2002年12月1日、ジャニーズ事務所入所。
2011年8月10日、Kis-My-Ft2としてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2013年2月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

弱音を吐く。そんなカッコ悪いことはしないと決めていた。
だから、デビューという夢をつかむまで、
どれほどの苦しみがあったかは、誰も知らない。
ずっとそばにいて背中を押してくれた、大切な人たちを除いて。

“おまえは、おしゃべり九官鳥みたいだな”

──常にクールなイメージがあるけど、昔から?
「今は、けっこうシーンってしてる感じなんですけど、小さいころは、そうでもなくて。めっちゃ声が高くてよくしゃべってたんで、“おまえは、おしゃべり九官鳥みたいだな”って親父に言われてましたね」
──それ、意外。
「母からも、“小さいときは今より元気でヤンチャだった”って聞いてます(笑)。よく外で遊んでたし、服を汚して怒られたり。小学校のとき飼育委員だったけど、ウサギ小屋のニオイが苦手で、掃除をサボるために早退した記憶ありますね」
──ヤンチャだったんだねー。
「でも、子ども部屋が2階だったんですけど、夜は怖くて1階にひとりじゃ降りられなかったりもして。なんか、すげーオバケ信じてたんで」
──大きくなったら、なりたいものってあった?
「記憶ないんですけど、幼稚園時代になりたいもの聞かれて、“おばあちゃん”って答えたらしいです」
──え!?
「みんな、仮面ライダーとかウルトラマンとかなのに。家族が心配したんですよ。“コイツ、ちがう方向に向かってるんじゃないか”って」
──ハハハハ。
「僕のおばあちゃんの影響なのかな。すごくやさしくて、愛されてるなって子どもながらに感じて。おばあちゃんが大好きだったんですよね」
──小学3年のときに、サーフィンを始めたんだよね?
「おじさんの影響ですね。連れて行ってもらって。そっからです。家族もいっしょにやるようになって」
──サーフィンは楽しかった?
「最初は楽しくなかったです。無理やり連れて行かれてたんで。寝た振りをしてクルマの中で休んでたこともありましたね」
──本当は起きてんのに?
「ばっちり起きてました(笑)」

涙でパーカを濡らしたオーディション

──Jr.に入る前は、芸能界ってどんなふうに見えてた?
「完全に無関係な世界だなって。そもそも目立つのが大キライで」
──そうなの?
「中学生になったくらいからかな。クラスでも、運動会とかでも、あまり目立ちたくなかったし。思春期ってやつですね」
──お母さんは山下(智久)くんのファンだったらしいね。
「らしいんですよね。“山P、カッコいい”って、ずっと言ってたんで。ジャニーズに入って、山下くんを初めて見て、カッコいいなって俺も思いました。すっげーキラキラしてて。“王子様じゃん!”って」
──お母さんが、事務所に履歴書を送ったのは知らされてなかった?
「中1のときですね。全然、知らされてなかったです」
──いつ、知らされたの?
「友だちと釣りしに行く約束してたんで、朝早く起きたんです。そしたら、“今日はオーディションがあるから”って言い出して。“今日は行けない”って言っても、“受からないんだし、行くだけ行ってみれば”って引き下がらないんです」
──じゃあ、なかば強引に?
「“行かない”って言い続けたんですけど、親父が来て強制的にクルマに乗せられて。もうわけもわからず」
──会場に着いてどうだった?
「オーディション生が、いっぱいいるわけですよ。鏡の前で踊ってるコとか、ストレッチしてるコとか。みんな気合入ってるし、俺は人見知りだし、イヤすぎましたね。しかも、俺、当時は背が低かったんで、ダンス審査のとき、いちばん前にさせられて。で、踊れないのに“踊れ!”って言われるわけです。もう、わけわかんなくて、泣いたんですよ」
──泣いたの?
「そう。黄色いパーカ着てたんですけど、胸元の部分だけ涙で黄色が濃くなるくらい」
──泣きべそレベルじゃなくて、号泣じゃん。
「それくらいイヤだったんです。ネームプレートと番号つけてたんですけど、それをチェックしてるんですよ。俺の前でずーっと。だから、受からないんだろうなって」
──受かりたくなかった?
「受かりたくなかったですね。早く帰りたくて。で、1〜2時間、踊らされて、やっと帰れると思ったら、“この番号の人は残ってください”って、7、8人が呼ばれて。なぜか、その中に入っちゃってて」
──そうなんだ。
「で、そのまま写真撮りに行くって、スタジオに連れて行かれて。知らない人たちといっしょに笑えって言われて、“な、なんだこれ?”って思いながら笑ったの、すごくおぼえてます。手越(祐也)とか、八乙女(光)といっしょだったんですよね」
──Jr.の活動は、どうだった?
「部活みたいな感じかな。絶対、続けてやろうとも思ってなかったし。俺、習いごともけっこうやらされてたんですけど、どれも続かなくて。水泳をやらされたときなんか、テレビでポケモンが見たかったんで、数回だけ通ってやめてますからね」
──じゃあ、どんな中学生活だった? 
「毎日楽しかったし、部活をがんばって、友だちと遊んで。Jr.のレッスンに行って、ちょっとだけ高校のことを考えてたくらいかな。具体的な夢はまだなかったですね」
──Jr.に入って、クラスメイトの女子は騒ぎ始めたんじゃない?
「いや、気づかないですよ、誰も。だってテレビも出てるわけじゃないし、雑誌も出てないし」
──そうなんだ。でもモテたよね?
「モテないっすよ。まじモテないすよ。義理チョコでしたから。小学校のころはモテモテだったんですけど(笑)。チョコいっぱいもらってウキウキしてたけど、小学生ってみんなに渡すじゃないですか。中学時代は、女子とほとんどしゃべらなかったし、目立ちたくなかったし」
──目立ちたくない、習いごとも続かない。よくJr.は辞めなかったね。
「ですね。入って半年くらいかな。ファンレターを初めてもらったんです。仕事場まで歩いて行くんですけど、昔ってファンの人が並んでる公園みたいなのがあって。ファンがいるコは、そこで手紙をもらってて。俺にはファンなんていないし、“関係ないや”って、いつも素通りしてたんです。でも、その日は話しかけてくる人がいて。最初、怖かったんで無視してたんですよ(笑)。それでも“名前なんていうんですか?”って聞かれたんで、“玉森です”って答えたら、次の仕事のとき、その人が手紙を持ってきてくれたんです。“がんばってください。ファンです”って。それを見て、がんばんなきゃって思ったんですよね」
──もし、その手紙を渡されてなかったら?
「ここにいないかもしれないですね。あの日のこと、今もおぼえてます、ちゃんと」

メンバーに、最後まで壁を作ってた

──Jr.の活動は順調だったの?
「最初は、“次は何日に来てください”って言われて、レッスンに行く感じで。あっ、おぼえてるのが、家族でサーフィンに行ってたときに母親のケータイに突然、電話がかかってきたんです。“今からNHKに来て”って。母親が、すごくアワアワして。俺は、“また〜”って思ったけど、行かなきゃなって。ここでしか言わないんですけど、そのとき、パンツの替えを持ってなくて。家族にもパンツはいてないっていうのが恥ずかしくて言えないし。俺、1回ノーパンでレッスン受けたことがあるんですよ(笑)」
──ハハハハ。Jr.で最初に入ったグループは、今はHey! Say! JUMPの中島裕翔くんや有岡大貴くんたちと組んだ、J.J.Expressだよね?
「そうですね。やっぱりグループを組めるっていうのは特別な感じがして、大事なんだなって。ちがうや、組んだときじゃないですね。メンバーからはずされて、気づいたんだ」
──はずされたとき?
「はい。振りつけ師さんに、“はずれろ”って言われ、俺は、“へ!?”ってなって。すごく悔しかったし、ほかのJr.に“あれ!? なんであっちいかないの? 集まってるよ”って言われ、“俺、もうちがうんだよ”って言うのもイヤだったし、恥ずかしくて」
──最初の挫折だ。
「やっぱ、甘えてたなって思います。グループに入ってるって、ちょっとした安心感みたいなのがあって。レッスンはしっかりやってたけど、ダンスも歌も、本当にがんばったかって言われたら、もっとがんばれたんじゃないかって思いますね」
──このころ、ちょうど高校生になってるよね。
「そうですね。俺の通った高校、男子が4人しかいなくて、ハーレムみたいな高校でした」
──それ、マンガみたいな環境だね。
「最初、すごくつらかったですよ。女子がほとんどなんで、主導権は常に女子みたいな。男はホント、端っこでずっと小さくなってて。お昼の時間も、女子が全部教室使っちゃってて、俺らはいつも廊下でごはんを食べてましたね」
──じゃあ、男子同士の結束は強くなったんじゃない?
「そうですね。そのころのクラスメイト、今でも仲いいっすね。でも俺、人見知りなんで、入学から1カ月くらい、誰ともしゃべれなかったんです。男は4人しかいないのに。俺以外の男子、俺に嫌われてるって思ってたと思うんです。そういうんじゃないんですけど、俺、本当にしゃべれないんで、初めての人とか。慣れるまですごく時間かかるんで」
──どうやって距離を縮めたの?
「掃除の時間があって、そのとき、いっしょだったんですよ。男子と。ふたりで掃除してたら、これヤバイって空気になって。シーンみたいな。で、俺、マジ最低なんですけど、知ってるくせに、“名前、なんていうの?”って聞いちゃって。あっちもビックリして“何々です”って。それがきっかけで、すごく仲よくなったんですけどね。今でもこの話するんです。“最初、同級生なのにおたがい敬語使ってたよな”みたいな」
──A.B.C.Jr.を経て、キスマイに入ったのも高1だよね。集められたメンバーを最初はどう思った?
「A.B.C.Jr.で二階堂(高嗣)、千賀(健永)、宮田(俊哉)とはいっしょだったんで平気だったけど、あとの3人とはまったくからんだことがなかったし、年上だし。あっちも、俺らのこと知らないから、ちょっとよそよそしい感じがあって」
──ここでも人見知りを発揮したんだ。
「たぶん、俺がいちばん最後まで壁作ってたっていうか」
──どうやって壁を壊したの?
「ガヤ(藤ヶ谷太輔)とかキタミツ(北山宏光)が中心になって、敬語使ったらダメゲームみたいなのやってくれたんですよ。何回も何回も。そういうので少しずつ仲よくなれたんです。ただ、ワッター(横尾渉)とは最後まで仲よくなれなくて(笑)。“なんかちょっと苦手かも”って先入観もあったんです。『滝沢演舞城』に出たときなんか、大ゲンカしたし」
──原因はなんだったの?
「チョーくだらないんですけど、舞台に出るタイミングをワッターがまちがえたんですよ。そのまま出ればいいのに、袖に戻ってきて。で、おたがいローラーだから急に止まれなくて、ぶつかってコケて。なのに、“なんで俺にぶつかってくんだ!”みたいなこと言われたんです。まちがえたのはそっちじゃんって思ったけど、先輩だし“ゴメン”って。舞台が終わって、楽屋に戻ったらケンカになって」
──どうやって仲直りしたの?
「その日は、ケンカしたまま終わったんです。次の日、ワッターが気をつかってくれたんでしょうね、ふつうに話しかけてきて。俺もいつまでも険悪な感じもよくないなって。そこからですね、仲よくなったの。今になれば、あのころ、おたがい、いっぱいいっぱいで余裕がなかったんだなってわかるんですけどね。最初は、大キライって思ってました(笑)」
──キスマイで、いつかデビューしたいとは思ってた?
「最初はデビューのことなんて全然考えてなかったな。ただ、このグループでがんばるんだって必死で」

内心は“やべー”ってガクガクしてました

──内心、“がんばろう”って思ってたんだ。いつもクールで、必死とか無縁な感じに見えたよ。
「ぼーっとしてるとか、チョー言われるんですよね(笑)。何を考えてるのかわからないとか。振りつけ師の人にも“やる気ねーなら帰れ!”ってよく怒られてました。やる気ないわけじゃないんです」
──帰れって言われたら、帰りそうなイメージだけどね。
「いやいやいや、そこで帰ったら終わりだなって思って、“やります!”って、歯、食いしばってやったこと何度もありましたよ」
──見た目で損するタイプなんだ。
「“がんばってます”ってのが表から見えにくいんでしょうね。悩んでたり見せないようにしてるのもあるかな。とにかく俺と宮田はよく怒られてました(笑)。宮田とシンメだったんですけど、何かあるたんびに怒られて。宮田が失敗して怒られてるとき、俺もとばっちりで説教とか、しょっちゅうだったんで」
──そんなとき、宮田くんと、どんな話をした?
「よく怒られる仲だったんで、なんかわかり合えてたんですよね。ふたりで、イチゴ狩り行ったりもしましたから。イチゴ摘みながら、“やっぱ、俺らダメだな”“がんばってるんだけどね”みたいな話して」
──逆に、誰かにほめられてうれしかったことってない?
「ほめられたことないっすよ。ほめる人いないですもん。“できて当たり前でしょ?”って感じなんで。ずーっと怒られて育ってきてるんで、逆にほめられると気持ち悪いです。“何か裏があるんじゃ”みたいな。ほめられるの苦手です」
──デビュー前、グループ内で、後列から前列に立ち位置が変わったタイミングがあったよね。
「そうすね。最初は…目立つのがイヤだったんで」
──その時点で、まだイヤだった!?
「なんか恥ずかしかったんで。ずっと端っこで踊ってたのが、いきなり真ん中で踊れってなって。全然、景色がちがうし、前に人はいないし。すごく動揺して。“俺、ダメかも”って」
──じつは動揺してたんだ。
「見せないようにしてたんですよね。でも、平然を装っても内心は“やべー”ってガクガクしてました」
──じょじょに慣れていったの?
「“やれ”って言われて、“できないです”って言えないですからね。言われたこと、いただいた仕事は、絶対にクリアしなきゃいけない。それに、仲よかったJr.とか、“俺はがんばってデビューする”って言ってたヤツが何人も、なんかのひょうしでいなくなったりするんです。こんな簡単にいなくなっちゃうとこなんだなって。俺、フワフワしてたんで、なんで俺がいなくなんないで、がんばってるヤツがいなくなっちゃうんだろうって思って。特に踊れてたわけじゃないし、特出してた部分もない。ただ運がよかっただけ。だから、フワフワやってるのって、真剣なヤツに失礼だな、なんでも必死でやんなきゃって。もらった仕事、立ち位置、なんでも」

“道は自分で決めればいい。だけど、腐ったら終わりだよ”

──でも、デビューまで長かったよね。よくがんばり続けたね。
「もうやめようと思って、しばらく休ませてもらったこともあったんですけどね」
──それ、どのタイミング?
「高校3年で、クラスメイトが進路を真剣に決め始めたころ。ダンサーになるとか、モデルになるとか、みんな、自分が進みたい道が明確で。夢や目標に向かってがんばってる姿が、すげーうらやましかった時期があって」
──がんばってたし、デビューすることって夢じゃなかったの?
「夢だったけど、デビューできるかどうかわからない。いくらがんばってもデビューできる保証もない。実力は当然だけど、タイミングや運も必要だから。俺、いつまでジャニーズやってんだろうな。ダラダラやるんだったら、やめてちがうことしたほうがいいんじゃないかって。親にも“やめようと思う”って話して」
──それでも、戻ってきたのは?
「ある日、風呂に入ってたら親父が入ってきて。“もうちょっとだけがんばってみれば?”って言われたんですよね。俺、中学までは親父にすごく怒られてたんです。だけど、“高校生になったら何も言わない”って親父は昔から言ってて。好きなことやって、自分で進路決めて、好きなように生きろ。それで後悔することもあるだろうけど、そのぶん、いろんな経験しろって。高校になった瞬間、本当に怒らなくなって」
──進路は自分で決めろと。
「うん。そんな親父が風呂場で言ったんです。“進む道は自分で決めればいい。でも腐ったら終わりだよ”って。それ聞いて、気づいたんです」
──どんなことに?
「仕事をやめようかなって思ったの、後ろ向きな考えだったんだって。ほかにやりたいことができたからやめるわけじゃない。先が見えない怖さ。そこから逃げようとしてただけなんだって。だから前を向いて、もう1回、がんばろうって」
──そうだったんだ。
「そしたら入れちがいで、母ちゃんが風呂場に入ってきて。浴槽にほおづえつくようにして“もうちょっとがんばってみれば?”って言うんです。俺、当然裸じゃないですか。思春期だし、“うんうん”って聞きながら、下では隠すみたいな(笑)。早く出てってほしかったから、“わかった、やるよやるよ”って」
──ハハハハ。
「でも、20才までにデビューできなかったら絶対やめるって、そこだけは自分の中で決めたんですよね」
──そのこと、誰かに言った?
「誰にも。グループだし、自分ひとりの問題じゃないし、やめたら迷惑かけるのはわかってたんですけど…。メンバーにも、ギリギリまで言わないようにしようって」
──悩みを抱え込むタイプなんだ。
「ひとりで溜め込んで、パニックになって爆発するタイプです(笑)」
──ただ、先にデビューしたのはHey! Say! JUMPだった。
「俺らより、全然後に入ってきたメンバーもいたんですよ。しかも、デビューコンサートのバックにつくように俺らは言われて。なんで俺らがって、ホント、悔しくて。それ、スイッチが入ったきっかけっていうか。絶対、コイツら超えてやろうって思ったし、絶対デビューして見返そうって。メンバーと話し合ったわけじゃないんですけど、自分の中で思ってました」
──ただ、さっきリミットを決めたって言ったけど、デビューは20才を超えたよね?
「超えましたね。そうなんですよ。20才で辞めるって思ってたんですけど、少しずつキスマイでCMの仕事ができたり、いろんなことをやらせてもらえるようになって。もうちょっとがんばったらデビューできるかもしれないって、希望が見えてきたんです。だから、もうちょっとだけ、もうちょっとだけって走り続けて。20才になって速攻で辞めてたら、ここにいなかったですね」

“俺があきらめたらショボイでしょ?”

──19才のときは、ドラマ『ごくせん』に出演してるよね。
「すごくうれしかったですね。でも、いざ収録に入ったら、全然演技ができなくて。自分の力のなさっていうか、自分ダメだって思いました。今でも、できることなら録り直したいくらいですね」
──でも、どんどん俳優業も増えていったよね。
「ホントは、『ごくせん』の後、次の演技の仕事が決まるのイヤだったんです。俺、できない、向いてないって。本業の方もたくさんいる中で、『美男イケメンですね』では主演で結果も残さなきゃいけなくて。いろんなプレッシャーがあって。つらかったですけどね。誰かが演技のアドバイスをしてくれるわけでもない。自分やいろんなものと闘って」
──悩みや不安、グチ、また全部、ひとりで抱えたの?
「メンバーにも言えないし、家族に言うのも恥ずかしかったんで、そういうの。弱いところ、見せたくないから平然を装ったんですけど…。やっぱ、プレッシャーがすごくて、風呂場とか、陰で吐いてましたね。弱い部分、見せるの、家族くらいだったら別にいいだろうって思うかもしれないすけど、イヤなんですよね。家族にも見せたくないですね」
──そうまでして、なんでがんばれた?
「逆にやめたらどうなるのかなって。やめたらショボイでしょ? うん。越えていかなきゃいけない壁であり、試練なんだって。俺ら、下積みが長いぶん、いろんな人たちのデビューを見てきたんです。やっぱ誰もが、努力してデビューっていうものを手に入れてる。KAT-TUNのデビューとか、後ろで踊って俺ら見てたんで。俺が言うのもなんですけど、“がんばってるな”って。バックが長いから、見えた世界があるんです。壁を越えてきた先輩たちが大勢いるのに、俺があきらめたらショボイでしょ?」

全員がライバルというか、自分自身がライバルというか

──話が前後するけど、2011年2月、ステージ上でデビューが決定したよね。
「変な感じでしたね。ポワーンってなって。“なんつった? 聞きまちがい?”って。“俺らがデビューできんの? 逆にデビューしていいんすか?”みたいな感じになって。ひとりだけポカーンと立ってたんですけど、みんながよろこんでるから、俺もよろこばなきゃって(笑)」
──ハハハハ。
「デビューが決まって、みんなで焼き肉に行ったんです。それまで、何人かで行ったり、スタッフもいっしょなら行ったことあったけど、7人だけっていうのはなくて」
──盛り上がったでしょ?
「逆。いざ集まったら、なんかぎこちなくて(笑)。最初、無言で焼き肉食べてましたね、みんな。キタミツが気をつかって、“デビューして、どうなっていこうか”って話を振って。“大げさでもいい。それをかなえればいいんだから。ひとりずつ目標を言っていこうよ”ってなって」
──なんて言ったの?
「俺ですか。“国民的スターになる”って。たぶん、みんなもそれをどっか目標にしようと思ってたと思う。ひとりずつ熱く語ったら、ちょっと重い空気になって、また無言で食い始めましたけどね」
──今まで、習いごとが続かなかったって言ってたよね。これだけ苦悩や苦労して、よく続けてきたよね。
「なんなんですかねえ? どの習いごとも、親にやらされてたんですよね。事務所に入ったのも、俺の意思じゃなかったけど……。いつからか、この仕事が好きになって」
──でも、やりたいこと、好きなことを続けるって難しいけど、それを見つけることも難しいよね。
「そうですよね。でも、見つけるしかないですよね。俺がひとつだけ言えるなら、一生懸命やってると楽しくなることもあるってことかもしれないです。なんすかね。ダンスも、歌も、演技もそうだったんです。先輩を見てると、もっとうまくなりたいって思えた。俺、歌もダンスも演技も、全部苦手です。でも、全部好きです。全部、もっとうまくなんなきゃって思う。本当、イヤになるくらい難しいし、どこまでがんばっても終わりなんてないんだろうけど」
──じゃあ、今、Hey! Say! JUMPをどう思う?
「今は別になんとも思わないですよ。“あの日のこと忘れないからな”とも思わないし(笑)。俺らのほうが遅いですけど、同じラインに立って、いっしょに戦う仲間でもあるし」
──超えたなって瞬間はあった?
「超えたな…。もう、そういう意識ないんですよね。デビュー前って、本当ちっちゃくて。グループの中でいちばんになってやろうとか、同世代に勝とうとか。それって、小さいことだったんですよ。デビューすると、いろんな先輩がいて、その中で自分には何ができるのかなって考えるようになったし。だから、なんて言うか、全員がライバルというか、自分自身がライバルというか」
──最後に、誰にも弱音を吐かない理由が知りたいんだけど。
「なんだろう? たぶん、根がカッコつけマンなんですよ、きっと。カッコいいとこ見ててほしいし、常になんでもできるって思われてたいってのがどっかにあって。家族は出た番組の感想とか言ってくれるんです。“よかったよ!”とか。恥ずかしくて、俺は“あ、そう”みたいな感じですけど、やっぱりうれしいです」
──いつか、弱音を言えたり、本当の自分を見せられる人は出てくるのかな?
「いつか…。でも俺、メンバーにはホントの自分見せられます。弱音は吐かないけど。もう俺らには、そういうの言葉にする必要すらないし」
──それ、どういうこと?
「いろいろありすぎるけど、『美男ですね』の現場とか、俺、何回も何回も台本読んでたんで、もう文字がにじんでページもボロボロだったんです。ガヤは、そういうの見てる。“がんばれ”なんてアイツは言わない。けど、すっげー俺をフォローしてくれた。バラエティーの収録だって、“やべー”ってなってると、何も言わなくても、メンバーは察して“大丈夫”って背中をドンって押してくれる。言葉にしなくても、メンバーはわかってる。おたがいのこと。俺、メンバー全員に助けられてここまで来たんだなって思うんです。うん。だから、さっきの答えじゃないけど、俺が辞めなかったのはアイツらがいてくれたからだと思います」

取材・文/水野光博