Myojo

10000字ロングインタビュー

両手のマメに刻まれたアイドルの誇りとよろこび。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

A.B.C-Z編

第3回

塚田僚一

つかだ・りょういち
1986年12月10日生まれ。神奈川県出身。O型。身長168cm。
1998年11月8日、ジャニーズ事務所入所。
2012年2月1日、A.B.C-ZとしてDVDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2013年9月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

鍛えあげられた肉体と研ぎ澄まされたスキルで、日本中の会場を沸かせてきた。
“アクロバットボーイズクラブ”と名づけられたグループの代名詞的存在は、
ステージの怖さも、魅力も、カラダ全体で知っている。

“おまえには勝てる!”って思っちゃって(笑)

──小さいころから、運動神経よかったの?
「はい! なんか、ハイハイを始めるのがすっごく早くて。どこにでも行っちゃうからって、リビングにケージを置いて逃げないようにして、その中で遊ばせてたみたいですね。ワンちゃんみたいな感じで(笑)」
──うーん、それ、ちょっと小さいころの話すぎるかな……。
「そっか(笑)。えーと、体育は基本5で得意でした。唯一、水泳だけはダメで。今も10mくらいしか泳げないです。筋肉の使い方がわからないっていうか。力いっぱいやっても、進んでないっていう」
──妹がふたりいるよね。面倒見はよかった?
「2コ下と3コ下なんですけど、いやー、よくケンカしてました。なんかコミュニケーションの取り方わかんなかったなあ。おままごととかいっしょにやるんですけど、オモチャを取っちゃって泣かしちゃったり。よく親に怒られてました」
──ダメなお兄ちゃんじゃん(笑)。
「僕、幼稚園のときも、イタズラをよくして、毎日先生に怒られてましたからね。幼稚園時代の記憶って、先生が中腰になって、“ダメだよ”って言ってることしかないんです。なんか席に座ってるとソワソワしちゃって。小学生のときは、ひとりで“スパイゲームだ!”って、先生の目を盗んでどこまで遠くに行けるか、授業中に挑戦してましたからね」
──ガキ大将的な感じだった?
「そんな感じでもなかったです。ボスっぽい感じじゃなかったと思うんですよね。なんでだろ? カリスマ性がなかったんだと思います!」
──ハハハハハ。
「身長は、学年でも2番目にちっちゃくて。唯一、僕より小さいコに、“チビ!”とか言ってました。自分も同じくらいチビなのに(笑)」
──じゃあ、体操との出会いって?
「小1です。母親が、ヤンチャばっかしてるんで、有り余る体力をちがう方向に向けようって考えたんでしょうね。体操教室に通わされて」
──アクロバットの原点だね。
「20級から1級まであったんですけど、僕が入った次の日が、昇級テストだったんです。16級のテストを受けたのかな? 逆立ちから足を前におろしてブリッジするって課題だったんですけど、初めてやったのに、合格しちゃいまして。1級のテストのバック転も簡単にできちゃって、3年生くらいには選手コースにいっちゃいましたね。あんまり体操で苦戦したとか、壁にぶつかったことってなかったんですよね。なんでだったんだろう?」
──体操選手になりたいと思わなかった?
「体操は好きでしたけど、もっといろんなことをやってみたいなって、小6の春くらいにやめたんです」
──やってみたかったことって?
「『8時だJ』を見て、“僕もあそこに入りたい!”って」
──それで履歴書を送ったんだ。
「はい。ドラマとかもよく見てたんです。『サイコメトラーEIJI』とか。なんかわかんないけど、“生田斗真くんには勝てる!”って本気で思ってましたね(笑)。なんかのドラマで、生田くんがヒロインのコとデートするシーンがあって。それを見て変にライバル心が出ちゃって。“おまえには勝てる!”って(笑)」
──オーディションを受けたいって言ったら、親は驚いたんじゃない?
「応募用のビデオを自分で撮って、お母さんに“応募して”って言ったんです。でも、冗談だって思ったらしくて、送らずにいたらしいんですね。当然、一次審査通過の通知が来ない。“ちゃんと送ってくれた?”ってしつこく聞くんで、僕の本気が伝わったらしく、ついに送ってくれたんです。僕が自分から“やりたい!!”って本気で言ったの、その応募が人生で初めてだと思います」
──オーディションはどうだった?
「たぶん、300人くらい参加者がいたんですよね。いきなり、踊るからって言われて。初めて踊ったんですけど、楽しいなって思いましたね。受かる、受からないとかじゃなくて、楽しいなって。そのあと、“今から呼ぶコは前に来て”って言われ、僕も呼ばれて。なんか、やったーっていうか、ワクワクする感じでしたね。次、何をやるんだろうって。このままいけば、俺もドラマ出たりとか、いろいろできるのかなって。ドラマに出るなんて、まだまだ果てしなく先なんですけど(笑)」
──オーディションで五関(晃一)くんがダンスの手本だったよね?
「そうです。でも、未来で同じグループになる予感なんて、まったくなかったです。なんか、ちょっと怖かったし。クールな感じで。でも踊りがしっかりできててすごいなって」

王子様ランキング、第3位・塚田僚一

──Jr.のレッスンは厳しかった?
「体力に自信あったから厳しいって感じはないですね。ただ楽しくて」
──最初に仲よくなったのって誰だった?
「誰だろう。あんまりいなくて。レッスンのあと、ほかのコはいっしょに帰ったりして仲よくなってたけど、僕はお母さんが迎えに来てくれてて。入って1年して、『big』って舞台で河合(郁人)くんといっしょになって、仲よくなりましたね」
──河合くんの印象は?
「楽しい人。なんかよく、ヘン顔で一発芸とかやってたし。ロバとか馬のマネしてたと思います」
──1999年、戸塚(祥太)くんが受けたオーディションでは、ダンスの手本をやってるよね。
「そうです。マジメにやりましたけど、内心、“カッコいいヤツいっぱいいるじゃん! ライバル増えちゃうから、これ以上、入ってこないで”って思ってました(笑)」
──生田くんまでは、ちょっと遠いかもって思うようになってた?
「あ、すぐ気づきましたね。見かけたとき、“オーラすごいな”って。だから標的を変えて。風間(俊介)くんにだったら勝てるかもって思ってました(笑)。なんだろう? なんか僕、3年くらい前まで、“王子様ランキング”を作ってたんですよ」
──それ、なに?
「毎月、ジャニーズの王子様っぽいランキングを自分で決めるんです。1位(堂本)光一くん。2位タッキー(滝沢秀明)、3位塚田僚一みたいに。岡田(准一)くんや、山下(智久)くんも、上位の常連でしたね。僕より下ですけど。まあ、自分が1位になったことはないんですけどね」
──ちなみに今、ランキングするなら、自分は何位?
「今は……。90位くらいとか」
──下がったねー(笑)。
「けっこう下がりましたね。気づいたんですよ。僕、お母さんに洗濯物を洗濯かごに入れなさいとか、ごはん食べたらお皿をさげなさいとか、よく怒られてたんです。“王子様はお母さんに怒られないよな。俺、王子じゃないのかな”って(笑)」
──えーと、かなり話が脱線したから話を戻すと、2000年にA.B.C.が結成されたよね。グループ名が“アクロバットボーイズクラブ”の略なわけで、「俺の時代だ!」って思わなかった?
「うーん、あんまり(笑)。同期だったり、下のコと組んだから。なんていうか、もっと上の人とグループ組みたかったなって思った気がします。同時期にKAT-TUNもできたから、どこか2軍的な感じもして、あんまりうれしくはなかったです」
──ちょっと負けた感じ?
「負けた感ありました。五関くんが入ったときも、そんなにグループとしての気持ち、思い入れみたいなのもなかったな。Ya-Ya-yahとかもできたりして。やっぱり2軍的な感覚はぬぐえなかったですね」
──デビューしたいって気持ちは?
「“いいなー”って憧れはありましたね。あ、でもなんか、その時期くらいから、あせり出したんだ」
──どうして?
「不安が少しずつ大きくなって。NEWSがデビューしましたよね。手越(祐也)くんとか、Jr.に入ったばっかでしょ。“え、何!?”みたいな。『HEY!HEY!HEY!』でNEWSがデビュー曲を歌って、そのバックにA.B.C.がついたんです。ポイっていう、ひもの先端にボールとヒラヒラした紙テープがついててクルクル回すやつがあるんですけど、それを回す役で。やったことないし、リハーサルの時間もなくて、いきなり本番で。やったら五関くんのポイと、僕のポイがからんだりするんです。必死でひもをほどきながら、同世代がカッコよく歌ってるときに、“俺は何をやってるんだろ”って思っちゃって。なんか爆発しちゃって、映らないなって場所で、“もういいやー!”って、ポイをぽいって投げ捨てて。俺、ずっと、このままなのかなって……」
──いろんな気持ちが混じったんだろうね。2004年には、骨折してるよね。練習中のケガだったとか?
「いや、電車にギリギリ間に合いそうで、あわてて階段を下りたら踏み外して、折っちゃいましたね」
──しばらく活動できないよね?
「2〜3カ月くらいかな。滝沢くんの舞台『DREAM BOYS』の大阪公演に、A.B.C.の僕以外の3人が行って。みんな大阪に1カ月くらい行きっぱなしでしたね」
──このまま置き去りにされそうって思わなかった?
「“まずい、俺も何かしなきゃ!”って、あせりましたね。いても立ってもいられず、バイトを始めて」
──なにその、風が吹けば桶屋が……的な発想(笑)。
「う〜ん、なんだろう。でも、何かしないと、とにかく落ち着かなくて。青山のカフェでバイトしました」
──2007年にはHey! Say! JUMPがデビューしたよね。
「JUMP…そうですね。もう事務所に入って半年くらいでデビューしちゃうコもいて。うーん。なんだー、どう思ったかなあ。“複雑”かな!? 正直、“誰なんだ、こいつら”みたいなことは思いましたね(笑)。でも、目の前のこと、タッキー&翼のバックで踊ったり、KAT-TUNのツアーについてったり、やるべきことは必ず目の前にあったんで、ガムシャラにこなしてましたね」
──そのころ、MYOJOの取材で、A.B.C.がコスプレを拒否したことがあったって耳にしたけど。
「あ! ありました」
──想像だけど、後輩たちとはちがうんだって意思表示だったのかなって思うんだけど。
「たぶんそう思ってました。もがいてましたね。未来が見えなくて。なんか必死でもがいてた時期です」

塚ちゃん、いっぱいまちがえてるじゃん!

──やめたいとは思わなかった?
「うーん、そのころ、なんか時間だけがどんどん過ぎてくような感覚があって。このままじゃダメだって、“やめたい”って社長に相談しに行ったことあります。今考えれば本当に子どもだったなって思いますね。とにかく不安で、ここじゃないどこかに行かなきゃって」
──社長に、なんて言われたの?
「ほかのグループにできないことをA.B.C.にはやらせたいと思ってるって。“君たちにしかできないことがあるんだよ”って。社長の言葉で、なんかポジティブになれて」
──2008年には、橋本(良亮)くんが加入したよね。
「ステージ上で、突然発表されたんですけど、じつはステージの裏で、偶然、大人が話してるのを盗み聞きしちゃったんですよね(笑)」
──ハハハハハ。橋本くんの加入は、どう思った?
「うれしかったけど、若いっていうのもあったし、大丈夫なのかなって。なんか、はっしーのことが心配になったりもしましたね。“やっていけるのかな?”って」
──不安のほうが大きかったんだ?
「最初は、希望より不安のほうが強かったと思います。はい」
──KAT-TUNのツアー中、橋本くんと大ゲンカしたらしいね。
「はっしーがリハ中に振りをまちがったんで、怒ったんですよね。そしたら、“振りはおぼえてる。位置の確認をしてた。本番はちゃんとやる”って。そういうことじゃないって言ったんですけど、“塚ちゃんには言われたくない。塚ちゃん、いっぱいまちがえてるじゃん!”って。なんかもう、わかってくれないから、どこにぶつけていいかわかんなくて、衣装がかかってたステンダーをボーンって倒して」
──わかってもらえない?
「A.B.C.って、『PLAYZONE』で少年隊さんのバックをやったり、光一くんの『SHOCK』に出させてもらったり、滝沢くんの舞台やらせてもらったり、いろんな先輩の後ろで踊ってる。甘く見てるとダメだぞ。そのときできるすべてをぶつけても足りないことだってある。楽しみにしてくださるファンの人たちも大勢いる。だから、リハとはいえ、やるべきことはもっとある。込めるべき気持ちはもっとあるって伝えたかったんです。まあ、僕がふだんからまちがわなければ、伝わったかもしれないんですけど(笑)。今思えば感情的に話しすぎてたんですけどね。あの状況、あのプレッシャーの中でがんばってたはっしーを、今は尊敬できるっていうか」
──どうやって仲直りしたの?
「コンサートのあとも、話してなかったと思います。でも、そういうときに限って、ホテルが同室だったんですよね。たぶん、はっしーが話しかけてきてくれたんだと思います。“風呂沸いたよ、入る?”みたいな感じのことを。で、仲直りして」
──よかったね。
「そのあと、部屋でじゃれ合ってたんですよ。布団をかぶせたり、プロレスごっこみたいな感じで。おたがい、“やめろよ〜”とか言って。そしたら、俺の指がはっしーがつけてる数珠のブレスレットに引っかかってちぎれちゃって。数珠がホテルの床中に散乱して、“ヤバい! これはまた、ヤバい感じになる”って」
──まずいね。
「“うわー、終わった”って思いながら必死で数珠を拾い集めて謝ったら、はっしー許してくれました」
──どっちが年上かわかんないね。
「たぶん、僕の精神年令が少し低くて、はっしーは少し高くて、ちょうど同い年くらいになってるんだと思います(笑)」

この人たちに支えられ、今が、デビューがあるんだ

──2011年には、キスマイがデビューしたよね。
「たしかに悔しかったけど、なんだろう。舞台にしろ、やるべきことが自分たちにもいっぱいあったんで、そこまで悔しいっていうのはなかったですね。なんか自分たちは、ひとつひとつの作品を、もっとよくしていこうっていうだけで」
──7月の『PLAYZONE』の舞台中、河合くんがケガをしたよね。
「すぐおんぶして、リハ室に連れてって。河合くんの足、ちょっと床についちゃったんですけどね。ケガした瞬間、河合くんは舞台のことが心配だったと思うんです。それはもうA.B.C-Z全員がわかってて。どんなことがあっても、お客さんに楽しんでもらわなきゃいけない。不安な気持ちにさせちゃいけない。“Show must go on”。ショーが始まったら、幕を下ろしちゃいけないから。だからカバーし合って」
──お見舞いに行ったこと、おぼえてる?
「おぼえてます。おぼえてます。あんましゃべってないんですけど、ちょうど『キム・タック』っていう韓流ドラマがやってて。“絶対、キムタクからパクってるよね”みたいな話をしました」
──足が折れた人とする会話じゃないよね(笑)。直後のSexy Zoneのデビューは、どう思った?
「もう、あせってもしょうがない。やることが、考えることがいくらでもあったから。目の前のこと、きっちりやんなきゃって」
──そして12月には、いよいよ自分たちのデビューが決定した。
「すごくうれしかったですね。DVDでデビューするっていうのを知って、“俺たち映像でどう映るのかな”ってワクワクする感じ。しかも、12月9日がデビュー発表だったんですけど、僕、12月10日が誕生日なんですよ。なんて素敵な誕生日プレゼントなんだって思いましたね」
──そうだね。
「あ、でも、なんだろう。僕たちを応援してくれた人たちって、やっぱりデビューさせたいって思ってくれてたと思うんです。ずっとずっと。その人たちへのプレゼントじゃないですけど、“これからやるぞ!”って、もっとみんなのことをよろこばせたいって気持ちになりましたね」
──デビューまで待たせたもんね。
「もうひと言じゃ表せないんですけど、ここからスタートだって。単独で舞台をやったとき、コンサートやらせてもらったとき、満席になってすごく実感して。自分たちを、こんなに応援してくれる人たちがいるんだって。この人たちが支えてくれたから今が、デビューがあるんだって。感謝の気持ち、これから恩返ししていこうじゃないけど」
──本人たちも、デビューまで長く感じたんじゃない?
「いろいろあったなって思います。でも、あんまり振り返ることはしないんで。振り向きたくないっていうのもあるし。前だけ見てたいから」
──デビューしたこと、誰かに祝ってもらった?
「もう、いろんな人に。宮っち(宮田俊哉)から“DVD買ったよ”って電話が来て。でも、キスマイのCDを買うって約束してたんですけど、僕は買ってなくて(笑)」
──宮田くんと、仲いいんだよね。
「いいです。宮っちが『濱キス』の企画で、ずっとゲテモノばっか食べてて、やっと終わった日に会ったんです。“これで好きなものが食べられるし、明日は休みだよ”って話し込んでたら朝方になっちゃって。宮っち、ひさしぶりの休みだから寝たくないって言い出したんです。じゃあ、ふたりで温泉行こうってなって、そのまま日帰りで熱海の温泉に行ったんです」
──じゃあ、美味いもの、いっぱい食べられたね。
「あ、でもふたりとも寝てなかったんで、温泉に入ったら気持ちよくなっちゃって、旅館の待合室みたいなところで寝ちゃって。何も食べず帰ってきました」
──ハハハハハ。そういうときって、変装とかするの?
「全然しないです。前、電車に乗ってたときとか、お母さんくらいの世代の人に、“あ、塚ちゃん。娘がファンよ”って話しかけられ、クリームパンもらっちゃいました(笑)」
──塚田会ってのもあるんだよね?
「最近はやってないですけどね」
──メンバーは?
「宮田と北山(宏光)とニカちゃん(二階堂高嗣)と、とっつー(戸塚祥太)、薮(宏太)、(八乙女)光、髙木(雄也)、有岡(大貴)とか。最初は、宮っちとニカちゃんと俺でごはんを食べようって会だったんですけどね。でもなんか、ふたりが俺を“会長”って呼ぶようになって。“会長、今日店予約しときました!”とか言うんですよ。基本、俺じゃなくて、ニカか宮っちが食べたい店(笑)」
──会長の意見じゃないんだ。
「ひーーどいんですよ。食べながら、“会長、アクロバットすごいですよね。まあ飲んでくださいよ”とか言って。ちょっといい気分になっちゃって、俺が全額払うみたいな(笑)」
──Sexy Zoneの中にも、早く大人になって塚田会に入りたいってメンバーが多いらしいよ。
「タダ食いしたいだけです!」
──会が再開する予定は?
「僕じゃなくて、宮っちかニカちゃんが言い出したら、また集まると思います(笑)」

“カッコいいな”と見上げた、サークルフライング

──振り返れば、多くのファンに支えられ、今日まできたんだね。塚田会は別にして(笑)。
「そうですね。僕は特に。アドリブとか一発芸を求められることが多いんですけど、スベるのは怖いです。でも、思いっきりやりたいようにやれるのは、ファンの人たちがやさしく受け止めてくれるからですね。ある意味、ファンの人に支えられまくってます。メンバーにも支えられてて、河合くんいなかったら、僕は成立しないことが多いですね」
──成立しないって(笑)。
「だって僕、初対面の人とは、今でも話が全然合わないんですよ。“なんだこの人”って感じになって、気づけば、なんか僕のまわりからどんどん人がいなくなっちゃうんですよ(笑)。僕はフツーのことだと思って話してても。河合くんがツッコんでくれたり、話を拾ってくれないと、ただの変な人で成立しないと思う」
──たしかに、そうかも。
「ほかのメンバーにだって、すっごい助けられてて。とっつーは、僕が悩んでたとき気づいてくれたんでしょうね。“やめちゃダメだよ”って引き止めてくれたこともあったし」
──五関くんや、橋本くんは?
「僕、『ジャニーズ・ワールド』の舞台上で脱臼しちゃったんですよ。いなくなったあとの僕のセリフ、五関くんが代わりに言ってくれて。それを知ったの、だいぶあとの取材の座談会だったんですけどね(笑)」
──ハハハハハ。
「はっしーにも頼ってる部分はありますね。歌の面とか。自分も、もうちょいがんばらなきゃいけないのに、甘えちゃってるかな。でも、はっしーがいるから、アクロバットやパフォーマンスに全力を注げてるとこってある。なんか、みんなに支えてもらってますね」
──塚田くんも、誰かを支えてるはずだよ。
「そうかな〜。でも、この5人で本当によかったなって思うんですよね。去年、『SUMMARY』で、5人でサークルフライングをしたんです。『SUMMARY』のサークルフライングって、僕らはずっとずっと見てきたんですよね。KAT-TUNとNEWSがやってるのとか。“カッコいいな”ってずっと思ってて、“いつかは僕たちも”って思いながら、ワイヤーをセッティングしたり、フライング中は危ないんで、補助のため見上げてたんです。気づけば、自分たちがやっていたっていう」
──夢がかなった瞬間だったんだ。
「はい!」
──A.B.C-Zって、常に全力だよね。マネージャーさんに聞いたけど、ステージが終わった直後、楽屋で全員がぶっ倒れたように寝てるって。出し惜しみしないってポリシーなの?
「全力ってのは、コンサートじゃなくても常に思ってますね。なんかやっぱ、Jr.歴っていうかデビューするまで長かったから。“いつか僕たちもあそこに立ちたい”って思い続けてたし。その夢のステージに今、立たせてもらってるわけですから」
──出し惜しみなんかしてられない。
「出し惜しみしないって言うと、自分と勝負してる感じがするけど、そうじゃなくて。やっぱりファンの人たちのことを想ってるっていうか。ファンの人たちによろこんでほしいというか。僕たちを見てきてくれた人って、パフォーマンスやアクロバットを見慣れているというか、目が肥えていると思うんです。だから、いい意味で裏切りたいんですよね。もっと上、もっと上って」

この手も誇らしいというか、うれしいというか

──撮影のとき、手のひらを見せてもらったけど、思った以上にマメができてたり、ささくれてるよね。
「アクロバットやるんで。この手で、いっぱい、日本中のいろんな会場のフロアを触ってきましたからね。バック転したりして。その回数だけ、お客さんが驚いてくれたり、笑ってくれたのかなって思うと、このマメも誇らしいというか、うれしいというか。マメとかできるのは、アイドルっぽくないですけど(笑)」
──ツアーの東京公演最終日、バック転を連続21回やったよね。
「じつは気合を入れていこうと思って、直前に鼻を思いっきりフンってかんだら鼻血が出ちゃって(笑)。ちょっと息苦しいぞみたいな。なんかバック転し終えて、鼻血がプーンって出たら、カッコつかないなって思って、あんまり鼻呼吸しないようにしてたんです。鼻血さえ出なければ、もっとできたと思います」
──ハハハハハ。塚田くん、いつもニコニコ笑ってるよね。笑顔の素ってなんなの?
「楽しいですから。まあ、ニコニコというより、ニヤニヤっていうか。骨格のせいもあると思います」
──骨格?
「Jr.に入ったばっかりのころ、舞台の稽古中、シリアスなシーンで演出家の方に怒られまくったんですよ。“ニヤニヤ笑ってんじゃねー!!”って。いや、笑ってんじゃなくて、こういう顔なんですって(笑)」
──ハハハハハ。
「幸せなことを考えるのは好きかもしれないですね。妄想したりとかもたまにしますし。たとえばなんだろうな。夕日が沈むと暗い気持ちになったりしません? 不安だったころとかは、僕は夕日を見てるとさびしい気持ちになってて。でも、あるとき夕日を見ながら気づいたんです。“これは夕日じゃない!”って」
──ゴメン。何を言ってるか、よくわかんない……。
「ハハハハハ。なんて説明したらいいんですかねえ。落ち込むことも、うまくいかないこともある。でも、見方を変えれば、日本では夕日に見えても、地球の反対、ブラジルでは朝日なわけで。で、この光で目覚める人もいる」
──なるほど。
「この世界、やっぱり浮き沈みってある。でも僕たちは、乗り越えてきたし、長い道のりだったけど、ムダなことなんてなくて。すべてが糧になってる。夕日だって、見方を変えたら朝日だし、明日、また太陽が昇るための準備なんです。だから、ファンの人に楽しんでもらうために、未来が見えなくても、全力でやってきたことって、やっぱりまちがってなかったなって。だから、これからだって、よろこんでもらうために、なんだってやります! あ、でもデビューしたときに、“この道で一生いく!!”って決めたんで、やめるとか解散するとか、応援してくれる人たちが悲しむことだけはしない。それ以外は、なんでもします! …すみません。質問、なんでしたっけ!?」

取材・文/水野光博