Myojo

10000字ロングインタビュー

A.B.C-Zが最強だって、疑ったことはない。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

A.B.C-Z編

第5回

橋本良亮

はしもと・りょうすけ
1993年7月15日生まれ。千葉県出身。B型。身長177.5cm。
2004年9月8日、ジャニーズ事務所入所。
2012年2月1日、A.B.C-ZとしてDVDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2013年11月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

ずば抜けたスキルを持ったスペシャリスト集団に化学変化をもたらした救世主。
そう言われるには、すさまじい努力が必要だった。
グループのセンターに立つ今でも、憧れの4つの背中を追いかけている。

『世界に一つだけの花』を授業中に熱唱!

──さっそく、インタビューを始めようか。
「しゃべりますか! 俺、日本語ヘタクソですけど(笑)」
──ハハハハ。じゃあ、いちばん古い記憶って何?
「俺、3才で物心というか、目覚めたというか。3才のある日、ベッドの上で、パッて目が覚めた感じで。そこからイッキに“自分だな”“俺、生きてる!”みたくなって」
──それ、ネタでしょ(笑)?
「いや、ネタじゃないです!」
──お姉さんがいるんだよね?
「4つ上ですね。めちゃくちゃやさしくて面倒見がいいんですよ。俺が幼稚園のころ、夜眠れないときに、ずっと胸をポンポンしてくれたり」
──幼稚園のころのことで、何かほかにおぼえてることってある?
「なんだろうな。クリスマスに、サンタさんが幼稚園に来てプレゼントをくれて、いっしょに写真を撮って。そんとき俺、サンタさんの足踏んじゃったんですよ。サンタさん、低い声で“イテッ”って言ったのを聞いて、“あ、これは本物のサンタさんじゃない!”って気づきましたね。そうだ! あと、ちょうど嵐がデビューしたんですよ。昼休みに、友だち5人で嵐のマネをして、ほかのクラスで披露したりしてました」
──友だちに誘われて始めたの?
「俺がやろうって。俺は相葉(雅紀)くん役でしたね。“You are my SOUL! SOUL!”って踊ってる写真、今もありますよ。そのころからジャニーズ入りたかったのかもしれないですね」
──じゃあ、小学校の思い出は?
「1年から6年までサッカーやってて。あと、なんかあるかなあ……。あっ、授業中に、なんか急に『世界に一つだけの花』を歌いたくなって、熱唱しちゃって。先生に廊下に呼び出されて怒られたことあります! 小3のときかな」
──手がかかるコだったんだ(笑)。
「1年から6年までずっと、成績表に“橋本くんはやればできるコ”って書かれてましたからね」
──つまり、やらないコだったってことだ。
「ですね。でも勉強とか、みんなが先に行くけど、挽回する力があったんです。じゃあ、最初からやれよって思うんですけど、追い込まれないとやんないんです(笑)。ギリギリにならないと。今でもそうですね」
──クラスでモテたんじゃない?
「僕じゃなくて、親友がすごくモテたんですよ。バレンタインに、親友がチョコを38コもらったのに、俺は3コ。しかも、2コはお姉ちゃんとお母さんから。もう1コは、同級生にもらったんですけど、“俺のこと好きなんだ!”って舞い上がった瞬間、“あ、本命じゃないから”って言われて。一瞬でテンション下がりましたね」
──ハハハハハ。
「バレンタインに張り切る男子っているじゃないですか。俺はどっちかっていうと、そっちで。当日、ムダに緊張しながら下駄箱を何度も確認したり、引き出しをドキドキして開けたりしてました(笑)。好きなコはいたんですけどね」
──どんなコだった?
「小4で保健委員になったんですよ。保健室に集まったら、5年生も6年生もいて。もう保健室に入った瞬間、輝きがひとりだけちがうコがいて。1コ上のコだったんですけど、“こんなにかわいいコいたんだ”ってドキドキして。曜日ごと担当を決めたんですけど、そのコといっしょに水曜日の当番になって。休み時間にケガをして保健室に来る人がいたら、そのコが消毒して、俺が絆創膏を貼ってましたね。もう水曜日が待ち遠しくてしょうがなくて」
──告白はしなかったの?
「したんですよ。子どもながらにロマンチックにしたかったんでしょうね。初日の出と同時に告白したろって思って呼び出して。そのコ、すごく寒いのに夜中に出て来てくれて。土手でずっとしゃべってたんです。彼女、ショーパンはいてて、寒そうだったんで上着を貸してあげて。で、初日の出と同時に告白したけどフラれましたね。そのコ、ショーパンのことが多くて。だから俺、今でもショーパン好きです(笑)」

オーディションは落ちたけど、見捨てないよ

──ジャニーズに応募した経緯は?
「11才、小5のときかな。お姉ちゃん、五関(晃一)くんが好きだったんです。『8時だJ』をずっと見てて。で、勝手に履歴書を送っちゃって。俺が受けたオーディション、テレビ番組と連動した大イベントで、3500人応募したらしくて。“いいから黙ってついてきなさい”って、お姉ちゃんに会場に連れてかれて。ホント、怖くて行きたくなかったんですよ」
──会場に着いても、何が始まるかわからなかった?
「はい。なんだろうと思ってるうちに、タッキー&翼の『夢物語』を踊らされて。“これ、なんかのオーディションかな?”って気づいて」
──やる気になった?
「最初は乗り気じゃなかったけど、なんか、“こっから選ばれたらすげーな”って一生懸命やりましたね。1カ月後くらいかな。“次は二次審査です”って連絡が来て、“まさか!”ってビックリして。二次も通過して、三次審査でYa-Ya-yahのバックで踊ったのかな。このとき、50人くらいになってて。で、“1位はこの人!”って決まって。俺は“あー、落ちたんだ”って」
──悔しかった?
「悔しかったけど、自分で応募したわけじゃないしって。そっから半年くらい連絡がなかったのかな。そしたら電話がかかってきて。それがジャニーさんからだったんです。“オーディションは落ちたけど、見捨てないよ。YOU、歌えるよね?”みたいなこと言われて」
──社長に歌を披露したことってあったの?
「オーディションのとき、ジャニーさんの近くで、なんとなく歌ってたんですよ。俺、授業中に『世界に一つだけの花』を歌った橋本良亮なんで。なんか、歌いたくなったんでしょうね(笑)。自分で言うのもなんですけど、俺は幼稚園のころから自分の歌を信じてるんで。誰がなんと言おうと。ずっと歌とサッカーしか俺には楽しいことなかったんで」
──そして、Jr.の活動が始まった。
「はい。『Mステ』で関ジャニ∞がデビュー曲を歌って、そのバックに出させてもらったんですよ。もう、なんか“あれ、あれ!? なんだ、どうなってんだ?”って感じでしたね」
──お姉さんも驚いたんじゃない?
「ビックリしてましたね。俺、Jr.になったばっかのころ、よく、お姉ちゃんに注意されたんですよ」
──何を注意されたの?
「お姉ちゃん、俺の出てる番組、ずーっとチェックしてくれて。俺、すごく緊張して、ずっと下向いてバックで踊ってたんです。それをテレビで見たお姉ちゃんが、“視聴者がイヤな気持ちになるでしょ。顔を上げなさい!”って。家の床にガムテープで1mくらいの円を描いて、“この中で踊って”って言われたりもして。ずっと、ひたすら踊ったんですよ。テレビに映るJr.のマネしながら。疲れて、ちょっと円から出たら、“となりの人にぶつかって迷惑かけるでしょ!”って怒られて」

今日、選ばれなかったら終わりなのか?

──MYOJO初登場のときのことはおぼえてる?
「めちゃくちゃおぼえてます。山田(涼介)くんと制服を着ていっしょに写って。山田くん、ホント素敵だなって思いました。でも、負けず嫌いなんで、“リョウスケは俺だ!”って思ってました。不思議ですよね。最初、いっしょにMYOJOに載ったふたりが、それぞれのグループでがんばってる。俺が受けたオーディション、3500人も受けて、今残ってるのは3、4人ですから」
──じゃあ、デビューに関しては、どう思ってた?
「したかったですね。最初から。でも、ちゃんとアクロバットとか歌とか身につけてからデビューしたいなって思ってました」
──橋本くんがJr.に入ったころ、A.B.C.は、すでに結成されてたよね。どんなグループに見えた?
「そっか、そうですよね、すごいなあ。俺が入る前にできてるんですよね。テレビでよく見てたんです。“すげーアクロバットするな”って。バック転とかも、みんなすげーそろうし。テレビで見てたころに戻りたいですね」
──なんで?
「“今はいっしょにやってんだよ”って、自分に教えてあげたいから。憧れだったんで」
──なるほど。Jr.になった翌年には、J.J.Expressに入ったんだよね。
「メンバーがけっこう流動的だったんで、最初は入ってるか入ってないか、わかんない感じで。J.J.Expressのバックなのか、ユニットの一員なのか、どっちなのかなって。取材に呼ばれていっしょに写真撮ったら、“あ、入ってんだ”ってわかって、うれしかったですね」
──ただ、2007年にデビューした、Hey! Say! JUMPのメンバーには選ばれなかった。
「ずっと、デビューすること知らなかったんですよ。発表される瞬間まで。横浜アリーナで発表したんですよね。リハーサルのとき、何人か呼ばれてステージに集まってたんです。J.J.Expressは、ほぼ全員が呼ばれてて。“俺、なんで呼ばれてねーんだ?”って思って、ステージに上がろうとしたら、スタッフに止められて。なんだろうなってモヤモヤして」
──そうだったんだ。
「で、コンサート本番で急に、VTRどうぞみたいになって映像が流れて、“これが今年デビューするグループのメンバーだ”みたいな感じで、ひとりずつ名前が呼ばれて。これ、俺も呼ばれんだろうなって思ってたら、最後まで呼ばれなくて。“このメンバーでデビューだ!”って。で、『Ultra Music Power』を歌い出したわけですよ。もう、“ふざけんなよ!”って。あ、リハーサルのときのやつって、これだったんだと思って。もう、あのときは泣きましたね」
──悔しいよね。
「俺、ステージでは絶対に笑顔でいようって決めてたんです。まあ、お客さんがいると、自然と笑顔になっちゃうんですけどね。でも、あのときだけは、お客さんにバレバレでしたもん。悲しんでる顔してるの。もう、どうしようもなくて」
──それは、しょうがないと思うよ。
「もう帰ろうかとさえ思いましたからね。荷物持って。コンサートが終わって、ひとりで会場の裏で泣いてたんです。そしたら、振りつけ師さんが来て、“なに泣いてんだ”って」
──なぐさめてくれたんだ。
「いや、めちゃくちゃ怒られた。“泣いてんのか? ふざけんなよ。今日、選ばれなかったら終わりなのか? ちがうだろ! これで終わりじゃないだろ。甘えんな!”って。ホント、厳しかったですね。やめてやろうかって本気で思いましたもん。Jr.時代、何回かやめようかなって思ったことありましたけど、あのときがいちばんでしたね」
──でも、やめなかった。
「友だち少ないんで。Jr.の友だちがいなくなるのイヤだったから」
──JUMP組とぎくしゃくしなかった?
「みんな仲よかったから。JUMP組はJUMP組でうれしかったはずだし。俺がグチグチしてたらちがうでしょ。だから、“がんばってね”って見送りましたね」
──心の整理は、すぐについたの?
「やっぱり時間が解決してくれた部分ってありますね。選ばれなかった直後は、もう本当にやさぐれましたもん。金髪にしたりして。ワルをイメージしたんでしょうね。本当に子どもでした」
──時間が少しずつ傷をいやしてくれたんだ。
「あ、でも、やさぐれてた時期に、お母さんとくだらないことでケンカして。お母さん、すごい泣いちゃったんですよ。泣いたの初めて見たんで、すごく胸を締めつけられたっていうか。親を絶対泣かしちゃいけないって気づいて。今も泣いてる姿を思い出すとつらいんです。胸が痛むんですよ。それからずっと、親は大事にしてます」
──そんなことがあったんだ。
「あの涙がなかったら、俺もっとやさぐれてました。いっちまってましたね。あとは地元の親友かな。めんどくさかっただろうけど、ずーっと俺の話も聞いてくれて」
──今は、JUMPに入れなかったこと、どう思ってる?
「あの日、JUMPに入れなくてよかったんだって思えます。本当にA.B.C-Zでよかったって思えるから」

「今日からキミたちは、A.B.C-Zだよ」

──その後TOP3を経て、A.B.C-Zのセンターに抜擢されたよね。
「『SUMMARY』をやってたある日、“YOU、明日からこれ歌いなよ”って、ジャニーさんから紙を渡されたんですよ。それが、『明日の為に僕がいる』で。“なんすか、これ?”って聞いても、“いいから明日までにおぼえて”って。次の日に呼ばれたら、A.B.C.が4人集まってて、“橋本、ひとりのつもりだったけどいっしょに歌って”って。で、本番で歌ったんです。“なんだったんだろう?”って思ったけど、また次の日も歌って。そしたらモニターにA.B.C-Zって突然、文字が映って。楽屋に戻ったら、“今日からキミたちはA.B.C-Zだよ”って言われて」
──突然の発表だったんだ。
「状況がよくわかんなくて、“えっ、なになに!? 俺、A.B.C.に入るの?”って。4人もポカーンってなってました。そんときのメンバーの顔、ホント忘れらんないですね。“え、こいつ入んの? 大丈夫?”って不安な目で俺を見たんですよ。(河合)郁人なんか、ちょっとイヤそうな顔してて。まあ、俺もイヤだったけど(笑)。でも入るの拒否ったら、俺はあとがないだろうなって」
──最初はイヤだったんだ。
「めちゃくちゃイヤでした(笑)。やっていけるはずないって。踊りもアクロバットも、A.B.C.みたいに全然できないから。4人もイヤだと思ったと思うんですよ」
──いちばん年下で、しかもセンターでA.B.C.の曲を歌う。気まずさもあったんじゃない?
「ありますよ。もう気まずさだらけ、不安だらけですよ。お風呂の中で、ずっと悩みましたね。とっつー(戸塚祥太)や郁人ファンは、怒るだろうなって。あとから入ってきたヤツが歌っちゃうわけだから。“橋本なんかが”って思うだろうなって。つらかったですね。助けてほしかったです」
──でも、歌い続けた。
「お客さんの視線とかもつらかったですけどね。でも、申し訳なさなんて表情に出したら、メンバーに失礼でしょ。俺は、みんなを背負って歌わせてもらってんだから」
──「あのときのはっしーは、がんばった」ってみんな言ってたよ。
「“ぜってー負けない!”って根性だけです。もう誰にも負けたくなかったから。ファンにも、メンバーにも認めてほしかったから。1日で20曲くらいおぼえましたね。歌もダンスもおぼえなきゃいけないことばっか。アクロバットもいちからやらないといけない。俺、自分のことホントにすごいなって思いました(笑)。バック転も、そのときできるようになったし。最初は、ホントどうなるのかなって思ってましたからね」
──徐々に不安がなくなった感じ?
「今でも不安ですよ。今でも全然。まだまだレベルが全然ちがうし」
──じゃあメンバー同士、敬語じゃなくなったのって、どのくらい?
「最初は前から仲がよかったとっつー以外は敬語で。1年は敬語だったかな。でも絶対、敬語じゃないほうが仲よくなるじゃないですか。だから敬語はやめようって。仲よくなりたすぎて必死だったんです。メンバーだって認めてもらいたかったから」

一生このグループでやっていく。入ったときに決めたから

──結成当初、よく河合くんに怒られたんだよね。
「怒られましたねー。おぼえてるのが、エビキスコンのオープニングで俺、歌詞をまちがえちゃったことがあって。ヤケクソになって、お客さんを煽っちゃったんですよ。ステージ裏に戻ったら、郁人にめちゃくちゃ怒られて。それが、ホント悔しくて。“俺だって、がんばってんだよ。怒られる筋合いねえ”くらい思いましたから。でも、頭冷やしてちゃんと考えたら、これじゃダメだなって。謝りましたね。まちがったのは俺だし、やっぱ嫌われたくなかったし、“一生このグループでやっていく”って、入ったときに決めたから」
──そのときって、15才だよね?
「はい。でもねえ、あとから振りつけ師さんに言われたんですよ。振りつけ師さん、郁人に言ったんですって。“おまえらがちゃんと言わないと、あいつ育たないぞ”って。その話を聞いて、郁人、俺を成長させるために、厳しくしてくれたんだなって」
──長瀬智也くんも、TOKIOに最後に加入して、最年少でボーカル。橋本くんと状況が似てるよね。
「それも振りつけ師さんに言われましたね。“おまえは末っ子キャラだから、長瀬のポジションなんだ”って。あ、これはいっしょの感じなのかなって思いましたね。だから、なんか勝手に親近感あるんですよ」
──塚田(僚一)くんとは、最初ケンカしたりしてるよね?
「塚ちゃんはもうねー。Jr.に入ったときは、すっごいやさしかったんですよ。アクロバットを教えてくれたりして。俺たちの同期みんな、“塚ちゃん、塚ちゃん”って尊敬してて。でもA.B.C-Zに入ったら、なんかしんないけど、俺に当たってくんですよ。変わったなって思いましたね(笑)。でも、大好きです!」
──ハハハハ。五関くんは、グループ結成前と後で、印象は変わった?
「Jr.時代、逆にごっちは、しゃべりかけられなくて。誰とでも仲よくしてたし、すげーやさしい先輩だなって思ったんですけど、なんか近づいてくんなオーラが出てる気がして。でも、A.B.C-Zに入ってみたら、ホントに話しやすくしてくれて。“塚ちゃんより全然えーやん!”って思いましたね(笑)」
──戸塚くんとは、昔から仲よかったんだよね?
「俺が、小5か小6のときかな。『ザ少年倶楽部』のリハ室にいたら、憧れのA.B.C.の戸塚祥太が、後ろから来てケツをポンって叩いて“おはよう”って言ってくれて。俺のことなんか知らないだろうなって思いながらあいさつしたら、“はっしー元気?”って。なんで俺の名前知ってんだろうって、うれしくて。橋本の脳みそから“戸塚と絶対仲よくなれ!”って指令が来たんですよ。そっから、積極的に話しかけて、仲よくさせてもらって。ライブの帰りとかもいっしょに帰ってましたね」
──社交的に見えるけど、誰とでもすぐ仲よくなれるわけじゃないんだ。
「脳次第なんですよ。ホント、いけない人はいけないです」
──でも、河合くんが、「食事すると、はっしーがみんなのサラダを取りわけたり、めちゃめちゃ気が利く」って言ってたよ。
「それはやりますね。空気読めるコだと思います、僕(笑)。でも、それはやっぱあれじゃないですか。ちっちゃいころ、いろんなことがあってやさぐれて。それでも、みんなやさしくしてくれて、支えてくれたから。“あっちの立場から見たらどうなんだろう?”って考えるように自然になりましたね。自分でも、気を配れる男になりたいって思ったし」
──河合くんが足をケガしてるときも、よく肩を貸してたんだよね。
「なんすかねえ。なんか、やっちゃうんでしょうね。でも、郁人が舞台でケガしたときはホント、パニクっちゃって、頭が真っ白になって。本番中なのに。でも、なんか勝手に、“大丈夫だからな!”って声かけてましたね。なんだろうな。たぶん、僕、やさしいんです(笑)」

俺ら、ここで終わるようなグループじゃないだろ!

──2009年には、MYOJOのJr.大賞で、『恋人にしたいJr.部門』の1位になったよね。
「もうね、1位になったJr.、自分から辞めた人以外、全員デビューしてるんですよね。“絶対デビューするじゃん、俺!”って思ったんですけど、全然、デビューまで長かった(笑)。だから、不安でしたね。“デビューできないの俺だけじゃん”ってずっと思ってましたから。毎年、ランキングが発表されるたびに不安になってました」
──じゃあ、2011年のKis-My-Ft2のデビューは、どう思った?
「俺は全然、大丈夫だったんです。同期とかじゃないってのもあるんだろうけど。でも、4人がチョーつらそうで。俺、“大丈夫だよ!”って、メンバーに言ってあげたかったんですけど言えなくて。背中をドンって押して、“大丈夫だよ。だって、俺ら強いじゃん!”って言ってあげたかったんですけどためらっちゃって。いちばん下だし、まだ遠慮もあって。だから、ずっと見守るだけでしたね。ホント、言ってあげたかったですね。“俺ら、ここで終わるようなグループじゃないだろ!”って。キスマイはキスマイのやり方で、A.B.C-ZはA.B.C-Zのやり方でいけばいいじゃんって」
──じゃあ、Sexy Zoneのデビューは、どう思った?
「“お、デビューすんだ。がんばれ!”みたいな感じでしたね。全然、あせりはなかったです」
──自分たちも必ずデビューできる自信があったってこと? 
「ありましたね。もう、ありありでした。自信って言っていいのかわかんないですけど、どっかで余裕はありました。俺らはすごいぞってのがあったから。だって俺はA.B.C-Zのこと、ずっと信じてますから」
──ずっと信じてるんだ。
「だって、すごいから。A.B.C-Z最強だから。誰が見ても絶対すごいって思ってもらえるグループだと思ってるから」
──最強を疑ったことない?
「うん。あ、最初だけ疑った(笑)。“今日から、A.B.C-Z”って言われたときは、“大丈夫か?”って。疑ったの、そのときだけですね」
──そして2011年の年末、ついにデビューが決まったよね。
「記者会見の打ち合わせで渡された紙のはじっこに、“DVDデビュー”って書いてあったけど、信じられなかったんですよ。だって舞台のDVDはもう出してるわけで。どっちかっていったら、俺はCDでデビューしたかったし。なんか、モヤッとしましたね。モヤモヤだらけだったな」
──モヤモヤは、いつ晴れたの?
「まだまだかな。でも、それって俺たちが、新しいことしてるからだと思うんですよ。誰もやったことのないことに、俺らは挑戦してるから。それに、A.B.C-Zはまだまだだと思うし」
──まだまだだと思うんだ。
「まだまだまだですよ。でも絶対、売れてやろうと思ってます。信用しててくださいって感じです」

A.B.C-Zはやさしさの塊、愛の塊なんです

──振り返って、いちばんの逆境って、どのタイミングだったと思う?
「うーん、JUMPがデビューしたときは、泣いて泣いて終わりですけど、A.B.C-Zに入ったときは、つらくたって、泣いたって、ずっと続くわけだから、A.B.C-Zに入ったときですかねえ。不安でしたもん。ずっと毎日」
──よく乗り越えたね。
「なんでしょうねえ。なんだろうなあ? でも、好きなんだと思います。この世界が」
──今も不安になることってある?
「ひとりのときは不安になったりしますね。記者会見の日とか、いまだに緊張するし。なんもしゃべれず終わって、“こいつダメだ”って思われるんじゃないかって、すごく不安になるんです。でも仕事場に行けば、メンバーがいるし、勇気がわいてきて。俺は俺なんだって。橋本良亮はアホだし、日本語うまく使えないコだけど、そのままの橋本でいけばいいんだって。自分を信じてます。あと、メンバーを信じてます」
──メンバーに愛されてるよね。橋本くんの誕生日は、毎年みんなで集まるんでしょ?
「そうなんですよ。俺の誕生日だけ全員集まってくれるんです。ほかのメンバーのときは、プレゼント渡すだけだったりするのに」
──誕生日会、いつから始まったの?
「A.B.C-Zが結成された年かな。俺が言い出したんです。“みんなで、ごはん行かない?”って。そしたら毎年、開いてくれるようになって」
──ホント、仲いいよね。
「はい。今、ホントに楽しいです。自信持って、胸張って言えます。どのグループよりもA.B.C-Zは仲いいって。いろんなグループを好きな人がいると思う。でも、俺はやっぱA.B.C-Zがいちばん好き。うん。カッコいいよA.B.C-Zは。スキルがちがうもん。俺は何もできないけどね。4人に頼ってばっか」
──でも、残りのメンバー全員が、「俺たちの分岐点は、はっしーが加入したこと。はっしーが加入してイケると思った」って言ってたよ。
「……そういうふうに言ってもらえると、うれしいですね」
──目、ちょっと潤んでない?
「……何も言えないですね。郁人に最初のころ“センターなんだから自覚しなさい”って毎日毎日言われて。“やっぱ俺じゃダメなんじゃ…”って思った時期もあって。でも、デビュー直後くらいかな。郁人に言われたんです。“表では、お客さんの前では、センターのおまえが、俺たちを引っ張ってけ。裏から俺たちが支え続けるから”って。その言葉で迷いとか、不安とか全部吹っ切れて」
──改めて言うけど、ホントいいグループだね。
「はい。歴史がありますから。スキルだけじゃない。A.B.C-Zはやさしさの塊、愛の塊なんです。だから最強なんです!」

取材・文/水野光博